第148話:久々の再会、そして邪魔者
ちょっと自分でもお気に入りのエピソードです
岐阜城での華やかな元服式と、息の詰まるような祝宴を終え、俺はやや鼻息を荒くしながら城下町を早歩きで進んでいた。
明日の昼までは自由の身だ。向かう先はただ一つ、愛しの嫁である桔梗が待つ、俺の屋敷である。
泥まみれの横山城でいつ死ぬか分からない日々を過ごし、京や岐阜を飛び回っていた俺にとって、久々の夫婦水入らずの夜だ。
戦場のストレスから解放された、健康で血気盛んな成人男性である俺のテンションは、密かに、しかし確実に最高潮へと達していた。
(……よし。今夜は久々に、気合い入れて頑張っちゃうぞー!)
脳内で下心丸出しのガッツポーズを決めながら、俺は自宅の玄関を勢いよく開け放った。
「桔梗! 帰ったぞ!」
パタパタという足音がして、奥から桔梗が顔を出した。
相変わらずの凛としたクールビューティーぶりだが、俺の顔を見るなり、その涼やかな目元がふっと柔らかく和んだ。
「……あなた様。大役、本当にお疲れ様でございました」
「ああ! お館様や重臣たちがズラリと並ぶ宴席で、ずっと背筋伸ばして窮屈な直垂を着てたから、肩が凝って死にそうだぜ。早くお前の顔が見たくて、飛んで帰ってきたんだ」
俺はデレデレに顔を崩しながら、さっそく桔梗を抱き寄せようと手を伸ばした。
だが、桔梗はひらりと華麗に身を躱し、俺の着ている見栄えばかり良い礼服をジト目で見た。
「嬉しいお言葉ですが、まずはその肩の張るお着物を脱ぎなさいませ。宴の酒と、冷や汗の匂いが染み付いておりますよ。奥にお湯を張った桶と手ぬぐいを用意してありますから、まずは行水でさっぱりとなさって」
「おおっ! さすが俺の嫁、分かってるねえ! まずは体を綺麗にしてからってことだな!」
「着替えの小袖も置いておきますからね」
相変わらず俺の扱いに長けた桔梗に手玉に取られつつも、俺は弾むような足取りで奥の部屋へ向かい、桶の温かいお湯で宴の汗と緊張を拭い去った。
ザブザブと手ぬぐいで首筋を拭くと、いつ敵が襲ってくるか分からない最前線の張り詰めた空気も、魔王の御前でのプレッシャーも、すべてがお湯に溶け出していくようだった。
ゆったりとした寝巻きの小袖に着替えて居間へ向かう。
そこには、俺のために酒と温かい汁物を用意して待つ桔梗の姿があった。ほのかに香る桔梗の髪の匂い。静かで平和な夜。俺の中で、ムラムラとした期待感がさらに膨れ上がっていく。
「いやぁ、やっぱり家が一番だな。桔梗の飯は最高に美味いし」
「あなた様は、いつも大げさなのですから。それに私は作ってませんよ」
桔梗がクスリと笑いながら、俺の杯に酒を注いでくれる。
俺は酒をグイッと煽ると、ニヤニヤしながら桔梗の隣にジリッとにじり寄った。
「なあ、桔梗。久々に二人きりだし、夜はまだまだこれからだぜ……」
俺がとびきり甘い声を出して、桔梗の華奢な肩を引き寄せようとした、まさにその瞬間だった。
「――吉晴! 戻ったか!」
玄関の戸が、バンッ! と凄まじい勢いで開かれた。
ビクッと肩を震わせた俺。
ドカドカと遠慮のない足音を立てて居間に現れたのは、白髪交じりの厳つい初老の武士だった。
「ち、父上……!?」
そこに立っていたのは、尾張の丹羽郡からわざわざやってきた、本当の茂助の父・堀尾泰晴だった。
「おお、やはり戻っておったか! 藤吉郎殿の名代として若君たちの元服式に出たそうだな。尾張の親類衆から話を聞き、大役を任された貴様が浮かれて粗相をしてはおらぬかと、慌てて飛んできたのだ!」
「い、いや、慌ててって……父上、わざわざ尾張からお越しになったのですか!? なぜよりによって、こんな夜更けに……!」
「なんだそのたるんだ顔は! 久々に顔を見た父に向かって、その間抜けな挨拶は何事か!」
泰晴はズカズカと居間に上がり込み、あろうことか、俺と桔梗の間にドカッと腰を下ろした。
完全に、今夜の最高のプランが物理的にぶち壊された。
(タイミング悪すぎるだろおおおお!!)
俺は内心で血の涙を流しながら絶叫した。
せっかく泥まみれの横山城から解放されて、今夜こそ嫁と甘い時間を過ごす予定だったのに! なんでよりによって、一番いいところでこの暑苦しい戦国オヤジが乱入してくるんだよ!
「父上様、よくぞお越しくださいました。すぐに新しい膳と酒をご用意いたします」
桔梗はすぐに姿勢を正し、嫁として完璧な礼をした。
「うむ、桔梗殿。出来の悪い倅をいつも支えてくれて感謝する。……で、吉晴!」
泰晴はギロリと俺を睨みつけた。
「貴様、名代という大役を果たした直後だというのに、なんという腑抜けた顔をしておるのだ! 少しばかり藤吉郎殿に重用されたからとて、天狗になってはおらぬだろうな!」
「て、天狗になどなってなんか……! ただ、久々に家に戻れたんで、少しばかり気が緩んでいただけと言いますか……」
「馬鹿者! 武士たるもの、常に戦場にいるがごとく気を引き締め、いつ何時でも刀を抜ける覚悟を持てと何度言えばわかる!」
桔梗が静かに酒と肴を運んでくると、泰晴は俺の杯を取り上げ、自ら酒を注ぎ始めた。
逃げ場はない。俺のムラムラと燃え上がっていた欲望は完全に鎮火し、ここから終わりの見えない『武士道講座』という名の拷問が始まることが確定した。
「桔梗殿、すまぬが今宵は私が吉晴の相手をしよう。そなたは下がって休むがよい」
「はい。では、お言葉に甘えまして。……あなた様、お父様のお話をしかと胸に刻むのですよ」
桔梗は涼しい顔でそう言うと、俺を完全に見捨てて奥の寝所へと引っ込んでしまった。
(ちょっ、桔梗! 俺を置いていかないでくれー!)
無言で助けを求める俺の悲痛な視線は、無情に閉められた襖によって遮られた。
「さあ吉晴、姿勢を正せ! 武士の誉れとは何たるか、まずはそこからだ!」
「……は、はい」
岐阜の夜更け。
甘く平和なはずだった俺の屋敷には、むさ苦しい酒の匂いと共に、親父の暑苦しい説教がいつまでも響き渡るのだった。




