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幕間:軍神の絶望と、歴史を狂わす折れた槍

 生まれつき、常人を遥かに凌ぐ巨躯に恵まれていた。

 真柄十郎左衛門直隆は、幼い頃から周囲の大人たちに畏怖され、時には化け物のように忌み嫌われて育った。


 誰もが彼の異常な体格と腕力を恐れ、遠ざかる中で、ただ一人、彼を一人の人間として、そして武士として真っ直ぐに見つめてくれた男がいる。

 越前の守護者であり、生涯無敗を誇った朝倉家の軍神・朝倉宗滴あらくら そうてきである。


「嘆くことはない。その類稀なる体躯、まさに朝倉を守るための巨大な盾となろう」

 直隆はその言葉に救われた。


 彼にとって宗滴は絶対の師であり、超えるべき神となった。宗滴の期待に応えるためだけに血を吐くような鍛錬を重ねた。宗滴もまた、直隆の純粋な忠義を見抜き、彼を娘婿として迎え入れた。


 だが、直隆は宗滴の傍らで歴戦をくぐり抜けるうち、一つの拭いきれない疑念を抱くようになっていた。


(なぜ、義父上は戦に勝っても決して笑われないのか?)

 加賀の一向一揆を打ち破っても、周辺の国人衆を屈服させても、無敗の軍神の顔は常にひどい焦燥と、得体の知れない恐怖に覆われていた。


 そして宗滴は夜な夜な、南東の空を睨みつけ、うなされるように呟くのだ。

『急がねばならぬ。間に合わん。……魔王に、朝倉が呑み込まれる』と。

 朝倉家は今、栄華の絶頂にある。


 それなのになぜ、義父は存在しない何かに怯え、何かに追われるように血反吐を吐いて軍制改革を急いでいるのか。直隆には、それがずっと不思議でならなかった。


 その不可解な疑念の答えが明かされたのは、弘治元年(一五五五年)。

 最強の軍神が、病床で最期を迎えようとしていた夜のことだった。


「義父上……」

 看取っていた直隆は、宗滴の顔に安らかな光が微塵もなく、血を吐くような無念と絶望に苛まれていることに気づき、胸を締め付けられた。


「……あ、朝倉が、滅びる……。尾張の……魔王に、呑み込まれて……」

「義父上!? 何を仰られて……」

 高熱に浮かされた宗滴の目は、直隆ではなく、遥か遠い虚空を見つめていた。その瞳には、一乗谷が炎に包まれる幻影でも映っているかのようだった。


「……抗おうとした。勝って、勝って、朝倉を強き国に……だが、駄目であった……。大きな流れは、変わらぬ……歴史は、私に跪いては、くれなかった……」

 直隆は息を呑んだ。


「……直隆、聞こえるか……」

 宗滴の震える枯れ枝のような手が、直隆の分厚い腕を弱々しく掴んだ。


「数十年後……『金ヶ崎』の地にて……あの魔王を討ち取る、最大の好機が訪れる……」

「金ヶ崎、ですか……」

「だが……もしそれが駄目なら……お前の運命は、『姉川』に……」

 無敗の軍神の目から、一筋の無念の涙がこぼれ落ちた。


「頼む……。私の代わりに……絶望の運命を……覆して、くれ……ッ!」

 そして宗滴は、虚空へ手を伸ばし、最期に呪文のような予言を口にした。


「……魔王は天下を、統べる。だが……奴もまた、最後は京で……業火に焼かれて果てる、定めに……」

 それが、朝倉宗滴の最期の言葉だった。

 無敗の軍神は、虚空を掴むようにして、その偉大な生涯に幕を下ろした。


***


 葬儀が落ち着いた後、養父の書斎の文箱の底から一通の厳重に封をされた書状を見つけ出した。

 そこに記されていたのは、いつ書かれたのかも知れぬ、出処も知れぬ、信じ難い『後の世の歴史』だった。


 尾張の織田信長が魔王の如く台頭し、天下を呑み込み、そして朝倉が滅びるという破滅の筋書き。そして、これからの数十年間、魔王・信長の手足となって歴史を形作っていくであろう敵将たちの名が、恐ろしいほど克明に記されていたのだ。


 義父は、狂っていたわけではなかった。この手紙に記された絶対に避けられない悲劇の運命を打ち破るためだけに、生涯を懸けて孤独な戦いを続けていたのだ。

 直隆は、義父が残した手紙と、運命を覆せという悲壮な願いを、一身に背負うこととなった。

 

 ***


時は流れ、元亀元年(一五七〇年)。


 義父の死に際の言葉通り、直隆は『姉川』の決戦の地に立っていた。

 だが、現実という名の檻はあまりにも残酷だった。朝倉・浅井連合軍は今、織田・徳川連合軍の前に為す術もなく崩壊しようとしている。


(……やはり、抗えぬ定めか。申し訳ありませぬ、義父上……)

 真柄直隆は、血と泥にまみれた戦場で、己の身の丈を越える大太刀『太郎太刀』を振るいながら、静かに諦観を受け入れていた。


 かつて義父が予言した通り、数ヶ月前、朝倉には『金ヶ崎』にて魔王・信長を討ち取る最大の好機が訪れた。


 しかし、そこで歴史の筋書きにはない異変が起きた。不可解な鬼火による混乱、そして様々な策により朝倉軍は足を止められ、魔王を取り逃がしてしまったのだ。


 あの瞬間、直隆は悟った。自分たちがどれだけ血の小便を流して足掻こうとも、大局の運命には決して逆らうことなどできない。


 金ヶ崎で得体の知れぬ事象が起きようと、結局は義父の言った通り、自分の運命はこの『姉川』に収束してしまったのだと。


 名門・朝倉の誇りを背負い、破滅の脚本通りに美しく殉じる。それが、運命に敗北した直隆が選べる唯一の、そして最後の意地だった。直隆は己の死に場所を求めるように、群がる徳川軍を無感情に蹂躙し続けていた。


 だが、その死地に、一人の大男が立ち塞がった。

「ヒィィィィッ!! こっち来んなバカヤロォォォ!!」

 泥にまみれ、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにし、恐怖に震え上がっている巨漢。


 だが、その男はどれだけ醜く怯えようとも、決して背後の部下を見捨てて逃げようとはしなかった。

(なんだ、この男は……!?)

 直隆は、その歪な姿に戦慄した。


 義父・朝倉宗滴が遺した手紙の歴史。その整然とした勝者と敗者の脚本の中には、織田の武将たちが事細かに記されていた。


 だが、このような奴は、ただの一文字たりとも記されていなかったのだ。

 織田軍の勝者の歴史の中に、こんな泥臭く、常識外れで、異質な男は少なくとも表に存在しないはずなのだ。


(我らは……朝倉は、二百年の名門の意地と誇りを守るため、運命の通りにここで美しく散ろうとしている。それなのに……!)

 直隆の胸の奥から、煮え返るような激しい嘆きと怨嗟が湧き上がった。


 自分たちがどれだけ命をすり減らしても一寸も変えられなかった絶対の歴史の檻の中で。目の前の男は、大義名分も、武士の誉れも、歴史の重みすらも一切知らぬまま、歴史の枠組みを力任せにぶち壊そうとしている。


「貴様は何者だ……。義父上の手紙れきしにいない男よッ!!」

 名門朝倉が抗えなかった歴史。


 その理不尽な運命さだめそのものを否定するため、直隆はこの得体のしれぬ異物を粉砕すべく、太郎太刀を大上段から振り下ろした。


 ガキィィィィンッ!!

「……なっ!?」

 直隆は、己の腕に伝わった硬い衝撃に驚愕した。

 茂助が死に物狂いで構えた槍が、めり込みながらも太郎太刀の刃を完全に食い止め、停止させていたのだ。


(馬鹿な……この俺の太郎太刀が、断ち切れぬというのか……ッ!)

 直隆が驚愕したのも無理はない。彼が打ち下ろした一撃を受け止めたのは、ただの槍ではない。


 朝倉家がどれだけ足掻いても変えられなかった絶望の運命が、今、明確に止められたのだ。


「うおおおおッ!!」

 直隆は、力任せにその忌まわしい槍を圧し折ろうとムキになった。

 その瞬間、直隆は心の中で激しく叫んでいた。


(なぜだ……! なぜ我ら朝倉の執念は届かず、このような歴史の枠の外にいる有象無象が、絶対の運命を撥ね退けるのだ……ッ!)

 だが、そのムキになった数秒間が、戦場においては決定的な隙となった。


「もらったァァァッ!!」

 側面から駆け込んできた徳川軍の猛将・匂坂さぎさか兄弟の槍が、無防備になった直隆の首と胴を深く貫いた。


「ガハッ……!」

 太郎太刀が、手から滑り落ちる。

 義父の無念と越前の誇りを背負った猛将は、泥の中へとゆっくりと崩れ落ちた。


 薄れゆく意識の中で、直隆は、へたり込んで荒い息を吐いている茂助の顔を見上げた。

 朝倉は歴史に跪いた。だが、この男の意地は歴史そのものを歪ませた。その圧倒的な対比に、直隆は自嘲の笑みを漏らした。


(……見事だ。お前のような運命の枠の外にいる特異な者ならば、あるいは……義父上が恐れた、あの絶対の魔王の運命すら、変えてしまうのかもしれぬな)

 直隆は血を吐きながら嗤い、かつて義父が遺した最大の予言を、彼に託す最期の呪詛として吐き捨てた。


「せいぜい、足掻け……。どうせあの魔王も、最期は……業火に焼かれて果てる、定め……ッ」

 直隆は、歴史に抗う一縷の望みを目の前の大男に見出し、越前の誇りとともに静かに息絶えた。


***

     

「……」

 俺は、目の前でこと切れた豪傑の死体を呆然と見下ろしていた。


 怖かった。マジで死ぬかと思った。桔梗が作ってくれた特注の槍じゃなかったら、間違いなく俺は唐竹割りにされていただろう。 


(……業火に焼かれて果てる、か)

 俺は、真柄が最期に血を吐きながら遺した、やけに具体的な呪詛の言葉を反芻した。


(……まあ、ウチのお館様は、神仏なんかこれっぽっちも敬ってないし、寺社勢力を脅したりパワハラばっかりで恨み買いまくってるからな)

 俺は、泥だらけの折れた槍を杖にして立ち上がりながら、深く納得したように頷いた。


 そりゃそうだろう。敵対する勢力からすれば、信長様は道理を蹂躙する悪魔以外の何者でもない。死に際の敵から『お前も火炙りになれ』なんて皮肉な呪いの一つや二つ、吐きたくもなるはずだ。


(俺も激しく同意だよ、あのクソ上司……。マジでいっぺん燃えねえかな)

 俺は、それが日本の歴史を揺るがす『本能寺の変』の超重要フラグであることに1ミリも気づかず、完全スルーした。


「茂助様ァ! ご無事ですか!」

「おう、なんとか生きてるぞ!」


 歴史の重みなど微塵も感じていない元ニートの戦国武将は、泥を払いながら、部下たちの元へ小走りで駆け戻っていくのだった。


 茂助以外に現代人が登場する予定はありません。

ありませんが……。


 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
簒奪でもいいから自身が朝倉の当主した方が良かったよ多分
時間がすれ違った
宗滴よ…転生者か未来を夢見たのか知らないが、だったら義景を鍛えて景鏡も支柱に育てるべきだったの
感想一覧
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