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第127話:奇跡の転倒と、散りゆく忠臣

大戦も終わったのでギャグ回。




 泥と血にまみれた姉川の激闘は、織田・徳川連合軍の大勝利という形で幕を下ろした。


 朝倉軍の象徴であった真柄十郎左衛門を討ち取った右翼の戦線も落ち着き、各部隊は戦後処理と首実検のために、信長の待つ本陣へと引き上げを始めていた。


 俺は右腕の麻痺と極度の疲労で、文字通り足を引きずるようにして本陣へ向かっていた。両手には、真っ二つにへし折られた特注の巨槍の残骸が力なく握られている。


「若、お疲れ様ですぜ。あの真柄って化け物を相手にするなんて、生きた心地がしなかったですぜ」

 道中、遊撃隊として裏の立ち回りをしていた捨吉が合流し、俺の横に並んで歩き始めた。元は裏社会で生きていた捨吉の目は、凄惨な戦場の後でも奇妙なほど周囲を警戒していた。


「ああ、まったくだ。今はただ、泥を落として横になりたい……」

 俺が虚ろな目で前を向いた時だった。


 前方の本陣では、馬印が高々と掲げられ、床几しょうぎに腰を下ろした信長のもとへ、味方の武将たちが次々と討ち取った首を持参して報告に上がっていた。

 その列の中に、血まみれの首を手にして信長へと歩み寄っていく一人の武将がいた。


 ピタリ、と。

 隣を歩いていた捨吉が足を止め、目を細めた。


「茂助様。……おかしいです」

「え……? 何が……?」

「あの首を持って信長様に近づいていく武将。味方の甲冑を着てますが、歩き方が不自然です。大武功を上げて意気揚々と報告に行くはずなのに、足運びが妙に静かすぎる。それに……あいつの目は、信長様にしか向いてないです」

 捨吉の声が、一段と低く、鋭くなった。


「あれは手柄を誇る武将じゃありません。獲物を狙う獣歩き方です」

 捨吉が緊迫した声で何かを訴えかけてくる。


 だが、真柄との死闘で全身の筋肉は限界を迎え、脳にはまったく血が巡っていなかった。俺は捨吉が何を言っているのか理解できず、ただぼんやりとした頭で「歩き方がどうしたって?」と口を動かそうとした。 


 その瞬間、俺の足首が泥に深く沈み込み、酷使しすぎた両足が完全に限界を告げて絡まり合った。


「うわっ!?」

 踏みとどまる筋力など一ミリも残っていなかった。重い甲冑を着込んだ俺の巨体は、一歩前に進もうとした体勢のまま、凄まじい勢いで転がるように前方へと倒れ込んでいった。


 ドゴォォォンッ!!

 激しい衝突音が響いた。

 俺の巨体が、すぐ前を歩いていた味方の武将の背中へと、ただただ無様に激突したのだ。


「ぐっ!?」

 背後から百キロの鉄の塊による完全な不意打ちのしかかりを食らった男は、大きく体勢を崩して泥の上に手をついた。


 男が持っていた手柄首が転がり、被っていた兜が衝撃でずり落ちて、泥にまみれたその素顔が白日の下に晒される。

 だが、男はぶつかってきた俺のほうを振り返りもしなかった。


「うわ! ごめんなさい!」

 焦った俺は、その武将の顔を覗き込むようにした。


「くっ! バレたか!」

 男そう叫ぶと、泥を蹴り立てて立ち上がり、懐から刃を黒く塗られた短刀を抜き放って、獣のような叫びを上げた。


「おのれェッ! 信長ァッ!!」

 すべてを捨てる覚悟を決めた、決死の特攻。残る数歩の距離を一気に詰めて信長の喉笛を掻き切ろうと、男が凄まじい執念で身を躍らせた、その直後だった。 


「――その顔。浅井が家臣、遠藤喜右衛門えんどう きえもんと見たりッ!!」

 鋭い裂帛の気合いと共に、一閃の刃が男の首筋を横手から深々と薙ぎ払った。


 俺と男のすぐ近くに控えていた、見慣れぬ若い武将だった。俺の不格好な転倒によって兜が外れ、男の顔が露わになったその一瞬の隙を、その若武者は見逃さなかったのだ。 


「が、はっ……無念……」

 若武者の太刀を浴びた男は、信長へ伸ばした手を虚しく宙に掻かせながら、血を吐いて泥の上に崩れ落ちた。


 浅井家きっての智将であり猛将、遠藤直経。味方の首を拾い、織田の将の甲冑を奪って変装し、単身で本陣に潜入して信長の命を狙うという、常軌を逸した決死の暗殺行。


 それが今、俺の限界を極めた疲労によるただの『つまずき』と、若武者の鋭い刃によって完全に未遂に終わったのだ。


「曲者か! お館様をお守りしろ!」

 ここでようやく周囲の馬廻衆が事態に気づき、慌てて殺到してくる。


「控えよ。すでに事切れておる」

 若武者が静かに刀の血振りをして鞘に収め、床几に座る信長に向かって片膝をついた。


「お館様、御無事にございますか。この者、浅井の重臣・遠藤直経。お館様の首を狙い、偽首を持参して紛れ込んだものと思われます」

「……で、あるか。しかし、よくこの男の正体に気づいたな」

 信長が冷静な声で問うと、若武者は泥に這いつくばって息も絶え絶えになっている俺のほうへ向き直り、生真面目な顔で深く頭を下げた。


「堀尾殿。貴殿が身を挺して背後からぶつかってくれたおかげで、敵の侵入に気づき申した。感謝いたす」

 本陣にいたすべての将兵の視線が、一斉に俺へと注がれる。


 誰もが、俺のただのドジを「刺客の正体を瞬時に見破り、自らの身を投げ出して主君を救った決死の忠義」として完全に勘違いしている空気だった。


「あ、ああ……。ごめん、君は誰だっけ?」

 俺は泥だらけの顔を上げ、疲労で回らない頭のまま、正直すぎる疑問を口にしてしまった。助けてもらったのは事実だが、本当にこの若武者の顔に覚えがなかったのだ。


 すると、若武者は少しだけ目を丸くした後、愉快そうに口元を綻ばせた。


それがし、竹中半兵衛重治が弟、竹中久作重矩(たけなか きゅうさく しげのり)にござる。何度かお会いしておりますぞ」


「あ、半兵衛の弟さん……」

「……ははっ。これほどの働きをしておきながら、名乗り合うことすら些事と笑い飛ばされるか。さすがは堀尾殿にござるな」

 竹中久作が、俺の無礼な物忘れを何か勝手に解釈し、爽やかな笑顔を向けてくる。


 俺は弁解する気力もなく、ただ引きつった笑いを浮かべることしかできなかった。

 全身の骨が軋むような疲労と痛みに耐えながら、俺は戦国の不条理さと、勝手に積み上がっていく己の過大評価に、ただひたすら目眩を覚えていた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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