第101話 熱い砂利と、そして伝説のペニシリン
城下の外れにある、陶工の親父から強引に借り上げた巨大な登り窯。
その前で、俺は汗だくになりながら腕を組み、仁王立ちしていた。
「吉晴殿。昨日から丸一日、ガンガン薪をくべて火を燃やし続けやしたが……そろそろよろしいんで?」
顔を煤だらけにした但馬が、息を切らしながら尋ねてきた。
「ああ、十分だ! 俺の計算が正しければ、中に入れた川砂はドロドロに溶けて、冷え固まり、今頃は透明で美しいガラスの塊になっているはずだ!」
俺は自信満々に頷いた。
ゲームのクラフト画面では、砂をかまどに入れて数秒待てばガラスがポンッと出来上がる。現実の時間はかかるにせよ、砂を高温で焼くという理屈は同じなのだから、失敗のしようがない。
「開けろ但馬! 俺たちを一生遊んで暮らせる大金持ちにしてくれる、透明な宝の山を拝もうぜ!」
「へいっ!」
但馬が分厚い手袋をして、窯の扉を開け、中から鉄のトレイを引きずり出した。
「さあ! 見せてみろ……って、え?」
モワァッと立ち上る熱気の中。
そこに置かれていたのは、昨日俺たちが川岸から拾ってきた白い川砂だった。
いや、正確に言えば、ただ熱されて少し焦げただけの信じられないほど熱い砂利である。透明なガラスなど、どこにも見当たらない。
「…………若? これ、ただのあっつい砂ですが」
「な、なんでだ!? なんでガラスになってねえんだよ!!」
俺は頭を抱えて絶叫した。
ただの歴史音痴ニートである俺が知る由もないことだが、珪砂を溶かしてガラスにするには、およそ一七〇〇度という超高温が必要になる。薪を燃やしただけの窯では、砂は溶けるどころかビクともしない。
融点を下げるために灰や石灰を混ぜるという先人の知恵が必要なのだが、ゲームの知識しか持たない俺に、そんな専門的な理屈が分かるはずがなかった。
「うそだろ……。俺のガラス・プロジェクトが……俺の一生遊んで暮らす野望が……」
ただの熱い砂利を前に、俺が膝から崩れ落ちた、その時だった。
「――やはり、ここに居られましたか、茂助殿」
背後から、氷のように冷たく、静かな声が響いた。
ビクンと肩を跳ねさせて振り返ると、そこには分厚い帳簿を手にした木下組の金庫番・小一郎が、能面のような無表情で立っていた。
「こ、小一郎様……! いや、こんなところで奇遇で……」
「茂助殿」
小一郎は帳簿をパラリとめくり、冷徹な声で被せ気味に読み上げた。
「『どぶろく十樽』。『蘭引』。そして『大窯の借り賃と大量の薪』。……これら莫大な出費が、すべて『木下組の経費』として計上されておりますが。兄者に代わって、私が納得のいく説明をしていただきましょうか」
「ヒィッ……!」
小一郎の目が、完全に横領犯を見る目になっている。
「その……これからこの砂をガラスにして、莫大な利益を……」
「結果を出せなかった以上、ただの無駄遣いです」
小一郎はパタン、と帳簿を閉じ、深くため息をついた。
「無断で使い込んだ経費については、この度の茂助殿への恩賞から回収しておきますので、ご安心を。……あ、まだ足りませんからね」
「借金!?」
俺の悲痛な叫びを無視して、小一郎は冷酷に立ち去っていった。
残された俺は、ただの熱い砂利を前に、完全に白く燃え尽きていた。
***
その帰り道。
俺は魂の抜けた顔で、とぼとぼと岐阜の城下町を歩いていた。
借金を背負い、夢破れた俺の目に、ふと一軒の小綺麗な南蛮品の小間物屋が飛び込んできた。
「いらっしゃいませ! 堺の商人から仕入れたばかりの、珍しい南蛮渡来の品々でございますよ!」
店先の台の上に、日の光を浴びてキラキラと輝く美しいものが並べられていた。
透き通った丸い玉。薄く色づいた美しい器。
「えっ……?」
俺は思わず足を止め、その美しい器を指差した。
「おやじさん、これ……ガラス……だよな?」
「ほほう、お侍様、お目が高い。これは『びいどろ』と申しましてな。南蛮の技術で作られた、たいそう珍しく美しい細工でございます。最近では、堺や京の都でも腕の良い職人が真似て作り始めているとか」
びいどろ。
俺の脳内で、先ほどまでの「自分だけが知っている現代知識のオーパーツを作って大金持ち」という壮大な野望が、音を立てて粉々に砕け散った。
(うそ……だろ……? もう普通に売ってんのかよ、ガラス……!)
わざわざ薪を大量に燃やして熱い砂利を作らなくても、商人から買えば手に入るものだったのだ。俺のあの努力と借金は、本当に、ただの無駄な砂遊びだった。
「……もう嫌だ。何もしたくない……」
俺は完全に心を折られ、這うようにして自室へと戻った。
石鹸は悪臭スライムになり、アルコール抽出は部下の急性アル中を引き起こし、頼みの綱のガラス作りはただの砂遊びで終わり、おまけに市場調査すらしていなかった。
現代知識無双なんて嘘だ。中途半端なニートの知識じゃ、この戦国時代じゃ何の役にも立たないんだ。
「腹減った……。甘いもんでも食って現実逃避しよう……」
俺はフラフラと立ち上がり、部屋の隅に置いてあった平餅が入った木箱を開けた。せめて糖分を摂取して、この荒んだ心を癒やしたい。
だが、箱から取り出した餅を見た瞬間、俺は悲鳴を上げた。
「うわあっ!? なんだこれ、青緑色になってる!?」
餅の表面には、見事なまでにびっしりと『青カビ』が生え散らかしていた。
梅雨時の湿気と、部屋の風通しの悪さが原因だろう。食えば確実に腹を下す、完全なる腐敗物である。
「う、ううっ……! なんだよこれ……泣きっ面に蜂じゃねえか……!」
金は無くなるわ、知識チートは失敗するわ、楽しみにしていたオヤツはカビだらけだわ。神様はどこまで俺をいじめれば気が済むんだ。
俺は青カビだらけの餅を握りしめ、ボロボロと情けない涙をこぼした。
「クソッ、こんなカビ……ん?」
俺はふと、手の中の『青カビ』を見つめたまま、ピタリと動きを止めた。
(青カビ……。カビ……。待てよ? 俺、なんか昔、テレビのドラマで見たぞ……?)
ニート時代、深夜の再放送で穴が開くほど見た現代の医者が江戸時代にタイムスリップする、超有名な医療ドラマ。
あの主人公の天才外科医は、江戸時代で薬がなくて困った時、たしか『青カビ』を集めて培養し、そこからとんでもない奇跡の万能薬を作り出していたはずだ。
「……ペニ……ペニシリン! 薬効ありだ!!」
俺はガバッと顔を上げた。
そうだ! 青カビから作れる抗生物質、ペニシリン! どんなバイ菌もぶっ殺し、化膿を防ぎ、梅毒すら治す魔法の薬!
あのドラマの主人公は、たしか芋の煮汁か何かで青カビを育てて、それをなんか濾過してペニシリンを抽出していた。
「これだ……! ただのガラスなんかより、よっぽど確実で、死ぬほど価値のある究極の医療アイテムじゃねえか!!」
俺の目に、再びギラギラとした欲望の炎が灯った。
ペニシリンを独占して作れれば、小一郎の借金なんて一瞬でチャラだ。天下の大名どもがこぞって金を積んで買いにくるに決まっている。
「よし! 金儲けは一旦中止だ! やはり原点回帰、俺の身の安全を守る医療チートこそが至高!」
俺が青カビの生えた餅を両手で天に掲げ、歓喜の笑い声を上げていると、廊下からドカドカと足音が聞こえてきた。
「若ァ! 先程は小一郎の旦那にえらく絞られてたみたいですが、大丈夫ですかい……って、若?」
顔を出した三太夫が、俺の手元を見てギョッと目を剥いた。
「若、そいつぁ……見事なまでに腐りきった、青カビだらけの餅じゃねえですか。なんでそんな汚えもんを大事そうに持って……?」
「フフフ……。三太夫、お前にはこれがただの腐った餅に見えるかい? こいつはな、世界を救う奇跡の種なんだよ!」
俺はドヤ顔で言い放った。
「俺はこれから、この青カビを育てて、すべての怪我や病を治す究極の薬を作る! これぞ俺の真の知識チートだ!」
俺の宣言を聞いた瞬間。
三太夫はカッ!と血走った目を見開き、わななきながら俺の前にひれ伏した。
「カビから……薬……。ははぁん! さては、このドス黒いカビから致死の猛毒を抽出し、それを我らの槍や刀に塗りたくるおつもりですね!?」
「は?」
「恐ろしいお方だ……! あの闘薬ですらあんなに凶暴だったのに、今度は腐敗したカビの毒! これで敵を斬りつければ、毒が全身を巡って肉を腐らせ、地獄の苦しみを与えることができる! さすが若、考えることがえげつねえ!」
「毒じゃねえよ! 病気を治すための奇跡の薬だって言ってんだろ! あと絶対に舐めるなよ、腹壊すからな!」
バトルジャンキーにツッコミを入れながら、俺は青カビ餅を大事に箱にしまった。
石鹸、アルコール、ガラスと失敗続きの俺だが、今度は違う。
俺には「テレビドラマで見た」という確かな知識があるのだ。
かくして、借金返済と命を懸けた、ニートの薄っぺらい知識によるペニシリン培養プロジェクトが、いよいよ幕を開けたのだった。




