第98話 遅ればせながらと、ついに知識チートの開始!?
「ぎゃあああああああッ!!」
俺は、自らの鼓膜が破れそうなほどの絶叫と共に、ガバッと布団から跳ね起きた。
全身が滝のような寝汗でびっしょりと濡れ、心臓が早鐘のようにドクドクと打ち鳴らされている。
「……ハァ、ハァ、ハァ……っ。ゆ、夢か……。戦から帰ってくるたびうなされてる気がするぞ……」
薄暗い寝所の中。俺は自分の脇腹をペタペタと触り、そこに矢が突き刺さっていないことを確認して、ようやく安堵の息を吐き出した。
「あなた様。いかがなされましたか?」
隣で寝ていた妻の桔梗が、パチリと目を覚まして俺の背中をさすった。
「あ、ああ、ごめん。ちょっと悪い夢を見てな……」
「まぁ。伊勢での激闘の熱がいまだ冷めやらぬのですね。よろしければ、この桔梗がお相手いたしますよ。四股ですか?組み討ちですか?」
「どんな夜中の過ごし方だよ! 違うわ! もっと現実的な、マジでスプラッタな悪夢だよ!」
涼しい顔で深夜のスパルタ鍛錬を提案してくる妻を宥めながら、俺は頭を抱えた。
見たのは、南伊勢・阿坂城でのあの一件だ。大将の藤吉郎が脇腹に矢を受け、陣幕の中で薬師に「麻酔なしで巨大な矢抜き鉗子で傷口をこじ開けられる」という、あの地獄の拷問医療の光景である。
おまけに気付けと称して、古参の足軽たちが裂けた肉に粗塩を容赦なく擦り込んでくるのだ。
(思い出しただけで腹の底が冷える……。あんなの、治療じゃなくてただの拷問ゲーじゃねえか!)
俺は、伊勢の泥沼から帰還し、この武家屋敷で命がけの休暇を満喫している。だが、どんなに平和を貪ろうと、ここは戦国時代だ。いつか必ず、あの魔王の気まぐれで次のブラック現場へ駆り出される。
もし、俺が戦場で怪我をしたら?
現代なら清潔な病院で麻酔を打ち、綺麗に縫合して抗生物質を飲めば治るような傷でも、この時代では確実に「釘抜き&塩」のコンボが待っている。
しかも、泥まみれの汚い布でぐるぐる巻きにされるのだから、十中八九、傷口からバイ菌が入って化膿し、高熱を出して野垂れ死ぬ。
「……嫌だ。絶対に嫌だ。あんなスプラッタ医療で死ぬくらいなら、俺は腹を切った方がマシだ」
ブツブツと独り言をこぼす俺を見て、桔梗が小首を傾げた。
「刃による怪我を恐れるとは、あなた様らしくもありません。敵の刃が届く前に討ち果たすほどの、強靭な足腰を練り上げればよいのです。さあ、今すぐ夜明けの素振りを……」
「気合で矢が防げるか! 俺は人間だぞ!」
俺は桔梗の古風な根性論を却下し、布団の上であぐらをかいて腕を組んだ。
怪我を完全に防ぐのは難しい。だが、化膿や感染症を防ぐことなら、俺の現代知識でどうにかできるんじゃないか?
不衛生な泥や血を綺麗に洗い流し、常に清潔を保つことができれば、少なくともあんな野蛮な荒療治は回避できるはずだ。
(待てよ。……汚れを落として、清潔を保つ最強のアイテム。異世界転生モノのラノベとか漫画で、主人公が『知識チート』で真っ先に作る定番のアレがあるじゃねえか!)
俺の脳内に、天啓のような閃きが降りてきた。
そうだ。アレさえあれば、戦国の不衛生な医療環境を劇的に改善できる。俺の生存率を爆上げし、さらには商人相手にボロ儲けまで狙える魔法のアイテム。
「……石鹸だ!」
俺はポンッと手を打った。
「せっけん……? はて、聞いたことのない言葉ですね」
「身体の汚れや油を綺麗さっぱり落としてくれる魔法の薬だよ! これを作れば、俺はもう怪我の化膿に怯えなくて済むし、衛生革命が起きるんだ!」
俺は興奮のあまり立ち上がり、拳を握りしめた。
石鹸の作り方くらい、ネットのまとめサイトか何かで読んだことがある。細かい化学式とかはサッパリ分からないが、たしか獣の脂と灰を水に溶かした汁を混ぜてグツグツ煮込めば、なんかいい感じに化学反応的なアレが起きて固まり、石鹸になるはずだ!
俺の現代知識でマウントを取る絶好のチャンス。これぞまさしく知識チート!
なんで今まで思いつかなかったんだ、これがテンプレじゃねーか!!
「おい、三太夫! 但馬! 起きろ!」
俺は寝巻きのまま屋敷の庭へ飛び出し、まだ薄暗い空の下、別棟で寝こけている部下たちを叩き起こした。
「は、はいッ! 若、どうされました! 敵襲ですか!?」
飛び起きた三太夫たちが、慌てて刀に手を伸ばす。
「敵襲じゃねえ、プロジェクトの始動だ! お前ら、今すぐ灰をかき集めてこい! かまどの灰でも、囲炉裏の灰でも何でもいい! それから、桔梗が俺に精をつけさせるために台所に置いている『猪の脂身』があるだろ! あれを全部持ってこい!」
「は? 灰と、猪の脂、ですか……?」
三太夫たちは完全に寝ぼけ眼で首を傾げたが、俺の異様なパッションに気圧され、「は、ははァッ!」と屋敷中を駆けずり回り始めた。
***
数時間後。
すっかり日が昇った屋敷の庭に、巨大な鉄鍋がデンッと据え置かれていた。
鍋の下では、大量の薪がパチパチと勢いよく燃え盛っている。
「若……。これ、一体何を作ってるんですか? 兵糧丸の新しい秘伝ですか?」
三太夫が怪訝な顔で鍋の中を覗き込んだ。
鍋の中では、山盛りの猪の脂と、水で溶いた大量の灰が、グツグツと地獄の釜のように煮えたぎっている。
「違う。これは『石鹸』という、魔法のアイテムだ。これを使えば、戦場で泥にまみれた身体も傷口も一瞬でピカピカになる。俺たちの命を救う、世紀の大発明になる予定だ!」
俺は、前掛け姿で長い木のヘラを持ち、ドヤ顔で鍋の中身をかき混ぜた。
たしか、ネットの知識じゃこれであってるはずだ。灰の汁と脂が混ざり合って、冷ませばツルッとした固形物になる……らしい。分量とか温度調節とかは適当だけど、まあ煮詰めればどうにかなるだろ。
「フフフ……。さあ、固まれ……! 白くていい匂いのする、極上の石鹸になるんだ……!」
俺は、ニチャァ……と気持ちの悪い笑みを浮かべながら、必死にヘラを動かし続けた。
これが成功すれば、俺は戦国の世に衛生革命をもたらした天才発明家としてもてはやされ、危険な前線に出ずとも大金持ちになれる。もう痛い思いをすることも、泥沼を歩かされることもないのだ。
俺の輝かしい知識チート生活が、今まさに始まろうとしていた!
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