男爵
自警団長のヨエル・ビルグレンは、ウッジを入り口の横にある広間に残し、俺とアンを男爵の私室というところに通した。部屋には、何人かの従士が控えていた。その中に、市壁工事監督のマッツもいた。みんな帯剣している。こんなに物騒な連中に取り囲まれたのは初めてだ。従士たちはくつろいでいるようだが、俺は、そんな気分には到底なれない。狼に囲まれている気分だ。団長の従卒は、俺を捕らえる準備をするために先に帰らされたのかもしれない。
監督のマッツが俺に声をかけてきた。
「魔術師ムスタ、またお会いしましたな」
「あ、はい」
この人苦手なんだよな。にこりと笑って人を脅しつけるから。
「魔術師殿、そんな顔をしなさんな。条件を守る限り、我々はあなたの味方だと申し上げたはずですぞ」
ほら、また脅す。
「過去のことも忘れましょうと言いましたのに、なぜそんなに気になさる」
「はあ」
俺がどうしようもなくなっていると、ビルグレン団長が助けてくれた。
「マッツ、やめろ。お前の話し方では、遠回しな脅迫にしか聞こえないぞ。そう思いませんか、ムスタ殿」
これはこれで、どう答えりゃいいんだよ?
「監督さん、おじちゃんをいじめないで」
アンの助け舟。その場は爆笑に包まれた。アンに叱られた監督は、あっさり降参した。
「これはアン殿、私が悪かった。これ以上申しませんので、お許しください」
そう言いながらちらっと俺を見た監督の眼は、笑っていた。どういう意味の笑いだ? 俺は不安だ。アンには、さっきの会話の裏なんか全然わからなかったみたいだ。安心できるのは、それだけだ。
そこに五十年輩の男が現れた。従士たちが一斉に姿勢を正したので男爵本人だとわかった。俺も、従士たちに合わせて直立不動の姿勢をとった。そのまま縛られたら身動きできないなという思いが脳裏をかすめた時、アンがお辞儀をしたのが目の隅に入った。
「おお、あなたがアン殿かな。マッツから噂を聞いておりますぞ」
物のわかった人間なら、師匠を差し置いて弟子に先に話しかけるなんて、普通しないよな。不安な思いを忘れて、ちょっとむっとしたぞ。ほら、年嵩の従士が男爵を諌めている。
「失礼いたした、魔術師殿。アン殿のご挨拶があまりに立派だったのでね」
男爵は、すまなそうに笑いながら、俺に右手を差し出した。俺は、反射的に握手に応じたが、手を握られた瞬間、ぞっとした。なぜって、この人は俺がさんざん小物をいただいた当の本人だからな、このまま手を離さずに従士たちに合図をすれば、俺は一巻の終わりだもの。こんなに心臓に悪そうな思いをするなら、来なければよかった。
そこに、女性が入ってきた。男爵と同年配だ。男爵が紹介してくれた。
「妻のエスターです」
奥方は、俺に向かって、スカートをつまんでふわりとお辞儀をした。貴族のお辞儀を正面から見たのは初めてだが、何とも言えない品がある。思わずほれぼれしちまった。そしたら、アンがまたお辞儀したんだ。さっきは見損ねたが、今度はまともに見られた。奥方には負けていたけれど、さすがに男爵の目を奪っただけのことはある、子供としてはかなりの優雅さだった。
奥方は、アンのお辞儀を見て大喜びだった。
「あなたがアンね。上手なご挨拶をありがとう。とっても素晴らしかったわ。ただ、ちょっと、そうね、お召し物に問題があるようだわね。私と一緒に来ていただけるかしら?」
奥方は、そう言って、俺を咎めるような目でちらりと見た。
分かってるよ。アンのお召し物なら、問題だらけだ。あちこち破れてるし、薄汚れてるなんてものじゃなく汚れてる。俺だって気にはなってたんだよ。着替えに近所の女の子のおさがりをもらったんだが、仕事が忙しくて洗濯に手が回らなかったんだ。魔術師の仕事時間が短いったって、気力の問題もあるだろ。それに、クビになって暇になったと思ったら、塀の修理だし。
心の中で言い訳を言い終えて、気付いたら、アンも俺を見ていた。どうすればいいか、分からないようだ。
俺は、アンを人質にとられる可能性と、アンにみっともない格好をさせている負い目を天秤にかけた。監督以外は俺を脅かすようなことを何もしていなかったし、男爵だって汚いやり方に奥方を巻き込んだりしないだろうと踏んで、結局こう言った。
「行って来いよ」
それを聞いたアンは、奥方の顔に視線を移した。奥方がにっこり笑ったのを見て、安心したようにうなずいた。
「ご一緒します」
アンは、奥方と一緒に部屋を出て行った。自分の家にいるかのような堂々とした歩きっぷりだ。俺は、こいつの育ちが気になって仕方がないぞ。
「魔術師殿、あの子はどういう育ちなのですか?」
監督が俺に聞いた。他の従士たちも気になったのだろう、耳をそばだてている。
「分かりません。ラガンから逃げてきたところを拾ったんです」
「どの町かわかりますか?」
「ロネビューと言ってました」
「ロネビューと言えば、ラガン一の商業都市ですな。貴族も多い」
「自分では、平民だと言っていました。父親は、貴族と付き合いがあったようです」
「では、豪商の娘かもしれませんな。いや、あの物腰には恐れ入った。子供のものとは思えない。市壁工事現場での彼女とは、まるで別人ですな」
まったくだ。ときどき、自分のほうが弟子なんじゃないかと思うよ。特にこんな場所では。
「さあ、マッツ、お前ばかり話していないで、いい加減に魔術師殿を私に回してくれ」
「あ、申し訳ありません」
監督は、恐れ入って下がった。
「さあ、魔術師殿、こちらへ来なさい。そこに座って」
自分の椅子に座った男爵は、俺に近くの椅子をすすめた。言われた通りに座っていいのかな? 従士たちは、みんな立ってるぞ。思わず見回すと、監督が促すように手を振った。座っていいらしい。だから、座った。落ち着かないから、椅子の隅にちょこんと。
男爵は、そんな俺を見て苦笑いし、従士たちに言った。
「お前たちも座れ。魔術師殿が落ち着かないではないか。こらマッツ、椅子が足りないなら持って来い。床に座るんじゃない」
「申し訳ありません。つい、現場での癖が出ました」
「ここは現場や戦場ではないんだから、きちんとした貴族らしくふるまってくれ」
床に座ろうとして男爵に叱られた監督は、部屋の外に出て行き、木箱を抱えて戻ってきた。
「それは椅子ではないぞ。まあいい。お前らしい」
男爵は、諦めたように首を振り、俺に向き直った。
「魔術師殿、まずは、魔術師部隊ではなく我が部隊においでいただけたことに感謝申し上げますぞ」
監督に脅されておろおろしている間に成り行きで……とは言えないな。仕方がないから「はい」とだけ答えた。
「本題に入る前に、この部屋にいる面々を紹介しよう」
そう言って、男爵が全員を紹介してくれたんだが、緊張していてさっぱり覚えられなかった。アンがいなくなって、俺は、前にも増して緊張してしまったんだ。新たに覚えられたのは、監督の苗字がハスキビで、男爵の事務関係の補佐役だってことぐらいだ。
「魔術師殿、ずいぶんと緊張しておられるな。疲れんかね?」
俺がカチカチに緊張していることに気付いた男爵が、こう話しかけてきた。そんなことを言われても緊張は解けないし、おっしゃる通り疲れるよ。ここにいるだけでへとへとだ。
「マッツが悪いんですよ。例のことで魔術師殿を脅すようなことを言うんですから」と、名前を覚えられなかった従士。
「そんなことを言った覚えはないぞ。気にするなといったのだ」
「一人だけで武士に囲まれてそんなことを言われたら、脅されたと思うに決まっているではないか」
「そんなことがあるものか」
そんなことがあるに決まってるじゃないか。監督はおかしいぞ。俺は、心の中だけで参戦した。
「やめんか。話が進まんではないか」
男爵が大きな声を出すと、二人とも黙った。
「やれやれ、どうにも気が利かん男どもで申し訳ない。どうやら、本題に入る前にもう一つ話しておくことがあるようだな」
来た! 俺は、身を固くした。
「そう固くなりなさるな。我々は、過去のことなど忘れた。マッツが言うとなんでも脅しに聞こえるかもしれんがな」
「男爵閣下、私はそのような話し方をしたつもりはありません」
監督が立ちあがって抗議した。顔が引きつっているのは、笑いをこらえているからだろう。
「わかったわかった。だが、そのように聞こえる者もいるということだよ。反省しなさい」
「はい」
監督は、笑いをこらえたまま、おとなしく座った。
「マッツは、茶々を入れるのが得意でな。あいつを相談の場に加えると、いつまでたっても話がまとまらんのだ」
男爵が愚痴った。監督にちらりと目をやると、目をぐるりと回してみせた。男爵の前でそんなにふざけていて、大丈夫なのかな? それ以上男爵が何も言わなかったところを見ると、いつものことなんだろうか。
「さて、魔術師殿、本題に入らせてもらうぞ。我々が調べたところ、あなたが当家からいろいろと持ち出した時……」
うわっ、いきなり心臓を突き刺されたみたいだ。過去のことを忘れたどころじゃないじゃないか。
「まあ、気になさるな。あんたが持っていったものは、大したものではないんだから。とにかく、その時の手口を調べてみたんだがな、塀に開いていた穴から忍び込み、一階上部の換気口までよじ登った上で、換気口から中を覗いて窓の閂を外したのではないかと思われた。正しいかね?」
俺の体から、がっくりと力が抜けた。気になさるなって、何なんだ? アンを同席させないでおいてくれたのだけが救いだ。奥方が連れだしたのは、せめてもの情けだったのか。
「これこれ、魔術師殿。気にするなと申したではないか」
俺の様子を見た男爵が咎めた。ここぞとばかりに、監督が口をはさんだ。
「男爵閣下、そのような話し方をなさいますと、脅しどころか、断罪ととられますぞ」
「だから、気にするなと申して……」
男爵の釈明の途中から、居並ぶ武人たちが笑い出した。男爵は、一瞬憮然とした顔を浮かべたが、ニヤッと笑って後を続けた。
「まあよかろう。このように無礼なものどもは無視するに限る。それでな、あんたの手口と、マッツが教えてくれた市壁工事での活躍を考え合わせたんだが、このようなことができるかね?」




