男爵邸へ
ウッジは、帰ってきたとき、泥まみれだった。
「戦闘訓練で地面にでも潜ったのか?」
「ムスタ、なぜそんなことができると思うんだ? 魔術師にはできるのか?」
このくそまじめが。
「冗談だよ。穴でも掘ったのか?」
「逆だ。土を盛った」
「町の外に?」
「町の中にだ。街路に土塁を作って、町の中を通りにくくするんだ。神聖帝国の奴らが手こずるようにな」
「そりゃ職人や人足の仕事じゃないのか?」
「いいや。奴らは市壁工事で手一杯だ。土塁は、とにかく通りにくければいいんだから、職人の技なんかいらない。俺たちで十分だ。指導はしてもらったがな」
「市壁工事はそろそろ終わるはずだけどな」
「奴らは、大砲の弾に鉄を使ってる。石の市壁だけじゃ壊される。それでラガンはひどい目に遭ったって話だ。領主様は、市壁を土や木で補強するつもりだそうだ。市壁工事は、まだまだかかるぞ」
なるほど。領主様も考えてるんだ。ちょっと気が楽になった。ならば、アンを市壁の中に入れておけば、とりあえず安全だ。市壁がもっている間に俺たちが何とかすればいいわけだ。
「ウッジ、町の中での戦闘について、知ってることを教えてくれないか?」
意外なことに、いきなりウッジの表情が硬くなった。
「ムスタ、おかしなことを言うな。魔術師部隊には伝わっているはずだぞ。なぜ、俺から聞きたがる?」
俺は、焦った。ウッジは、もっと単純な奴だと思っていた。簡単に作戦を教えてくれると思ったが、そうはいかないらしい。監督は、俺の件をオレーグ男爵も了解済みだといった。自警団は、オレーグ男爵の配下だ。だからと言って、ウッジみたいな一番下の連中まで話が伝わっているとは思えない。俺の弱みを握った上の口止めだから、下手にウッジに事情を話せない。どこまで話していいんだろう?
ウッジは、本気で俺を疑い始めたようだ。目を細めてこちらをうかがっている。心配した通りだ。こいつを相手にする場合、絶対にまともな話にはならないんだ。
「おい、勘違いするなよ。俺は、町を守るために聞きたいんだ」
俺は、思わず一歩下がった。それがいけなかった。ウッジは、でかい体のくせに素早く動いて、俺の首に腕をかけて締め上げた。こいつにこれをやられるのは二回目だ。二回とも勘違いだ。誰か、何とかしてくれ。
「やあ、魔術師ムスタ。男爵からのお使いでまいりましたぞ。おや、ウッジじゃないか、どうしたんだい?」
ちょうどその時、一人の武士が素っ頓狂な声とともに現れ、ウッジに締められている俺を見て不思議そうに首をかしげた。本当に男爵の使いなら、そんなにのんびりしてないで、この勘違い野郎から俺を助けてくれ。
「団長、このムスタが怪しい言動をするので、身柄を確保しました。魔術師として聞いているはずの我々の作戦を、私から聞き出そうとしたのです。こいつは、神聖帝国から送り込まれたムスタの偽物に違いありません」
ウッジが、めちゃくちゃな説明をした。団長とやらは、面白そうに目を輝かせた。
「ほうほう、で、どうしようか?」
どうしようかじゃないだろ。遊んでる場合か。俺は、もうすぐ死ぬぞ。首の骨が折れそうなんだ。気付いて、止めてくれ。
「おいおい、ウッジ。そのムスタ殿が死んでしまうぞ。いったん離せ」
この必死な目の色に気付いてくれたのか、男爵の使いは、ようやくウッジを止めてくれた。ウッジは、手を若干ゆるめたが、離そうとしない。
「逃がすわけにはいきません」
「いいから離せ。責任が俺が取る」
ウッジは、しぶしぶと手を離した。俺は、団長を恨みの目でにらんだ。団長さん。えらく安直な責任だな。あんた、男爵から聞いて知ってんだろ、俺が魔術師部隊に入っていないことを。
「ムスタ殿、そんな目で見ないでくだされ。私は、間に合うようにウッジを止めましたぞ」
「もっと間に合ってほしかったよ」
「はっはっは、そうでしょうな。すまぬことをしました」
すまぬなんて絶対思ってないよ、この人。あの監督といい、オレーグ男爵の周りには、こんなタイプしかいないのか。
「私の名は、ヨエル・ビルグレン。自警団の団長をしております」
自警団のトップか。ウッジの大ボスだ。
「ムスタです。げほ。ロルフ親方の徒弟です」
咳は本物、名乗りは確認のための謎掛けだ。団長は、さらりと答えた。
「魔法の効きが遅すぎて魔術師部隊に入れなかったという話でしたな。聞いておりますぞ」
俺は、それを聞いて安心した。この人は、確かに事情を知っている。やれやれと力が抜けた。
「ムスタ殿、男爵邸までおいでいただけますかな。男爵ご自身がぜひムスタ殿と話したいと仰せなのです」
やばっ。
「そのような顔をなされるな。大丈夫です。我々は、過ぎた話など忘れました。今回は、男爵があなたのお力の使い方を相談したいということでお呼びたてする次第です。もちろん、あなたに考えがあれば、それもお聞かせ願いたい」
どうしても来いと言うことだな。一緒に行かないと仕方がない。
「ウッジ、ムスタ殿と男爵邸に行くぞ。護衛しろ」
ウッジは、混乱して目を白黒させながらも、うなずいた。
「ムスタ殿、あなたのお弟子にもご同行願えませんか」
団長は、アンも忘れていなかった。アンは、俺の弱みだ。連れて行きたくなかった。
「お弟子は、アンというお名前でしたかな。マッツが、素晴らしい才能の持ち主だと噂しておりました」
マッツってのは、監督の名前だ。姓のほうは、忘れた。
アンは、男爵邸に行くと聞いて、はしゃいでいた。
「私、貴族様の家に行くの初めてなの。ああ、どんなに素敵なところなのかしら。お父さんは、お願いしても、子供が行くところじゃないって連れて行ってくれなかったのよ」
団長は、スキップをしそうなアンを目を細めて見ながら、返事をした。
「普通の家です。従士が大勢いますから広いですが、特別に素敵ということはありませんよ、アン殿」
「でも、きれいな花壇があったり、彫刻があったりするんでしょ」
「あることはありますが、小さいものです。本当にきれいな花壇を見たければ、領主様の邸に行かれるがよろしい。良い園丁が手入れした素晴らしい花壇がありますぞ。この騒動が終わったらお連れしましょう」
「うれしいわ。ぜひ」
アンの家は、いったいどんな家だったんだろう? 貴族相手に、一歩も引いてないよ。俺なんかムスタ殿なんて呼ばれるだけて落ち着かなくなるってのに、大人がアン殿なんて呼ぶのを平然と受け入れるんだ。わけが分からん。
団長に促されるがままに下宿を出ると、団長の従卒と思しき男が待っていた。団長が何かささやくと、その男は走って去っていった。ウッジは、俺の後ろで、護衛というよりは監視しているような顔をしている。嫌な感じ。一旦は団長を信用したものの、なんだか不安になってきた。
男爵邸の外壁を回りこむとき、つい、いつも潜っていた穴に目が行った。
「ふさぎましたよ。敵に使われてはかないません」
アンを右手にぶら下げた団長は、俺にだけ聞こえるようにささやいた。俺は、逃げ道をふさがれたような気がした。




