第3話 私たちは敵にされていたようです
「殿下の側近から。あなたは私を憎んでいる、と」
エレノア様がそう言った瞬間、セドリック様の笑顔が消えた。それまで薄く貼りついていた礼儀の笑みが、まるで最初からなかったみたいになくなる。その顔を見て、私は分かった。この人は、分かっていてやっていたのだ。
「私も同じことを言われました。エレノア様は私を憎んでいる。話しかければ余計に怒らせる。モルガン家にまで迷惑がかかる、と」
エレノア様は、ゆっくりと私を見た。驚きよりも、納得の方が強い顔だった。たぶん彼女も、どこかでおかしいと思っていたのだ。私たちは一度もまともに話していない。それなのに、互いを嫌っていることにされていた。
「では、私たちは」
「はい」
私はセドリック様を見た。
「話す前から、敵にされていたようです」
会場がざわめいた。アルベルト殿下は、まだ状況がよく分かっていない顔をしている。あなたの婚約破棄の話で、あなたの側近の話なのだから、ちゃんと聞いてほしい。そう思ったが、今は殿下を責めるより先に、セドリック様のしたことを見せる必要があった。
セドリック様は、すぐに笑顔を戻した。
「誤解です。私は、お二人が不用意に接触して、余計な衝突を起こされないよう配慮しただけです」
「配慮、ですか」
エレノア様の声は冷たかった。
「私に『リディア様は殿下との仲を見せつけたいだけだ』と伝えたことも、配慮ですか」
「そのような断定はしておりません」
「似たようなことは言いましたね」
セドリック様は答えなかった。私は一歩前に出る。ここで引くと、また曖昧な言葉にされる。心配、配慮、殿下のため。そういう柔らかい言葉で、私たちはずっと遠ざけられてきた。
「私がエレノア様に謝りたいと言った時、止めたのもあなたですね」
「リディア嬢を心配してのことです」
「心配していた人が、私を殿下の隣に立たせますか?」
セドリック様の口が止まった。そこなのだ。私にエレノア様を避けさせ、エレノア様に私を避けさせた。その一方で、私は殿下の隣に立たされ、エレノア様はその姿を見せられた。私たちは会話をしていない。争ってもいない。それなのに、会場の中ではとっくに敵同士にされていた。
セドリック様がしたことは、難しい話ではない。私には「エレノア様はあなたを憎んでいる」と言い、エレノア様には「リディア様は殿下との仲を見せつけている」と言った。私たちが話そうとするたび、従者や侍女を使って止めた。そして殿下には、「リディア嬢は殿下を慕っている」と伝え続けた。その結果が、婚約破棄。次の婚約者。真実の愛。合唱団つき。本当にやめてほしい。
「殿下」
エレノア様が、アルベルト殿下を見た。
「殿下は、一度でも私に確認なさいましたか。私がリディア様に嫌がらせをしたのか」
「それは、リディアが怯えていたから」
「リディア様ご本人は、嫌がらせをされていないとおっしゃっています」
「だが、君は彼女を睨んでいた」
エレノア様は、そこから逃げなかった。
「婚約者である殿下が、別の令嬢を夜会のたびに隣に置いていれば、見ます。不快にもなります。嫉妬もありました」
会場が少しざわついた。私も驚いた。けれど、エレノア様は顔を伏せない。自分の中にあった嫌な感情を認めたうえで、そこから先をはっきり分けた。
「ですが、不快だったことと、嫌がらせをしたことは別です。私はリディア様に水をかけておりません。ドレスを裂いておりません。階段で押してもおりません。噂を流してもおりません。そのどれも、私がしたと確認されたものではありません」
エレノア様の声は落ち着いていた。泣いていた人の声ではなかった。彼女はもう、婚約破棄された令嬢として震えているだけではない。自分がしていないことを、していないと言う側に立っている。
「それでも私を罪人だとおっしゃるなら、証人を呼んでください」
その言葉は、以前私が言ったものと同じだった。少しだけ胸が熱くなる。だから私は、彼女の隣で続けた。
「私からもお願いします。私は被害者にされたようですが、被害を受けた覚えがありません。被害者本人が否定しているのに、どうしてエレノア様は加害者になるのですか」
今度は、殿下もセドリック様も答えなかった。答えられないのだと思った。答えがあるなら、とっくに言っている。
その沈黙を破ったのは、会場の後方から進み出た一人の侍女だった。
私が「証人を呼んでください」と言わなければ、彼女は前に出られなかったかもしれない。エレノア様が隣に立ってくれなければ、なおさらだ。
たぶん、誰もが見ていた。
ただ、言えなかっただけだ。
「恐れながら、エレノア様はリディア様に近づこうとなさっていました。けれど、そのたびにセドリック様の従者に止められておりました」
セドリック様が侍女を睨む。侍女は震えた。だが、エレノア様が一歩だけ前に出ると、また顔を上げた。
「お嬢様は、リディア様とお話ししたいと何度もおっしゃっていました。ですが、リディア様は殿下の寵愛を笠に着ているから近づくなと、そう言われて」
「誰がそう言ったのですか」
「セドリック様の従者です」
会場がざわめいた。続いて、別の声がした。今度はモルガン家の従僕だった。父がよく連れている若い従僕だ。まさか夜会にいたとは思わなかった。
「私も聞きました。リディアお嬢様は、エレノア様に誤解を解きたいと何度もおっしゃっていました。ですが、セドリック様の方から、今は刺激するなと」
「使用人の言葉など」
セドリック様が吐き捨てるように言った瞬間、エレノア様がすぐに返した。
「使用人の言葉も証言です。貴族の都合に合わないからといって、なかったことにはできません」
また強い。私は、エレノア様の隣に立っていることが、少し誇らしくなった。
証言は、それだけでは終わらなかった。合唱団の指導役は、依頼主が殿下ではなくセドリック様経由だったと認めた。楽団の指揮者も、私が殿下の手を取った直後に演奏を始めるよう指示されていたと証言した。会場係は、私が後ろに下がれない位置に側近を配置するよう言われていたと話した。
ひとつひとつは小さい。けれど、並べるとよく分かる。これは偶然ではない。私とエレノア様が話さないようにして、殿下の望む場面だけを作った。
それが、今日の夜会だった。
「セドリック」
殿下が低く言った。
「お前は、なぜそんなことをした」
ようやく殿下が聞いた。遅い。けれど、聞かないよりはいい。
セドリック様は、少しの間黙っていた。そして、笑った。さっきまでの薄い笑いではない。もっと嫌な笑いだった。
「殿下のためです。殿下は、エレノア様といると窮屈そうでいらした。リディア嬢といると、楽しそうでいらした。ですから、殿下が本当に望む形に整えただけです」
整えた。
また、その言葉。
私は腹が立った。
「私の意思は、どこに入っていますか」
「リディア嬢も、王太子妃になれば悪い話ではないでしょう」
「入っていませんね」
私はすぐに切った。
「エレノア様の意思は、どこに入っていますか」
「婚約破棄される側に、選ぶ余地など」
「入っていませんね」
それだけで十分だった。セドリック様は、私たちを駒だと思っていた。殿下を喜ばせるための駒。王太子妃の座を動かすための駒。合唱団まで呼んで、拍手まで用意して、私たちの顔だけ勝手に置いた。
「私たち、争わされていたのですね」
エレノア様が言った。
私は頷いた。
「ええ。殿下の物語の中でだけ、私たちは敵だったようです」
私は、殿下を選んでいない。
エレノア様を敵に選んだ覚えもない。
それなのに、選んでいないものばかり、私たちの名前で決められていた。
「私たちは、殿下の劇の小道具ではありません」
そう言うと、殿下が傷ついたような顔をした。
なぜあなたが傷つくのか。
傷つけられたのは、こちらだ。
「私は……ただ、真実の愛を」
「殿下」
エレノア様が遮った。
「真実の愛と言えば、他人の意思を飛ばせるわけではありません」
殿下は黙った。
その時、夜会場の入口が開いた。入ってきたのは、王宮騎士だった。その後ろには、国王陛下の側近である宰相閣下がいた。会場の空気が変わる。全員が頭を下げた。
宰相閣下は、静かにこちらへ歩いてくる。その顔は、笑っていなかった。
「ずいぶんと騒がしい夜会だな」
低い声だった。殿下が顔を青くする。セドリック様も、もう笑っていない。
宰相閣下は、私とエレノア様を見た。
「話は途中から聞いていた。続けなさい」
エレノア様は一度、深く息を吸った。そして、王太子殿下を見た。
「では、婚約破棄については、私から正式に申し上げます」
殿下が顔を上げる。
「エレノア……」
「殿下。私は、あなたとの婚約破棄を受け入れます」
殿下の顔に、少しだけ勝ったような色が戻った。それを見て、私は少し呆れた。本当に、この人はまだ分かっていない。エレノア様も、たぶん同じことを思ったのだろう。彼女は、静かに続けた。
「ですが、条件がございます」
その色は、すぐに消えた。
お読みいただきありがとうございます。
敵同士だった、というより、敵同士にされていた回でした。
殿下の物語も、だいぶ厳しくなってきました。
次話で完結です。
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