第2話 真実の愛の証人を呼んでください
「私が殿下を愛しているという証人も、ぜひお呼びください」
そう言った瞬間、夜会場は静まり返った。
王太子殿下――アルベルト殿下は、私を見つめたまま黙っている。
おかしい。
さっきまであれほど堂々と、私が真実の愛の相手だと宣言していたのに。
「……証人など必要ない」
ようやく、殿下が口を開いた。
「リディア。君の態度を見れば分かる」
「本人が否定しております」
「君は、今は混乱しているだけだ」
「混乱はしています。婚約者にされるなど、初耳でしたので」
会場のどこかで、また誰かが小さく吹き出した。
殿下の顔が赤くなる。
私は怖かった。
けれど、それ以上に腹が立っていた。
この人は、私の言葉を聞いていない。
私が嫌だと言っても、混乱していることにする。
私が違うと言っても、本当は好きなのだと決める。
それは愛ではない。
相手を見ていないだけだ。
「殿下」
隣に立つエレノア様が、静かに言った。
「リディア様が否定されている以上、具体的な根拠を示すべきです。ここは夜会場です。すでに多くの方が聞いております」
「エレノア。お前が口を挟むな」
「挟みます。私が断罪されている場ですので」
強い。
私は、また少し勇気が出た。
アルベルト殿下は悔しそうに唇を噛む。
そして、私を見た。
「リディア。君は私に微笑んでくれただろう」
「礼儀です」
「……なに?」
「王族の方に話しかけられて、無表情でいる令嬢はあまりおりません」
エレノア様が頷いた。
「その通りです。礼儀作法の初歩ですわ」
「違う。あの笑顔は、私だけに向けられたものだった」
「殿下が王太子でなければ、最初に嫌だと言えました」
言ってしまった。
会場が、ざわりと揺れる。
でも、撤回はしない。
事実だからだ。
アルベルト殿下は、信じられないという顔をした。
「君は……私が王太子だから、嫌だと言えなかったのか」
「はい」
「ひどい」
「そのお言葉は、こちらのものです」
私は殿下をまっすぐ見た。
「私の笑顔を、殿下の恋の証拠にしないでください」
殿下の口が止まった。
ようやく少し届いた気がした。
笑うしかなかった。
返事をするしかなかった。
手を取られるしかなかった。
それを、殿下は全部、自分への好意だと思った。
「なら、手紙はどうだ」
殿下は食い下がった。
「私の手紙に返事をくれた。あれは、私を想っていたからだろう」
「返さなければ、父の職に差し障ると、殿下の側近の方から言われました」
会場の視線が、殿下の側近へ向いた。
名前はセドリック様。
いつも殿下の隣にいる、細い目をした令息だ。
セドリック様は、すぐに笑顔を作った。
「誤解です。私はただ、王太子殿下からのお手紙に返事をしないのは失礼だとお伝えしただけです」
「『モルガン子爵家の立場もお考えください』ともおっしゃいました」
セドリック様の笑顔が止まった。
「それは、一般論です」
「その一般論のせいで、私は断れませんでした」
私は短く言った。
まわりくどく言う必要はない。
断れなかった。
それだけだ。
「だが、舞踏会では私の手を取った」
殿下が言った。
「君は、私と踊ったではないか」
「殿下が手首を放してくださらなかったからです」
殿下の眉が寄る。
「君が逃げないようにしたのは、君を守るためだ」
「私は逃げたかったのです」
今度は、はっきりと静まり返った。
私は手袋の上から、自分の手首を押さえた。
まだ感触を覚えている。
強く掴まれて、笑うしかなかった。
痛いと言えば失礼になる。
離してと言えば家に迷惑がかかる。
だから笑った。
それだけのことを、殿下は恋だと思った。
「リディア……」
「殿下。令嬢が笑ったからといって、それは愛ではございません。たいていの場合、礼儀です」
言ってから、少しだけ震えた。
でも、もう引けなかった。
エレノア様が、隣で小さく頷いた。
「そして、令嬢が逃げなかったからといって、それは同意ではありません」
その言葉は、私の胸にまっすぐ入った。
私は思わずエレノア様を見た。
エレノア様は私を見ていなかった。
殿下を見ていた。
でも、今の言葉は、たぶん私のためでもあった。
「違う……違う。リディアは、私に心を開いていた」
殿下は必死だった。
本当に必死だった。
嘘をついている顔ではない。
嘘なら、まだ分かりやすかった。
けれど殿下は、自分に都合のいいものだけを見ている。
だから、余計にたちが悪い。
「ハンカチはどうだ」
殿下が言った。
「君は、私にハンカチをくれた」
「あれは、殿下が転ばれて、鼻血を出していらしたからです」
今度こそ、会場のあちこちから笑いが漏れた。
殿下の顔が真っ赤になる。
「言い方!」
「事実です」
「もっと情緒があっただろう!」
「鼻血に情緒はありません」
エレノア様が、今度は完全に口元を押さえた。
肩がわずかに揺れている。
笑っている。
私はそれを見て、少しだけほっとした。
婚約破棄されたばかりの人が笑うには、あまりにひどい場だ。
でも、笑えるならまだ大丈夫だと思った。
「殿下」
エレノア様が一歩前に出た。
「ここまでのお話を整理します」
声はまだ少し震えていた。
でも、最初よりずっとはっきりしている。
「リディア様の笑顔は礼儀。手紙の返事は側近からの圧力。舞踏会は手首を掴まれて断れなかった。ハンカチは鼻血の処置」
「エレノア!」
「ほかに、リディア様が殿下を愛している根拠はございますか」
殿下は黙った。
私は思った。
ないのだ。
この人は、私の意思を一度も確認していない。
それなのに、私を次の婚約者にしようとした。
その時、会場の奥で小さな物音がした。
合唱団の少年たちが、気まずそうに身じろぎしている。
私はそちらを見た。
そうだった。
彼らがいた。
「殿下」
私は言った。
「ついでに、あちらの合唱団についても伺ってよろしいでしょうか」
殿下の顔が、分かりやすく固まった。
「合唱団?」
エレノア様が振り向く。
「まあ。本当にいらっしゃいますわね」
本当にいた。
なぜかいた。
合唱団の指導役らしき男性が、青い顔で立っている。
私はその人に向かって尋ねた。
「失礼ですが、どのようなご依頼でこちらに?」
指導役の男性は、殿下と私を何度も見比べた。
かなり帰りたそうだった。
気持ちは分かる。
でも、帰さない。
「……王太子殿下より、楽曲のご依頼を受けました」
「曲名は?」
男性は小さく咳払いをした。
「『真実の愛の勝利』でございます」
会場がざわついた。
私は頭が痛くなった。
本当にやめてほしい。
「いつ、ご依頼を?」
「三週間前です」
三週間前。
つまり殿下は、三週間前からこの場で私を次の婚約者にするつもりだった。
私の承諾なしに。
私に確認もせず。
合唱団まで呼んで。
「殿下」
私はできるだけ落ち着いて言った。
「三週間前から、今日のことを準備なさっていたのですか」
「それは……君が喜ぶと思って」
「喜びません」
即答した。
指導役の男性が、気まずそうに楽譜を閉じた。
合唱団の少年たちも、そっと楽譜を下ろす。
歌わなくていい。
一生歌わなくていい。
エレノア様が静かに息を吸った。
「殿下。リディア様の同意なく、次の婚約者として発表する演出を準備なさったのですね」
「私は、彼女を幸せにしようとしただけだ」
「それを幸せと呼ぶかどうかは、リディア様が決めることです」
エレノア様の声は、もう震えていなかった。
私はその横顔を見た。
さっきまで、彼女は婚約破棄された令嬢だった。
今は違う。
彼女は、自分の言葉でこの場を動かしている。
「リディア様」
エレノア様が、私を見た。
「私は、あなたを敵だと思っていました」
「無理もありません」
「いいえ」
エレノア様は首を横に振った。
「無理もない、で終わらせたくありません」
その言葉に、私は何も言えなかった。
目を伏せないでいるだけで、精一杯だった。
「私も、あなたに近づこうとしたことがあります」
エレノア様は言った。
「けれど、そのたびに止められました。リディア様は私を嫌っている。近づけば、余計に殿下との仲を見せつけることになると」
私は顔を上げた。
「私もです」
声が、少し掠れた。
「エレノア様に近づくなと、何度も言われました。あなたは私に嫉妬している。話しかければ、余計に怒らせるだけだと」
エレノア様の目が細くなる。
怒っている。
でも、その怒りは私に向いていなかった。
私たちは、同時に同じ人を見た。
殿下の側近、セドリック様。
セドリック様は、まだ笑っていた。
けれど、その笑みはもう薄かった。
エレノア様が静かに言った。
「リディア様に近づかないように言われていたのは、私も同じです」
会場が、また静まり返った。
エレノア様は、セドリック様を見たまま続けた。
「殿下の側近から。あなたは私を憎んでいる、と」
ここで初めて、セドリック様の笑顔が消えた。
お読みいただきありがとうございます。
真実の愛の証拠確認回でした。
合唱団は、まだ歌っていません。
次話、エレノアとリディアが敵同士にされていた理由に入ります。
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