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婚約破棄の場で「次の婚約者」に指名されましたが、私にも選ぶ権利があります【全4話完全版】  作者: 堀吉 蔵人


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第1話 婚約破棄の場で「次の婚約者」に指名されました

 

「エレノア・バージェス。貴様との婚約は、今この場をもって破棄する」


 王太子殿下の声が、夜会場に高く響いた。


 シャンデリアの光の下、絹のドレスと宝石に包まれた貴族たちが、一斉に息を呑む。


 私は王太子殿下の隣に立たされていた。


 最初は、ただの証人。そう思っていた。


 殿下に呼び出され、夜会の中央へ連れてこられ、逃げる暇もなく隣に置かれた。それでも、王族の命令に逆らえるほど、モルガン子爵家の娘である私に力はない。


 だから黙っていた。


 黙って、早く終わることだけを願っていた。


 ただ、妙なことはいくつかあった。


 まず、殿下の側近が私の後ろに立っている。


 私が少しでも下がろうとすると、さりげなく道をふさぐ位置だ。


 次に、会場の奥で合唱団が待機している。


 少年たちが、妙に真剣な顔で楽譜を握っていた。楽団も、いつでも演奏できます、という顔で指揮者を見ている。


 たぶん、私が感極まって殿下の手を取った瞬間、歌い出す予定だったのだろう。


 本当にやめてほしい。


「エレノア。君は婚約者でありながら、私の心を理解しようとしなかった。いつも正論ばかり。家格、責務、王太子妃としての振る舞い。そんな話ばかりだった」


 王太子殿下――アルベルト殿下は、悲劇の主人公のような顔をしていた。


 婚約を破棄されたエレノア様は、白い顔で殿下を見ている。


 彼女はバージェス公爵家の令嬢だ。


 王太子妃にふさわしい教養と家格を持ち、誰に対しても礼を崩さない。私のような子爵令嬢が気軽に話しかけられる相手ではない。


 それでも、今日の彼女はあまりに気の毒だった。


 夜会の中央で婚約破棄を宣言される。


 しかも、何の前触れもなく。


 さすがに酷い。


「そして私は、真実の愛に生きる」


 殿下は胸に手を当てた。


 私は嫌な予感がした。


 それも、かなり。


「次なる婚約者は、ここにいるリディア・モルガンだ!」


 その瞬間、私はようやく理解した。


 私は証人ではなかった。


 次の婚約者として、ここに飾られていたのだ。


 いや、飾らないでほしい。


「……お待ちください、殿下」


 声は震えた。


 けれど、出た。


 王太子殿下が、驚いたように私を見る。


「リディア?」


「私は、そのようなお話を承諾しておりません」


 夜会場が、さらに静まり返った。


 婚約を破棄されたエレノア様が、涙に濡れた瞳で私を見る。責めるような色ではなかった。ただ、理解が追いつかないという顔だった。


 きっと私も同じ顔をしている。


「何を言っている。君は私を慕っていただろう」


「慕っておりません」


 王太子殿下の眉が跳ねた。


「照れなくていい。君はいつも私に優しかったではないか」


「王族に冷たくできる令嬢が、どれほどいるとお思いですか」


 誰かが小さく息を呑んだ。


 私は両手を握りしめる。爪が手袋越しに掌へ食い込んだ。


 怖くなかったわけではない。


 今すぐ床に膝をついて謝りたかった。父の顔が浮かんだ。母の青ざめた顔も。モルガン家が明日どうなるのかも分からない。


 でも、ここで頷けば、私は一生、殿下の“真実の愛”という名の檻に入れられる。


 そして、エレノア様は一生、私に奪われたのだと思わされる。


 それだけは嫌だった。


「それに、殿下」


 私は息を吸った。


「私は景品ではありません」


 殿下の顔が、固まった。


 言ってしまった。


 でも、これが一番近い。


 エレノア様との婚約を破棄して、次に私を選ぶ。殿下の中では、それが美しい物語なのかもしれない。けれど私からすれば、勝手に壇上へ置かれ、勝手に手に入れたもののように扱われているだけだ。


「私が笑ったのは礼儀です。お手紙に返事をしたのは、返さなければ父の職に差し障ると、殿下の側近から言われたからです。舞踏会で手を取ったのは、殿下が私の手首を放してくださらなかったからです」


「リディア!」


「私にも、婚約相手を選ぶ権利がございます」


 言い切った。


 足が震えた。


 でも、言えた。


 会場の空気が変わった。


 さっきまでは、エレノア様が断罪される場だった。


 今は違う。


 王太子殿下の言葉そのものが、見られている。


「違う。君は分かっていない。私は君を守ろうとしているんだ」


 殿下は本気の顔で言った。


 嘘をついている顔ではなかった。


 本当に、私を守っているつもりらしい。


 それが一番困る。


「守るとおっしゃるなら、まず私の同意を確認してください」


「君は同意していた」


「しておりません」


「君の目が、そう言っていた」


「私の口が、今、違うと申し上げております」


 会場のどこかで、誰かが吹き出しかけた。


 合唱団の少年の一人が、楽譜で口元を隠している。


 歌わなくていい。


 本当に歌わなくていい。


 王太子殿下は、信じられないものを見るように私を見ていた。


 なぜそんな顔をされるのか分からない。


 勝手に婚約者にされそうになっているのは、こちらだ。


「リディア様」


 小さな声がした。


 エレノア様だった。


 彼女はまだ涙を浮かべていた。けれど、先ほどより少しだけ背筋が伸びている。


「はい」


「あなたは、殿下との婚約を望んでいないのですね」


「望んでおりません」


 私は即答した。


 王太子殿下が傷ついた顔をした。


 遅い。


 その顔をするのが遅い。


 エレノア様は、ゆっくりと息を吸った。


 そして、私の隣へ歩いてきた。


 断罪されたばかりの令嬢とは思えないほど、足取りは静かだった。


「私、あなたを誤解していたのかもしれません」


「私も、何も言えず申し訳ありませんでした」


「いいえ。謝るのは、まだ早いです」


 エレノア様は王太子殿下を見た。


 目元は赤い。


 でも、その目はもう泣いているだけの目ではなかった。


「殿下。リディア様が否定なさっている以上、まずはその件を確認すべきではありませんか」


「エレノア、お前は罪人だ。口を挟むな」


「私はまだ罪人ではありません。殿下がそうおっしゃっているだけです」


 会場がざわめいた。


 私は思わずエレノア様を見た。


 強い。


 さっきまで泣いていたのに、もう立て直している。


 公爵令嬢というのは、こういうものなのか。


 いや、違う。


 エレノア様が、強いのだ。


 王太子殿下は顔を赤くした。


「エレノア、お前はリディアに嫌がらせをした。だから私は婚約を破棄する。リディアも私を愛している。何も問題はない」


「問題しかありません」


 私とエレノア様の声が重なった。


 少しだけ、驚いた。


 エレノア様も同じだったのか、こちらを見た。


 ほんの一瞬だけ、彼女の口元が緩んだ。


 私は少しだけ勇気が出た。


「殿下。私は、エレノア様に嫌がらせなどされておりません」


「君は優しいから、そう言うのだ」


「違います」


「怖がらなくていい。私がいる」


「怖がっている相手が殿下です」


 また会場が静まり返った。


 今度の沈黙は、かなり痛かった。


 殿下の側近が慌てて前へ出る。


「リディア嬢、今は混乱していらっしゃるのでしょう。殿下はあなたを想って――」


「その言葉も、何度も聞きました」


 私は側近を見た。


「エレノア様に近づくなと言ったのも、あなたですね」


 側近の顔が少しだけ固まった。


 エレノア様が、横で反応したのが分かった。


 でも、まだここでは深入りしない。


 今は、殿下の話を終わらせるのが先だ。


 王太子殿下は、私を見つめていた。


 本当に傷ついた顔をしている。


 きっと、殿下の中では私は「救われる娘」だったのだろう。


 エレノア様は「退けられる婚約者」。


 殿下は「真実の愛を貫く王子」。


 私たちは、殿下の物語の中に勝手に並べられていた。


 でも、私はその役を引き受けない。


「殿下」


 私は息を吸った。


「私が殿下を愛しているというお話ですが」


「……リディア」


「私からもお願いいたします」


 私は会場を見回した。


 貴族たち。楽団。合唱団。殿下の側近。エレノア様。誰もがこちらを見ている。


 ちょうどいい。


 こんなに証人がいる場は、そうそうない。


「私が殿下を愛しているという証人も、ぜひお呼びください」


 王太子殿下は、そこで初めて黙った。


お読みいただきありがとうございます。


短編版をもとにした全4話版です。

次話から、殿下の言う「真実の愛」の証拠をひとつずつ確認していきます。


合唱団もいます。歌うかは分かりません。


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