第46話:エレベーター崩壊、給食室オリンピックの開幕
この時期は、人手不足の激務に加えて次から次へと事件が起きすぎて、正直いま振り返ると記憶が曖昧になっている部分も多い。
けれど、この事件だけは、私の脳裏に一生消えない鮮烈な記憶として刻み込まれている。
ウチの学校では、出来上がった給食をクラスごとの「配膳台」に載せ、そこに食器、食具、食缶をすべてセットしてから、1階にある配膳台専用のエレベーター(昇降機)を使って1台ずつ各階へと送り届けるシステムになっていた。
全校で15クラス+職員室の分があるため、計16台の配膳台を順番にエレベーターで送り出す。それが毎日のルーティンだった。
その命綱であるエレベーターが、ある日、突然沈黙した。
慌てて修理会社に電話を入れるものの、返ってきたのは「最短でも修理に行けるのは明日になります」という絶望的な回答。
しかも、エレベーターの完全な故障が発覚したのは、給食の提供開始時間まで残りわずか「1時間」となったタイミングだった。
何度ボタンを押しても、電源を入れ直しても、ビクとも動かないエレベーター。
無情にも刻一刻と迫り来るタイムリミット。
チーフが青ざめた顔で栄養士の先生に内線をかけ、状況を報告した。
女チーフ「先生、エレベーターが完全に壊れました……動かないです……」
先生「――手運び、しかないですね……」
て、手運び……ですと……??
配膳台そのものに加えて、食器3種、牛乳、食具、食缶3種、パン箱。
配膳台1台につき、載せるパーツだけで10個近くの重量物がある。それを16クラス分、すべて人の手で上の階まで運べ……ですと……?
現在の給食室は欠員が出ているため、動ける調理員は私を含めてわずか7人。
しかも、各メニューの調理担当者は、ここから配食の仕上げ作業があるため絶対に調理室から動けない。さらに調理室内のサポートに最低2人は残さなければならないとなると、外に出て動ける調理員は、実質「2人」しか残されていなかった。
つまり、この大要塞に立ち向かえるのは、アタクシともう1人の調理員さんだけ。
猶予はない。私たちはまず、一番過酷な「4階」の配膳台5台を、すべて階段を使って人力で担ぎ上げることからスタートした。
……知っているだろうか。配膳台というのは、何も載せていなくても信じられないくらいめちゃくちゃに重たいのだ。
1台運ぶだけで息が切れ、2台目で足が震える。これを4階まで5往復。さらにこのあと、3階と2階の分も同じように階段で運ばなければならない。
3階の2台目を運んでいる辺りで、私の腕は乳酸が溜まってプルプルと限界を迎えていた。(いや、これ物理的に絶対無理だろ……)と、あまりの絶望にヤケクソになりかけた、その瞬間だった。
「これ、運べばいいんですか!?」
「手伝いますよ!!」
階段の下から、救世主のごとく体育科の先生が3人ほど猛ダッシュで現れたのだ。
先生「うわ、これ結構重たいな……! いつもこんな大変なことしてたんですか……。僕たちも運びますから、どこに何を持っていけばいいか指示をお願いします!」
ほんとにね。あんね。
人間って、なんて温かい生き物なんだろうと思ったね。
背中に後光が見えて、本気で神様かと思った。
体育の先生たちの超人的なパワーのおかげで、なんとか全クラス分の重い配膳台本体を各階へ運び終えた。すると間髪入れずに、今度は「食器3種×16クラス分」という、これまた凶悪な重量物の搬出が始まった。
するとそこへ、異変を察知した職員室の先生たちが、バラバラとさらに大勢手伝いに駆けつけてくれたのだ。
(先生、無理しないで……!!)とこちらが心配になってしまうほど細腕の女性の先生や、かなりお年を召されたベテランの先生たちまで、みんなが顔を真っ赤にして必死に食器の入った重いコンテナを運んでくれた。
きっと先生たちは、自分たちのためではなく「生徒たちに温かい給食を届けるため」に必死になって頑張ってくれていたのだろう。けれど、その姿を見ている私の胸の中では、熱い感動がノンストップで込み上げていた。
階段の下から、一人、また一人とお手伝いの先生の数が増えていくたびに、目頭が熱くなって本気で泣きそうになった。
「いつも美味しい給食、ありがとうございます!」
「うわぁ、食器って1種類だけでも十分重いんですね……。いつも本当にご苦労さまです……!」
「なんとか時間内に間に合うように、みんなで頑張りましょう!!」
先生たちから次々と掛けられる温かい言葉に、私の中で勝手に「給食室オリンピック」が開催された。
もう、手伝ってくれている先生たち全員に金メダルを差し上げたい。
先生たちはみんな、文字通り汗だくだった。
階段ですれ違う先生たちは、誰もが息を切らして苦しそうな表情をしていた。
けれど、誰一人として嫌な顔をせず、泥臭く頑張って運んでくれたおかげで、給食(中身)以外のすべての物資が、奇跡的に各階の教室前へと運び込まれた。
あとは、調理室で出来上がったばかりの給食を食缶に詰め終わったら、残る調理員全員で最後の階段ダッシュをキメるだけ――そう思って調理室を出ると、なんと手伝ってくれた先生たちが、誰も帰らずにその場で私たちの完成を待っていてくれたのだ。
少しだけ全員で息を整え、出来たてで「激熱」の給食が入った重い食缶を、それぞれ両手に抱えて最後のゴングが鳴った。
4時間目の終了チャイムが鳴るまで、あと残り「5分」。
16クラス×食缶3種。計48個の激熱な食缶を、わずか5分間で各階の教室へ届けなければならない。
絶対にこぼせない。けれど食缶の取っ手は熱すぎてまともに持てない。それでも階段を全力ダッシュ。
……これ、一体なんの修行ですか?というレベルの極限状態だった。
私は若いからという理由で、当然のように一番過酷な4階担当になり、激熱の食缶を抱えて何往復しただろうか……。おそらく3往復は確実にしたと思う。
「間に合った……!!」
全ての食缶を教室へ届け終え、命からがら調理室に戻ってきた時、私の膝は生まれたての小鹿のようにガクガクと笑っていた。疲労が限界を超えて、まともに立つことすらおぼつかない。
だけど、これで終わりではないのが給食室の恐ろしいところだ。調理室に山積みになった巨大な釜や器具の洗浄を終わらせなければ、お昼休憩に入ることすらできない。私たちは最後の気力を振り絞って午前中の作業をすべて終わらせた。
ようやく、ようやくありつけたお昼ご飯。
みんなで死んだような目をしながら給食を口に運び、「今日は本当に酷い目にあったね……」「先生たちがいなかったら完全に終わってたね……」と労い合っていた、その途中だった。
私は、ある「恐ろしい事実」に気がついてしまい、箸を持つ手がピタリと止まった。
野崎「……あの、皆さん。これって、もしかして……午後も全く同じ地獄が待ってるんじゃ……?」
全員の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
そうなのだ。午後は午後で、生徒たちが食べ終わった16クラス分の「すべての汚れた食器・食缶・配膳台」を、再び階段を使って人力で1階まで下ろさなければならないのだ。
しかも、配膳台を下げる時間が遅れれば遅れるほど、午後の洗浄作業のスタートが後ろにズレ込み、待っているのは確定された「終わりのない大残業」だった。
私たちはご飯を噛み締めながら、これから始まる「給食室オリンピック・後半戦(復路)」の恐怖に、再び身を震わせるのだった。




