第44話:消えたマヨネーズと、走る北川景子
ピン子「仕方ないわねぇ。私がマヨネーズの計量をしてあげるから、貴方はそっち(オーブン)をなんとかしなさい!」
野崎「すみません……!! ありがとうございます、お願いします!!」
魚をアルミカップに詰める作業や、マヨネーズを載せる工程を一旦ピン子さんに任せ、私はとにかく魚に熱を入れるべく、オーブンの温度調整や次に焼く天板のセッティングに文字通り付きっきりになった。
絶妙な温度のせめぎ合いを続け、格闘すること数分。中心温度計のデジタル数字が、ついに「75.2℃」を指した。
野崎「チーフ! 複数個の温度、75℃超えました!!」
しかし、ここからが給食業界の最高に面倒くさいルールの始まりだった。
焼き上がって「完成」した料理には、今度は調理担当者(私)が一切触れることができなくなる。配食担当の人を大声で呼んで天板を抜き取ってもらうまで、私はオーブンの前に突っ立っていることしかできなくなるのだ。
なぜなら、私はさっきまで生の魚(汚染物)を触り、マヨネーズの容器を触っていたため、衛生区分上「汚染されている人間」と見なされるからだ。
せっかく出来上がった綺麗な給食に私が触れてしまえば、その時点で全てが再汚染されてしまう。だから、近くに寄ることすら許されない。
配食担当の人が慣れた手つきで天板を取り出してくれている数分間の隙に、私は再び大急ぎで魚をアルミカップに詰めたり、マヨネーズの準備に戻ったりする。
壁の時計を何度も確認しながら、時間配分は合っているか、マヨネーズは本当に足りるのか、心臓をバクバクさせながらの作業が続いた。
焼き上がった第1陣の魚は、すぐに栄養士の先生のもとへ運ばれ、検食(味見)が行われた。先生の「検食OK」が出なければ、生徒たちへの提供は一切許可されない。
先生「うん、美味しい……! 美味しいけれど……野崎さん、マヨネーズの焦げがもう少し少ないと、見た目がもっと綺麗でいいかなぁ」
野崎「すみません……。魚の芯の解凍が少し甘くて、中にまで熱を入れようとすると、どうしても表面のマヨネーズが先に焦げてしまって……。低温なら焦げずに温度が入るんですが、時間内に1050人前を配食完了させるとなると、ある程度の高温で一気に焼くしかなくて……」
先生「いやー、やっぱりマヨネーズのメニューって火加減が本当に難しいですねぇ! ん〜……でもやっぱり、子供たちには見た目も美味しそうなものを出してあげたいですし、出来るだけ時間いっぱい使って、温度低めでいきましょうか!」
先生……!!
そうしたい気持ちは山々なのですが、タイムリミットがすぐそこに迫っている中で「間に合わないかもしれない」という恐怖と戦いながらオーブンを焼き続けるの、精神的にめちゃくちゃキツイです
とはいえ、学校の絶対権力者である栄養士の先生からそう指示されたら、私たち調理員は100%従うしかない。
焦げないように祈りながら慎重に焼きつつ、アルミカップにひたすら魚を詰める作業を繰り返す。ずっと下を向いて同じ姿勢を続けているため、首の後ろに強烈な激痛が走り始めた。
ピン子「あ〜あ。首が痛ぁい。私、こんな立ち仕事の作業をするために視察に来たんじゃないのに〜」
野崎「すみません……(気まずい笑い)」
先生からの「見た目も綺麗に」という無言のプレッシャーと、真後ろから聞こえるピン子さんのネチネチとした愚痴。その2つに挟まれて、私の頭はもうパンク寸前、今すぐ発狂して叫び出したい気分だった。
しかし、全体の作業が3分の2を過ぎた辺りで、本日最大の事件が勃発した。
ピン子「ねぇ、野崎さん。……なんかこれ、マヨネーズ足りなくくな〜い?」
野崎「えっ!? 嘘ですよね!?」
ピン子さんが計量してくれていたマヨネーズの業務用容器を覗き込むと、そこにはもう、底の方にうっすらと残っている程度しか入っていなかった。
目の前には、まだアルミカップに入れられただけの、マヨネーズをかけられていない生魚が大量に残っている。
なんで!? どうして足りなくなるの!?
ピン子さんが1回あたりの載せる量を盛大に測り間違えていた?
それとも、私が最初の段階でマヨネーズの総重量の計算をミスしていた……?
冷や汗がドバッと吹き出た。私は震える手でマヨネーズの計算を書いたメモを確認し、電卓を叩き直した。――計算は、絶対に合っている。
ということは、原因は……目の前で呑気に首を傾げているピン子さんだ。一回一回の量を贅沢に使いすぎていたのだ。
野崎「チーフ!! 大変です、マヨネーズが足りなくなりました……」
女チーフ「えぇっ!? 嘘でしょ、マヨネーズの予備の在庫なんてウチの給食室にはないよ!? なんでそんなことになっちゃったの……!」
野崎「ど、どうしたらいいですか……!」
女チーフ「とにかく、先生に確認してくるわ!!」
チーフの悲鳴を聞きつけて、栄養士の先生が再び給食室へと飛んできた。
先生「マヨネーズの量が足りなくなった!? えぇ……っ、ウチの在庫もないし……! ちょっとお隣の学校の給食室に、余りがないか至急電話して借りられるか確認してみます!」
給食室中が蜂の巣をつついたような大パニックに陥る中、ただ一人、優雅に髪を整えているピン子さん。
(あなたの計量ミスのせいじゃないですか)なんて、事務所のお偉いさんである彼女には口が裂けても言えなかった。
私は悔しさと情けなさで泣きそうになりながらも、とにかく手を止めてはダメだと、今できる作業を必死に続けた。
それから約15分後。
給食室の重い扉が勢いよく開き、先生が息を切らしながら走って戻ってきた。
北川景子似の先生、額に汗をかいて髪を振り乱している姿まで信じられないほど美しい。……いや、そんな見とれている場合ではない。
先生「はぁ、はぁ……っ! これ、近くのコンビニに行って、棚にあるマヨネーズ全部買ってきました……!! 沢山買ってきたので、これで何とか乗り切りましょう!!」
野崎「先生ーーー!! ありがとうございます……!! その量があれば、何とか間に合いそうです!」
自腹なのか学校の経費なのかは分からないけれど、先生の超ファインプレーによって、奇跡的にマヨネーズが補充された。
そこからはピン子さんと2人、文字通り最後の猛追、死に物狂いの追い込み作業だった。
オーブンのタイマーが鳴り響き、最後の天板が滑り込みセーフで焼き上がる。
時計の針が配食のデッドラインを指す、本当に、本当に時間ギリッギリのところで、私たちは1050人前の魚のマヨネーズ焼きを完成させることができたのだった。
床にへたり込みそうになる私を余所に、ピン子さんは「ふぅ」と小さくため息をついた。




