第42話:泉ピン子のジロジロ視察と、マヨネーズの罠
調理作業が終了すると、女版修造さんは「お疲れ様でしたーーー!!!」と、嵐のように元気いっぱいに帰っていった。
そして次の日、事務所から「視察における改善要求」のメールが送られてきた。
それを見て、私は心底驚いた。あんなに現場で誰よりもバリバリと体を動かして働いていたのに、調理室の隅々の細かい問題点まで、完璧にチェックしていたのだ。
暑苦しいけれど、本当に仕事ができる格好いい女性だった。
女チーフ「改善した方がいい点は、直せるところから順次直していきましょう! できる範囲でね! ……ん?」
メールを読み上げていたチーフの手がピタリと止まり、その目がまん丸になった。
女チーフ「え……視察……第2弾……? 金曜日……?」
サブチーフ「えっ。なんでですか!?」
女チーフ「ウチがまだ欠員の状態で、派遣さんも手配できないから……『視察』という名目で、また事務所から人が手伝いに来るみたい……」
また、あの修造さんが来るのか……?
確かに仕事はめちゃくちゃできる人だったし、物理的にすごく助かった。でも、本当にエネルギーを根こそぎ吸い尽くされたのだ。週2回の修造は、さすがに私たちの情緒がもたない……。
◇
そして迎えた金曜日。
私が出勤した時は、まだ事務所の人間は誰も来ていなかった。
それどころか、調理員が全員揃っても、一向に姿を現さない。
女チーフ「あれ? 視察第2弾って、今日だよね……?」
サブチーフ「メールには確かにそう書いてありますね……。急に来られなくなったんですかね?」
ちなみに今日のメニューは、よほどのハプニングさえ起きなければ、1人欠員のままでも十分に時間内に回せる内容だった。
(来ないなら、その方が私的にはありがたい……!)と、心の中で密かに願っていた。
しかし、調理開始の8時30分まで残り10分、という絶妙な時間に、休憩室の扉が静かに開けられた。
???「おはようございます。フンッ」
部屋に入ってきたのは――修造さんではなかった。
そこに立っていたのは、女優の泉ピン子に生き写しのような、何とも言えない威圧感を放つおばさんだった。
え、どなた……?
女チーフ「えっ……!! 〇〇(ピン子さん)さん!? 今日の視察、〇〇さんなんですか!?」
サブチーフ「お、お、おはようございます……!! 今日はよろしくお願いします……!!」
チーフとサブチーフの、あからさまに引き攣った動揺ぶりを見ただけで、すべての状況を察した。
(あ、この人、絶対に「めんどくさい部類」の上司だ……)と。
ピン子「今日は〜。わ、た、し、が。視察のついでに『お手伝い』してあげますから。よろしく〜」
チーフとサブチーフの顔色がどんどん悪くなっていく。
というか、喋り方から何から、第一印象からクセの強さが頭一つ抜けていた。
調理開始のブザーが鳴り、まずは最初の工程である野菜の下処理場へと彼女を案内し、お手伝いをお願いした。
ところが、ピン子さんは手伝うどころか、下処理場を一歩一歩歩きながら、周囲をジロジロ、ジロジロ。
私たちが包丁を動かしている手元を、至近距離からジロジロ。
ピーラーやペティナイフの刃に、ミリ単位の欠けがないかを光にかざしてジロジロ。
わぁ……。ぜんっぜん手伝ってくれる素振りがない……!! 逆にやりづらさが半端ない!!
ピン子さんの「監視の目」を意識して丁寧すぎるほどの作業を心掛けると、一つ一つの工程に恐ろしく時間がかかってしまう。普段が決して雑な訳ではない。けれど、いつものスムーズな流れ作業が、彼女の視線のせいで完全にガタガタになっていくのだ。
しかもピン子さん、私たちが必死に手を動かしている横で、呑気に下処理場の写真をスマホでパシャパシャと撮り始めた。
いや、今じゃないだろ!! 記録写真撮るなら調理終わってからにして!!
胃をキリキリと痛めながらも、なんとか時間内に下処理を終えて全員で調理室へと移動した。すると、スススッと不穏な動きでチーフが私の隣に近付いてきた。
女チーフ「野崎さん、今日、魚のオーブン調理ってあなたの担当よね……?」
野崎「あ、はい。そうですけど、どうしました?」
女チーフ「本当にごめん……!! ピン子さん、あなたのところに設置(配置)してもいい……?」
野崎「んぇ!? ピン子さんを……私の持ち場に固定させるって……ことですよね……」
チーフの申し訳なさそうな顔に、私は引きつった声を出すしかなかった。
私のこれからのメイン仕事は、「魚をオーブンで焼く」という作業だ。
これだけ文字で聞くと、なんだかボタンをピッと押すだけの簡単な仕事のように聞こえるかもしれない。しかし、その実態は壮絶だ。
対象となるのは、全校生徒と教職員を合わせた【1050人前】の魚。
・50枚ずつ袋詰めされている冷凍の魚を開封し、巨大なタライへと移動させる。(この際、ビニール片の異物混入が絶対にないよう、1袋ずつ全神経を集中して確認する)
・タライに移した魚に下味をつける。(※生の魚は「汚染物」の扱いになるため、一度触るたびに毎回徹底的な手洗いが義務付けられる)
・味をつけた魚を、1枚ずつ手作業でアルミカップに載せていく。
・そして最大の下関門、魚の上に【マヨネーズ】を均等に載せていく。
この、1050人前のマヨネーズの配分というのが、マジで信じられないくらい難しいのだ。
給食室にマヨネーズの余分なストックなんて用意されていない。だから、後半になって「あ、足りなくなっちゃったから追加して〜」なんてことは絶対に言えないし、許されない。
あらかじめ用意されたマヨネーズの総重量を、全体の人数で頭割りし、「スプーンに乗る大体の量」をあらかじめ視覚と感覚だけで脳に叩き込むのだ。
一々スケールで測っていたら、文字通り日が暮れて配食時間に間に合わなくなる。
それを、本来なら熟練の感覚で、私が1人で一気にやり切る予定だった。
(でも……まぁ、いくら泉ピン子だとしても、人手があるなら多少は作業が楽になるのかな……?)
あの時の自分にタイムマシンで戻れるなら、胸ぐらを掴んで全力で往復ビンタをしてやりたい。
そんな安易な希望を抱いていた私は、このあと、ピン子さんがもたらす「本当の恐怖」を知ることになる。




