第40話:手のひら返しと、最悪の視察通告
ヤクザ顔「なーんでここの学校、新人が2人も連続で辞めてんのかなー? ……現場に、なんか問題あるんじゃないの?」
誰もが唇を噛み締め、床を見つめて俯いていると、ヤクザ顔のおっさんの説教はさらに加速していった。
ヤクザ顔「新人に優しくしなきゃダメじゃない? 皆さぁ、ちゃんとマニュアル通り動いてるわけ?」
――どの口が、それを言うんだ。
おっさんの言葉が鼓膜に届いた瞬間、私は脳みそが沸騰するほどの怒りで全身が震えそうになった。
前の学校で、私がチーフから理不尽な虐めを受けてボロボロになっていた時、私を守るどころかクソチーフの肩を持って隠蔽しようとしたくせに。
なーにが「新人に優しく」だよ。そのセリフは、私を追い詰めたあのクソチーフの耳元で大音量で叫んでみせろよ。
今の私たちの給食室は、「私」という最悪のいじめの犠牲者を出してしまった苦い経験があるからこそ、新しく入ってきた人にはとにかく気を遣っていた。毎日辛いことはないか、体調は大丈夫かと声をかけ、身体に無理をさせない範囲で少しずつ仕事を教えていっていたのだ。
現場のみんなの必死の優しさと努力を、現場の過酷さを何も知らない、冷房の効いた事務所でぬくぬくしている奴にガタガタ言われる筋合いなんてサラサラない。心底、腹が立った。
ヤクザ顔「この業界さ〜、ただでさえ人手不足なのによ。なんでこんなに簡単に辞めるのかな〜。しかも、こんな大問題(個人情報漏洩未遂)まで起こしてさぁ。大体、パートが辞める理由なんて『対人関係』って決まってんだよね。今回の新人さんは、ここの誰と合わなかったわけ?」
頭から「お前たちの人間関係のせいで新人が辞めた」という前提で話を進めてくるおっさんに、私の怒りはついに限界を超えた。
あの新人②は、対人関係以前に、普通に頭のネジが他の人と違っていたのだ。こちらがどんなに気を遣って優しく接してもヘラヘラしているし、危険な行為を注意しても全く聞かなかった。
頭ごなしに私たちが悪いと決めつけるヤクザ顔の胸ぐらを掴みたい衝動を抑えきれず、私は気がつけば、正座のままおっさんに向かって言葉を叩きつけていた。
野崎「皆さん、相当新人さん②には優しく接していましたよ! 新人さん②、ウチの他に焼肉屋と居酒屋の副業をしていて、『朝の給食の仕事が眠くて辛い』って昨日も自分で言っていました。だから、副業の方をメインにするために辞めたんじゃないですかね!?」
私の突然の反論に、休憩室が一瞬静まり返った。
すると、新人②が勝手に自爆しただけだと察したおっさんは、驚くほどのスピードで手のひらを返した。
ヤクザ顔「あ、何? 副業してたの、その新人? あ〜、たまにいるんだよね〜、いくつか掛け持ちして結局どちらかを捨てちゃう計画性のない人。いや〜、今回は皆さんの当たりが悪かったんだね〜。どんまいどんまい!」
さっきまでの威圧的な態度はどこへやら、「今回はハズレクジを引いたね」とばかりに急にヘラヘラし始めるおっさん。本当に軽蔑しか感じなかった。
ヤクザ顔「まぁね、学校(校長・栄養士)には俺がバシッと謝っておきましたんでね! ……でも、理由がどうあれ短期間に2人も辞めてるってのは事実なんで。近々、事務所の人間が現場に『視察』に入りますんで。よろしく〜」
それだけ、現場の神経を逆撫でする爆弾発言だけを残し、ヤクザ顔のおっさんは足早に帰っていった。
女チーフ「視察……!? この、ただでさえギリギリで忙しいタイミングで視察……!?」
サブチーフ「最悪ですね……。マニュアル通りやってるかどうかって、調理室の隅々の埃までチェックされますもんね……」
私たちはすでに、激務と残業で一歩も動けないほどクタクタだった。これ以上、調理室をピカピカに磨き上げる体力なんて、全員1ミリも残っていなかった。
女チーフ「とりあえず……今日はもう帰りましょ? 月曜日から……塵1つ落ちていないように、調理室の清掃をガッチリやりましょう……!」
全員で重い体を引きずるようにして、その日は解散となった。
◇
そして明けた月曜日。
調理前のミーティングで、チーフが今にも泣き出しそうな顔で口を開いた。
女チーフ「えー……おはようございます。視察の日程なんですが……先ほど事務所から電話で連絡が来ました。……明日、だそうです」
サブチーフ「明日ですか!? うわ、火曜日か……。シチューの日で、ただでさえ一番忙しい日なのに……!!」
学校給食というのは、月曜日から金曜日まで、大体のメイン主食のローテーションが決まっている。
* 月曜日:自校炊飯(学校でご飯を炊く日)
* 火曜日:パンの日
* 水曜日:委託白飯(業者から届くご飯)
* 木曜日:麺の日
* 金曜日:委託白飯
常にこのサイクルで回っているのだが、この中でダントツに現場が崩壊するほど忙しいのが【火曜日のパンの日】だった。そして、パンの日のメニューは大体決まって「シチュー」と相場が決まっている。
シチューの何がそんなに恐ろしいかって、使う調味料の数がエグい。そして調理工程も異常なほどエグいのだ。
まず、豆乳と牛乳を合わせて【60リットル】近く使う。その牛乳と豆乳を使って「スキムミルク」をミキサーにかけるのだが、これが気が遠くなるほど面倒くさい。
現場にあるミキサーの大きさが、扱う液体の総量に全く合っていないため、「あと何回これを繰り返せば終わるんだ!?」と絶望するくらいの回数、ミキサーを回し続けなければならない。
さらに、シチューに入れるチーズも熱湯と一緒にミキサーにかける必要があるのだが、これもまた一苦労だった。
チーズを溶かすための熱湯を、大きな釜で沸かすところからスタートし、沸騰した熱湯を重い食缶に移し替えるだけでもかなりの肉体労働なのだ。
そして何より最悪なのは、ミキサーという機械は尋常じゃないパワーで暴れるため、液体が周囲にめちゃくちゃ飛び散るということだ。
どれだけ気をつけていても、床や壁が調理の過程でどうしても一時的に汚れてしまう。
――そんな、給食室が1週間で最も戦場になり、物理的に一番床が汚れる日に、事務所の連中が「視察」に入ってくるというのだ。
無理すぎる。本当に無理。
少しはメニューの予定表くらい確認してから視察の日を決めろよ、無能事務所!!!
私たちは月曜日の朝から、翌日に迫った「最悪の火曜日」に向けて、戦々恐々とするしかなかった。




