第29話:マルチーズの肉球と、プレートのないケーキ
チーフ「そうだよなぁ」
野崎「でも、チーフが私のために前のチーフに電話をかけてくれたり、エプロンや靴のことを解決してくれた時に、私、ここで頑張りたいって思えたんです。4月はずっとずっと苦しかったんですけど、私、初めて職場で心から笑顔になれました。今もこうして気遣ってくださって……本当に感謝しています」
チーフ「野崎さんにとって良い環境だと思えるんだったら、良かったわなぁ。俺、それだけが心配でよぉ」
野崎「明日からまた分からないこと沢山質問してしまうかもしれませんが、よろしくお願いします!」
チーフ:「新人さんは聞くのが仕事なんだから、気にすんなぁ」
最初、チーフに呼び出された時は「私、何かやらかしちゃった!?」と心臓がドキドキしていたけれど、チーフの表情、喋り方、空気のすべてから、私を心底心配してくれているのが伝わってきた。
本当に、本当に、私はこの学校に来られて良かった。
帰る時間になり、地下鉄の駅へと向かう。
ほとんどの調理員さんが地下鉄通勤だったため、駅に着くまでみんなでワイワイとお喋りしながら歩いた。自分でも「私、こんなにお喋りできるんだ……」とびっくりするほど、たくさんの会話を交わしていた。
地下鉄を降り、家の方へ向かうバスに乗ろうとした、その時だった。
見覚えのある車が、目の前にスッと停まった。
父親「よう! 奇遇だな!」
野崎「え……もしかして、迎えにきてくれたの……?」
父親「いや? たまたまドライブしてたらお前を見つけたから停まっただけよ。乗ってくかい?」
野崎「絶対嘘じゃん……ヘヘ。乗るー」
車のドアを開けると、助手席にはお母さんが、そして後ろには愛犬のマルチーズまで乗っていた。
母親「疲れた貴方に〜マルチーズの肉球〜!!」
お母さんがすかさず愛犬の足を私の鼻先に近づけてくる。
野崎「うっ……香ばしい……ポップコーンの匂いだ……」
母親「やっぱ疲れた時はマルチーズ吸っとかないとね?」
野崎「そうだね、ヘヘヘ。迎えにきてくれたんだね、2人とも」
母親「だってさー、お父さん、今日1日中落ち着きがなくて! ずっと心ここに在らずだったんだから!」
父親「仕方ねぇだろ! また娘が泣いてるかもしれないって思ったら、何も手につかないわ!」
車内で2人がギャーギャーと言い合っている。けれど……それが凄く、凄く嬉しかった。
言い合いをしながらも、お母さんは後ろを振り返って私の手を握り、優しく撫でてくれている。きっとお母さんも、ずっと私のことを心配していて、一刻も早く私の顔を見るために一緒に車に飛び乗ってきたのだろう。
母親「まだ何も聞いてないけどさ、アンタ。今朝は死人みたいに真っ青な顔してたけど……随分と表情が明るいね?」
父親「……どうだ……? 今聞くか? それとも家へ帰ってからにするか……?」
野崎「ん? あのねぇ。今日からの学校、すっっっっごく良い職場だったよ!! 皆ね、私のこと心配してくれて、私と沢山お喋りしてくれてね!!」
「あのね、あのね! 聞いて聞いて!!」と、幼い子供のような勢いで、私は今日あった出来事をすべて、堰を切ったように両親へと話し続けた。
話し終わる頃に、ちょうどタイミングよく家へと到着した。
玄関をくぐり、リビングへ入ると、テーブルの上にひとつのケーキの箱が置いてあった。
父親「このケーキはな、落ち込んでいるお前に食べさせる『慰めのケーキ』になるか、それとも良い職場になって『おめでとうのケーキ』になるか分からなかったから、とりあえずプレートは無しにしたんだ」
母親「ならホールケーキじゃなくてもいいのにねぇ。お父さんね、アンタを元気にするために必死だったのよ」
箱の中で輝いていたのは、私の大好きなイチゴのショートケーキだった。
新しい職場のチーフも心配してくれたけれど、私の父親の心配性もなかなかのものだ。
私が慣れない現場で必死に働いている間、この人たちもずっと息を詰めるようにして私を心配してくれていたんだ――そう思ったら、視界がまたじわリと熱くなった。
野崎「私……前の学校で給食の仕事、辞めなくて本当に良かった! 今の職場ね、本当に良い人ばかりなの。あの時、異動っていう選択肢を教えてくれたお母さんにも感謝してるし、前の学校に殴り込みに行こうとしてくれたお父さんにも感謝してる。今日の給食ね、今まで食べた給食の中で一番美味しかったの!」
私の言葉を聞いた瞬間、お父さんとお母さんの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
それを見て、私も堪えきれずにつられて泣いてしまった。
涙で味がしなくなる前に、私たちは3人と1匹で、世界で一番温かいお祝いのケーキを囲んだ。




