第19話:GWの終わりと、始まった暴言のパレード
野崎「じいちゃん……今度こそ本当に頼むぜ……?」
母親「大丈夫よ、今度おばあちゃんの家に行ってしっかり拝んできてあげるから。アンタをちゃんと守ってくれるようにね」
そう笑い合ったものの、やはりどこか心が落ち着かなかったのだろう。この日の夜、野崎は数年ぶりに母親と同じ布団に入って眠りについた。
いくつになっても、母親の隣というのは不思議なほど心が安らぐ。この1ヶ月間、泥のようなプレッシャーの中で浅い眠りを繰り返していたのが嘘のように、この夜は泥のように深く、泥のように快眠できた。
*
翌日から、待ちに待ったゴールデンウィーク(GW)が始まった。
我が家の3人兄妹は、揃いも揃って全員が連休中の予定なし。全員で仲良く家に引きこもり、お父さんに買ってもらったゲームをこれでもかと遊び倒した。
嫌な記憶を思い出す隙すら与えないほど、兄妹で四六時中笑い転げて、美味しいものもたくさん食べた。
一体、この時は何日間の連休があったのだろう。
【食べる・遊ぶ・寝る】
その幸福な無限ループを繰り返した結果――当然のように太った。
地獄を生き抜いて精神状態は確実に強くなれたけれど、それと比例するように、私の体重もしっかりと「強く」なっていた。
そんな夢のような連休の最終日、ついにマネージャーから1本の電話が入った。
マネージャー「もしもし、お疲れ様です。マネージャーの〇〇です」
野崎「あ、お疲れ様です!」
マネージャー「まだ会社(事務所)自体もゴールデンウィークでお休みをいただいていたので、次の異動先の学校についてはまだ正式には決まっていない状況なんです。……ただ、連休が明けて学校が始まってから2日後、一度どこかでお会いすることはできますか?」
野崎「はい、私は大丈夫ですが……」
マネージャー「学校が始まり次第、すぐに僕がロッカーから野崎さんの荷物を回収してきます。それを、直接野崎さんにお渡ししに行かせてほしいんです」
野崎「分かりました。どこに伺えばいいですか?」
マネージャー「もし野崎さんが嫌でなければ、ご自宅の前まで僕が車で届けに上がりますよ」
野崎「本当ですか? それでは、よろしくおねがいします」
マネージャー「明日の朝一番で荷物を取りに行くと同時に、他の調理員たちへの聞き取り調査も実施してきます。そちらの結果についても、お会いした時に詳しくお知らせしますね」
野崎「はい、何から何までありがとうございます。よろしくお願いします」
通話を終え、ベッドに横たわる。
いよいよ、明日から「無断欠勤(形式上)」が始まるのだ。
厳密に言えば、マネージャーが全てを把握して裏で動いてくれているのだから「無断」ではない。けれど、現場の人間からすれば、私はただの突発的なバックレ新人だ。
(朝、やっぱりチーフから電話がかかってくるのかな……。それだけが本当に憂鬱だ……)
それに、確か明日の給食メニューは、フルメンバーが揃っていても人手がギリギリ足りないくらいの、年間でもトップクラスに忙しいヘビーな献立だったはずだ。自分が戦線離脱することで、残された他のおばさんたちに負担がいってしまうことに対してだけは、少し申し訳ない気持ちがあった。
*
翌朝。
いつもなら朝6時にセットしてあるアラームを、この日は鳴らさなかった。
それなのに、夢の中で何度も何度も、チーフからの地獄のような「鬼電」がかかってくる。その恐怖で「ガバッ!」と何度も跳ね起きては、冷や汗を拭い、それが夢であることを確認して安堵する――という最悪の朝を迎えた。
良い夢というのは、二度寝しても続きを見られないのに、どうしてこういう嫌な夢に限って、何度目を覚ましても同じ内容の続きを見てしまうのだろう。
朝5時頃、どうしてもそれ以上眠ることができなくなり、諦めて居間に移動してテレビをつけた。
(朝の5時って、こんなテレビ番組やってるんだな……)
そんなことを思いながら、画面をボケーっと眺めて時間を潰した。
時計の針が、朝7時45分を指す。
いつもなら、ちょうどあの暗い休憩室に着いて、着替えを済ませている時間だ。
(今頃、厨房のみんなは『野崎、まだ来ないな……』ってザワザワし始めてるだろうな……)
この時の時間の流れは、恐ろしいほどに遅かった。1分が1時間のように感じられて、私はずっとスマホの時計の数字を見つめ続けていた。
そして、朝8時。
――携帯は、鳴らなかった。
「……あれ?」と、拍子抜けしてしまった。
あの執念深いチーフのことだ。絶対に朝一番で怒りの鬼電を何十件も入れてくるだろうと身構えていたのに、着信履歴は不気味なほどに真っ白なまま。
(きっと、マネージャーが朝イチで上手く先手を打って、チーフに連絡を伝えてくれたんだな……)
そう理解しつつも、夕方になるまで私の心臓はずっとバクバクと落ち着きなく脈打ち続けていた。
会社公認とはいえ、学校をサボっているような、何か悪いことをしているかのような罪悪感がどうしても拭えない。
(今頃、あの給食室でマネージャーによる聞き取り調査が行われているんだろうか……)
あんなに頭から消し去りたかったはずの給食室のことが、気づけば頭の中をぐるぐると占領していた。
そして、夕方の16時30分頃。スマホがけたたましく振動した。マネージャーからだ。
マネージャー「すみません野崎さん、今ちょうどご自宅のすぐ近くまで車で来ていまして……! 今、少しお時間大丈夫だったりしますか?」
野崎「あ、はい! 大丈夫です!」
マネージャー「それでは、あと10分ほどで到着しますので、外に出て待っていていただけると助かります」
「はい」と答えて通話を切り、私は急いで上着を羽織って外へ出た。
約束の10分後、マネージャーの車が我が家の前に静かに停まった。ドアを開けて降りてきたマネージャーは、少し疲れたような、けれど引き締まった表情をしていた。
マネージャー「急に押し掛けるような形になってしまってすみません!」
野崎「いえ、わざわざ来ていただいて大丈夫です」
マネージャー「早速なのですが……今日の現場での件、お話しさせてもらってもいいですか?」
野崎「……はい、お願いします」
野崎がゴクリと唾を飲み込むと、マネージャーは一呼吸置き、真剣なトーンで話し始めた。
マネージャー「今日、僕は約束通り朝一番に学校へ行き、チーフに対して『野崎さんは、今日からもうこの学校には出勤しません』という事実を直接伝えました」
野崎「はい」
マネージャー「……まぁ、その時のチーフの反応なのですが。正直、野崎さんにそのままお伝えするべきか、非常に、非常に微妙な所ではあるのですが……」
野崎「……どのような感じだったんですか?」
マネージャー「一言で言うなら、僕に向かって、野崎さんに対する『暴言のパレード』でした」
野崎「――でしょうね」
野崎は、冷や汗交じりの乾いた笑みをこぼした。
やっぱりあの女は、最後の最後まで、私の想像を裏切らないクソ野郎だったのだ。




