第2回
横須賀中央でバスを降りた私は、ドブ板通りにあるアメリカンバーに入った。大音量の音楽。ディスコを彷彿とさせるミーラーボールの照明。様々な言語が飛び交う店内。ここは、日本にあって日本ではない場所。自分が何者なのか忘れることのできる場所。
私はひとり、憂さを晴らすためにお酒のチカラを借りていた。新学期が始まる前にすべてを忘れてしまいたい。想い出を脱ぎ捨てて、新しい私になりたい。そう思った。でも、結局は虚しさだけが残る。
〈終電で帰ろう。でもその前に、少し酔いを醒まさなきゃ〉ー私はもと来た道を戻らず、横須賀駅に向かって歩き出した。途中、国道16号線を渡り、かれこれ10分ほどでヴェルニー公園にたどり着く。
ベンチに座り夜風に当たる。メンソールの煙草をくわえ、元カレの真似をして火を点けた。咳き込みながら煙の行く先を目で追っていたそのとき、視線の先に観音崎公園で会った先生がいた。
私が彼のことを先生と言うのは、周りからそう呼ばれているから。彼はプロ麻雀協会の雀士。リーグ戦で何度も優勝している。実力はもちろん折り紙つきで、長年培ったキャリアから、その界隈では先生と呼ばれている。だが、私は最後まで麻雀には縁がなかった。
〈あの人、確か…〉ー酔いどれ気分も手伝って、私は先生に近づき声をかける。右手には煙草を持ったままだ。
「こんばんは〜。何をしているんですか?」
海を見ながら缶コーヒーを飲んでいた先生。ゆっくりと振り向く。私を見た瞬間。彼は目を大きく見開いて、驚きの表情を見せた。
「君は、さっきの…」
先生は左手をコートのポケットに突っ込んだままで、どことなく怪訝そうな顔をしている。
「僕のあとをつけてきたのか?」
「それはどうかなぁ。それよりもオジサン。さっき、あんなところで何をしてたんですか?」
オジサンという言葉に過敏に反応する先生。聞けば、年齢は36歳なんだとか。だから、せめてお兄さんと呼んでくれと言う。私に言わせれば、そのくらいの年齢の人は立派なオジサンだ。呼び方を変えたところで若くなるものでもあるまいに。オジサン。改め、お兄さんは、私の質問に冗談めかして人を殺してきたと言う。もちろん、私は信じない。
「へぇ。そうなんですか」
よろめきながら、先生のそばに行く。ふらつき、おぼつかない足元。ほどなくして、彼の胸に顔を沈める。煙草は手から地面に落ち、淋しそうに煙を揺らす。ところが、私を抱きしめもせずに彼はただ突っ立っている。不満気な顔をして見上げれば、迷惑そうな表情をして視線を逸らす。私は腹が立った。
「ちょっと、お兄さん!」
「なんだよ」
「あのさ。オンナがもたれかかってるんだから、抱きしめてくれてもいいじゃない。あなたにはそういう優しさがないの?」
「だいぶ酔ってるな。呑み過ぎだな。…大体、君はいくつなんだ?」
「私?ふふ、19歳。若いでしょう」
「19歳が酒にタバコか。世も末だな」
「いいじゃない。私、失恋の憂さを晴らしてるんだから。あのね、二股をかけられたのよ。彼氏、じゃない。元カレがね、知らないオンナと寝てたのよ」
潤んだ瞳で先生を見つめる。そのとき、何故か急に涙がこぼれてきた。哀しみの涙が頬を濡らす。なんだか、私の生きる気力が削がれていく気がして。
「ねぇ。ついでに私も殺してよ。ひと思いに」
「失恋したくらいで死ぬ気か? それなら、勝手に死ねばいいだろう。ほら、そこは海だ。飛び込んてみろ」
さらに涙が溢れてくる。なんて冷たい言葉なの。このオトコには、ふられたオンナの気持ちが分からないの。
怒りや憎しみといった負の感情が瞬く間に私を支配する。それは元カレに対して。あるいは先生に対して。
やり場のないこの気持ち。私は先生の胸を叩きながら叫んだ。
「死ぬ勇気があるなら、あなたに殺してなんて頼まない!」
先生を突き放し、新しい煙草に火を点けて歩き始める。そして、振り向きざまに「いいわよ。行き倒れて死ねばいいんでしょ?」と捨て台詞を吐き、駅へ向かった。もう終電は出てしまったのに。
だが、歩き始めてからものの数分で足がよろめき、地べたに座り込んでしまった。立とうにも立てない。へべれけな私。
見るに見かねた先生は私に歩み寄り、お姫様だっこをして歩く。ちょっと唸っているが大丈夫か。
「なんだ。優しさとこ、あるじゃない」
この辺りから記憶があやふやになった。国道16号線でタクシーを拾い、先生と一緒に乗ったところまでは覚えている。どうやらこのあと、私は彼のマンションに向かったようだ。




