第1回
先生と初めて会ったのは2016年。3月も終わりが近づき、春の匂いが満ちる頃だった。
私は夕方から散歩に出ていた。自宅のアパートから浦賀まで電車を乗り継ぎ、そこから、観音崎行きのバスに揺られる。
この季節の観音崎が私は好きだ。夏は蒸し暑く、強い陽射しが肌を襲うから嫌い。冬は海風が冷たく、水面に涙がこぼれそうになるから嫌い。今の季節。桜が花開こうとするこの瞬間が、私の心を和ませてくれる。
私はオトコと別れたばかりだった。大学サークルの交流会で知り合い、意気投合し、交際してみたものの、これがとんでもないダメオトコだった。
田舎者のくせに、無理に都会に染まろうとしてチャラチャラと着飾り、とにかく外見ばかり気にして中身が何もなかった。大学にもロクに足を運ばず、ホストのバイトで酒を浴びてばかりいた。
それでも、私には優しくしてくれた。何かと記念日を作ってはプレゼントをくれたし、デートをする前日にはバイトを休んで、サウナで体調を整えてくれる。彼は話し上手の聞き上手。一緒にいて退屈することはなかった。
日曜日。手作りのお菓子を持って、彼のマンションに行った。呼び鈴を鳴らし、ドアから顔を出したのは見知らぬ女性。彼の姉か妹か。あるいは親戚かと思った。しかし、中に入って私は絶句した。女性は素肌にバスタオルを巻いていた。髪は濡れていて、シャワーを浴びた直後のようだった。ベッドでは、彼が上半身を裸にして寝ている。
何も言えずに後ずさりし、お菓子の入った紙袋を玄関に落として部屋を出る私。最悪の場面に出くわした。あんなオトコに二股を掛けられていたなんて。私が滅多にカラダを許さなかったから、セフレでも作って遊んでいたのか。彼女は、彼の店のお客なのか。
雨の中。傘を差すのも忘れ、急ぎ足で駅に向かった。途中、彼からスマホに電話があったが、ガチャ切りしてやった。着信をブロックしてやった。そして最後に、「二度と私に近寄らないで」とメッセージを送った。こうして、あっけなく幕は閉じた。
バスを降りた私は、観音崎公園に足を踏み入れた。公園といっても、都内にあるような小さなものではない。とても広く、ひと回りするだけでもゆうに1時間は超える。海沿いの景色と歴史的遺構が入り混じったこの場所は、タイムスリップでもしたかのような感覚を少しだけ味わえる。
海岸の遊歩道で夕陽を背にしたタンカーを眺めながら水を飲み、新緑にはまだ早い木々に囲まれた階段を登る。そこに観音崎灯台が現れる。さらに園内を進めば、レンガ造りのトンネルがある。先生と出会ったのは、その入り口付近だった。
突然、トンネル脇の茂みから飛び降りてきた先生。私は驚き、「キャッ」と言って立ち止まった。彼もまた驚いた様子で私を凝視する。そして、少し間を置いて「どうも」と挨拶をすると、彼はそそくさとその場を立ち去った。
先生が降りてきた場所を見たが、傾斜がきつく、登るにはかなりの体力が必要。明らかに遊歩道から外れた森の中で、彼は何をしていたのだろうか。
気づけば日は暮れて、辺りは暗くなりはじめていた。私は観音崎のバス停から横須賀行きのバスに乗り、ドブ板通りを目指した。




