御厨玄斎は引退したい①
大阪管理局臨時対策室の前で、樫村はスマホを閉じた。
廊下の奥から、ひとりの老人が歩いてくる。
黒に近い紺の和装に、古い革の書類鞄。
歩幅は小さいが、背筋はまっすぐ伸びていた。
樫村は軽く頭を下げる。
「御厨先生。お忙しいところ、ありがとうございます」
「よい。それよりも映像はそろっているのか」
「配信記録、現場ログ、封印処置記録、一次報告書まで」
「十分だ」
御厨玄斎。
ダンジョン庁顧問鑑定士。
国内で特級鑑定士として登録されており、日本において鑑定士の頂点と言っても差し支えがなく、この鑑定士業界の第一人者でもあった。
御厨家は、ダンジョンがこの国に現れた最初期から鑑定士を輩出してきた家である。
黎明期の未整理なダンジョン産素材、正体不明の魔道具、封印指定品。
そうした危うい品々の前に、何度も御厨の名があった。
国宝級魔道具。
封印指定品。
深層から持ち帰られた大型遺物。
通常の鑑定士では触れることすら許されない品を、何度も見てきた人物である。
その御厨が部屋に入ると、会議室にいた職員たちは自然と立ち上がった。
深層特務の隊員も、記録係も、本庁側の職員も。
誰かが号令をかけたわけではない。
それでも全員がそうあるべきだと思い、各々が自発的にそうした。
御厨はそれに軽く目を向けただけで、正面の大型モニターの前に座る。
「座ってくれ。礼を受けに来たわけではない」
その一言で、全員が席に戻った。
大阪管理局臨時対策室。
普段は会議室として使われている部屋に、今だけは何台もの記録端末と大型モニターが持ち込まれている。
机の上には現場ログ、配信映像の切り出し、封印処置記録、被害速報の束。
その中央に、ひとりの男の名前があった。
『真壁遼』
樫村は最初の映像を開く。
フレーム最上部が映し出されており、宙に浮いたダンジョンコアがあった。
その前には、顔色の悪い若い男が映し出されている。
「彼が今回の対象でもある真壁遼です。民間協力鑑定士で、最近上位の資格も取得しています。もちろんですが、戦闘職ではありません」
「見れば分かる」
御厨は短く言った。
映像の中で、真壁がダンジョンコアへ鑑定を向けている。
『呪術汚染…』
音声は荒れていたが、その言葉だけは拾えていた。
御厨の眉が、そこでわずかに動いた。
「止めろ」
記録係が映像を止める。
「この時点で、真壁氏以外が確認できていたコア情報は」
「中央フレーム上にダンジョンコアらしきものが存在すること。周辺現象から、アンデッド属性の影響が疑われること。その程度です」
「呪術汚染は」
「真壁氏の鑑定で初めて明示されています」
御厨は画面を見る。
顔にはほとんど感情が出ていない。
だが、指先だけが、机の上で一度止まった。
「続けろ」
映像が進む。
真壁の発言と、現場ログが横に並べられる。
■コア本来属性は魔獣系
■現在属性はアンデッド属性
■呪術汚染あり
■汚染範囲はコア外殻から内部接続領域
■深層は無事
■外部干渉は継続中
「この段階で、彼は汚染と外部干渉を分けています。表現は本人の言葉なので明確ではないのですが、封印処置後のログと照合すると、認識はほぼ一致しています」
「ほぼ、ではない」
御厨が言った。
「鑑定士の言葉として整っていないだけじゃ。見ているものは正しい」
会議室が静かになる。
御厨はお構いなくそのまま続けた。
「鑑定には様々な外的要因からノイズが多々乗ることが多い。だから鑑定スキルを行使する時はまず、その外的要因を排除するところから始まる。そのような理由から、通常現場に赴いて、鑑定スキルを行使することはそうないのじゃが……こやつは違う。超級の魔道具に対してあんなにも鑑定に不向きな場所で、それも短時間で鑑定結果を正確に読んでおるの」
御厨は周囲を見渡す。
「儂の、いや通常のやり方であれば、鑑定は対象を隔離して行う。結界を重ね、周辺の空間を安定させて、さらに不要な魔力のノイズをカットすることから始める。もちろん儂1人では到底そのようなことはできんから、最低でも複数人で数時間かけて準備して、それから鑑定を走らせる。それがあの超級対象に対しての、最低限の準備である」
御厨の言葉にどよめきが起こった。
「先生なら、その、真壁氏のようなことは…可能ですか」
本庁側の職員が尋ねた。
御厨はすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、室内の空気が変わる。
「あの条件では、できんの」
短い言葉だった。
それだけで十分だった。
日本最高峰の特級鑑定士が、自分にはできないとはっきり言い切った。
だがそのまま言い切らせるにはまずい、そう思ったのか職員は質問の意図を変えた。
「申し訳ございません。質問の仕方を変えます。先生であれば…条件が整えば同じことは出来る、そう考えてもよいですか?」
御厨は深い皺を更に寄せた。
「ふむ…正直言うと、万全を期しても自信は無いの」
再度部屋内にどよめきが起こる。
「鑑定とは究極的に言うと、物質の根源を読むことである。その根源にたどり着く技術を鑑定の技術、そう言い換えても良い。儂はそれに関してはこの日本において、誰にも負けない自信は持っておった。だが…」
御厨は言いよどむ。
「こやつの鑑定スキルは…本当に鑑定か? 正直疑いたくなる。こやつのやっておることは、そういう類のことだと儂は認識しておる」
御厨の話に周囲は戸惑いを隠せない。
「では…先生は、これは鑑定スキルでは無い、そう考えていると?」
「いや、それはない。断言できるが、これは鑑定スキルじゃろうて」
「それは…どういうことで…?」
「儂の鑑定スキルの先を行っておる、ただそれだけじゃの。だから理解できないのが口惜しいの」
「先生の…先を、ですか」
「世界という尺度で見ると、儂より上の階層にいる鑑定士は多くない。おっても…そうじゃの。3人、といったところか」
「そ、それは…!」
「喜ばしいことじゃろうて。この日本で初めてその階層に至った鑑定士が、今、ここに誕生したと」
あまりのことに部屋内にいる者は全員口を閉じた。
何を発していいのか分からないのだ。
そんな中で、樫村が再度尋ねた。
「先生の見解は理解しました。しかし…じゃあすぐに特級鑑定士へ、という話にはいくつもの関門がまだあります」
御厨は頷いた。
「そうじゃの。特級査定は色々と仕組みが整っておるし、まずは手順を踏まねばならぬ」
「その通りでございます。然るべき筋を通していかねば、色々なものの顔も立ちません」
「儂が推薦人として立候補してもよい」
「先生が、ですか? それは…その御厨家としての話でございますか?」
「無論じゃ。しかし…お主らはよく分かっていると思うておったが、随分と間の抜けたことをいうの。今の現状を十分理解しておらぬ」
周囲の職員がざわめき始める。
「これが閉じた世界の話であれば、まぁ通常の手順を踏めばよかろうて。だが、此度の件は全世界に動画として流れておるのじゃぞ? 国内ですら地上波であの動画をそのまま配信しておった。世界でも同様じゃ。様々な配信サイトに生中継されておったようなものじゃ。今回のダンジョン博覧会での事件は世界中の人間が、ほぼその全てを見ておるのじゃ」
「それはおっしゃる通りです。全世界で生配信状態になっており、推定で約10億人以上の人間が見ているとの報道もありました」
「そこまでわかっておるのなら、もう答えは出ておるようなものじゃろうて。世界が動くぞ? あの真壁という小僧を狙っての」
樫村は絶句した。
「……申し訳ございません。その、鑑定士業界の常識としてしか捉えておらず…」
「よい。日本における鑑定士という業界は、探索者業界の一員としては認識されてないからの。どちらかというと企業とか、そちらに属しているものとして扱われておるのは、国内の事情もあろうて。それにとやかくいうつもりは毛頭ない」
「ありがとうございます。直ぐに先生のご意見を添えて、政府としてどのように動くべきか検討します」
「そうじゃの。早いことに越したことはあるまいて。だが、すでに英国に半分は手を付けられている、そう思うておいたほうがよいぞ」
「……っ! 桐野シエル、ですね。彼女はロダン家の一員でもあります。ご忠告ありがとうございます」
「うむ。日本にとっても後悔の無い、そんな選択を期待しておるぞ」
そしてその日の会議は幕を閉じた。
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