ダン博に行ってきました⑤
夜が抜け切らない時間帯のダン博は、開門前の静けさに沈んでいた。
リング外側エリアの通路はまだ照明が落ちていて、各国パビリオンの装飾も色を失っている。
リング内の3分の1を占めるウォータープラザ中央が、わずかに残った夜気で薄く揺れていた。
そのウォータープラザの中央に、ドバイにある巨大なフレームと似た構造物が立っている。
写真立てに見立てた巨大な額縁は普段、夜のショーで使われていた。
その額縁の上辺に、人影が2つあった。
1人は神官系を思わせる装束に、深いローブを羽織っている。
もう1人は機能性スーツの上にベストをラフに羽織っただけで、襟元をだらしなく開けている。
神官装束の男が、平然と縁に立って下を見下ろした。
声が、低く落ちる。
「世界はまだ眠っている」
ウォータープラザの照明が、その横顔を薄く撫でた。
「壁を打ち壊す者がいなければ、目覚めない」
もう1人の男は、その言葉に表情を動かさなかった。
機材ケースを足元に下ろして、留め具をひとつずつ外していく。
「演説あとにしてもらえます? 先に置くもん置きましょ」
気だるげに返して、ケースの中身を並べ始めた。
術式構築用の媒体らしい札が数枚と、手のひらに収まる小箱がひとつ、それから端子状の器具がいくつか並べられていく。
神官装束のほうは、それを見届けてから一歩下がる。
機能性スーツの男が、ケースの底から黒い球状の物体を取り出した。
握り拳より一回り大きい程度の大きさだ。
表面が薄く脈動していて、触れた手のひらに微かな振動が伝わるのが分かる。
「これか」
神官装束の男が、ぽつりとそう呟いた。
声色は、最初の一言と変わらない。
台座状の凹みが、フレーム中央の床面に切ってある。
機能性スーツの男が、その凹みを囲うように札を四方に配置していった。
並べ方には迷いがない。配置を終えたあとで、中央の凹みに球を据える。
札と球の間に、薄い線のような光が走った。
光は札の縁を一周してから、球の表面に吸い込まれて消える。
「ま、ここまでは順調っすね」
機能性スーツの男が、欠伸混じりに確認した。
起動はまだしていない。準備の枠の中での話だ。
神官装束の男が、ウォータープラザのほうを見下ろした。
会場の方角に、夜明け前の光が薄く差し始めている。
「あとは、夜まで誰にも触らせなければいい」
ローブの裾を、手のひらで軽く払う。
「19時37分。世界の側がスイッチを押してくれる」
機能性スーツの男も、首を回しながら上辺の縁に立った。
「ショーの音と振動でごまかせるんで。それまで誰にも触らんでくれたら、こっちもラクなんすけど」
会話は、それで途切れた。
2人は機材ケースを閉じて、フレームの上辺から音もなく身を翻した。
通用口の向こうへ抜ける動きに、迷いはなかった。
会場の人通りが、まだ生まれていない通路をすっと横切って、外側エリアの方角へ消える。
神官装束の首筋に、ローブの隙間から薄い紋様が一瞬覗いた。
機能性スーツの手首にも、同じ系統のものがベルトの下に薄く見え隠れする。
よく見ないと分からない程度の、目立たない刻みだった。
夜明けの光が、リングの外周を撫で始めた。
◇
ホテルの部屋のカーテン越しに、朝の光が薄く落ちている。
ベッドから起きるのに、いつもより少し時間がかかった。
昨日のまま置いてある配信機材は、特に触る必要もない。
肩のシオが、枕の脇からゆっくりと上がってきた。
肩の上に収まると、殻を低く保ったまま動かなくなる。
「今日もよろしくな」
俺は小声でそう言って、部屋の鍵を取った。
夢洲行きの公共交通は、昨日より一段空いていた。
平日の午前中という時間帯のせいだろう。
ダン博グッズの紙袋を持った客と、出勤途中らしいスーツの客が、車両の中で混じり合っている。
夢洲駅の改札を抜けて、入場ゲートまでの動線を歩いた。
招待カードの優先入場を通って、通路脇で配信機材を立ち上げる。
マイクの動作ランプが点いた。
「お疲れさまです、ダン博2日目です。今日はイベント出演があります」
昨日と同じトーンで、軽く挨拶を入れる。
画面のコメントが、ぱっと流れ始めた。
『きたー』
『今日も来てくれた』
『シエルとのコラボ楽しみ』
『同接の上がり方えぐいんだが』
画面右下の数字が、昨日より早いペースで上がっている。
俺は配信機材の角度を少し整えながら、続けた。
「12時から、桐野シエルさんの事務所のイベントブースに出ます。トーク中心らしいです」
『先に場所教えて!』
『見に行きたい』
『現地組ガチ勢おる』
『どこのブース?』
「場所は、シエルさんの事務所のSNSで告知されてるみたいです。多分」
『多分かい』
『真壁さん通常運転』
俺はパビリオン区画の通路を、ゆっくり歩き出す。
午前中はやはり人が少なめで、各国旗と装飾だけがやけに目立つ。
配信機材を左右に振りながら、軽く実況を続けた。
「向こう、企業パビリオンですね。中までは入らないですけど」
通路脇のベンチが空いていたので、一度腰を下ろした。
配信機材を膝に置いて、用意してきた飲み物を一口だけ飲む。
シオが姿勢を一度だけ整え直した。それ以上は動かない。
目の前を、家族連れがゆっくり通り過ぎていく。
子供がパビリオンの旗を指さして、母親に何か聞いている。
父親はその後ろで、スマホで会場マップを確認していた。
このダンジョン万博はほんとに広い。
端から端まで徒歩で30分以上は歩かないと行けない距離があり、これだけでどんだけ広いかわかるだろう。
周囲のパビリオンのデザインも普段では見られない特殊な形状をしており、訪れる人を飽きさせなかった。
そんな非日常を目で味わいつつ、立ち上がる。
画面のコメントが、流れ続けていた。
『真壁さん休憩してたw』
『マイペースすぎる』
『あの暗いダンジョンの時とあまりに違い過ぎて草』
『シエルとの集合何時?』
「集合は11時です。そろそろ向かいます」
配信機材を持ち直して、合流地点の方角へ歩き出した。
昨日のジェラート屋台の手前あたりが、シエルの指定だった。
通路の人混みが、昼前で増え始めている。
屋台の手前まで来ると、桐野が先に立って待っていた。
長身に、目を引く色のジャケット。
探索者業界においてかなり有名な人らしく(※視聴者コメントから)、距離を置いて周囲には人だかりができていた。
こういうとアレだが、あまりに一般人とかけ離れたオーラをだしているせいか、近づけない何かを感じてしまう。
「お、来たね。時間ぴったり」
桐野が、軽く手を振りながら歩み寄ってきた。
「お疲れさまです」
俺は配信機材を持ち直しながら、軽く頭を下げた。
画面のコメントが、ぱっと色を変える。
『シエル登場』
『2人並ぶと身長差すごい』
『コラボ確定』
『シエルさん今日も美人』
「進行は私がやるから、振られたら答えるだけでOK。スキル発動は無しで、トークだけね」
歩きながら、段取りを並べてくる。
「分かりました」
「あと、客いっぱい来てるから覚悟しといて」
「結構来るんですか」
「立ち見出るレベル」
俺は内心で、少しだけ気を入れ直した。
立ち見が出る規模というのは、実感として湧かない。
ただ、桐野が言うのなら、そうなのだろう。
ブース裏の楽屋スペースまで、桐野が先に立って案内してくれた。
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