真壁遼
品川第七ふ頭ダンジョンへ向かう電車は、朝のわりに空いていた。
窓の外を湾岸沿いの工場と低い建物が流れていく。
その窓際の席に座って、ポケットからスマホを取り出した。
通知は昨夜から増え続けていた。
コメント、フォロー通知、問い合わせが混在したまま、スクロールしても底が見えてこない。
配信アカウントへの問い合わせ欄だけでも、すでに10件を超えている。
通知が一気に増える経験自体は、配信を続けていれば何度かある。
ただ今回は、流れてくる数の桁が明らかに違っていて、一度の配信で入ってくる量として、これまで見たことのない規模だった。
以前、苗字が出た頃は、まだスレの中で収まっていた。
今回は人体鑑定の映像があり、シオの浄化があり、現場で名乗ってもいる。
引き返せる線は、とっくに越えていた。
品川第七ふ頭ダンジョンの受付を通ると、顔なじみのスタッフがいつもどおり目を合わせて挨拶してきた。
挨拶の言葉自体は普段と変わらなかったが、視線がほんの一拍だけ長く俺に止まっている。
廊下を進む途中にすれ違ったB1F担当の古株も、いつもなら素通りするところを、視線だけで小さく会釈してきた。
気づかれている。それも昨日今日で広まった、という感じではなかった。
ロッカー前で荷物を整理しながら、問い合わせの一覧だけスマホで開いた。
中身まで目を通すのは後回しでいいが、件名と差出人を眺めるだけでも種類は大体掴める。
クラン関係、業界系、配信関係。それぞれ別の方向から、似たような速度で連絡が伸びてきていた。
《天城フロンティア》からの連絡にも、まだ返事をできていない。
最初から隠す気で仕事をしてきたわけではなかった。
フードは被っていたが、品川の担当者たちとは顔を合わせて話してきたし、管理局の浅田には名前も通っている。
配信の外に名前を出さなかったのは、単純にそうする必要がなかったからだ。
ただ、ここまで広がってしまうと話は別になる。
隠す方がかえって話を大きくしてしまう種類の状況に、もう入りつつあった。
ロッカーの扉を閉めながら、肩口に視線をやる。
シオがちょこんと顔を覗かせて、ロッカーの方を向いていた。
「今日、配信入れようと思う」
シオは身をぷるっと震わせただけで、特に何も返してはこなかった。
◇
B1Fの回収導線に入る前に、スタッフ用通路の隅でスマホをスタンドにセットした。
レンズの位置と画角を一度だけ確認してから、配信を立ち上げる。
配信を始めると、コメントがすぐに動き始めた。
『来た!』
『シオだ』
『この前の人体鑑定の件気になってた』
視聴者数は最初の数分で500人を超え、コメントにはシオへの言及と先週からの反応が、まだ整理されないまま入り混じって流れていた。
「久しぶりです」
短く挨拶を入れると、コメントがさらに増えた。
いつもならそのまま作業に入る場面だが、今日は先に言うことがあった。
手元の棚に視線を落として、少しだけ間を置く。
配信を始めてからずっと、フード越しに声だけで続けてきた。
名前も姿も、画面の向こうには出していない。
息をひとつだけついてから、おもむろにスマホを自分の方に向け直した。
「いつもはフードを被って姿は見せていなかったんですが。改めまして、僕は真壁遼です。いまさら隠すほどでもなくなったみたいなので、今日からこんな感じで配信してみます」
コメント欄が一瞬だけ止まり、それからまた勢いよく動き始めた。
『フードなし!』
『真壁さんか…』
『うおおおついに顔出し!!』
『本人キター!!!』
『シオもバッチリ映ってる尊い』
「ただ、だからといって急に何かが変わるわけでもないです」
作業用の手袋をはめながら、搬入口の方へゆっくり歩き出した。
「自分はずっと品川で回収をやってきた人間です。先週からの評価の変わり方は、自分でも分かっています。ただ、立場が変わってもやれることは増えません。戦闘の主役にはなれないですし、来た依頼を全部受けるつもりもないです」
B1Fの空気は、いつもと変わらない。
搬入前の物の匂いと冷たい床、搬出口へ続く動線、仕分け台の並び。
外の大きな迷宮とは切り離された裏導線で、処理前後の物が淡々と流れていく場所だった。
「せっかくなので最初の話をすると、自分は元々、会社をクビになって、とりあえず生活費を稼がないといけなくなってここに来ました。ダンジョン内の廃棄品を拾って換金する、バイトみたいな感じで始めたんです。最初は鑑定スキルがどれくらい使えるレベルなのかも、よく分かっていませんでした」
コメントが流れた。
『クビになったのか』
『それが今こうなってるのか…』
『品川から始まったのか』
『最初からここだったのか』
「こんな感じでした、という話です」
棚の並びに視線を流しながら、一度だけ言葉を切る。
「品川の回収は、これまで通り続けます。自分のペースで回せる場所は、今のところここだけなので」
コメントが続いた。
『そういうスタンスで来てたもんね』
『正直ありがたい』
『まあそうだよな』
搬入口の前に立って、棚の並びを目で追う。
仕分け台の配置も含めて、前回来たときと同じ顔ぶれだった。
「理解してほしいというより、最初に線だけ引いておきたかった」
肩口でシオがわずかに動いた。
コメント欄の流れが、少しずつ落ち着き始めている。
『わかった』
『それでいい』
『続けて』
「じゃあ、いつも通り見ていきます」
軽く息をついてから、棚の前に立って最初の物に手を伸ばした。
最初に手を伸ばしたのは、搬入口横の仮置き棚だった。
先週から動いていない物が数点、そのままの位置に残っている。
順番に【鑑定】を通していく。
最初の2点は処理ルートを変える必要のない品で、そのまま流せる内容だった。
3点目に来たところで、折れた識別片の裏側に処理記号がうっすら残っているのが目に入った。
消えかけた刻印だが、系統Cと読み取れる。
術式干渉型の補助具は、他の素材と同じルートで除去すると思わぬ反応を起こすことがある類のものだ。
「これ、除去の前に確認が要ります。系統Cなので、分けて処理してください」
近くにいたスタッフに声をかけて、識別片を仕分け台の隅に置いた。コメントが流れる。
『系統Cとか一瞬で読み取ったな』
『誰も気づかないやつだ』
『B1Fってこういうの多いの?』
『このレベルが見落とされて流れてくるの怖いな』
「品川の物は後工程を経て流れてくる分、前段でどう処理されたかが分からなくなっていることが多いです。管理票が消えかけているものは特に確認が要ります。品川のB1Fは基本、そういう場所なんです」
B1Fは、新宿中層のような前工程の物を扱う場ではない。
一度ダンジョンから出て、いくつかの処理段階を経てから、ここへ流れ着く。
最後に残ったものから価値を拾う、本当の意味での廃品回収の場でもある。
次の束に手を伸ばし、束ねてある紐を解いた。
除去対象として括られた5点が並んでいる。
4点はそのまま処理に回せる品だったが、最後の1点に素材価値の残る部品が混じっていた。
鑑定によると素材価値は2万円前後、専門業者に持ち込めば引き取れる水準だ。
「これだけ引き出します。除去対象ですが、素材として使えます」
コメントが増えた。
『さらっと見つけるな』
『全部チェックしてるの?』
「全部じゃないです。鑑定スキルがありますから、使えるところで使っているだけです」
仕分け台に部品を置きながら、続けた。
「自分は何でもできるわけじゃないです。人を助けるために前へ出るタイプでもない。見えるものがあるなら見ておきたい、その範囲で動いている人間です。受ける仕事は選びますし、全部の依頼に応えられるわけでもないです」
次の棚に移ったとき、肩口でシオがわずかに動いた。
視線の先には、棚の奥に押し込まれた袋がひとつ。
管理票には廃棄・残渣とだけ書かれている。
袋ごと【鑑定】を通すと、内側に残った薬液残滓の状態が想像していたよりずっと良かった。
精製業者に持ち込めば、素材として引き取れる品質に十分入っている。
「これも廃棄じゃないです。素材に回せます。担当の方に確認してください」
声をかけながら振り向くと、シオは肩の上ですでに前を向いていた。
『シオまた反応してる』
『廃棄で流してたら捨てられてたやつか』
『シオがほぼ主役じゃん』
『品川の回収って毎回こういうの拾ってるのか?』
「シオは補助です。自分の見落としを横から知らせてくれる相棒で、外でいろいろ言われていますが、基本はそういう関係です」
コメントの流れが、少しずつ変わってきた。
『ああ、こういうやり方か』
『有名になっても変わらないんだな』
『全部受けないって言うの逆に信用できる』
『もったいない気はするけど』
「外からの連絡は、いくつかいただいています。話を聞くことはあるかもしれません。ただ、向こうの都合だけでは動きません。周囲がどう見るかと、自分がどこで動くかは、別の話なので」
◇
B1Fの作業を1区画分進めたところで、一度手を止めてスマホを確認した。
視聴者数は30,000人を超えていて、コメント欄はまだ流れ続けている。
ただ、配信前半の張り詰めた空気とは明らかに違う流れ方になっていた。
「今日はこんなものでしょう。また来ます」
肩の上で、シオが一度だけ小さく身を伸ばす。
区切りに合わせて反応してくれているような動きだった。
配信を切ってから、画面を通常表示に戻すと、通知がいくつも積まれているのが目に入った。
《天城フロンティア》からの連絡の下に、新しい通知が一件届いている。
管理局からだった。
別管理対象登録案件について確認事項がある、という内容で、送信時刻は今日の14時過ぎになっている。
今日中に返す必要はない。
届いた順番に、こちらのペースで返していけば足りる話だった。
短く息を吐いてから、スマホを作業着のポケットにしまった。
顔を上げて、搬入口の方へ視線を戻す。
まだ手をつけていない棚がいくつも並んでいて、今日中には到底終わらない量の物が積まれていた。
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