上位登録試験(前編)
顔を洗って、机のスマホに手を伸ばした。
そして月次記録のアプリを立ち上げる。
シオは今朝も肩口にいる。
起きた直後に保護容器を出て、真壁の腕を伝ってそのまま肩まで上がってくる流れが、もうすっかり当たり前の動きになっていた。
感情の動きも以前より自然に届く。
落ち着きと、外に出たがるような向きがうっすら混ざり合ったまま、朝のうちから肩口でぼんやりと感じられる。
寝る時だけ容器に戻しているが、昼間はずっと外にいるのが普通になった。
月次記録に「感応継続。肩上定位置が定常化。体重・飲む量に変化なし」と書き込みながら、肩口のシオに目をやる。
殻の縁の感覚突起がいつもどおり静かに揺れているだけで、特に書き加えるものはなかった。
保存してアプリを閉じたところで、画面の隅に未読の通知が出ているのに気づいた。
管理局の資格管理部門から、メッセージが一件届いている。
『特例審査対象者への通知』という件名だった。
上位鑑定士登録に向けた実技試験の日程と会場が記されている。
試験は筆記ではなく実物鑑定中心の形式で、会場は管理局内の試験区画、受験者は複数名になるとのことだった。
特例審査扱いのため通常より日程が早く、今週末に設定されている。
今週末か、と少し意外に思いながら最後まで読んだ。
実技中心ということなら、特別に勉強しておくような内容でもない。
見れば分かるかどうか、というだけの話だ。
シオの同行については、保護対象同行許可の証明書を携帯すれば問題ないと注記があった。
今のシオをひとり留守番させる選択は最初からなかったので、そこは特に気にせずに済む。
画面を閉じてスマホを机に置いた。
試験当日までは、いつもどおり配信を回しておけばいい。
◇
試験当日、保護対象同行許可の証明書と携行ケースをバッグに入れて家を出た。
シオはいつもどおり肩口にいる。
地下鉄で管理局の庁舎まで出て、受付で身分確認を済ませると、試験区画まで案内された。
部屋には先に3人が来ていた。
壁際の席に座った40代ほどの男性は、管理局の登録鑑定士証を首から下げている。
窓際で書類を確認している30代の女性は、背中のバッグにクランのエンブレムが付いていた。
入口近くに立っていた真壁と同年代の男性は、胸ポケットに民間鑑定士の識別カードを覗かせている。揃いも揃って、立場の違う面子が並んでいた。
空いていた席に座ると、3人の視線が一度だけ肩口のシオへ動いた。
青緑の殻はこの場では確かに目立つ。
「保護対象の同行許可は取っています」と声をかけると、登録鑑定士の男性が小さく頷いた。
クランの女性は何も言わずに視線を書類へ戻し、入口の男性もシオを気にする様子を残したまま、自分の席に着いた。
全員が揃ってしばらくして、試験官が部屋に入ってきた。
50代の男性で、管理局の上位鑑定部門の腕章をつけている。
「今回は特例審査対象者4名での実施になります。試験は前半の基礎鑑定と後半の応用鑑定で構成されていますが、本日はそのうち基礎鑑定までを行います。後半の応用鑑定は明日以降に別日程でご案内しますので、本日の終了後にお渡しする書面で日時をご確認ください」
手元の書類を確認しながらの淡々とした説明で、試験という改まった空気よりも、確認作業の場に近い印象だった。
◇
基礎鑑定の最初の課題として、長机の上に物件が5点並べられた。
古い魔道具の欠片、劣化した術式布、正体不明の石片、封印の痕跡が残る金属板、そして外見と鑑定結果が一致しないと思われる小物が一点。
雑多に見えて、種類は均等にばらけている。
「制限時間内に、各物件の状態・危険度・推定価値を記録用紙に書き込んでください」
試験官がそう告げて、机の端のタイマーを起動した。
真壁は順番に【鑑定】を向け、出てきた内容を記録用紙に書き写していった。
ふと顔を上げると、隣の席の用紙が視界の端に入った。
危険度の有無、劣化の程度、大まかな価格帯。
書かれているのはそのあたりまでで、項目数自体がそう多くない。
他の受験者の用紙も、見える範囲では似たような分量だった。
自分の用紙に視線を戻すと、術式の構造、素材の由来、正しい取り扱い順、隠れた付加価値の有無まで欄が埋まっている。
外見と鑑定結果が一致しない小物については、外見が意図的に偽装されていることと、その理由になる製造上の経緯まで出てきていた。
書かれている内容自体が、隣のものとは別の段階に入っている。
ひと通り書き終えてペンを置くと、隣の民間鑑定士がこちらの用紙をちらりと見た。
何も言わなかったが、視線は偽装の経緯を書いた欄でしばらく止まっていた。
試験官はテーブルを回りながら用紙を順に確認している。
真壁の前で一瞬だけ動きが止まり、何かを読んでいる様子があったが、結局何も言わずに次の席へ進んでいった。
一通り回り終えると、試験官は部屋の前方に戻り、用紙を脇に抱えたまましばらく間を置いた。
それから顔を上げて、次の指示を出す。
「基礎鑑定の第二課題に移ります」
◇
短い休憩を挟んでから、第二課題に移った。
テーブルの中央に5点の物件が新たに並べられる。
封印の痕跡がある金属箱、術式保存用と思われる小型の容器、布に包まれた何か、結晶状の素材片、そして外見上は何の変哲もない木製の小物入れ。
一見ばらばらに見えて、確かに何かを試そうとしている組み合わせだった。
「この中に、現場で危険と判断して除去すべき物が少なくとも1点、素材または術式として価値のある物が少なくとも1点含まれています。判断根拠とともに分類してください。制限時間は20分です」
試験官が言い終えると、登録鑑定士の男性がすぐに最初の物件へ手を伸ばし、クランの女性は全体を一度眺めてから順に確認し始めた。
民間鑑定士の男性だけは、少し間を置いてから慎重に動き出している。
真壁は5点を一度だけ眺めてから、布に包まれた物件に【鑑定】を向けた。
肩口でシオが小さく身じろぎして、布の方へ向いているのが伝わってくる。
補助として受け取りながら、スキルが先に出した内容の方に目を落とした。
――――――――――――――――――――
封印保持容器(旧式・内圧型)
希少度:B
状態:内部圧力残存(封印維持中)
危険度:高
推定価値:解体後に術式素材として80,000〜120,000円
術式痕:旧式の内圧封印術式が外封印として作用したまま維持されている
備考:外封印の開封順を誤ると内圧が一点に集中し周囲へ干渉する。正しい解除順は外側の刻印から逆時計回りに3段階。外見からの内圧型判断は困難
――――――――――――――――――――
布包みを「危険・要除去」の欄に分類し、解除順と内圧の説明を書き添えた。
手元に視線を戻すと、次に並んでいた木製の小物入れが目に入る。
一見、何の変哲もない外見だった。
【鑑定】を向けると、底面に術式刻印の残滓が薄く残っているのが分かった。
素材として価値のある側に分類できる。
残りの3点も順に【鑑定】を回していく。
金属箱は危険度なしの保管用途のみ、術式容器は使用済みで術式は残っていない、結晶素材は希少度Cの回収素材。
どれも判断に迷う場面はなかった。
ひと通り欄を埋め終えてから顔を上げると、他の受験者はまだ手元の物件と向き合っている途中だった。
◇
20分が経過したところで、試験官が席を回って用紙を順に回収していった。
手元に揃った用紙を、試験官は前方の席に戻ってから一枚ずつ確認していく。
登録鑑定士の男性の欄で一度止まり、クランの女性の欄でもう一度止まった。
真壁の用紙に来たときには、布包みの欄をしばらく読んでいた。
やはり何も言わずに、用紙を脇に挟む。
顔を上げてから、淡々と声をかけてきた。
「応用鑑定については明日以降、別日程で実施します。今日はここまでです」
肩口でシオがわずかに動いて、首元に近い側へ静かに移動する。
鑑定の集中が解けたのに合わせるような動きで、そこで落ち着いた。
真壁は用紙をテーブルに返して、席を立った。
出口に向かいながら、明日以降の応用鑑定のことを考えていた。
本番は封印物と術式保存物の切り分け。
今日見たものより、状態が複雑なものが出てくるはずだった。
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