鑑定士の差
《灰鉄の牙》の倉庫を出たのは午前の遅い時間だった。
午後はもう一件、別の用事が入っていてそのまま回っていた。
部屋に帰り着いたのは夜だった。
携行ケースを開けると、幼体は底で動かなくなっていた。
朝に主箱へ向けたときの光は、もう殻の内側に残っていない。
保護容器に移すと、いつもの位置に殻を預けて静かになった。
スマホを確認すると、鷹坂からのメッセージが2通溜まっていた。
1通目は夕方に届いた資料だった。
術式保存板の写真が数枚と、前に鑑定を依頼した別の鑑定士からの判断書が添付されている。
一通り目を通したが、文面と画像だけでは細部までは見えない。
実物を確認するしかない、と思いながら次のメッセージを開いた。
2通目は少し後に届いた日程の連絡だった。
『資料はご確認いただけたでしょうか。明日の午前はいかがでしょうか。場所は前回と同じ倉庫区画です』
明日の午前に伺います、と返信した。
端末を閉じる前に月次記録を開いた。
今日の現場での反応と取り扱った素材を記入し、状態欄に『環境変化なし・活動低調・反応5回目に向けて同行継続』と書き加えて保存した。
保護容器に目を落とすと、幼体は殻の縁が少しだけ揺れた気がしたが、すぐにまた動かなくなった。
◇
現地は《灰鉄の牙》が前回と同じく使っている倉庫区画で、案内されたのは奥の別の棚だった。
鷹坂が先に封印扉を開けて待っていた。神崎がその脇に立っている。
「おはようございます。続けて来てもらってすみません」
「いえ、ちょうど時間が取れたので」
神崎にも軽く頭を下げると、向こうも会釈で返してきた。
「中、こちらです」
扉の奥に進むと、前回と同じひんやりとした空気が流れていた。
封印物保管のせいか、湿度の落ち着き方も前回と変わらない。
「これです」と鷹坂が奥の棚を開け、中から薄い箱を取り出した。
箱から出されたのは、薄い石板だった。
縦20センチほどで、くすんだ灰色をしている。
表面には劣化した術式線が浅く走っているが、線の多くは色が抜けて途中で途切れていた。
縁のあたりに、消えかけた刻印が辛うじて残っている。
古い形式の保存板であることだけは読み取れたが、術式そのものはほぼ機能していない、廃材に近い見た目だった。
「前に頼んだ鑑定士は、危険物として封印保管送りにした方がいいって判断でした。うちでは触れないままにしていて」
「昨夜いただいた資料に、判断書のコピーも入っていました。『術式残存・不安定・接触による誤作動リスクあり・開封非推奨』ですね」
「はい。それで動かせなくなっていて」
表層を見た判断だ、と真壁には分かった。
間違いではない。しかし浅い。
◇
腰の携行ケースから、硬いものが微かに触れるような短い音が聞こえた。
目を落とすと、合わせ目から青灰色の光が薄く漏れている。
さっきまで底で動かなかった幼体が、殻の内側で光を揺らしていた。
ケースを開けて両手に乗せると、幼体はゆっくりと頭を石板の方向へ向け、そのまま静止した。
殻の光は、夜に保護容器で見たときの比ではない強さで滲んでいる。
昨日の保管庫で主箱に向けたときと同じ反応だ。
真壁は石板の前に立ち、【鑑定】を向けた。
――――――――――――――――――――
術式保存板(二層式封印物)
希少度:B
状態:外層機能停止(偽装層として設計)/内層術式保全(維持中)
構造:外層は意図的に劣化を装う偽装層。内層に本来の保存術式が残存
内容:未劣化保存素材×2・封印補助片×1
推定価値:18万〜24万円(処理精度による)
開封条件:外層表面の劣化術式剥離→偽装層の物理除去→内層術式の封印解除の順。
順序を誤ると内層が熱崩壊する
備考:外層のみを根拠に危険物と判断した場合、内層の存在を見落とす設計になっている
――――――――――――――――――――
「危険物ではないです。上に偽装層が乗っていて、下に本命の術式が残っています。開け方を間違えると壊れますが、手順を守れば取り出せます」
鷹坂と神崎の間に少し間があった。
「偽装層、というのは?」
「外側を死んで見せることで、内側を守る構造です。前の鑑定士の判断は外層を見た結果なので、それ自体は正しい。ただ、その下まで見えていなかった」
鷹坂が石板を見た。
「それ、開けられますか」
「はい。鑑定で手順は出ています。順序を守れば中身は無事です」
鷹坂が神崎に視線を向けた。神崎が無言で頷く。
「ではお願いします。判断はお任せします」
「分かりました」と返し、幼体を携行ケースに戻して蓋を閉じた。
両手が空いたところで、石板の前に屈み込んだ。
◇
鑑定が示した手順通りに、外層表面の劣化術式を端から剥がしていくと、乾いた粉末がぱらぱらと落ちていった。
線を一本ずつ取り去り、表面の術式を完全に消し終えたところで、下に残った偽装層を物理的に剥がしにかかる。
膜状の薄い層で、正しい角度から力をかけると音もなく外れ、内側に別の質感の面が顔を出した。
残るのは内層の封印解除だ。
位置と順序は鑑定で示されている。
順番通りに触れていくと、3箇所目で板の端がわずかに浮いた。
ゆっくり持ち上げると、中から保存容器が2つ並んで出てきた。
それぞれに未劣化の保存素材が収まっている。
封印補助片は板の内壁に貼り付いていて、容器とは別に剥がして取り出した。
個別に鑑定すると、合計で20万円前後の値が出た。
「中身が出ました。合計で20万前後です」
鷹坂が手元の端末に数字を打ち込んでから、保存容器を一つ手に取って軽く傾けた。
中の素材は劣化の気配もなく、透明な壁越しにきれいな結晶面が見える。
「正直、ここまで残っているとは思っていませんでした」
神崎が剥がした偽装層の薄い膜と、新しく現れた内層の面を順に見比べてから、視線をこちらに戻した。
「前の人は危ないで止めた。真壁さんはどう危ないかと、どう開くかまで分かる。その差ですね」
「止めた判断は正しいと思います。手順が分からない状態で開けていたら、中身は破損してましたし」
神崎が短く頷いて、保存容器を回収用のトレイに収め直した。
鷹坂が確認書を取り出し、項目欄に処理内容と回収素材の内訳を順に書き入れていく。
署名欄に名前を記して日付を入れると、控えが一枚こちらに渡された。
書類をバッグに収めながら、携行ケースの位置を一度確かめた。
中の幼体は静かにしている。
「助かりました。今回みたいに別の鑑定士で止まっている案件、実はうちにあと何件か残っていまして。もし封印絡みが出たら、また連絡してもいいですか」
「もちろんです。資料を先に送ってもらえれば、こちらで状態を見てから日程を相談します」
「ありがとうございます」
鷹坂が軽く頭を下げた。
神崎にも会釈をして、扉の方へ向かった。
◇
倉庫区画の扉を抜けて通路に出ると、外気の温度が一段戻ってきた。
封印保管区画の冷えた空気が背中から薄く引いていく。
歩きながらスマホを取り出して通知を確認すると、浅田からのメッセージが1通届いていた。
送信時刻は鑑定の最中だったらしい。
『先週回収された押収品の中に、以前と同系統の術式痕を持つ護符がありました。真壁さんの鑑定記録と照合させてほしいのですが、近いうちに一度見ていただくことは可能ですか』
文面を最後まで目で追ってから、以前と同系統、という一行にもう一度視線を戻した。
先月から浅田と何度かやり取りしている、汚染絡みの術式痕のことで間違いない。
鑑定記録の照合まで打診してくる以上、向こうも同じ系統と見ている気配がある。
今日の案件はここで一段落する。
次はその護符を見ることになる。
封印物とはまた別の重さがある仕事だ、と思いながら携行ケースに目を落とした。
幼体は中で身じろぎ一つせず、殻の光も底に沈んでいる。
さっき石板の前で揺れていた強さは、もう残っていなかった。
浅田への返信を打った。
日程の候補を二つ挙げて『可能なら現物の写真を先に送ってもらえると助かる』と添えて送信する。
スマホを上着のポケットに戻し、地上へ上がる階段に向かって通路を歩き出した。
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