HARDモード(後編)
言ってしまった。
いや、待てよ。
冷静に考えると俺は「あ」は言ってない。
となると…ギリセーフか。
アウト寄りのセーフ、そう見た。
『あうと』
実況者と奥村が、ほぼ同時にこちらを見る。
「な、何ですか?」
「何か見つけてしまいましたか?」
「……いや、咳き込んだだけです。ここ最近喉の調子が悪くて…」
実況者が眉を寄せる。
「本番前は普通にしてましたけど。…本当に?」
「ええ、本当です」
コメント欄が勢いよく流れた。
『今おん?って言った』
『事故配信者の本領発揮』
『これを見に来た』
『新しいパターンだな』
『咳き込み方が独特すぎる』
『何か見えたな』
『公式配信でも通常運転』
『さすが俺たちの真壁っ!』
『そこにシビれる!あこがれるゥ!』
俺は何も見ていない、そう、何も知らない顔をした。
だが、俺の本能が告げていた。
……たぶん、今回も失敗している…。
そのとき、右耳のイヤホンから相馬の声が入った。
『真壁さん』
俺はモニターを見たまま、返事はしない。
『危ない反応が見えました? 見えたのなら、軽くシオを触ってください』
俺は数秒、配信ブースのガラス越しに相馬を見た。
相馬は真顔だった。
俺は足元の台にいるシオへ手を伸ばし、殻を軽く撫でた。
『じはく おつ』
シオが皮肉めいた反応をする。
それと同じく、配信調整室側がやっぱりざわついた。
ガラス越しに、スタッフの何人かがこちらを見ている。
相馬が口だけで、やっぱり、と呟いた。
『皆さん、慌てないでください』
相馬の声が、イヤホンの向こうで少し強くなる。
『こんなの真壁配信では序の口です。慌てたら負けです』
…コイツは何を言っているんだ。
実況者は、目の前の競技へ意識を戻した。
「さあ、第一走者がスタートしました。まずは第一分岐です」
奥村もすぐに続ける。
「初動はいいですね。先頭のタンク役が床の反応を見て、右ではなく左を選びました」
相馬がタイミングを見て、指示を出す。
『真壁さん、いったんブースを離れるよう準備します。内容としては機材確認という名目で一時離席ということにします。画面では実況と奥村さん二人のみを既に抜いています。出るタイミングはこちらから指示します。実況と奥村さんもそれで対応お願いします』
3人は小さく頷いた。
カンペには俺に対して【離席OK】の指示が出る。
俺は2人に視線だけ送り、そのまま離席する。
実況者はそのまま解説を進めている。
俺は椅子から立ち、スタッフに案内されて配信ブースを出た。
配信画面は、競技映像と実況・奥村の二画面構成に切り替わっていた。
◇
配信調整室に入ると、相馬と支援チーム、運営スタッフが一斉にこちらを見た。
名取も壁際に立っている。
さっきまでの笑顔は消えていないが、目だけは真面目だった。
「早速ですが真壁さん、何が見えましたか」
相馬が先に聞いた。
俺はモニターを指さした。
「ダンジョンの設定が今変わりました」
「……は?」
調整室の何人かが同時に言った。
名取が少し目を輝かせる。
「これがあの、伝説の『は?』、かぁ。やば。生で見ちゃった…」
俺が振り向いて名取を睨むと、「あ、聞こえてました?」と悪びれもなく舌を出して笑う。
支援チームの担当者が、名取へ鋭い目を向けた。
「何を満足そうに見ているんですか」
「すみません。少し感動していました」
「この程度で感動していたらキリがないですよ」
その言葉に思わず俺は「えっ?」と呟く。
それと同時に相馬が机に手を置いた。
「真壁さん、分かりやすく説明してください」
「正直言って、俺にもよく意味は分かっていません。ただ、競技用コースの鑑定が勝手に通りました」
「それは…その、画面越しに鑑定を通した、そういうことですか?」
「はい。画面越しです。俺が鑑定をかけたわけでもないのに、文字が出ました」
相馬の顔が固まる。
それと同時に支援チームも黙った。
俺はかまわず続けた。
「どうも、ダンジョンの難易度が変わったみたいです。俺の鑑定には、HARDモードと出ています」
「「「「は?」」」」
今度は、全員が完璧なタイミングで口を揃えた。
名取が胸の前で拳を握る。
「私も、あの伝説の『は?』、が自然と出ました!」
「…そこに感動しないでください」
相馬はすぐに端末を操作する。
「競技責任者と連盟側に確認しましょう。真壁さんはいったんブースへ戻ってください。こちらで確認を回します」
「戻って大丈夫ですか」
「配信を止める判断は、こちらだけではできません。何よりも優先すべきは競技進行です。ただし、何か見えても勝手に言わないでください」
「分かっています」
『ふらぐ たった』
シオが触手で俺の袖を軽く叩いた。
「……スマホを渡してから更に進化している…」
俺の言葉にシオは得意げに殻の中から、シオ専用のスマホを出して見せびらかす。
「シオちゃんがスマホを持っている!!!」
名取だけでなく周囲の人間も驚いている。
相馬ですら、「最近は子供だけでなく、シオも持つ時代か…」と頷きながら呟いた。
俺は何も言わずに配信席へ戻った。
◇
だが、既に競技映像内から、明らかに何かが起きたと思われる状況を映し出していた。
第一走者のチームが、第三区画の手前で足を止めている。
罠を避けたはずの床が、二段階で作動したらしい。
次のチームも、同じ区画で速度を落とした。
さらに次のチームは、疑似魔物の反応速度に対応しきれず、判定上の被弾を取られた。
アタック失敗が続く。
実況者が、表情を崩さないようにしながら言った。
「ここまで、各チームが予想以上に苦戦しています。奥村さん、何があったのでしょうか」
奥村はモニターを見つめている。
「難しいポイントではないと思います。もちろん油断できる場所ではありませんが、代表チームがここまで連続して足を止める区画ではないですね」
「魔力霧の影響が出ている可能性はありますか」
「映像上は、そこまで強く見えません。ただ、選手の反応を見ると、索敵側の負荷がかなり高そうです」
実況者が、こちらを見る。
「真壁さん、何か見えたりしませんか?」
冗談めいた言い方だった。
俺は笑った。
「え? あはは。流石にモニターからだと何も分かりませんよ、はい」
言った瞬間、自分でも不自然だと分かった。
コメント欄が爆発した。
『知ってる』
『絶対知ってる』
『おまわりさん、この人知ってます』
『顔に出すぎ』
『真壁に嘘は隠せない。これ豆ね』
『事故配信者、隠すの下手』
『俺でなきゃ見逃しちゃうね』
コメント欄を見てしまった状況と奥村は、僅かだが言葉が止まる。
実況者も一瞬だけ言葉に詰まる。
コメント欄はこの違和感を拾ってしまい、完全に祭りになった。
『確定演出きた』
『この2人ですらどん引いているぞ』
『事故配信確定は草』
『WEG初日からこれか』
『真壁さんを公式に呼んだ時点でこうなる』
『むしろWEG東京は事故配信を望んでいる節さえあるぞ』
そのとき、右耳のイヤホンに相馬の声が入った。
『三人に連絡します。今、競技責任者から真壁さんに来てほしいと依頼が来ました』
実況者と奥村のイヤホンにも同じ指示が入ったらしい。
実況者の頬が少しだけ引きつった。
『真壁さんはいったん離席。実況と奥村さんでつないでください。映像は2人体制へ切り替えます』
実況者と奥村が、一瞬だけ見合わせる。
二人とも、笑顔を取り繕った。
「ええ、では真壁さんは機材不調のため、いったん席を外します。またすぐに戻ってきますので皆さん、ご安心ください」
「競技のほうは、引き続きこちらで見ていきましょう」
配信画面が、3人のブース映像から2人の画面へ切り替わる。
あまりにもわかりやすいその変化に、コメント欄はすぐ気づいた。
『あーあ』
『真壁さん招集かかったぞ』
『ようやく本番か』
『競技よりこっちが本編になってる』
『これが生きる事故配信者の実力か』
『公式配信で呼び出される男』
『むしろこっちを実況配信しようよ』
俺は椅子から立った。
シオが足元の台から触手を伸ばす。
『ふらぐ かいしゅう』
「フラグじゃないし、回収もしないぞ」
そう言って俺はシオに手を伸ばし、肩の上に乗せた。
『いくぞ』
「……おう」
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