HARDモード(前編)
名取芽衣は、名乗り終えた後も俺ではなくシオを見ていた。
その視線に気付いているのか、シオが小さく殻を揺らす。
シオは最近この手のサービスを意図的にし始めた気がする。
そして、これをやられた人の反応はだいたい決まっていた。
想像通り、名取はそれを見た瞬間、ぱっと表情を明るくした。
「……本物のシオちゃんだ」
『くるしゅうない』
「……よろしく、とシオが言ってます」
俺がそう通訳すると、名取は両手を胸の前で軽く握った。
「動画ではシオちゃんを見たことあるんですけど、生シオちゃんはこう、尊い、そんな感じがします!」
初見での感想だが、よく笑い、人懐っこさもある。
愛想は抜群だった。
「この人、最近流行りのシオ信者だな……」
『しおしんじゃ』
シオは満足そうに殻を光らせた。
「親である真壁さんに認定されたみたいで光栄です!」
「認定制度はありません」
支援チームの担当者が、苦笑しながら説明を挟んだ。
「名取さんには、今日から護衛チームと連携して、WEG東京が終わるまでは我々と共に帯同してもらう予定です」
「ということで、よろしくお願いします!」
名取が元気よく頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
俺も頭を下げた。
シオも触手を一本だけ上げる。
『よろしく』
「はい。よろしくお願いします、シオちゃん」
名取はもう一度笑った。
それで挨拶は一区切りとなった。
そこへ相馬が控室の入口から顔を出す。
「真壁さん、そろそろお願いします」
「あ、はい」
「今日は本番前に諸々の確認もあります。ブースへ移動しましょう」
俺は資料を持ち直した。
シオは肩の上でいつもの姿勢を取る。
名取は自然に俺の斜め後ろへ入った。
護衛チームの一人が軽く頷き、支援チームの担当者が端末で移動開始を伝える。
そのまま俺たちは配信ブースへ向かった。
◇
午後の公式配信枠は、踏破部門。
《迷宮踏破・階層降下タイムアタック》
競技用に調整された東京ダンジョン・有明臨海ゲートの専用コースを、各国代表チームが順番に攻略する。
到達時間だけでなく、罠の処理、疑似魔物への対応、隊列の維持、安全判断も評価対象になる。
配信ブースには、三つの席と、小さな専用台座が用意されていた。
配信画面で向かって左から、実況、競技解説者、シオ用の台座、俺の順に並ぶ形だ。
俺の席には、手元資料、競技コースの簡易図、選手名簿、非公開情報の取り扱い注意が置かれている。
右耳には、配信ディレクター直通のイヤホンを付けられた。
相馬の声が、耳元で小さく聞こえる。
『真壁さん、聞こえますか』
「聞こえます」
『本番中、危ないと思ったらこちらから止めます。逆に、何か見えてもいきなり口に出さないでください』
「努力します」
『努力ではなく、確実に実行でお願いします。いいですね? 確実に、実行、です』
「………はい」
「復唱してください。確実に、実行、します」
「…確実に、実行します…」
隣の実況者が笑った。
「あはは! 真壁さん、今日は『あ』は無しでお願いしますね」
競技解説者も笑いをこらえている。
「それ、もう完全にフリですよね」
「いえいえ。公式配信ですから、事故は困ります」
待機画面のコメント欄は、配信開始時刻が近づいたせいか、一気に流れ始めた。
『待機』
『踏破部門きた』
『真壁さん解説ってマジ?』
『シオ映るかな』
『公式配信だから今日は平和だよな』
『今日は踏破部門(事故配信)だから大丈夫』
『おいおい。生きる事故配信者を舐めるなよ』
『真壁さんならきっとやる(確信)』
『生きる事故配信者に格上げされてるwww』
『安心、安定の真壁配信だからなぁ』
『安心(して事故配信)、安定(した事故配信)とは…』
俺は画面の端に流れるコメントを見なかったことにした。
あらためて横を見ると、奥村と俺の間に置かれた台座の上に、シオがちょこんと座っていた。
高さは約120センチで、俺たちの机とほぼ合っている。
花瓶台に似た細い台座だが、天板には滑り止めが敷かれ、足元はしっかり固定されていた。
「……シオの席ができているんですが」
実況者が笑顔のまま頷いた。
「はい。画面上は、私、奥村さん、シオちゃん、真壁さんの順です」
競技解説者の奥村も、妙に真面目な顔で続けた。
「公式配信ですから、出演者の席は必要です」
『しおのせき』
「………大人しくしておくんだぞ」
『りょう あ だめ』
「……そういうことは覚えなくていいんだぞ」
そんなやり取りをしつつ、配信時間が迫ってくる。
実況者が前を向き、周囲に合図を送る。
そしてカウントが入り、配信が始まった。
◇
「皆さん、こんにちは。WEG東京、踏破部門、迷宮踏破・階層降下タイムアタック午後セッションをお届けします」
実況者の声が、明るく会場へ響いた。
「本日は、公式実況の私、競技解説の奥村さん、特別鑑定解説員の真壁遼さんでお送りします」
「よろしくお願いします」
競技解説者の奥村が頷く。
「本日は踏破部門の見どころを、できるだけ分かりやすくお伝えします」
実況者が、画面中央の少し右へ視線を移した。
「そして本日は、シオちゃんにも専用台座で同席してもらっています」
シオが台座の上で、短い触手を一本だけ上げた。
俺も頭を下げた。
『シオ席あるwww』
『専用台座!?』
『画面の並びが実況、解説、シオ、真壁さんなの?!』
『シオちゃん出演者じゃん』
『触手上げた!』
『公式がシオ席を用意してるの草』
『まさかの神回っ!!』
『尊すぎてやばい。。。』
『今日は競技を見に来たはずなのにもう満足した』
実況者は慣れた様子で説明を続けた。
「今回の競技は、指定階層までの到達時間を競います。ただし、速ければいいというものではありません。安全判断、罠処理、疑似魔物への対応も評価対象です」
奥村が引き取る。
「この競技はコーステーマが設定されており、DAY1最初のセッションは『基礎技能』です。探索者における共通の技能を中心に評価されるコースとなっています。このコースは、WEG用にかなり念入りに調整されていますが、全体の難易度としては低難度、となっています。ですが午前中のセッションでは結果を十分に出せていないチームも多く、初日の基礎セッションとはいえ、入りがかなり重要といえます」
俺はモニターを見た。
競技用カメラが、第一走者のチームを追っている。
選手たちはスタートゲートの前で待機し、審判の合図を待っていた。
映像には、ダンジョンの入口、床面に埋め込まれた競技用センサー、壁沿いの観測魔道具が映っている。
俺は鑑定をかけていない。
何かを見ようともしていない。
そもそも画面越しで鑑定が出来たこともない。
俺の鑑定は本物をその目で見ないと、そもそもが発動することはなかった。
そう、今までは。
画面の上に、文字が重なった。
――――――――――――――――――――
名称:東京ダンジョン・有明臨海ゲート
対象:WEG競技用コース
状態:競技設定変更中
現在設定:HARDモード
差分:罠作動条件、疑似魔物反応速度、魔力霧濃度、階層接続補正
備考:通常競技設定からの変更が現在進行中。
――――――――――――――――――――
「おん?」
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