思惑
窓のない部屋だった。
壁は石造りで1ミリの隙間もない程に正確に組まれている。
部屋の中央には、長い黒机が置かれてあった。
机の上には紙の資料がない。
代わりに、薄い板状の魔道具が十二枚置かれていた。
そのうち三枚だけが光っている。
板の表面には、大阪、東京、有明の地図がそれぞれ浮かんでいた。
どれも、日本の地名だった。
「報告を」
部屋の奥に座るHagalazが言った。
黒い祭服の胸元で、銀の十字が鈍く光っている。
痩せた指が机の端に置かれ、低くよく通る声だけが部屋に届く。
組織の者は、彼を神父と呼ぶ。
Hagalazの視線を受け、仮面の報告役が一歩前へ出た。
声も、魔道具で少し変えてある。
「ダンジョン万国博覧会での作戦は、都市侵食に失敗しました。中央フレーム上のコアは制御を奪われ、最終的には非活性化されています」
机上の一枚に、夢洲の構造図と術式記録が開いた。
巨大なリングの内側に、ダンジョンコアを設置していたフレームが赤く示されている。
周囲には、制御を奪われた時間帯と非活性化された時刻が並んでいた。
表示はすぐに切り替わる。
今度は真壁遼が映った。
「コアの異常を読み、解除手順を決めたのは真壁遼です。国内特級相当の鑑定士と見られています。八咫烏、桐野シエル、複数の上位探索者が現場にいましたが、最初に危険箇所を指摘し、停止までの道筋を作ったのは、ほぼこの男です」
別の女が、小さく舌打ちした。
「鑑定士1人に、何度邪魔されている」
Hagalazは何も言わなかった。
報告役は続ける。
「ダン博後、WEG東京側の警戒は上がっています。日本政府、ダンジョン庁、警察庁、AIC、WEG組織委員会が連携して明らかに我々に対する警戒度を高めている状況であります」
机上の東京の表示が拡大された。
有明WEGセンターの立体図が開き、配信設備調整オフィス、AIC鑑定室、選手管理区画に赤い印がついた。
「リンクプリズム中継核の仕込みは露見しました。外周部の整流痕、除去済み領域の補助層、使用者記録の偽装。すべて真壁遼に見抜かれています」
報告役は、次の表示へ切り替えた。
人物名の一覧が縦に並び、その横に照会済み、隔離済み、権限停止、判定保留の札がついていた。
「WEG有明内部に入れていた偽装者についても、部局ごと洗い出されました。総候補103件。うち、我々の潜入工作員と判断されたものが11件前後。回収不能です」
部屋の空気が少し変わった。
「放送機材方面は」
別の男が聞いた。
「実質的に使えません。リンクプリズム中継核の再構築記録をかなり入念に調査されています。配信設備仕様、国際放送連携資料、中継用魔道具資料への接触履歴も保全されています」
「つまり、潰れたと」
「はい」
短い返事だった。
女が椅子の背にもたれた。
「では、あの鑑定士を消すしかないでしょう」
初めて、Hagalazが視線を動かした。
女は気にする素振りも無く続けた。
「真壁遼は危険です。配信設備の異常を見抜き、偽装者を洗い出し、魂魄術式の痕跡まで言い当てる。あれはもう鑑定士ではありません。明確に我々の敵であります」
女は周囲に視線を動かす。
「開幕前なら事故にできる」
別の男が言った。
「ふむ。会場移動中など手はいくらでもある。ついでにあのペットも同時に処理すればいい」
Hagalazの視線が宙に止まった。
その時、会議室の温度がほんの少し下がったように感じた。
女はそれに気づき、横目でちらりと伺う。
それに対して男は気づいた素振りはない。
「落ち着きなさい」
Hagalazが言った。
声は荒くなく、怒りも込められてはいない。
自制を求めるかのようないいっぷりだった。
Hagalazは机上の映像を見た。
公式番組の明るい照明の下で、真壁遼がシオを肩に乗せ、周囲のスタッフと話している。
「殺すことは、いつでもできます」
誰も返事をしなかった。
「ですが、失えば二度と手に入りません」
女が眉をひそめる。
「……それは、つまり、こちらに引き込む、と?」
「ええ」
Hagalazはうなずいた。
「真壁遼は、そこらにいる通常の鑑定士ではありません。彼はあらゆる万物の根源を見抜いてきます。そしてそれを適切に抽出して、望む結果を見る目を持っています」
「…だから危険だと私は…」
「危険です」
Hagalazは、そこで一度言葉を切った。
「だが、一方で、推し量ることのできない価値があります」
机上の表示が変わる。
表示には、リンクプリズム、中継核、放送同期術式、ノイズ除去術式、汚染核、除去後の整流痕が順に並んだ。
それらは、本来ならば複数の専門家が時間をかけて調べるものだった。
真壁は、その場で見抜いた。
「この先100年待って、あのレベルの観測者が現れる保証はありません」
Hagalazは静かに、そして問いかけるように言う。
「この世には破壊するより、引き入れた方が何倍も得るものがある」
その言葉に男と女はお互いに視線を送り合った。
「……引き入れられると?」
「今すぐとは言っていません」
「…時間をかける、というのですか?」
「本人周辺の警備はかなり厳重です。ダンジョン庁、AIC、政府、WEG東京が周囲を念入りに固めています。確かに殺すことは出来るのかもしれません。ですが、それと引き換えに、我々も相当なものを失うことになるでしょう」
女は黙った。
Hagalazは、指先で机を一度だけ叩いた。
映像が止まる。
「まず知るべきは、彼に何が見えているのかです。彼がどこまで見えるのか。それを見ずに殺すのは、我々にとって大損です」
「……では、処理は保留ですか」
「ええ、今は、です」
それ以上、誰も反論しなかった。
Hagalazは、WB十二席の第三席だった。
十二席とは、組織の戦略、資金、術式開発、現地工作、信仰、各国潜入網を握る十二人の最高幹部を指す。
Hagalazは、その三番目に名を置いている。
現場に出たこと自体が異例だった。
そして彼が「保留」と言えば、保留になる。
報告役が、次の資料を開いた。
「WEG東京計画についてです」
机上に、東京の地図が出る。
有明を中心に、競技施設、選手村、配信スタジオ、国際連盟本部へ細い線が伸びた。
「当初計画は、ダン博後の信用低下を利用するものでした。大阪で日本の国際イベント安全神話を壊す。そのうえで、東京の世界探索者競技大会を開催させる」
「中止されれば?」
「日本は大型国際大会を維持できなかった国になる」
「開催されれば?」
「安全対策を強化したはずの大会で、もう一度失敗させる」
報告役は淡々と言った。
「どちらの結果であっても、日本の信用は傷つきます」
Hagalazは、目を伏せた。
「放送方面は失いました」
「はい。リンクプリズム、中継核、配信設備側の連動は使えません。真壁遼に見破られています」
「選手監査は」
「強化されています。真壁遼がDOP、医療監査、装備監査、競技判定の合同鑑定アドバイザーに入りました。ここ一週間で、複数の違反と申告漏れを指摘しています」
「くくく。彼らしい」
Hagalazは、少しだけ笑った。
「では、WEG東京計画は中止ですか」
報告役が聞いた。
部屋の全員が、Hagalazを見た。
Hagalazは首を横に振る。
「放送の方は、見破られました」
そこで、机上の放送機材資料が消えた。
残ったのは、東京の地図だけだった。
Hagalazは、地図の一点に指を置く。
「ですが、もう一つはまだ見破られていません」
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