危ない橋は渡らない
バルトリア代表の公式練習が止まってから、3日が過ぎた。
WEG開幕までは、まだ4週間ほどある。
だが、東京湾岸の代表チーム用ホテルでは、もう本番と同じくらいの警戒態勢が敷かれていた。
米国代表チームのオフィスは、ホテルの会議室を3つつなげて作られている。
壁際には装備ケースが並び、中央のテーブルには競技別の資料が積まれていた。
大型モニターには、WEG東京公式チャンネルの配信アーカイブではなく、各国メディアが報じているニュース映像が映っている。
そこに出ているのは、日本人の鑑定士だった。
真壁遼。
公式配信中に、バルトリア代表13番の未申請反応を拾った男。
モニター下の字幕には、英語でこう出ている。
『Japanese Appraiser Flags Unauthorized Enhancement』
>日本人鑑定士、規定外強化を検出。
続けて、バルトリア代表13番が暫定出場停止になった、という速報が流れる。
正式な資格剥奪ではない。
検体確認、魔力ログ照合、装備監査を経た上で、最終判定が出る。
だが、開幕前のこの時期にチーム練習から外されるだけで、競技者としてはほとんど致命傷だった。
「……鑑定士が見ただけで、出場資格を止めたのか?」
低い声でそう言ったのは、ローガン・ブレイクだった。
世界最強クラン【Stars and Stripes】で世界的にも大スターと言える探索者。
重火力系のガジェット運用を得意とし、前回大会では三種目で金メダルを取っている。
競技を見ない層でも、名前だけは知っている。
装備メーカーの広告、ダンジョン映画の監修など、米国では彼の顔を一度も見たことがない人間を探す方が難しい。
そのローガンが、モニターを見たまま難しい顔を見せている。
「マーカス。本当にできるのか、こんなこと」
呼ばれた男は、テーブルの端に座っていた。
マーカス・リード。
米国代表チームのヘッドであり、【Stars and Stripes】の遠征運営を束ねる責任者だ。
現役時代は索敵職だったが、今は選手の状態、競技規定、スポンサー契約、医療班、装備班を管理する側に回っている。
マーカスは、困ったように笑った。
「普通は無理だろ」
「だよな」
「だから今まで、みんな当たり前みたいにやってたわけで」
会議室が少しだけ静かになる。
誰も、声を上げて否定しなかった。
競技に使える補助は、国際規定で細かく分かれている。
筋力強化、反応速度補助、呼吸安定薬、魔力循環安定薬。
申請して、上限値を守り、競技別に認められれば使用できる。
それ自体は不正ではない。
むしろ、探索者競技では前提に近い。
だが、今回は今まで半ば黙認されてきた隙間を塞がれたことだった。
魔法バフだけでは禁止値に届かない。
補助薬だけでも検査に引っかからない。
魔道具の出力も申請範囲内に収まっている。
しかしこの3つをとあるタイミングで噛み合わせると、競技動作の一瞬だけ反応速度が跳ねる。
その一瞬を事前の検査だけで見抜くのは、難しい。
いや、ほぼ不可能なことであった。
「バルトリアの件、何がまずかったんだ?」
ローガンが聞く。
マーカスはそれを聞き、今回の詳細が記されてあるファイルをクリックした。
「出ている情報だけで言えば、神経伝達促進系だな。筋力強化バフの出力上昇に合わせて、薬物反応が乗っている。持続時間は短い。練習後の検査だと、濃度だけ見ればたぶん言い逃れできる」
「それを拾った?」
「ああ。しかも配信中に」
「……それは…タイミングとしても最悪だな」
「その通り。超最悪だ」
マーカスは、別の資料をノートパソコンで開く。
そこには米国代表チームの補助運用計画が並んでいる。
その中の一つに、とある企業名が記載されていた。
ノーススター・アーク社。
米国最大級の魔導工学企業であり、今回の米国代表をバックアップするスポンサーの一つだ。
装備補助、疲労管理、魔力循環計測、競技用ガジェットの調整まで領域を広げている。
「朝、ノーススターから連絡があった」
マーカスが言うと、ローガンは目を細めた。
「やめたいって?」
「逆だ。予定どおり使っていいかって確認してきた」
ローガンは少し驚いた表情を見せた後、短く息を吐いた。
「この映像を見た後で?」
「だから確認してきたんだろうな。向こうも動揺している。バルトリアが引っかかった反応は、たぶん古いタイプじゃない。かなり新しい。検査逃れというより、検査項目の分け方を利用している」
「うちのと近い?」
マーカスは、すぐには答えなかった。
その沈黙だけで、十分だった。
「…かなり近いんだな」
「方式は違う。うちは薬物はあくまでも補助だ。魔道具側で反応を調整するタイプで、数値も検査のタイミング時にしっかりと規定内に収まるようになっている」
「しかし、やってる最中にみられたらどうなる?」
「そこが問題だ」
マーカスは、モニターを一度だけ見た。
ニュース映像の中で、真壁が何かに気づいた顔をしている。
表情だけ見れば、本人も困っているように見えた。
「俺は、今回はたまたまだと思ってる」
マーカスは、そう言った。
「公式配信で、たまたま救助競技の練習を見て、たまたまバルトリアの13番が動いて、たまたま口にした。あの鑑定士が全チームを順番に見るわけじゃない。そこまでやる時間も権限もない」
ローガンは、黙って聞いている。
「だから予定どおりでいい。規定上、こちらは申請を通している。検査値も守る。ノーススターの補助は、去年から試験してきた。ここで外す方がリスクだ」
「やめよう」
ローガンが即決気味に言った。
会議室の空気が即座に凍る。
マーカスは、目だけでローガンを見た。
「理由を聞かせてくれ」
「勘」
「……ローガン」
「悪い。理屈じゃない」
ローガンは、椅子の背にもたれた。
大柄な体が、会議室のオレンジ照明の下で影を作る。
「俺は競技で何度も勝ってきた。ダンジョンでも何度も生き残ってきた。そんな俺が、これはヤバいなって感じる時は、だいたい最初に分かる。今は、その感じがする」
「日本人の鑑定士1人に、そこまで?」
「1人だから嫌なんだよ」
ローガンは、モニターを指した。
「大きな検査機関なら対策できる。規定表ならその裏を抜ければいいだろう。検査項目なら余裕で避けられる。だが、あの男は表層だけを見ている感じじゃない。動いている選手を見て、その場で瞬時に見抜いた」
「魔道具鑑定士だろ」
「ダン博の記録を見たか?」
マーカスは口を閉じた。
もちろん見ている。
米国パビリオン関係者からも、報告は上がっている。
真壁遼は、魔道具だけを見る鑑定士ではない。
ダンジョンコア、アンデッド・グランドドラゴン、放送連携魔道具、そして今回の選手反応。
対象が違っても、関連しているものを拾ってくる。
普通の鑑定士は得意領域が決まっていて、その中で鑑定スキルを活かしていく。
だがあの男…真壁は、それが一切感じられない。
例えて言うなら鑑定士の中でも、オールマイティに見れるタイプと言えばいいのか。
「あの男に見られる可能性が1パーセントでもあるなら、俺はやらない」
ローガンはそう、言い切る。
「俺は金メダルが欲しい。だが、失格になってスポンサーに泥を塗る広告塔になる気はない」
「まだ何もきまってないんだぞ?」
「……俺は俺のイメージを守る」
何人かが、小さく笑った。
そこでようやく、会議室に呼吸が戻る。
マーカスは、しばらく黙っていた。
テーブルの上のスマホが、短く震える。
ノーススター・アーク社からの追加メッセージだ。
《予定どおり使用する場合のリスク承認。》
《使用を取りやめる場合の補助装備再調整。》
《どちらの選択でも、6時間以内に返答が必要。》
マーカスは、端末を手に取った。
「ノーススターに連絡する」
ローガンは何も言わない。
マーカスは通話をつなぎ、相手が出るのを待った。
「マーカスだ。補助パッケージの件だが、今回の使用は見送る」
相手の声は、会議室には聞こえない。
だが、マーカスの顔が少しだけ険しくなった。
「分かっている。競技成績に影響は出る。だが、危ない橋は渡らない。通常申請済みの範囲で再調整しろ。薬物同期系、神経反応系、動作一瞬だけを狙う補助は全部外す」
ローガンが、ほんの少しだけ目を伏せる。
「そうだ。真壁遼に見られる可能性がある。理由はそれで十分だ」
マーカスは通話を切った。
何人かが端末を開き、補助計画の修正を始める。
米国代表チームは、安全策に切り替えた。
その決定は、まだ外には出ていない。
だが、国際大会の代表チーム同士で、最後まで隠せる話でもなかった。
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