19.こゆるぎさんはおちつきたい③
こゆるぎさんはおちつきたい③
「ねむ……」
窓の外の見慣れた光景が、素早く去っていく。
電車に揺られながら、凪沙はこらえきれない欠伸を手で押さえた。
昨夜は結局、最後まで番組を視聴してしまった。三時間は長かったが充実していて、目を離せなかった。
興奮冷めやらぬまま、日付が変わって暫く経ってから寝付いたので、寝不足だ。
早く寝なければ、と思いながらついつい止められなかった。社会人失格かもしれない。
(推しが尊すぎてつい……)
二度目の欠伸を噛み殺し、同じ電車で楽しげに話をしている高校生位の少女達を遠目に見て思う。
(十代の体力ほしいな……)
昔は一晩くらい夜更かししても平気だったのに。
推し活しながら受験勉強をしていた頃は無敵だった。変にハイになりながら英単語を覚えていた頃が懐かしい。
普段ならまだ大丈夫なのに、多忙だと如実に体に現れる。
年を取りました、といつぞやぼやいたら、
「まだ二十代なのに何言ってるの。アラサーになったらもっと大変よ」
と先輩に言われたことを思い出した。体力不足で推し活が全く出来ない未来……ぞっとする。
――推しの為に、筋トレすべきだろうか。
心の栄養は満タンだが、体がついていかない。
ジム通いを検討すべきな気がする。
ガタンガタン、と単調な列車の音。
混んできた車内は、人々の気配やざわめきすら眠気を誘う。
運良く座席に座れたのはいいけれど、ともすれば睡魔に襲われて、うっかり寝過ごしてしまいそうだ。
少しだけ、と寝て起きれる自信がない。
ごそごそ取り出したワイヤレスイヤホンを装着して、携帯で動画配信アプリを開く。
『S:ync九周年記念特番』
その文字を見るとついタップしてしまった。
既に公式の切り抜き再配信や、ファンのまとめ動画が上がっていて、昨夜見たばかりだけれど、何度も見返したくなる。
昨日の特番の内容を思い返しながら、指を動かした。
ファンへ、「9年間応援ありがとう」と語る推しは、相変わらずセンスの良い服を着ていて、スタイルの良さが際立っていた。
三人が並んで座っている全身ショットが多かったのも、ファンとしてはポイントが高い。
アップもいいけど全身も見たい、というファンの欲求をよく理解している制作陣だと感じた。
(アキ、やっぱり少し髪を切ったみたい)
襟足が長いのも短いのも良い。
(スポーツ刈りだって似合っちゃうだろうな……)
アイドルなのであまり短髪にはしすぎないと思うが。
AKIは地毛が明るめの茶色で、ゆるい天パなのが、真っ直ぐ直毛な凪沙からすると、ときめく所でもあった。
推しの髪型ひとつで何度でも映像をおかわりできるけれど、移動時間は限られている。
昨夜の放送を思い出しながら、どうしても今見返したいシーンだけを探すことにした。
番組頭の歴代のライブ映像の切り抜きは秀逸で、デビュー当時の初々しい感じと年を重ねるごとの色気の上がり方にテンションが上がった。
ファンが選んだ歴代の神曲は、頷きしか出ない曲ばかりで、推しがコメントしている所と共に全曲リピしたいが、帰宅してからのお楽しみに取っておく。
好きなMV、好きな衣装――こんなのあったね、なんて笑い合うS:ync、尊くて一生推すしかない。
なんだか目が冴えてきた気がする。
推しはエナジードリンクにもなるのかもしれない。万能だ。
特にやっぱり楽しみにしていたのは、番組中盤に出てきた、『それぞれの原点』というトピック。
SHOは音楽の原点が実家の寺の読経だったことに笑った。
REOは親戚の神楽を見てダンススクールに通い始めたそうで、子ども時代の天使みたいな写真が公開され、SNSは大騒ぎだった。
AKIはもちろん、母校訪問。
あの時の撮影が、こんな風になったのだと感無量だった。
常羽ノ宮学園高等部の制服は割と人気の高いデザインで、男子はブレザー。
一瞬だけ出た制服姿の写真は、何度見ても血圧が上がる。
(あの制服着てたの、やっぱり生で見たかったなぁ)
推しの高校時代に思いを馳せたその瞬間、
『次は、常盤駅。常盤駅です』
車内放送がイヤホン越しに聞こえ、凪沙ははっと我に返った。
電車が停まりかけている。
――起きていたのに乗り過ごす所だった。
慌てて仕度をして、人の流れに乗る。
大学の最寄り駅なので、見知った顔がちらほら。
飛翔祭の為、日曜朝だというのに、普段みたいに人が多い。次の駅からは車内は快適かもしれない。
軽く頭を下げながら、学生達の中を進んだ。
守衛さんに会釈をして、正門をくぐると、夏の日の母校訪問の記憶が鮮明によみがえってきた。
スタッフを案内したこと。
撮影風景。
凪沙の名前を呼ぶAKIのいたずらっぽい笑顔と……二人だけの会話。
「え、ここって昨日特番に出てたとこだよね?」
「学祭今日までだって! 寄ってきたーい!」
「でもまだ時間じゃないっぽいよ」
「常羽の学祭ってステージ有名だよねー。あー残念、芸能科ステージ昨日だったんだー」
正門の外から、数人の女性の声が聞こえて回想を中断した。
ちらりと振り返れば、学祭の看板の前で楽しげに話をしている姿が見えた。
「昨日の特番ヤバかったよねー。あーあ、同じ学校だったらアキのたこ焼き食べれたのにー」
「宣伝係って言ってたし、焼いてはないんじゃない?」
「売り歩いてたら買っちゃうよね、あの顔じゃ」
「デビュー前でもイケメンに決まってるしねー」
(う、参加したい……!)
大いにファン心をくすぐられる会話だった。
ファン同士で交流したことが数えるほどしかない凪沙には、AKI語りは耳に毒。
思わず止めていた足を、泣く泣く動かす。
(仕事じゃなければ……まあ見ず知らずの人に話しかける勇気はないけど……いやいや推しの母校での仕事はご褒美だけど……!)
悶々。
昨日の特番でAKIが言っていたのだ。
高等部芸能科に途中編入したので、学祭は二回しか参加しておらず、どちらもステージには不参加。
デビュー前はたこ焼き模擬店の宣伝かつ売り子をしていて、三年の時はデビュー準備に忙しく、客として少し回っただけだと――。
(ほんとに美味しいシチュエーションすぎるよね……もし同じ時代に通っていたら、昨日食べたたこ焼きを、アキから買えたかもしれないんだよ……)
時空を超えて自分の高校を改変すれば、の話。
妄想は自由だ。
昨日知っていた情報だったら、『アキから買ったたこ焼きごっこ』で食べれず、もっと余裕がなかったかもしれないが。
(それにしても……今日って放送の影響で、人増えるかな)
まだ開場前だからか、正門を行き交うのは学生や教職員ばかりだ。 一般客らしき姿は、先ほど見かけた数人くらい。
飛翔祭最終日の今日はステージイベントもなく、片付けの為、出店も昼過ぎまでだが。
先程の女性達を見ると、S:yncのファンがやってきそうだなと思った。
凪沙は自分の仕事をするだけなのだが、聖地巡礼なんてファン同士でやっていたら羨ましくなってしまいそうだ。
――自分の職場なのだから、いつでもやればいいのだけれど。
それはそれ、これはこれ。
そもそもオタバレしてないので大っぴらにはやりづらい。
本当はAKIグッズと共に学園内の聖地巡礼をやりたいのを、ずっと堪えているのだ。
いつも目に焼き付けるだけで済ませている。
「……いけない、仕事仕事」
時計を見て、早足で移動した。
気持ちを切り替えて仕事だ。これが終われば気持ちは随分楽になる。
と、公私を分けるモードに入った。
昨日のステージに駆り出された時ほどではないが、それでも普段よりは学祭の特別対応に追われて過ごしつつ。
昨日はゲット出来なかったベーカリーの限定パンとクレープでお昼を済ませて、空き時間に溜まった仕事を片付けていると、あっという間に終わりの時間になっていた。
学生達は片付けや後夜祭を行うらしいが、職員は細々した処理が終われば、ひとまず今日は、後は野となれ山となれ状態。
肩の荷が降りてほっとしつつ、文化祭後の仕事の憂鬱さは残っている。
明日は高等部は代休で大学部の学生達も休講。
されど凪沙の休みは明後日なので、明日は片付けを行う一部の学生達と職員の間で、普段よりはのんびりと仕事をすることになりそうだ。
「今日はS:yncのファン多かったわねぇ」
「そうですね、特番の影響って凄いですね」
「凪沙ちゃんも昨日のステージイベントからお疲れ様」
「いえいえ、先輩も。無事に終わって良かったです」
「うちの子達もステージ観れはしたらしいけど、席がイマイチだったとか文句言ってたわ、全く」
「あはは……」
戻された備品数の最終チェックをしながらの会話で、ふと思い出す。
(そう言えば、かなちゃん達も今日は楽しめたのかな……顔が知られてたら大変そう……)
そんな凪沙の内心を読んだわけではないだろうけれど、先輩が言う。
「私子どもに言われるまで知らなかったんだけど、大学部にいるKanataくんって、Twin Stellaのお兄さんなんですって。目の保養になるきょうだいよねー、親御さんも鼻が高いでしょう」
「っそう、なんですね」
一瞬先輩がエスパーかとドキッとしてしまった。
「凪沙ちゃん、Kanataくんは知ってたの?」
「あ、いえ、昨日はじめて在学生で、聴いたことある歌の人だなって……」
「ほんと疎いわねー。今度毎週金曜の歌番組も出るらしいわよ」
(あ、S:yncも出るやつ……かなちゃんも出るんだ……)
録画予約はしてあるが、奏汰の所もチェックしないと、と心に留める。
「あ、そうだ。凪沙ちゃん明日出勤よね?」
「はい」
「如月教授の所に返却しないといけない備品と、確認してもらわないといけない書類があるから、明日渡しておいてほしいの。今日はもう退勤されてて、明日はいらっしゃるらしいのよね」
「如月教授……」
民俗学の教授で、それなりのお年の男性だけれどフットワークが軽く、研究科目柄、フィールドワークに出ていることが多い人だ。
凪沙はあまり接点がない。
「わかりました」
「ありがとう。ごめんね、私明日先に休みだから」
「はい。時間はいつでもよろしいですか?」
「出来たら夕方がいいんですって。お客さんが来るとかで」
「わかりました。退勤前に伺います」
「よろしくね」
終業時刻になり、先輩と共にてきぱきと片付け帰り支度を済ませる。
明日は人も少ないし、気持ち的にものんびりと過ごせそうだな、と思った。
――そう思ったのだけれど。
これはいったい、どういうことか。
「ん……」
規則正しい呼吸音の中、一音だけ漏れた音が妙に艷やかでどきりとした。
寝ている。
寝顔。
(推しの寝顔ぉぉぉ写真撮りたいプライバシーの侵害ダメ絶対うわぁぁぁ!!)
理性とオタク心が、激しくせめぎ合う。
あまりにもあまりにも、なご褒美に、昇天しかけた凪沙だった。
お読みいただきありがとうございます。
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