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こゆるぎさんはゆるがない〜推しと遺伝子マッチング?!〜  作者: 水月 灯花
第二章 推しと謎の関係性

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16.こゆるぎさんはときめきたくない④

 

 そろそろ、と一段落した所でカフェを出る。

 さらっと片付けも掻っ攫われて、凪沙の出る幕はなかった。

 またもや謝ると、マスクを付け直したAKIは言う。


「俺が好きでやってるんだから気にしないで。――ごめんより、ありがとうの方が聞きたいかな」

「……はい。ありがとうございました」


 うん、と満足気なAKIはまた、当然のように凪沙の手を引いて、順路通り屋外エリアの扉へ向かっていく。


 自動ドアの向こうには青空が広がっていて、夏の名残を残した風が頬を撫でていった。

 明るく開放的な雰囲気で、一見すると水族館とは思えない。

 初秋とはいえ、まだ日差しが強く、バッグに入れていた帽子の存在を思い出したけれど――片手でうまく取り出せる自信もなく、繋いだ手を離すほどではないかと、結局そのままにした。


(手汗だけ心配だけど、推しと繋いだ手を離すの勿体ないし……)


「凪沙さん、眩しくない?」

「いえっ、大丈夫です!」

「そう? 気にならないなら、帽子貸してあげたい所だけど……」

「自分の持ってます! かぶらなくても大丈夫かなってくらいなので!」

(いやいや帽子なんて脱いだら身バレ確実ー!!)


「そっか」と帽子を深く被り直したAKIは、一般人にうまく紛れているようだ。

 無駄に気を揉んだ。

 ――はじめも思ったが、不思議なことに、普段のオーラがかなり身を潜めている。

 スタイルの良さは隠せないので、イケメンだろうなとは分かりそうなものだけれど。


(……騒がれないの、何でだろう……)


 内心首を傾げながら足を進めた半屋外のエリアは、それなりに賑わっていた。

 子どもたちの歓声や、爽やかな空気に、どことなく息がしやすくなったように思う。

 ――ただ、まだ少しだけ、ざわりとした感覚の名残がある。


「あ、凪沙さん見て。すごい……」


 繋いだ手ごと示された方を見上げて、息を飲む。


「わあ……!」


 ――ペンギンが、空を飛んでいた。


 目の前を、すうっと横切っていく影。

 一瞬、本当に空を泳いでいるのかと錯覚した。

 透き通ったガラスと、水。

 青空を背景に、半円状にせり出した水槽の中を、ペンギン達が自由に行き交っている。

 夢中でペンギンを目で追っていると、隣で小さく笑う気配がした。


「すごいな。こんな風に見せるんだ……」


 ただ純粋に楽しんで、煌めいている瞳。


(あ……)


 子どもみたいに無邪気なそれを見た瞬間、胸の奥に残っていたざわつきが、すうっとほどけていく。


(はぁー尊い……良いもの見た……)


 精神的に浄化される。推しってすごい。


「ほんとに飛んでるみたいですね。これ考えた人、天才ですね……」

「うん、アイデアの塊だよな。ペンギンのしなやかさも伝わる。可愛いけど、泳いでると格好良いんだなって」

「たしかに……」


 頷き、互いに頬が綻ぶ。

 その拍子に、繋いでいた手が少しだけ強く握られた気がした。


(わぁ……っ)


 どきり、と心臓が跳ねる。

 ファンサが過ぎる。もう二度と手を洗いたくない――そんな思いが改めて胸中を駆け巡って。


(ずるいな、AKIは)


 さっきまで引っかかっていた違和感が、彼の一挙一動で、どうでもいいことのように押しやられていくのだから。

 この、くすぐったいような感覚をどうにか彼にも味わわせてやりたいものだ。


(……あーもう、好きだなぁ……)


 空を泳ぐペンギンを見上げながら、そうっと、ほんの少しだけ凪沙からも手を握り直す。

 びっくりするかなと、ちょっとした仕返しのつもりだったのに――すぐに気づいたAKIは、破顔した。

 帽子やマスクにほとんど隠れていても満面の笑みだとわかって、心臓が止まった気がした。


(そういう所が沼男なの! 尊い!)


 ぎゅん、と締め付けられた萌え心に思わず奥歯を噛み締めた凪沙だった。

 ファンとしてやり過ぎてないかな、セーフかな……なんてびくびくする気持ちも、ありつつ。


 推しにときめきながらペンギンを堪能していると、中央に設けられたステージでわあっと歓声があがった。

 トレーナーの女性とアシカが登場して、観客に手を振っている。

 そういえば、ちょうどアシカショーの時間だった。

 オープンステージの前には人だかりが出来ていて、座れそうにはない。

 だいいちあまり人混みにいると身バレリスクが高まるよな、と遠目に見ていたら、AKIが聞いてきた。


「見に行こうか」

「え? でも――」

「大丈夫」


 悪戯っぽく言う彼に手を引かれ、戸惑いながら立ち見に混じる。

 本当に大丈夫かと冷や汗をかく凪沙をよそに、人々はショーに集中していてこちらなんて見ていなかった。


(いやいやいやAKIだよ!? 何で皆わかんないの? わかってても知らないふりしてる?)


 夢中で気づかれないのかもしれないが、それにしたって、格好良い人はチラチラと見てしまうものではないだろうか、とも思う。


(なるべく早めにこの場を離れた方が良いのでは……)


 そんなことを思っていると、ステージの上で、トレーナーの合図でアシカが大きい声を出したのでびくっとした。

 立ち見でも近くに感じて、なかなかの迫力がある。

 次に、投げられたフラフープをアシカが難なく首にかけて受け取っていく。

 何本も得意げにキャッチする様子につい拍手をして、ご褒美をもらう可愛さにほっこりする。

 トレーナーとアシカの息ぴったりのやり取りに、目が離せなくなっていった。

 それは、隣のAKIも同じようで――ふと横目に見ると、パフォーマンスを見逃すまいと真剣に見入っているようだった。


(可愛い方じゃなくて格好良い方だった……尊い……)


 笑み崩れそうになるのを堪えてステージに視線を戻す。

 次に、アシカは、ボールを鼻でキャッチしたと思えば、更に本やグラスが載せられても、それをうまく支えられるバランスの良さを見せる。

 片手で逆立ちするかのように前片脚で体重を支えていた時は、おおーと声が漏れてしまった。

 最後の感謝の投げキッスなんて、キュートで最高。

 拍手で見送りながら、凪沙はぽつりと呟く。


「さすが、筋肉すごい……髭可愛い……」

「……凪沙さんて、髭と筋肉好きなのか? ……俺ももっと鍛えて髭生やすべき?」

「えっ!? いえアシカがですね! あ、風見さんはそのままで充分すてきです!」


 何を言い出すのかと焦った。

 アシカの話が何故そちらに。

 推しの髭は見たい気持ちもあるけれどアイドルにはNGな気もする。


「ふーん……俺の筋肉は及第点?」

「ぱっと見細身なのに鍛えていて最高です!」


 思わず言い放ってから、はっと我に返る。


(何てこと脊髄反射してるんだ私ー! セクハラ!)

「失礼しました……!」


 くっくっ、と押さえた笑い声が聞こえる。


「褒めてくれてありがとな。凪沙さんて、やっぱ面白い。……これからも筋トレ励むから」

「すみません……」

(嬉し恥ずかし言動には気をつけよう……)


 職場の人が見たら信じられないことばかりしている気がする。

 合理的な自分、カムバック。

 でもAKIの筋トレ風景はきっと素晴らしい――そんなことを考えている内に。

 はたと、ショーが終わって人が移動していくことに気が付いた。

 焦ったが――やっぱり何故か、あまりにもAKIが溶け込んでいるなと思う。

 別人レベルに変装しているわけでもないのに、案外こんな風に芸能人は日常に紛れているのだろうか。


「……?」


 ひとり困惑しつつ、念の為人が減ってから移動しようと、少し展示を見ながら待つことにした。

 拍手の為に、どちらからともなく離していた手は、AKIにまた繋がれた。

 何度繋いでも慣れない。


(一生分の握手会チケ運使い果たしてそう……)


 最早そんなレベルではないが、ついついそんなことを考えてしまった。



 ビルを背景に、ドーナツ型の水槽の中をアシカが泳いでいる。


「今度は空飛ぶアシカ……」

「やっぱり、下から見上げるのって新鮮だな」


 ペンギンより重量感はあるが、すいすい泳いでいく姿は重力を無視しているような爽快さだ。


「あ、パンケーキのカワウソ……」

「可愛いなぁ……」


 やっぱり食べたかったかも、と言うAKIに笑ってしまった。

 愛くるしい動きは流石、水族館のアイドル。

 ついつい目が奪われてしまう。カワウソにも、隣のアイドルにも。



 人々が散らばるのを待ちながら展示を眺めていると、不意に側を駆けてきた子どもが凪沙の目の前で転んだ。


「あ……っ」


 途端に上がる泣き声。

 一瞬、足が止まる。

 デジャヴ。

 さっきはぶつかりそうになって避けたが、今度は――。


(――どうしよう)


 少し離れたところから保護者が駆け寄ってくるのが見えた。

 そのまま待つか悩んだのは、一瞬。


「大丈夫? 痛かったね」


 気づけば、しゃがみこんでいた。

 一見すると血は出ていないようだが、手のひらを擦りむいたようで押さえて泣いている。


「大丈夫だよ。お家の人すぐ来るからね」

「――すみません!」

「ママー!」


 謝りながら息を切らせてやってきた母親を見て、子どもがぐずりながら手を見せる。


「擦りむいちゃったね、痛かったね」

「いたいい! バンソウコウはってー!」

「ごめんね、持ってきてないから……」

「やだやだ、はりたい!」

「それに、一回洗うか消毒しないと……」

「――あの」


 ぐずる子どもと困ったような母親を見て、凪沙は鞄から絆創膏を取り出した。


「良ければ使ってください」

「いいんですか? すみません……! ありがとうございます」

「わあ、かわいい!」


 某有名キャラクターの絆創膏を見て、ケロッと表情を明るくする子ども。

 泣いたカラスがもう笑った、とはこのことだ。凪沙も微笑ましくなりながら絆創膏を手渡す。


「ちゃんとお水で洗ってから貼ってね。バイ菌入っちゃうよ」

「はーい」


 ありがとうと手を振る子どもと、何度も会釈をする母親が去っていくのを見送って振り向く。


「風見さん、お待たせしてすみません――」


 目立ってしまったかと周囲を見回しつつ声を掛けると、AKIは身動ぎせずに立っていた。

 呆然、というのが相応しい様子。


「……あの、風見さん……?」

「――あ、ごめん」


 訝しげな凪沙の再度の呼びかけで、すぐに我に返ったようで、こちらに歩み寄ってくる。


「……よく絆創膏持ってたね」

「たまに靴擦れしたり、爪が脆いのか引っ掛けて掛けちゃったりするので携帯してるんです」

「絆創膏って、可愛い柄もあるんだな」

「あ、それは――」


 しまった。

 この年でキャラクターものを持っているなんて引かれるだろうか。


「……どうせなら柄物の方がテンションあがるなって……子どもっぽいですかね」

「いいんじゃないか? 俺も好きだよ」

「す……っ」

「そのキャラクター。ゴールデン・レトリバーがモデルなんだってな」


 仕事で教えてもらってから気に入ってるんだ、と笑う推しにきゅんとする。

 犬好き健在すぎる。


(好きって単語だけでドキッとした……)


 明らかに、文脈的には絆創膏を示しているとわかるけれど。


(だって、何か――)

「――人も減ってきたし、土産コーナーでも見に行こうか」


 はい、と当たり前のように差し出された大きな手。咄嗟に自分でほどいてしまっていたことに、何だか罪悪感を覚えた。

 そっと手を出すと、優しく、けれどしっかりと握られて。


「……よく、怪我した人の手当てとかするの?」

「え? いいえ……あんまりそんな機会はないですね。子どもの頃、友達に絆創膏をあげたことはありますけど」

「そっか。昔から絆創膏を持ち歩く子だったんだな」

「備えあれば何とやらでつい……色々持ち歩きすぎな時もありますけど」


 そんな他愛ない話をしながら進むAKIの雰囲気が、声が、先ほどまでよりも妙に甘く感じて――凪沙の胸の奥は、落ち着かないまま熱を帯びていた。


(なんか、ちょっとかなり、誤解しちゃうからやめてほしい……!)


 ドキドキ、ドキドキと鳴る心臓の音が聴こえてしまわないかと心配になる。

 これは仕事、私はただのファン、自意識過剰、とぶつぶつ脳内で呟く凪沙は軽く俯いていて。

 そのつむじを見下ろしたAKIの目がどれほど優しい色をしていたか――凪沙は気づかないままだった。



 エスカレーターを今度は降りて、出口付近のショップをひやかす。

 水族館に行ってきました、と書かれたクッキーとか、職場の差し入れに普通にいいかもしれない。


(いやでも、誰と、とか聞かれても面倒か……)


 可愛いパッケージに心惹かれるものがありつつ、面白グッズや水族館限定商品を見て回る。


「あ、これ――」


 目に留まったのは、クローバーとペンギンのキーホルダーだった。


「何か良いものあった?」


 ひょいと隣から整った顔に覗き込まれて、肩が跳ねる。

 買い物をする間も、何故か手を離してもらえないまま、並んで歩いていた。

 今更すぎるが、凪沙は推しが隣にいる現実に戸惑って、時々挙動不審になってしまう。


「いえっ、ただ、懐かしいなと思って――」

「……四葉のクローバー……」

「実は私、子どもの頃から四葉を探すのが得意なんです。面白くてよく探してたなって思い出して」


 そしてそれを、家族や友達にあげていた。

 流石に中学生位からは探さなくなったけれど――。


「何本も見つけてたからか、つい人に押しつけてました。押し花なんかも作ったと思うんですけど、いつの間にかなくしちゃって、もう残ってませんね」

「そう、なんだ」

「また機会があったら探してみようかなと思った所です。風見さんは、何か気になるものありましたか?」

「うーん……こういう所普段来ないから、目移りして決まらないかな……」


 デフォルメされたメンダコの可愛い被り物を手にして、しげしげとAKIが言う。


「そういえばメンダコってよく聞くけど、実物見たことないな」

「私もないです。ストレスに弱くて飼育が難しいらしいですね。冬から春位に限定展示されることもあるとか……」

「へえー。やっぱり凪沙さん、詳しいよな」

「いえいえ、にわかです!」

「もしかして、今日の為に色々調べてくれた? ――ありがとう」


 推しのスマイル、プライスレス。

 致死量の笑顔を浴びて瀕死の凪沙の隣で、


「これ、普段頭に載せて歩けるのは子どもだけじゃないかな」


 片手で鏡の前で、メンダコを被るように持って鏡を覗き込むAKI。


(ふわぁサービスショット……!)


 ――商品だからって直接被らないんだ、気遣い素敵。

 そしてメンダコの推し可愛いがすぎる。

 何でも似合ってしまう罪……と身悶えを堪えていたら。


「――凪沙さんも似合うし、大人でもいける人はいるな」


 ふふ、と笑いながら推しがそう言った。凪沙に被せるふりをして。


(供給過多ー!!)


 本日何度目の、ズギャンと心臓を撃ち抜かれたような衝撃か。

 内心息も絶え絶えな凪沙の横で、AKIはチンアナゴとニシキアナゴのボールペンを手に取って、発想が面白いとしげしげ見つめ出した。


「あいつらのお土産にしようかな」

(えっメンバーに買っていくの仲良しで良き……! 尊……!)

「お……お揃い、いいですね。風見さんは揃えなくていいんですか?」

「んー、二種類しかないから、同じだと完璧にお揃いになるだろ? まぎらわしいし、それはちょっとってなるから」


 そんなものか、と思うけれど、仲間内でそんな話になったことがあると言われて納得するやら、しないやら。

 男女の考え方の違いもあるかもしれない。

 ファンとしてはどっちとお揃いかで論争が繰り広げられそうだ。三人だとカップリングで揉めることもあるらしい。凪沙は違う沼にはまらないよう、あまり深く考えないことにしている。


 結局店内をひとまわりして、各々それぞれ会計を済ませに行く。

 店内を出たらもう、出口の側だ。

 ――もう、デートも終わりか。

 ふと、手を繋ぐのも終わりなのだと名残惜しくなってしまった。

 隣を歩くのも、こんなに近くで言葉を交わすのも。

 それが、当然の距離なのに。

 お待たせ、と後から会計をしたAKIがまた自然と手を繋いでから、凪沙はしんみりと考えてしまった。


「――凪沙さん?」

「……あ、はいっ」


 出口の近く、土産屋の側で、AKIがこちらを覗き込んでいる。

 どうやら何度か呼びかけられていたようだった。


「大丈夫? 少し疲れたかな」

「いえっ! ぜんぜんっ、へいきです!!」

(真正面顔が近い目が綺麗すぎるー!!)

「……そう?」


 心配そうなAKIに雑念が申し訳なくなり、元気だと再度アピールする。

 少し気にしたような仕草を見せつつも、凪沙がそう言うならと引いてくれた所で――携帯を確認して、AKIが一度視線を伏せた。


「……凪沙さん、そろそろ時間みたいだ」

「あ……」

「今日は無理言ったのに、来てくれてありがとう。楽しかった」


 嬉しそうに笑う彼の表情が、普段見かけるものとは違うように思ったのは――凪沙の欲目だろうか。


「い、いえっ。私も楽しかったです……!」


 即答してから、はっと思い至った。


「あの、ちゃんと参考になりましたか?」

(ファン視点でときめいた所、萌えポイント伝えないと――)


 ぐるぐると今日一日のことを高速で思い出して、絞り出たのは――


「――デート、完璧だと思いました……!」


 作文か、と凪沙は自分に絶望した。


(いやだってアキいいにおいがしたとか、大きい手にキュンと来たとか、手汗大丈夫か心配したとか、マスク外した時グッと来たとかメンダコ可愛いとか言えないし!)


 恥ずかしくなって心の中で叫んでいたら、AKIは少し間を置いて答えた。


「……ありがとう。参考になったよ、想像よりずっと」


 優しい声。

 感謝するように凪沙と繋いでいた手を両手で握って――AKIはそうだ、と言う。


「これ、良かったら」


 片手を繋いだまま、水族館のロゴが入った袋を手渡された。


「クッキー。苦手だったら誰かにあげてもらっても構わないから。ちょっと多かったら分けて」

「え、あ……ありがとうございます……クッキー好きです」

「そっか、良かった」


 呆けたように頷くしかない凪沙は、行こうか、と促されて、もらったものより一回り小さな袋を握る手に力を込めた。


「あのっ」


 緊張で声が上擦る。

 振り向いたAKIの顔を真っ直ぐに見れないまま、頭を下げて袋を差し出す。


「こっ、これ……! よろしければお納めください!」


 ぶっ、と笑い声が聴こえた。


「凪沙さん、それじゃ賄賂だよ」


 笑いを堪えるように言われ、確かに! と固まった凪沙の手から袋の感触が消える。


「ありがとうな。お菓子……とは違う? 開けて良い?」

「も、勿論です!」

「――え」


 一旦手を離し、開封したAKIが目を見開いていて、外したかと冷や汗が出る。


「公式に送った方が良かったでしょうか……っ! 趣味に合わなければ返して頂くか、どなたかに譲って頂いても……!」

「え、嫌だよ。もう俺の」


 少し悪そうな笑みが、凪沙の胸を震わせる。


「可愛い。――大切にするな」

(可愛いのはアキだし受け取ってもらえただけで大満足ですー!)


 凪沙が渡したのは、カクレクマノミのぬいぐるみと、四葉のクローバーとカワウソのキーホルダー。


「ええと、そのカクレクマノミ、紐引くと振動するらしいです」

「え、そうなの? ……ほんとだ、面白」


 ブルルルル、と小刻みに揺れる様がウケている。

 男ってちょっと変わった物が好きなのよ、と姉がいつだったか言っていた思い出した結果だった。


(お姉ちゃんグッジョブ……!)


 じゃあ、と手を引かれて出口に向かう。

 あっという間に外に出てしまった。

 水族館の職員さんの、ありがとうございました、という挨拶に後ろ髪を引かれる思いでいたら、すぐ近くにマネージャーの田中さんが待っていた。

 すっと、手が解かれていく。


(あ――)


 ずっとあった温もりが消えて、凪沙はひどく心許ない気持ちになった。


「中ちゃん、お待たせ」

「ああ。――小動さん、ありがとうございました。風見が失礼なことをしませんでしたか?」

「してないって」

「いえ、丁重にエスコートして頂きました……!」

「――楽しめましたか?」


 頷くと、田中さんは良かったですと微笑んだ。


「こちら、ささやかですが、本日のお礼です」

「あ、いえ結構で、」

「大したものではないのですが、非売品のグッズですので、よろしければ」

「非売品グッズ!?」


 つい食い気味になってしまった。


(あっ……)


 悲しいかな、オタクの性。


「――少し前のものになりますが、喜んで頂けると嬉しいです。どうぞ」

「ありがとうございます……」


 恥ずかしいし慎みがないが、しっかりがっちり受け取った。

 正式な対価です、と告げて公式――マネージャーからもたらされたものなので、謙虚さは引っ込んでしまった。

 シンプルな袋入りのそれは中身が見えない。帰宅してからじっくり見ようと決める。


「本日は貴重なお時間を割いてご協力頂き、ありがとうございました。この後夜から仕事が入っておりますので、我々は失礼させて頂きます。お近くまでお送りすることも可能ですが――」

「いえっ、用事もありますし、自分で帰りますので……!」

「そうですか、それでは、お気をつけてお帰りください」

「今日は本当にありがとう。気をつけて。――またな」


 軽く頭を下げる田中さんと、ファンサ著しく手を振る推しの後ろ姿がエレベーターに消えるまで見送る。

 暫くその場に立ち尽くしていたが――はっと思い直して、足を動かした。



 ◇ ◇ ◇



 帰宅後、ぼーっと荷物を自室に持ち込んで、開封していく。

 巨大な紙袋から取り出したメンダコの被り物を推し祭壇の近くに置く。


「……連れて帰ってきちゃった……」


 推しが触れて、ほとんど被ったようなもの。一点もので、似合うなんて言われたらつい――そばにいる時は流石に買えなかったが、別れてからショップにだけ戻ってしまった。

 推しへの課金万歳。

 脳内に広がるAKIの笑顔と、手の感触を思い出して、わけもなく落ち着かなくなる。


「手、どうしよう……洗いたくない、洗わなきゃだけど……」


 のたのたと続けて田中さんから頂いたお礼を開けると、S:yncのロゴ入りのハンカチとミニポーチ、ギフトカードが入っていた。


「うわ……! これ関係者専用とかでSNSで見かけたやつ! ギフトカードまで申し訳ないけど……推し活で還元しよう」


 いそいそと祭壇に並べて、にやけながら――AKIにもらった袋を開ける。


「クッキー、食べないで取っておきたいけど食べないと。お姉ちゃんと分け、」


 かさり、とクッキーを取り出した後に別の小さな袋が現れて言葉が途切れる。


「――え?」


 小袋から出した中身は、四葉のクローバーとペンギンのキーホルダーだった。


「……うそ……お揃いになっちゃった……」


 もらったクッキーは、最初に店で見ていた『水族館に行ってきました』クッキーで、キーホルダーも凪沙が見つけたもの。

 見ていたから、水族館らしいから、だろうとわかっていても――うれしさで、はちきれそうで。

 今日一日のことを思い出すと、仕事の手伝いだったのに、どう考えてもただのデートだったように思えてしまって。

 凪沙はその晩、またなかなか眠ることができなかったのだった。


見つけて読んでくださってありがとうございました。

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