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こゆるぎさんはゆるがない〜推しと遺伝子マッチングでお見合いすることになりました〜  作者: 水月 灯花
第二章 推しと謎の関係性

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15.こゆるぎさんはときめきたくない③

 誰かと手を繋いで歩くなんて、子どもの頃以来だ。

 まして、成人してから異性と――好きな人と繋ぐことになるだなんて、思いもしなかった。


 ファンなら誰もが妄想したことのある状況なのに、現実となると、戸惑いでいっぱいだ。

 これはデート企画のお手伝いなのだ、と自分に言い聞かせ続けなければ、感覚が麻痺してしまいそうだった。

 ……しかし、全てに萌えている気がするので的確なアドバイスが出来そうにない。


(最後にときめいた所とか伝えたらいいのかな……全部? 何一つアドバイスにならないし、なにその本人への暴露、つら……)


 悶々としつつ、大水槽を堪能した後、人の流れに沿って歩き、次のエリアに到着した。


「わぁ……」


 目の前の光景に、つい小さく反応した凪沙の隣で、AKIもぽつりと呟いた。


「……雪が、降っているみたいだ」


 暗い照明の中、横長の水槽には見渡す限りのクラゲが漂っていた。

 ――まるで、幻想の世界に入り込んだようだ。

 彼の言う通り、雪が舞っているかのように美しい。

 言葉を忘れて暫く見入ってしまってから、ふと本分を思い出し、「カップルで見たらすごく良い場所ですね」と言おうとしてAKIを見上げて。


 ――マスクで隠れているのが惜しいな、とつい思ってしまった。

 じっと水槽に視線が釘付けになっている彼の目が、子どもみたいで可愛らしくて。ぽかんと口をあけているんじゃないかと思ったから。


 次の瞬間、AKIがこちらを振り返って微笑んだ。目元だけしか見えないのに、凪沙の胸はとくんと跳ねる。


「クラゲって、実際に海にいると厄介者扱いされがちなのに、こうして見ると綺麗な生き物だよな」

「そう、ですね」

(うっ、可愛い……オーラが眩しい……っ)


 気の利いたことが言えないまま、推しの無邪気さに当てられつつ足を進め。

 次に現れたのは、何本もの柱のような筒型の水槽だった。

 大小様々な種類のクラゲが漂い、パノラマとはまた違って目を引く。

 時間差で照明の色が変わるのも良いね、と感想を言い合いながら鑑賞していくと、エリアの最後に、短いトンネル型の水槽の真下に辿り着いた。

 ほうっと、二人で水中に浮かぶクラゲを見つめた。

 ――まるで、海中にいるかのような、不思議な感覚がした。

 青と白のコントラストへ、感嘆のため息をついて、AKIは言う。


「……俺、たまに思うんだ。写真だと、見た印象と変わることがあるから――目にカメラ機能があれば、この瞬間をそのまま残せるのになって」

「……確かに、瞬きでシャッターが切れたら便利ですね」


 凪沙も常々思っていることを、推しが言う。

 彼もそんなことを思うのだなと、思考が似通っていたことが嬉しくて、思わず頬が緩んだ。


「な。……そういえば凪沙さんは、名前からして、こういう静かな海が似合うよな。今の良い笑顔も、一緒に撮りたかった」

「へ……」


 その言葉は、すうっと、胸に染み入るようで――ドキン、と鳴る自分の心音が聴こえた気がした。

 声が少し震えそうになる。


「名前……ですか?」

「ああ、ラジオの投稿ではじめて見た時にさ」


 照れくさそうにしながら語る彼の声が、あまりにも優しく感じた。


「勝手なイメージだけど、穏やかな海辺の砂浜から、動き出そうとする人――みたいな、良い名前だなって思ってたんだ」


 ちょっとポエマーすぎかな? と笑う彼の輪郭が、眩しくて。

 いつも以上に熱を持って激しく脈打つ心臓が、うるさい。


「ありがとう……ございます」


 ――そんなことを言ってくれた人なんて、今まで誰も。


「動くのか動かないのか、はっきりしないね、とはよく言われるんですけど……」


 あは、と軽く笑って言えば、AKIの美しい眉間に皺が寄った。


「そうかな? 止まってたって別に休憩できる、落ち着けるってことだし、少し動けば踏み出せるってことだろ?」


 ――今まで、誰もそんな風に褒めてくれたことなんてなかったのに。

 どうして、他の誰でもなく貴方が――そんなことを言ってくれるのか。


(やばい。泣きそう……)


 きゅうっと締め付けられるように、胸が苦しい。

 貴方はやっぱり、空に輝く星のように眩しい人。

 これ以上、好きにさせないでほしいのに。

 彼以上に好きになれる人なんて、いないとわかってしまった。

 それなのに――手を伸ばしてはいけないだなんて。


(拷問だ……)


 未だ繋がれた手とは反対の手で、胸元をぎゅっと握る。

 どうか、手が震えませんように。

 そんなことを思ったその時――ぐら、と世界が揺れた。


「っえ、地震……?」


 動かないはずの水槽の水が振動しているような――空気がざらついて、光が揺らめいて見えた。

 チカ、チカと薄明かりが明滅して。

 四方から、ざわざわと不安そうな人々の声がする。


「やだ、何?」

「頭痛い……」

「まさか停電しないよな」


 ――どこか、おかしい。

 音が、遠い。

 ガラス越しに聞いているような、膜を一枚挟んだような感覚で、現実味が薄い。

 耳の奥で、ブゥンと嫌な音が反響した。


(なに、これ……)


 胸の奥がざわついて、理由のない不安感が膨らんでいく。

 ――ぞわり、と鳥肌が立った。


(――嫌な感じ、だけど……)


 落ち着かないと。

 不思議とそう思った。

 深呼吸を一つすれば、少しずつ少しずつ、平静が戻ってくる。


「……凪沙さん、大丈夫?」


 低く、抑えた声だった。

 さっきまでとは違う、空気を切り替えるような声。

 すぐ近くで囁かれて、はっと顔を上げれば、繋いでいた手を強く引かれた。


「ちょっとごめん」


 有無を言わせない力で肩を抱き寄せられて、ぐっと距離が近づく。


「ぅえ……!」

(近――っ)


 思考が一瞬止まる。

 後ろから半分抱き込まれるような体勢だった。

 AKIの腕の力強さと、温もり、首元のきめ細かい肌。

 それから、森の中のような清涼な空気。


(喉仏がセクシーすぎるしいい匂いだしひーっ!?)


 限界オタク脳が沸騰したが、視界に入った推しの表情に、それどころではない、とすぐ気持ちが凪いだ。

 周囲を見渡すその視線は、先程までやステージの上で見せる柔らかさとはまるで別物で――鋭く、冷徹で。

 その瞳に、微かに宿るのは――緊張と、覚悟の色。

 次の瞬間。

 AKIの唇が、ほんのわずかに動いた。


「    」


 ――それは、歌詞のない短い旋律だった。

 誰にも気づかれない位に小さな声の、けれどあまりにも美しい「歌」。

 たったワンフレーズのそれが空気に溶けた瞬間、ぴたりと。

 ざらついていた空気がほどけ――遠かった音が、戻ってきた。


「――停電しかけたのかな?」

「揺れも止まったみたい。良かった」

「アナウンスもないし、大したことなかったんだねー」


 そんな人々の安堵の声が、今度は普通に聞こえる。

 さっきまでの違和感が、嘘みたいに消えていた。

 背筋が強張るような嫌な感覚も消え、張りつめていた空気も四散している。

 水槽の中のクラゲも、何事もなかったかのように、ゆらゆらと漂っていた。


「あれ……?」

「……びっくりしたな。何ともなくて良かった」


 何事もなかったかのように、そう言ってAKIは笑う。

 自然にすっと体が離されて、接していた温もりが消えていく。

 繋がれたままの手が、少しだけ強めに握られ直した。


「そう、ですね……」

(今の……何……?)


 胸の奥に、微かな疑問だけが残る。


(――アキが、何か……。アキがいたから……大丈夫だった?)


 不思議とそんな確信があった。

 ちら、と見た先には、隙のない横顔。

 さっきまでと同じはずなのに――どこか、遠く感じる。

 目元だけでもわかる、質問を許さないような雰囲気の微笑みのまま、次に行こうか、と促されて。


 凪沙は結局何も聞けないまま、場所を移すことになった。



 ◇ ◇ ◇



 クラゲの水槽を抜けて、少し行くとエスカレーターでの階移動だった。

 下調べの記憶では、この後人気の半屋外もあるはずだ。

 個人的に楽しみにしだていたけれど――何だか、まだ空気が少し重い。

 推しと手を繋いまま、並んでエスカレーターに乗っているこの状況――理想的でときめくシチュエーションであるのに、先程の出来事がまだ尾を引いているようで、気がそぞろになってしまう。

 すごく、近くにAKIがいるのに。

 エスカレーターで会話する人も少ないだろうけれど、凪沙は何も言葉を発せず――AKIも無言。

 一緒に歩いていた時よりも近くにいるのに、入館したばかりの頃よりも遠くにいるような感じがして――結局そのまま、すぐに次の階に到着してしまった。


 エスカレーターを降りると、熱帯エリアが広がっていた。

 目に鮮やかな魚達が泳いでいたり、個性的な魚がいたりと、普段ならテンションがあがるはずが、中々集中できない。

 一瞬、先程みたいに水面が揺れた気がしてぎくりとした。

 ――すると、AKIが言う。


「マングローブだって。沖縄でもあんまりじっくり見れなかったんだよなー」

「……不思議な植物ですよね……」


 AKIの態度は、クラゲの前とあまり変わらないような気がする。

 水面の揺れは気のせいだったようでほっとしたが、動じていない彼の態度が、今度は何だか不服に感じた。


(なんか……あんまり普通すぎない……?)


 謎の現象だけでなく――咄嗟とはいえ半分抱きしめられたような体勢をとっていたのに、何とも思っていないかのような態度。

 実際、AKIは芸能人なので、軽い身体的接触は大したことではないのだろう。


(何回か業界の人と噂になってたこともあったし……当然ながらモテモテだし)


 たかがファンにモヤる権利はないことなんて、わかっているけれど。


「あ、カクレクマノミいた!」

「あ……」

「これは本物だよな。可愛い」

(はしゃぐ推しが可愛い〜!)


 笑顔で振り向いたAKIについついメロメロになってしまった。

 推しが尊いとファンはもう何でもよくなってしまったりする。あるあるだ。


 この魚面白い顔してる、と話をしたり、魚の生態の不思議さに感心したりしていると、館内カフェの前に着いた。


「凪沙さん、少し休憩しない?」

「あ、でも……風見さんは大丈夫なんですか?」

「平気。ちょっと喉渇いたんだ。中ちゃんもOKみたいだし」


 目線で示された方を見ると、少し離れた所でマネージャーの田中さんが軽く頷いているのがわかった。

 そうだ。

 今更ながら見守られているのだと、背筋が伸びる心地がした。


「何がいい?」

「えっ、と……ココアにします」


 最初はロイヤルミルクティーにしようかと思ったが、水族館限定のプリントラテアートに惹かれてしまった。

 凪沙は割と限定ものに弱いのだ。

 ライブ限定のグッズもついつい課金してしまう。


「了解。俺は――パンケーキ、食べたかったな……。流石に目立つし、食後だから今日は無理だなー、残念」

「パンケーキ……」


 至極残念そうにAKIが見ているメニューに載っているのは、粉糖だかココアパウダーだかで生き物が描かれた、ファンシーなパンケーキだ。


(え、何その組み合わせ。可愛いしかない)


 推しがカワウソのパンケーキを頬張る想像だけで、垂涎ものだ。

 心の中で、涙を流しながらカメラのシャッターを押し続けるパターン。

 妄想だけで既にもう、ご馳走様です。

 開放的な空間でイケメンがガッツリパンケーキを食べていればかなり人目を引くに違いないので、リアルで見られないのは残念だが仕方ない。

 順番が来て注文すると、AKIはキャラメルハニーラテと、ショートサイズのブラックコーヒーを頼んでいた。

 じっと見過ぎたのか、会計を済ませた彼に笑って言われる。


「今かなり糖分摂りたい所なんだけど、苦味もほしくてさ」

「そうなんですね……あの、私の分払います」


 流れるように支払われていたが、財布を出そうとして、そのまま手を引かれる。


「いいって。デートだろ?」

「でっ、でも……」

「――気になるなら、諸経費だと思って」


 こそっと耳元で囁かれた。

 推しの、吐息が。


「っ!?」


 思わず耳を押さえた時には、もうAKIは離れていた。

 はく、と口を開いた瞬間に商品の受け渡しが重なって、取りに行ってくれている。

 ――絶対に、今耳か顔が赤い。

 自然に離され、久しぶりに自由になった両手で思わず両頬を押さえる。

 名前を呼ばれた。


「凪沙さん、そこでいい?」

「あ、はい! すみません持って頂いて――」

「いえいえ」


 空いている座席があって良かった、と席に着く。

 荷物置きの籠をさりげなく寄せられて、良かったら使って、ともらってきてくれたらしい使い捨ておしぼりを手渡される。

 スマートに気遣いのできる男性、という感じ。くっ、萌える。


 ぺこぺこしながら受け取ったら、マスクをずらしたAKIがストローに口を付ける。


(うわ……なんか、何でもない仕草なのに……)


 色気がすごい。

 あと推しの顔が良い。


「思ったより甘いけど、うまい。……? 凪沙さん飲まないの?」

「あ、いえっ。……可愛くて勿体ないなーと……はは……」


 しどろもどろに答える。

 煩悩退散。

 脳内の悪鬼を祓っていたら、今日はじめて見えた口元が、ふっと笑った。


「確かに可愛い。そのココアもパンケーキも、食べ方悩ませるやつだよな」

「キャラクターものとか、上手に食べる正解がわからないですよね。……私、つい限定と聞くと弱くて……」

「うん。限定ってなると気になるよな。――そのピンバッジも、大分前の限定品だ。懐かしいなあ」


 机に両肘をつき、長い指が鞄を示す。

 S:yncがデビュー2年目の頃に手に入れた時計モチーフのピンバッジは、カバーを掛けて大事に使っている。

 一見すると推し活とはわからないグッズだった。


「長く大切にされてるのが知れて嬉しい。ありがとう」

(こちらこそ嬉しいけどファン代表として聞いてしまったー!)

「あの、それ今度皆にも伝えて頂けると……」

「ああ、そっか。どこかで伝えるな」


 よし、と妙な達成感がした。同士達とこの感動を分かち合わなければ。

 気を取り直してココアに恐る恐る口を付ける。

 一口、二口――底から吸うとまだラテアートは残ったまま。

 どこで崩すか崩れるか、悩みどころだ。


「……写真撮りたかったな」


 ぽつり、とAKIが呟く。


「っごめんなさい、まだ絵残ってるので、撮りますか?」

「ああ、悪い。そっちもだけど、凪沙さんがなんか――さっきのカクレクマノミみたいで」

「……はい……?」


 ぽかんと呆気にとられた凪沙に対して、AKIは微笑ましいものを見るかのように目元を緩めて言った。


「そろそろ飲んでる感じがさ。一生懸命泳いでたり、イソギンチャクに隠れたり出たりする感じを思い出して、可愛いなって」

「え……っ!?」

(どういう意味!?)

「凪沙さんも撮ってもいい?」


 上目遣い可愛いけれども。

 心臓がバグってる。


(落ち着け私、これはデート仕様のリップサービス!)

「だっ、駄目です……!」

「……そっか、残念。じゃあやっぱり、ココア撮らせて」

「あ、はい。飲みかけですみません……」

「いやいや、俺こそありがとう」


 撮影して、データを見返したAKIが表情を柔らかくする。

 意外と推しは可愛いもの好きなのだ。それがまた良いギャップ。

 と脳内で頷いていた凪沙は気づかない。

 ――こっそりと、凪沙の手が少し映るように撮られていたことなんて。

 AKIがプライベートで時々眺めてほっこりする画像になるだなんて、知るすべも無かった。


 こくり、とココアに口を付ける。

 甘い物は、なんだかほっとする。

 ざわついていた心が穏やかになったような気がした。

 AKIもかなり甘そうな飲み物をさっさと飲み干し、満足げにコーヒーに移行している。

 暫く水族館について会話に花を咲かせ、短時間ながらまったりと休憩を堪能した。




お読みいただきありがとうございます。

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