14.こゆるぎさんはときめきたくない②
『小動さんって落ち着いてるよね』
『効率的に物事を考えるのが得意で、合理的だね』
とは、仕事上の評価。
いかにタスクを減らして最適化するかは、学生時代から得意なことだった。
でも、姉に言わせると。
『あんた推しのことになるとポンコツ過ぎない?』
――否定できない。
グッズへの課金で無駄遣いという概念が消えるし、雑念だらけで正常な判断が下せなくなる。
どう考えても推しと出かけるなんて、例えマネージャー公認といえど、リスク管理が甘いとしか言えない。
なのに。
「凪沙さん?」
「あ……」
声をかけられて、放心していた凪沙は漸く我に返った。
「大丈夫?」
少し首を傾けて心配そうに尋ねる推し――顔が、良い。
げふっと吐血した気がした。
何という破壊力。
恐るべし、シチュエーション企画。
いやいや、ファンとして模範的な行動を取らなければ、と自らに喝を入れた。
表情を管理しようとして――温もりに気が付く。
(手! まだ手、繋いでる!)
「あああの、手を繋ぐのは不味いのではないでしょうか……!」
「……嫌だった?」
(眉を下げて聞くのは反則だと思います。ギルティ!)
推しがあざと可愛いので課金したい。
くうっと唇を噛み締めて、何とか平静を保った。
「嫌とかではなくて、もし写真を撮られたりしたら……!」
「マネージャーからも許可出てるし、大丈夫。――それに」
マスク越しでもわかるくらい、悪戯っぽく彼は微笑んだ。
「デートって普通、手を繋ぐものだろ?」
「う……っ!」
(エマージェンシー! 推しが尊すぎて罪! 捕まる!)
捕まるのは果たしてどちらかという所だが、AKIにはファンを沼らせすぎ罪が適用されると思うので、大いに反省してほしい。
まだ入場したばかりだというのに、既に爆発しそうである。
疑似デートをアドバイスしながら完遂できるのか、早くも自信がなくなってきた凪沙だった。
◇ ◇ ◇
結局手をつないだまま、最初の展示エリアにやってきた。
今日の主目的を考えるとこれ以上言い募ることもできないが、AKIの手の感触がひたすら刺激的すぎる。
握手会の一瞬だけでも贅沢だったというのに、畏れ多すぎるし、他のファンに万が一でも知られたらと身の危険を感じるのも怖い。
まだ指を絡めていないことだけが救いだった。
(――恋人つなぎ、アキはしたことあるのかな)
凪沙はあいにく未経験だ。
AKIも、仕事ではなくプライベートではあるのだろうか、とつい勘繰ってしまった。
そんな資格は自分にはないのに。
「――水族館って、こんな感じなんだ」
ふと聞こえたAKIの声に、顔を上げる。
通路を歩いた先。
現れた水槽の前で足を止め、彼は水中を覗いていた。
キラキラと輝く鱗。ひらひら揺れる尾びれ。
薄暗い照明のもとで、サンゴ礁に隠れながら動く小さな魚たちに、凪沙も思わず見惚れてしまった。
「ビルの上とは思えない……」
ぽつりと呟くと、AKIが振り返る。
「凪沙さん、水族館来たことあるんだよね?」
「あ、ここははじめてです」
「そっか。他はどこに行ったの?」
「ええと、学生の頃他県の水族館に姉と行ったのが最後です。子どもの頃には海沿いの――」
他愛ない話なのに、AKIは丁寧に相槌を打っていて、メッセージのやり取りそのままのトーンでぽつぽつと会話が続いた。
話しながら、ひとつひとつ水槽を見ていく。
あの魚美味しそう、なんて呟くAKIに凪沙も思わず笑った。
「食べたくなったんですか?」
「魚だし、つい。あのカニとかいっぱい食べれそうじゃない?」
「まあ、確かに……?」
「あ、ごめん。デートっぽくないかな?」
「いえいえ」
(寧ろ食欲旺盛で可愛いです!)
推しの視点が面白くて萌えた。
静かで、薄明かりの中水槽が目立つゾーンでは、他人にあまり注目することはなく、芸能人がいてもわかりづらい。
ガラスに少しだけ写る自分達は、一見普通のカップルのように見えて、ドキドキしながらも胸が痛い。
正体がバレないかとひやひやする気持ち。
彼を独占していることの罪悪感。
……ただの仕事だという事実の、虚しさ。
好きな人とデートのようなことをしていても、本当の恋人ではないのだ。
――自分はファンとしての一線を越えないと決めたのに、ふとした時に揺らぎそうになる。
例えば、明らかに自分より長い脚が、歩幅を合わせてくれていることに気づいた時。
例えば、はじめて見た生き物を興味深そうに見つめる、どこか子どもっぽい仕草。
例えば、ふとした拍子に握り直された手の温もりに、心臓が跳ねた時。
例えば、格好的にわかりづらいのに、穏やかに笑って優しくリードしてくれていることがわかること。
(うう、好き……駄目駄目、私はファン! これは仕事のお手伝い!)
「あ、これってカクレクマノミ?」
「ああ、これは違う種類ですね。似てますけど――クマノミって色々いて、性転換する魚だとか」
「へぇー、詳しいんだ」
「昔ガイドで聞いた話ですけど、面白かったので……」
足を動かしていると小さい展示が途切れて大水槽が現れ、思わず息を呑む。
天井から足元の下まで巨大なガラスの向こうに、海中が広がっている。
岩山と海藻が雄大な印象を与える中、射し込む光で水中が煌めき、大小の魚達が共に自由に泳いでいた。
「わ……」
その感嘆は、自分が漏らしたものかと一瞬思ったが、すぐに隣からだと気付く。
AKIの瞳はじっと、水中を追い掛けていた。
群れで泳ぐ魚が渦を産んでいる。
大水槽の明かりで先程よりも見えた彼の目は、星屑を散りばめたような輝きを宿していると凪沙は思う。
「――なんか、すごい、圧倒される」
「ですよね。あ、マンタ」
「うわ、近」
「下から見ると笑ってる顔みたいに見えて面白いですよね」
「確かに。……前沖縄に仕事で行った時、台風でシュノーケリング出来なかったんだ。出来たら、こんな感じだったのかな」
「ああ、PVの――」
言いかけて、はっと口を噤む。
小さな声だとはいえ、迂闊なことは言わない方がいい。
気を取り直して、すいすいと泳ぎ去るマンタのお腹にくっつくコバンザメを指差す。
「沖縄だと、たくさんマンタ見れるかもしれませんけど、コバンザメもたくさんいそうですね」
「うーん、あんまり集合体になったらぞわってするかもしれない」
「わかります。あきさ――」
普通に呼びかけかけた口をバチンと叩いた。
「……凪沙さん?」
「すみません。風見さん、ですね」
身バレ注意!
気を緩めすぎである。
「……じゃあ」
繋がれた手の親指が、僅かに手の甲をかすめる。
「暁良、って呼んでくれてもいいけど。一字しか違わないし、呼びやすくない?」
「んっ!?」
心臓が電気ショックを受けた気がした。
(お客様の中にお医者様はおりませんかー!)
脳内で施設職員が叫んでいる。危ない危ない。
さりげなく鼻血が出ていないか確認して、凪沙は顔を作った。
「いえ、それこそ気づかれそうでしゅし……っ」
噛んだ。恥ずかしさでしぬる。
俯いたら、くす、と小さな笑い声が振ってきた。
そして、ぽん、と頭に何かが触れる。
(え……)
心臓が、遅れて跳ねた。
「……凪沙さんのそういう真面目なところ、可愛いよな」
「か……っ」
推しは博愛主義者だったようです。
(あ、頭ポンとか、可愛いとか、ファンサが過ぎる! これ本当に大丈夫!? 炎上しない!?)
精神的にやられていることもあって、より足元がぐらぐらする感じがする。
だから、気付かなかった。
「危ない」
ぐい、と手を引かれ、たたらを踏む。
凪沙がいた場所を子どもが駆けていき、すみません! と慌てて追いかける親に声を掛けられた。
「大丈夫です」
と穏やかに返したAKIの声が、後頭部から振ってくる。
肩に、背中にあたる温もりに、一瞬何事か判断がつかなかった。
(ひえー! 近すぎる!)
推しにほとんど抱き寄せられるような体勢だった。
周りに気付かないにも程がある、と慌てて距離を取る。
「……凪沙さんさ」
解かれた手を僅かに上げ、目を細めて彼は言った。
「今日ずっと緊張してるよな。俺は一緒に来るの楽しみだったけど――俺とのデート、そんなに嫌だった?」
「そっ、んなわけないじゃありませんか!」
(この沼らせ王子は何を言ってる!?)
推しとのデートシチュエーションなんて、すべてのファンが夢見る出来事で、嫌なはずがないではないか。
自分の手汗がつかないかとか、心臓が大丈夫だろうかとか、周囲の反応とか色々相まって確かに緊張はするけれど、初デートでドキドキしないでいられるほど経験値も何もない。
「……そうか。じゃあ――楽しもうな」
いつの間にか弾んだ声でAKIがそう言って、またがっちりと手を繋がれていた。
「え」
意気揚々と歩き出した彼について行きながら、凪沙は混乱する。
(今、口から考えていたことが滑り出たような――どこまで何を言ったっけ?)
メーデーメーデー。
今日は自爆する日のようです。




