ティラノサウルス
「マルス!!!!!!」
ティラノサウルスの目に飛び込んできたのは、猛スピードでこちらに向かってくるナノの姿だった。ティラノサウルスは、目を見開いて驚く。
ナノの体は全身傷だらけだった。至る所に火傷を負い、皮膚が爛れている。それだけではない。腹には刀が貫通しており、大量の血が流れ落ちている。
ナノが使った魔法『エンドタイム』の威力は絶大だ。だが、この魔法には二つの欠点がある。一つは、発動までに時間が掛かり過ぎること。そして、もう一つは使用した術者自身も大きなダメージを負うということだ。
故に『エンドタイム』は別名『自爆魔法』とも呼ばれている。
『いつ死んでもおかしくない。ましてや、動けるはずがない』
大怪我を負った今のナノの状態を見れば誰しもがそう思うだろう。
しかし、いつ死んでもおかしくなく、ましてや動けるはずのないその体でナノは飛ぶ。
一刻も早く主を助けるために。
「シャインソード!!!!!」
ナノは絶叫するように呪文を唱えた。腕から光の剣が伸びる。光の剣はこれまでナノが発動させて中で最も長く。そして、最も鋭い切れ味を持っていた。
「ああああああああああああああああああああ!!!!!!」
ナノはスーに斬り掛かる。光の剣が凄まじい勢いでスーに向けて振り下ろされた。
バシッ。
光りの剣がスーに届く前に、大木で殴られたかの様な衝撃がナノを襲った。吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたナノの体が何度も地面を跳ねる。
スーの体からいつの間にか、新しく触手が一本生えている。スーはその触手でナノを殴った。スーにとっては蠅を追い払う以下の力だったが、ナノには深刻なダメージとなった。
何度も地面を跳ねていたナノがようやく止まった。仰向けで倒れるナノは全く動かない。
「……」
スーは倒れているナノをじっと見ると、触手をゆっくりとナノに向けて伸ばした。
ピキリ。
その時、小さな音がスーの耳に届いた。スーはナノに伸ばしていた触手を止めると、音のした方を見る。音は、ティラノサウルスがいる方向から聞こえた。
「グオ……オオ」
ピキリ。
ティラノサウルスの足を凍らせている氷にヒビが入った。
「グオ……オオ……オオオオオ」
ピシリ。
ティラノサウルスを縛っていた鎖に亀裂が走った。
通常、生物は十割の力を出すことは出来ない。何故なら十割の全力を出してしまうと自身の体に大きな負担を掛けてしまうからだ。そうならないように、脳は全力がでないように、体に制御を掛けている。だが、時に生物はこの制御を外し、全力を開放する時がある。
人間が脳の制御を外し、全力を出した場合、『普段全く運動をしていない人間がアスリートを超える速度で走る』、『普通の人間が何百キロの物を持ち上げる』ということも可能となる。
俗に『火事場の馬鹿力』と呼ばれているこの現象は、極度の興奮によって引き起こされる。
『我を忘れる程の怒り』、『自分の命の危機』そして、『誰かを助けたい』という想い。これらの感情が爆発した時、脳の制御は外れ、全力の力が引き出される。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
パリン。
ティラノサウルスの体中に巻き付いていた鎖が一斉に切れ、足の氷が一気に砕けた。さらに、その場を動いたことにより、空から降り注いでいた力も解除された。
脳の制御が外れたティラノサウルスの力により、スーの拘束魔法は全て打ち破られた。そのままの勢いで、ティラノサウルスはスーに襲い掛かる。
ティラノサウルスの筋肉線維が断裂しだした。さらに骨には小さなヒビが無数に入り始める。全力を出したことによる代償。ティラノサウルスの体に大きな負荷が掛かる。
だが、その代わり、今のティラノサウルスの力はこれまでで最も強くなった。閃光となり、空力加熱による炎とプラズマを身に纏ったティラノサウルスは、一瞬でスーの懐に潜り込む。
「グガアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
ティラノサウルスはスーの頭部に狙いを定めた。頬が裂けそうな程、口を大きく開ける。
「……グオ」
スーが鳴いた。それには構わず、ティラノサウルスはスーの頭部に喰らい付いた。
「グウウウウウウウウウ!!!!!」
スーの頭部を潰そうとティラノサウルスは渾身の力を込める。
頭部を失ってもスーが死ぬことはない。先程のことでティラノサウルスもそのことは分かっている。だが、頭部を潰せば、少しの間、スーは頭部の再生に時間を費やさなくてはならない。
『完全に元に戻る前に全部喰う!』
相手が再生する前に、頭も胸も足も尾も全て喰う。相手の全てを腹の中に納める。そうすれば、相手はもう再生できないはずだ。
「グムウウウウウウウウウ!!!!!」
スーの頭がミシミシと音を立て始めた。もう少し、あと一息でスーの頭部は潰れる。その時だった。
トス。
ティラノサウルスが突然、動きを止めた。
スーが首振ると、ティラノサウルスの牙は呆気なく外れる。潰れかけていたスーの頭部から黒い煙が立ち始めた。黒い煙は潰れたスーの頭部をあっという間に覆うと、数秒で消えた。黒い煙が消えた後には、完全に元に戻ったスーの頭部があった。
触手から、赤い血がポトポトと垂れる。その血は、ティラノサウルスの体から伝って来た血だ。
複数の触手を融合させ、先を槍状に変形させた巨大な触手。その触手がティラノサウルスの胸に深く、深く突き刺さっていた。
頭に喰らい付かれる直前、スーは新たな魔法を発動させていた。
『肉体弱化』
触れた相手の肉体を弱体化する魔法。この魔法を自分に掛けておけば、発動している間、触れている相手の肉体の弱体化させることが出来る。
ティラノサウルスは、この魔法を発動しているスーの頭に噛みついてしまった。そのため、ティラノサウルスは、知らず知らずの内に『肉体弱化』の影響を受けてしまった。脳の制御を外し、強化されていたティラノサウルスの肉体だが、『肉体弱化』により、元々の肉体の強さに戻されていた。
元の強さに戻されたティラノサウルスの肉体は、強化されたスーの攻撃を防ぐことが出来なかった。
「……」
スーはティラノサウルスに突き刺した触手を引き抜いた。ティラノサウルスの胸に大きな穴が開く。そこから、ドバドバと決壊したダムのように大量の血が流れた。
ティラノサウルスは、よろめきながら、ゆっくりと後退した。目がかすみ、周りの音が聞こえなくなる。筋肉の断裂や折れてしまった骨の痛みも感じない。
「フーフーウー」
ティラノサウルスは、荒い息を立てながらその場に立ち尽くす。
ティラノサウルスの視界が突然、切り替わった。
目の前には、巨大なティラノサウルスが何頭もおり、自分を見ている。彼は気付く。周りのティラノサウルスが特別大きい訳ではない。自分がまだ子供なのだ。自分の周囲には同じように子供がおり、その近くに割れた卵の殻があった。
どうやら、この場面は彼が生まれて直ぐに見た光景のようだ。
またしても、視界が切り替わる。
目線が少し高くなったので、先程より僅かに成長したようだ。親と思わしき、ティラノサウルスが捕って来た獲物の肉を小さくして、子供達に分け与えている。皆、我先にと親が差し出す肉に喰らいつく。順番などない。肉にありつくには他の子供を押し退けるしかなかった。強い者だけが肉を喰うことが出来た。
彼は末っ子で、他の兄弟より体が小さかった。そのため、兄弟との競争に勝てず、肉をほとんど喰うことが出来なかった。そんな彼を兄弟は、よく苛めた。栄養不足と兄弟の攻撃によって、彼は次第に衰弱していく。
普通であれば、そのまま死んでしまうだろう。しかし、ある出来事によって彼は救われることになる。
ある日、大人がいない隙を狙って、中型の肉食恐竜が現れた。巣を襲った中型の肉食恐竜は他の兄弟を全て食べてしまう。彼も食べられる寸前だったが、戻ってきた大人のティラノサウルスが中型の肉食恐竜を追い払ったので、何とか一命を取り留めることが出来た。
中型の肉食恐竜は、体の大きな兄弟を先に食べ、彼を後回しにした。小さく、弱い体が彼の命を救ったのだ。
視界が切り替わる。目線がかなり高くなった。あれから大分成長したようだった。
「グオオオオオ!」
「ガアアアアア!」
自分と別のティラノサウルスが吠え合っている。どうやら、メスを巡る争いのようだ。
「グオオオオ」
「グアハァ」
勝負はあっさりと付いた。彼は初めの戦いで、初めて負けた。
視界が切り替わる。
「ウゴオオオオオ」
「グハッ」
また負けた。
視界が切り替わる。
「ギャオオオ!」
「グハッ」
また負けた。
視界が切り替わる。
「ウゴオオオオオ」
「グハッ」
また負けた。
視界が切り替わる。
「グオーーーー」
「キューーー」
遂に、彼は戦わず、負けるようになった。
視界が切り替わる。
群れで最下位の彼は、夜の見張りをしていた。星を見るのが好きな彼は、見張りをしながら星空を見上げていた。すると、空から巨大な星が落ちてきた。
気が付くと、彼は別の世界にいた。
視界が切り替わる。
「テイラ、エルクルシムレア」
翼の生えた巨大なトカゲが何かを言っている。しかし、彼にその意味は分からない。翼の生えた巨大なトカゲは彼に襲い掛かった。何度も噛みついた後、彼を上空まで持ち上げ、落とした。
しかし、彼は生きていた。その時、彼は気付く。死ねば全て終わるということに。
『死にたくない!』
彼は無我夢中で、翼の生えたトカゲに逆襲した。そして、人生で初めての勝利を得た。
その日を境に、彼は一変した。
視界が切り替わる。
彼は、角の生えた動物を片っ端から食べていた。
視界が切り替わる。
彼は、二千匹の魔物と戦っていた。
視界が切り替わる。
彼は、卵の様なものから出てきた黒い動物の腕を喰い千切っていた。
視界が切り替わる。
彼は、巨大な虫と巨大な植物を蹴散らしていた。
視界が切り替わる。
彼は……空を飛ぶ二本足の動物と出会った。
視界が切り替わる。
彼は、空を飛ぶ二本足の動物から逃げていた。
視界が切り替わる。
彼は、空を飛ぶ二本足の動物が自分と一緒にいることを許した。
視界が切り替わる。
彼は、空を飛ぶ二本足の動物と一緒に地下にいた。
視界が切り替わる。
彼は、空を飛ぶ二本足の動物と一緒に地下にいる動物を蹴散らした。
視界が切り替わる。
彼は、空を飛ぶ二本足の動物が案内する先にいる多くの動物を食べていた。
視界が切り替わる。
彼は、空を飛ぶ二本足の動物と共に多くの二本足の動物と戦った。
視界が切り替わる。
黒い動物によって傷ついた彼を、空を飛ぶ二本足の動物が心配そうに見ていた。
視界が切り替わる。
傷ついた彼の世話を、空を飛ぶ二本足の動物は、懸命にこなした。
視界が切り替わる。
彼は、今に追いついた。
ティラノサウルスの脳裏にこれまでの一生が、再生された。時間にすれば、一瞬の出来事だったが、ティラノサウルスにとっては長い長い時間に感じた。そして、ティラノサウルスは気付く。
この世界に来て、半分以上の時間をティラノサウルスはナノと共に過ごしていた。
ティラノサウルスは、ふと、ナノに視線を向けた。
「うっ」
倒れていたナノが微かに動いた。ナノは目を開け、顔を上げる。
「マ……ル……ス」
ナノもティラノサウルスに視線を向けた。ナノは、消え入りそうな声で主の名前を呼んだ。
ナノが生きていることが分かると、ティラノサウルスは、自分の心に温かいものが溢れるのを感じた。
「フー、フー、フー、フー、フー、フッ……」
ティラノサウルスの体が、ゆっくりと傾いていく。そして、巨大な地響きと共にティラノサウルスは地面に倒れた。
無数の傷と胸に開いた大きな穴から、大量の血が流れ、地面に広がっていく。遠くから見ると、それはまるで花のように。
「フー、フー、フー、フー、フッ……フッ……フッ……フッ…………フッ…………フッ………」
ティラノサウルスの荒い息が徐々に小さくなっていく。
「フー、フゥ…………フゥ……………フゥ……………………フゥ……………………フゥ…………フゥ………………………………………………………」
ティラノサウルスの呼吸が止まった。同時に瞳の光も消える。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
そして、ティラノサウルスは、ゆっくりと静かに目を閉じた。
目を閉じたティラノサウルスの表情は、痛々しい体とは対照的に、とても穏やかなものだった。
「……」
倒れたティラノサウルスにスーがゆっくり近づいていく。スーは覗き込むようにティラノサウルスの顔をじっと見た。
「……クケッ」
スーは、口の端を歪める。
「クケケケケケケケケッケケケケッケケケケケケケケケ」
まるで笑う様な不気味な声で、スーは鳴き続けた。




