増殖する黒い魔物は楽園を蝕む
日がもうすぐ沈もうとする森の中。昼行性の魔物や動物は隠れ家に戻り始める。そんな彼らと交代するかのように、夜行性の魔物や動物が活動を開始し始めた。
「クピピピピイピピピピピピピ」
「コッピピピピピピイイピピイ」
ダークラビット。
大きさは通常のウサギとほぼ同じだが、彼らは二本足で歩くことが出来る。そのため、前足は人間の手と同じような形に進化し、物が持てるようになっている。
日が沈みかけた頃、ダークラビットの群れは目を覚まし、巣穴から出てくる。外に出たダークラビット達は早速、近くにある草を食べ始めた。
すると、一匹のダークラビットが不穏な音をキャッチした。
「ピイイイ!」
彼は警戒音を鳴らし、仲間に危険を伝える。警戒音を聞いた仲間達が咄嗟に逃げ出した直後、三匹の人狼が草むらから飛び出してきた。
逃げるダークラビット達。しかし、一匹のダークラビットが足を滑らせてしまった。足を滑らしたダークラビットと人狼達との距離が一瞬で縮まる。
もう駄目だ、喰われる!自分の命はこれまでと、そのダークラビットは覚悟した。
しかし、人狼達は足を滑らしたダークラビットを無視すると、そのまま森の奥に消えてしまった。
「?」
足を滑らしたダークラビットは、何故自分が助かったのか分からず、首を傾げた。
森の中を人狼達は猛スピードで走る。
地を蹴り、木々の間を抜け、倒木を飛び越え、途中どんなに美味しそうな獲物とすれ違ったとしても無視して走り続けた。
『何故此処に、巨大トカゲが?』
『それに、一緒にいた人間の姿をした魔物は何だ?』
『考えるのは、後だ!とにかく、今は急いで皆の元に!』
一刻も早く皆にこの事態を伝えなければならない。三匹の人狼はさらにスピードを上げ、森の中を駆け抜けた。
バキ。
「ガ……ガァアア……」
スーに咥えられているゴブリンが小さな呻き声を上げる。
牙はゴブリンの防具を貫通し、内臓に突き刺さっている。ゴブリンが身に着けていた防具はスーの牙の前に何の役にも立たなかった。
「グアア……ゴブゥ」
ゴブリンは口から血を吐き出すと、そのまま絶命した。スーはゴブリンを防具ごと飲み込む。今、スーが飲み込んだゴブリンが最後のゴブリンだ。他の九匹のゴブリンは全てスーの腹の中に納まっている。
『……』
ゴブリン達を全て平らげたスー。その表情は今までと変わらない。そんなスーに吸血鬼はそっと声を掛けた。
「まだ、足りない?」
吸血鬼は、スーに優しく微笑む。
「足りないのなら、もっと食べて良いんだよ?そのために此処に連れて来たんだから」
カンブリアの森。大昔から多種多様な動植物が生息する生物達の楽園。だが、圧倒的な捕食者にとっては、食べ放題のレストランに過ぎない。
「何なら……」
吸血鬼はさらに笑みを深める。
「この森の生物、全部食べても良いんだよ?」
『……』
吸血鬼の言葉を聞いた直後、スーから生えていた触手が体の中に引っ込んだ。
すると今度は、スーの胴体の一部が腫物のよう膨らんでいった。膨らみはまるで空気を入れられた風船のように大きくなっていく。
膨らみの直径が二メートル程に達した時、それはポロリとスーの体から離れた。
「ケ……ケ……ケケケ」
地面に落ちた肉の塊は、不気味な声を上げながら形を変えていく。最終的に、それは羽の生えた魔物の姿となった。
その魔物はスーと同じように全身が黒く染まっていた。人間のように二本の足で直立し、後足は鷹の様な形状となっている。前足にはコウモリのような翼があり、腰の辺りからはサソリの様な太く長い尾が生えていた。
そして、その頭部はティラノサウルスと瓜二つだった。
「おお!」
スーから生まれた黒い魔物を見て、吸血鬼はまるで初めて立ち上がった我が子を褒める様に拍手を送った。
「ケケッケケケ」
「グオ」
黒い魔物は笑う様に鳴いていたが、スーが小さく唸ると膝を折り、スーに傅いた。
「グオオ」
「ケケケ」
「ゴオオ」
「ケケッ」
スーは黒い魔物とまるで会話をするかのように鳴き合う。そして、何かを待つように、そのまま動かなくなった。
『……』
やがて、太陽が完全に沈み、カンブリアの森は闇に包まれた。スーはゆっくりと空を見上げる。そこには、満点の星が浮かんでいた。
しかし、スーの黒い目に星は映っていない。満点の星に目を奪われることなくスーは、ゆっくりと口を開いた。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
空から星を引きずり降ろしそうな咆哮が、森に響き渡る。
「クエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
黒い魔物もスーの咆哮に応える様に鳴いた。そして、翼を羽ばたかせ、夜空に飛び立った。
人狼と遭遇したダークビットの群れは落ち着きを取り戻すと、再び草を食べ始めた。
(良かった)
先程、運よく助かったダークラビットも安堵した様子で草を食べる。人狼が何故、自分を襲わなかったのかは分からない。だが、とりあえず自分は今、生きている。それでいい。
「ピッ!」
突如、どこからか仲間の悲鳴が聞こえた。ダークラビット達は草を食べるのをやめ、耳をピンと立てる。しかし、いくら耳を立てても周囲から怪しい音は聞こえなかった。
「?」
何かの間違いだったのだろうか?ダークラビット達は、警戒心を抱きながらも食事を再開しようとする。
「ピイ!」
またしても、悲鳴が聞こえた。今度は間違いない。仲間が何者かに襲われている。
「ピイイイイイ!」
群れの中の一匹が警戒音を発した。同時にダークラビットの群れは一斉に逃げ出す。先程、難を逃れたダークラビットは逃げながら、もう一度耳をピンと立てた。
ダークラビットの視力はさほど良くない。その代わり彼らは抜群の聴覚を持っている。ダークラビットの世界は音で溢れており、「音」で世界を見ているといっても過言ではない。
しかし、どんなに耳を澄ませても、やはり周囲から不穏な音は聞こえない。
「ピッ!」
「クルピ!」
それなのに、次々と仲間の悲鳴が聞こえてくる。
一体何が起きているのか?そう思った時、彼は何者かによって頭を地面に押さえつけられた。
「ピイイ!」
凄まじい力で頭を地面に押し付けられる。抵抗したが押さえつける力は緩まない。
頭を押さえつけられるまで、何者かが近づいて来るのに彼は全く気付かなかった。つまり、彼の頭を押さえつけている者はダークラビットの聴覚でも探知できない程の完全な「無音」で近づいて来たことになる。フクロウ並み……いや、それ以上だ。
ピチャ。
後頭部に何らかの液体が落ちるのを彼は感じた。次の瞬間、頭に激痛が走る。
ダークラビットを地面に押さえつけている黒い魔物は、口を大きく開く。口の中からあふれ出た涎がダークラビットの後頭部に落ちた。
「ケケケ」
口を大きく開いた黒い魔物は、そのままダークラビットの頭に齧り付いた。
「ギャガ!」
鋭い牙が彼の後頭部に突き刺さる。牙は彼の頭蓋骨を貫通し、脳まで達した。せっかく助かったのに、せっかく命拾いしたのに。そんなことを考える間もなく彼の意識は途切れた。
ダークラビットの頭に齧り付いた黒い魔物は、そのままダークラビットを丸呑みにする。そして、近くにいた別のダークラビットに襲い掛かった。
黒い魔物は、次々とダークラビットを捕まえては飲み込んでいき、ついには群れを全て喰い尽くしてしまった。
ダークラビットを喰い尽くした黒い魔物はピタリと動きを止める。そして、ブルブルと震えだした。
夜も深まった森の中では、他の夜行性の魔物や動物達が活発に動いていた。
ナーガもその内の一種だ。
上半身は人間、下半身は大蛇の姿をした魔物。強力な力を持ち、複数の魔法も扱える。
彼等は「ピット器官」と呼ばれる熱探知センサーを持っており、光りのない暗闇でも獲物が発する熱を探知することが出来る。
今宵はどんな獲物を狩ろうか?そんなことを考えながら、ナーガは夜の森を進んでいた。
その時、ナーガはチクリとした痛みを感じた。
ナーガは思わず、痛みがした箇所を見た。暗闇の中、何も見えないが確かに何かが自分の体にしがみ付いている。
すると、今度は先程よりも鋭い痛みを感じた。
「ギャア!」
あまりの痛みにナーガは悲鳴を上げた。慌てて、自分の体にしがみ付いている者を振り払う。何かが自分の体から飛び立つ気配がした。
何かが飛び立っても、痛みは全く引かない。ナーガは痛む箇所に触れた。
「グギャ!」
痛む箇所に触れた瞬間、さらなる痛みがナーガを襲う。ナーガが触れた部分。その部分の肉がゴッソリとなくなっていた。
(何だ?)
混乱するナーガだったが、損傷している箇所の治療が先だ。ナーガは肉がなくなっている部分に回復魔法を使おうとする。
しかし、何かがまたナーガの体にしがみ付いてきた。
またしてもチクリとした痛みを感じ、次に鋭い痛みが走る。ナーガは再び、しがみ付いてきた者を振り払う。何かが飛び立った後、痛む箇所に触れてみるとやはり、その部分の肉がなくなっていた。
ナーガは確信する。何者かが自分を攻撃している。いや……。
喰っている。
(くっ、どこだ!?)
ナーガは辺りを見渡すが、敵がどこにいるのか分からない。
暗闇の中、敵の姿は見えない。耳を澄ませても足音や羽ばたくような音は聞こえず、匂いもしない。ナーガはピット器官を頼りに、敵を探した。
(なんだと?)
しかし、いくら周囲を探ってもどこにも熱反応はなかった。
「ガッアア」
そうしている内に、また肉を喰われる。
(まずい、このままでは!)
ナーガは両手を広がる。敵がどこにいるのか分からない以上、攻撃しても当たる可能性は低い。ならば、自分の周りにドーム状の防御魔法を展開し、相手の攻撃を防ぐしかない。ナーガは呪文を唱えるために口を開く。
「リラ……アア……ア」
ナーガは呪文を唱えることが出来なかった。呂律が回らず、口を閉じることが出来ない。さらに強烈な眩暈を覚え、意識が遠くなる。ナーガは、その場にバタンと倒れてしまった。
(しまった……これは……)
ナーガを襲う症状。それは、明らかに毒によるものだった。肉を食い千切られる前に感じたチクリとした痛み。恐らく、あの時に毒を注入されたのだ。
(く……そ)
ナーガは何とか体を動かそうとする。しかし、体は石になったかのように動かない。
ナーガが体を動かそうとしていると、空から魔物が『二体』降りてきた。
空から降りてきた二体の魔物は、ナーガの近くに着地すると、トコトコとナーガに歩み寄ってくる。
(なん……だ?こい……つら……は?)
暗くて、はっきりとは見えない。だが、朧げながら、輪郭は分かる。しかし、ナーガがいくら記憶を辿っても、目の前にいる魔物と同じ形をした生物に覚えはない。
空から降ってきた二体の魔物は、不気味な声で「ケケケケケ」と鳴きながら、はしゃぐかのようにピョンピョンとナーガの周りを飛び回る。そして……。
「ギャア!」
空から降ってきた魔物の一体がナーガに齧り付いた。体は麻痺しているナーガだが、痛みははっきりと感じる。そして、それを見たもう一体の魔物もナーガに齧り付いた。
(がああ!……やめ、やめろ……おお!)
激しい痛みにナーガは狂乱する。だが、体は全く動かない。生きたままのナーガを二体の魔物は喰い続ける。
すると、二体の魔物は突然動きを止め、ブルブルと震えだした。
魔物の体に縦に亀裂が入る。亀裂を境に魔物の体は二つに分離した。そして、分離した二つの体は、それぞれが一体の魔物となった。
「ケケッケケケ」
「ケゥケゥケケ」
「クッエエエエ」
「クッケケケケ」
四体に増えた魔物達は喜ぶ様に鳴くと、再びナーガを喰い始めた。
スーが生み出した黒い魔物は三つの特性を持っていた。
一つ目は、「認知不可」。
スーが生み出した魔物は、「音」、「匂い」、「体温」、「電磁波」、「気流」など「視覚」以外の情報を相手に与えない。獲物に近づいても相手に音は聞こえず、匂いもしない。体温を感じることも出来ず、生物が体から発する電磁波や動く時に乱れる気流も相手は探知することが出来ない。これらの方法で相手を感知している動物や魔物は、彼らが近づいても気付くことができない。
スーが生み出した魔物を感知する方法は「視覚」のみ。しかし、光りがない暗闇の中では彼らの黒い体を認識することは難しい。ゆえに、暗闇の中で彼らを探知する方法は皆無に等しい。
二つ目は、「毒」。
スーが生み出した魔物は、サソリの様な尾の先端から毒を注入することが出来る。その毒は相手の体の自由を奪うもので、体の大きな相手でも二、三回刺されれば、動けなくなる。
三つ目は、「分裂」。
スーが生み出した魔物は、ある程度の量を食べると二体に分裂することが出来る。つまり、喰えば、喰うほどその数はネズミ算式に増えていく。
「ゲップ」
黒い魔物達はナーガを骨の一欠片も残さず喰い尽くした。ナーガを喰う間、分裂を繰り返した彼らの総数は、百体を超えるまでに膨らんでいた。
「キエエエエエエエエエエエ!」
黒い魔物の一体が奇声を上げる。
「ケエエエエエエエエエエエ!」
「コエエエエエエエエエエエ!」
それをきっかけに、黒い魔物達は翼を羽ばたかせ、森中に散らばった。
黒い魔物達は、捕食と増殖を繰り返しながら森を蝕んでいく。それはまるで、体の中に侵入したウイルスの様だった。




