間違い
「え?」
ホリエスは、間抜けな声を出す。何が起きたのか分からなかった。巨大トカゲはさっきまで遠くにいた。確かにこちらに近づいてきてはいたが、それでもまだかなりの距離が開いていた。それなのに、巨大トカゲはいつの間にかホリエスの隣にいた。口にかつての仲間を咥えて。
ガリウムは一線を退いたとはいえ功績を湛えられ、中央円卓議会のメンバーに選ばれる程の冒険者だったのだ。ホリエスもそんなガリウムの仲間。どんな魔物の攻撃だろうと、死角からの攻撃でない限り躱す自信がある。しかし、そんな二人が巨大トカゲの攻撃に対して、全く反応できなかった。
「え?は?え?」
ホリエスは、未だに状況が飲み込めず困惑する。
「あが、あがああああ」
そんな時、悲鳴が聞こえた。
「ぐがあああああ」
その声は確かにガリウムの声だった。ガリウムはまだ生きている。
「ガ、ガリウム!」
ホリエスは大声で呼びかける。
巨大トカゲはガリウムに噛みつく時、顔を横にし、掬い取るようにして噛みついた。ガリウムは今、寝ている状態で巨大トカゲに咥えられている。
普通なら巨大トカゲに噛みつかれた時点で即死している。だが、ガリウムは生きている。辛うじて急所を外れたのだろうか?
「がああああああ」
ガリウムが悲痛な叫びを上げる。ガリウムは恐らく重傷を負っているだろう。だが、魔法を掛ければまだ助かるはずだ。そのためには、巨大トカゲの口の中からガリウムを助けなければならない。
ホリエスは、巨大トカゲに向かって魔法を放とうと構える。
「グルル」
巨大トカゲが、ホリエスに視線を向けた。
「ひぃ!」
ホリエスが悲鳴を上げる。心臓は破裂するのではないかと言うほど激しく脈打ち始め、体はガクガクと震え、目はグルグルと泳ぎだした。
ガリウムを助けなければならない。だが、頭ではそう思っていても体はまるで呪縛魔法にかけられたように動かない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息が荒くなり苦しい。
(どうした、動け!動け!)
激しく念じるが、意に反して体は全く動かない。ホリエスは完全に『恐怖』という魔法によって縛られていた。
今まで、こんなことはなかった。どんなに強い魔物と戦った時にもホリエスは勇敢に立ち向かっていった。何故ならこれまでの魔物はどんなに強くても、どうにかすれば倒せるという想いがあったからだ。
だが、今回は違った。ホリエスは経験から、相手の強さを測ることが出来る。ホリエスは巨大トカゲの間近に立つことで、その強さを肌で感じ取った。
巨大トカゲの強さは、まるで底なし沼のように底が見えなかった。どうしても、勝てるイメージが浮かばない。浮かぶのは自分が無残に殺されるイメージだけだ。
動けないホリエスに巨大トカゲはゆっくりと顔を近付けた。その口にはまだガリウムが咥えられている。巨大トカゲの鼻息でホリエスの髪がなびく。
「はぁ、はぁ」
ホリエスの息はますます荒くなっていく。巨大トカゲは顎に軽く力を込めた。ミシリ、ミシリとガリウムの骨が折れる音がホリエスの耳に入る。
「があああ、ぐあああ」
激しい痛みにガリウムはさらに大きな悲鳴を上げた。
「ホ……リ……」
ガリウムは、震える手をホリエスに伸ばした。血まみれの手がホリエスの体に触れる。その瞬間、ホリエスの中の何かがパリンと割れた。。
「ひやわぁあああああああああ!」
声にならない叫びを上げて、ホリエスは巨大トカゲに背を向け走り出した。かつての仲間を見捨てて。
(殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!殺される!)
脳が、体が、全力で「逃げろ」と叫ぶ。足はもつれて上手く走れない。もうホリエスの頭の中に、ガリウムはいない。彼は、自分が助かる事しか考えられなくなっていた。
「ホ……リ……」
自分を見捨てて逃げ出すホリエスを見て、ガリウムの目に涙が溜まっていく。
(……だ)
先程、ガリウムはホリエスに逃げろと言った。だから、今自分を見捨てて逃げていくホリエスは何も悪くない。理屈ではそうだ。
(い……だ)
だが、人間の思考がいつも理屈通り納得するとは限らない。
(い……や……だ)
特に、死の恐怖に怯えている時は。
「嫌だあああアアアアアアアアアアアアアアア!」
気付けばガリウムは叫んでいた。
「ホリ……エス!助……け……て!」
ガリウムは血の付いた手を必死で、ホリエスに伸ばす。
「戻って……戻ってきてくれええええええええ!」
だが、その言葉はホリエスには届かない。ホリエスはどんどんガリウムから遠ざかっていく。
「あ、あああああ」
ガリウムは伸ばした手をダラリと下げる。死の恐怖に怯え、目から大粒の涙を零し、口から涎を垂らすその姿に、かつての一流冒険者の面影はない。
「がああああ、ぐああ」
巨大トカゲがさらに顎に力を込めた。ガリウムは最後の抵抗とばかりに暴れる。その姿はまるで癇癪を起した子供の様だった。
「や、やめ……えええええええええ」
しかし、巨大トカゲにとってそんな抵抗など、何もしていないのと同じだった。
「ごぽっ」
ガリウムの口から大量の血が飛び出る。通所の人間なら、とっくに死んでいるだろう。だが、皮肉にも冒険者として鍛えられた肉体は、ガリウムが簡単に死ぬことを許さなかった。
「があああああ」
潰されていくガリウムは、薄れゆく意識の中、ぼんやりと考える。
(俺は……何を間違えたのだろう?)
巨大トカゲを殺そうとしたことか?ラプタの言う通り、巨大トカゲなんか放っておけばよかったのか?他の議員と同じように自分のことだけを考えていれば良かったのか?それとも、そもそも議員になんてならずに冒険者を続けていればよかったのか?それとも、冒険者になどならなければ良かったのか?
それとも、それとも、それとも、それとも、それとも……。
ガリウムは考えるが、結局最後まで答えを見付けることは出来なかった。その前に巨大トカゲの口が完全に閉じたからだ。
自分の肉と骨が潰れる感覚。それが、ガリウムが最後に感じたことだった。
ガリウムを潰すと、巨大トカゲは逃げていくホリエスを見た。巨大トカゲは凄まじい速度で一回転すると、ガリウムだった肉塊を離した。
恐ろしいほどの遠心力が掛かった肉塊は、真っ直ぐホリエスに向かって飛んで行く。
「はぁ、はぁ」
息も絶え絶えに走っていたホリエスだったが、やがて青い壁にぶつかる。この壁を壊さなければ逃げることは出来ない。ホリエスは壁に触ると魔法を発動した。
「リジェクトフォーム!」
ホリエスは呪文を叫ぶ。だが、何も起こらない。
(くそ、やはり駄目か!)
ホリエスが発動した魔法は、防御魔法や、ドームゲージなどの対象を中に閉じ込める拘束魔法を解除する魔法だ。だが、解除できるのは自分の魔力以下で作られた魔法のみで、自分の魔力を上回る魔力で発動した魔法は、解除することが出来ない。
(どうする?どうする?)
ホリエスは親指の爪をガシガシと噛みながら考える。自分の力では、この魔法を解除することは出来ない。此処から出るには、魔法を発動したエルフ自身が魔法を解除するのを待つしかない。
(だが、そんな時間はない。ぼやぼやしていたら巨大トカゲが追ってくる)
ホリエスは巨大トカゲの様子を確かめるために振り向く。すると真っ赤な肉塊が凄まじい勢いで、ホリエスに向かって飛んで来るのが目に入った。
「ボ、ボイトバリア!」
ホリエスは防御魔法を発動させる。だが、肉塊は防御魔法を砕き、ホリエスに命中した。ホリエスは肉塊に押され、壁に叩きつけられる。
「ぼぎゃ!」
ホリエスの体は、魔法の壁と肉塊に挟まれて潰れた。その肉塊が、かつての仲間だと理解することも出来ずに、ホリエスも潰れた肉塊となった。
『さてと』
ガリウムとホリエスを始末したティラノサウルスは、残った兵士達を見る。心が折れ、座りこむ彼らに戦う意思は最早ない。だが、ティラノサウルスにそんなことは関係ない。戦う意思があろうがなかろうが、この場にいる二本足の動物は全て殺すと決めた。
「ひ、ひいいいいいいいいいい」
ティラノサウルスと目が合った兵士達はガタガタと震える。ティラノサウルスは恐怖で動けない彼らに一歩近づいた。
その時、白い閃光が兵士達の間を駆け抜けた。白い閃光が通り過ぎた後、兵士達の首がポロリと落ちる。白い閃光はそのまま、ティラノサウルスの前で止まると片膝をついた。
「マルス、エンジレイト(王、終わりました)」
ナノは片膝をつきながら、命令を終えたことを報告する。その口調は、淡々としたものだったが、強い満足感がにじみ出ていた。
ティラノサウルスは、ナノが来た方を見る。そこには数えきれない程の屍の山が築かれていた。
『フン!』
ティラノサウルスは荒い鼻息を吹き出すと、ノシノシと歩き出した。ナノは『ブルーゲージ』を解除する。周りを囲っていた青い壁が消えた。
ティラノサウルスは、大量の屍の山を歩く。
死体がグチャリと潰されていく。だが、ティラノサウルスは死体を見ようともしない。ティラノサウルスにとって人間の死体は、道端に転がっている小石と同程度の価値しかない。
ナノも人間の死体に目を落とすことはない。ただ、ティラノサウルスを見ながら後に続く。
八つ当たりに人間を皆殺しにしたことによって、ティラノサウルスの怒りは一応、落ち着きを見せる。しかし、その怒りは完全に鎮火したわけではない。
『絶対に許さない』
頭に吸血鬼の姿が浮かぶ。ティラノサウルスは、脳内の吸血鬼をバラバラに引き裂いた。
ティラノサウルスが他の生物の命を奪う時は、主に二つ。
一つ目は捕食する時、もう一つは、自分に戦いを挑んでくる者を返り討ちにする時だ。しかし、ティラノサウルスは三番目の理由で相手の命を奪おうとしていた。
それは、『復讐』。
喰う為でも、返り討ちにするためでもない。自分を傷付けた者に、自分以上の痛みを与えたい。そのためだけに戦おうとしていた。
ティラノサウルスとナノは、そのまま草原を去った。後には、おびただしい数の人間の死体とポッカリとむなしく開いた大穴だけが残された。
巨大トカゲ討伐作戦は、人間側の全滅という最悪の結末で幕を閉じた。
ペルム国中央。
大半の市民は普段と変わらぬ生活をしていた。彼らはまだ、巨大トカゲ討伐が失敗に終わったことを知らない。
ペルム国中央に中央円卓議会会場がある。ペルム国中央円卓議会の会議は、常にこの建物で行われていた。ペルム国中央円卓議会は滅んだので、いずれ名を変えられることが決定しているこの建物は、ペルム国の中で最も高い建物だ。その最上階にその男はいた。
デノ=ニクス。
元中央議員円卓会議のメンバー五十人の内の一人で、ガリウムと共にクーデターを起こした男だ。ガリウムが巨大トカゲ討伐に向かっている間、彼は此処で内政の処理をしていた。
「ふぅ」
忙しい業務がやっと一段落し、ニクスは休憩室で休んでいた。部屋には彼一人しかいない。
その時、休憩室の真ん中に人間ほどの大きさの黒い球体が突然現れた。黒い球体は、パンと音を立てて弾ける。
黒い球体が弾けると、そこには漆黒のドレスを纏った少女がいた。
黒いドレスを着た少女は、ソファーで休んでいるニクスを見る。少女を見たニクスはソファーから立ち上がった。
「お帰りなさいませ」
ニクスは少女に向かって片膝をついた。
「うん、ただいま」
少女は前から欲しがっていたおもちゃを手に入れた子供の様に笑っている。その笑顔はとても無邪気なものだった。
「じゃあ、始めようか」
ウキウキとした様子で、吸血鬼はさらに笑みを深めた。




