脱出
落とし穴の中から巨大な咆哮が辺りに響いた。
それは鳴き声と呼ぶには、あまりにも巨大な音だった。近くで爆弾が爆発する時発生する爆発音よりも大きく、爆発音よりも長い時間、その音は鳴り響いた
「があっ!」
「ぎゃぁああ!」
その咆哮は、兵士達や冒険者の耳を直撃した。皆、とっさに耳を塞ぐがもう遅い。巨大な咆哮は既に鼓膜が破り、脳を揺さぶっていた。
「ぐああぁあああ」
兵士と冒険者達がバタバタと倒れていく。強烈なめまいと吐き気に魔法使い達は立ち上がれない。
「がっぐは……」
爆音によるダメージを受けたのは地上の人間ばかりではない。
背後からナノを斬ろうとした人間が、グラグラとよろめく。脳にダメージを受けたことで意識が朦朧として、魔法が強制的に解除される。手から出していた魔法の剣が消え、飛行魔法もプツリと途切れてしまう。
「ああ、アアア……」
『ランフォリン』の五人が下に落ちていく。意識が定まらず、魔法が使えない彼らはこのままでは、地面に叩きつけられるだろう。
「『ソフトリクイド!』」
誰かが魔法の呪文を唱える。すると、『ランフォリン』の五人の下に巨大なゼリー状の物体が現れた。ゼリー状の物体は、落ちてきた五人を優しく受け止める。
「よくやった。ホリエス!」
ガリウムは隣にいたホリエスに、労いの言葉を掛ける。彼は、他の兵士や冒険者達と違って、しっかりと立っている。鼓膜も破れていなければ、脳にダメージも負っていない。
無事なのはガリウムだけではない。彼の仲間のホリエス。そして、彼らの周辺にいた数十人の兵士と冒険者は皆無事だ。
『ホリエス、オリルバリアを!』
落とし穴から不気味な音が聞こえるという報告を受けたガリウムは、とっさに最上級の防御魔法を発動するようにホリエスに命令した。
ホリエスは、ガリウムの命令を聞くや否や自分の周囲に最上級防御魔法を発動し、自分とガリウム、そして周囲の人間を守った。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……オオ……オオオ……オオ……」
巨大トカゲの鳴き声が止むと、ホリエスは防御魔法を解除した。
「くそ!」
ガリウムは周囲の倒れた兵士を見て、ギシリと歯を噛みしめる。
「まさか、ただの鳴き声だけでここまで……」
落とし穴の空のホリエスが発動した『オリルバリア』は最上級の魔法だが、発動できる範囲が狭い。どんなに優秀な魔法使いだとしても、十メートルが限界だ。それより外にいた者達は、守ることが出来なかった。
ガリウムは上空を見上げる。そこには、耳を押さえていた手を降ろすエルフがいた。
(奴は、知っていたのか)
エルフは巨大トカゲが人間の鼓膜を破る程の咆哮を上げることが出来るのを知っていた。だから咄嗟に耳に手を当てて、それを防ぐことができた。
落とし穴から聞こえたあの不気味な音。そして、落とし穴に向かって倒れていた草。あれは、巨大トカゲが大きく息を吸っていたために起きていたことだったのだ。
ガリウム達は、巨大トカゲは何の飛び道具を何も持っていないと思っていた。しかし、巨大トカゲは「鳴き声」という強力な飛び道具を持っていた。
ガリウム達はそれを知らなかった。だが、ナノはそのことを知っていた。
ダンジョン第十五階層:「樋嘴の間」。
以前、ナノとティラノサウルスはダンジョンという地下の遺跡に落ちたことがある。ダンジョンはいくつもの階層に分かれていた。その内の一つで、ティラノサウルスは、そこにいた魔物達を鳴き声だけで一掃したことがある。
ナノは知っていた。主の鳴き声は強力な武器になるということを。
巨大トカゲの巨大な咆哮を聞いた人間達は未だに立ち上がれない。落とし穴の魔法陣に魔力を注入することが出来る者がいなくなれば、無限落下する落とし穴は、ただの落とし穴になってしまう。
だが、ガリウムはニヤリと笑った。
「残念だったな!」
ガリウムは落とし穴の方を見る。そこには、落とし穴に魔力を注入し続ける魔法使い達がいた。
落とし穴から、不気味な音がしているという報告を受けたガリウムは冒険者としての長年の勘から、嫌な予感を感じた。当然、巨大トカゲが何をしようとしているのかは分からないが、とにかくこのままでは危ないと感じた。ホリエスに最上級の魔法の発動を命令したのは、何が起きるか分からなかったからだ。
しかし、巨大トカゲの咆哮は最上級のバリアでなくても十分に防げるものだった。
落とし穴は三百人の魔法使い達が百人ずつ三重に囲んでいる。その三列目にいる魔法使い達は三百六十度、何処からの攻撃に対しても対処できる防御魔法を常に発動している。
巨大トカゲの咆哮は、その防御魔法で十分に防げるものだった。ダメージを受けたのは、防御魔法を発動していなかった落とし穴から離れた人間達だけだった。
(魔法でもなんでもないただの「鳴き声」で、攻撃するとは驚いた。だが、作戦には何の影響もない!)
落とし穴の周辺にいた魔法使いは無事。巨大トカゲの鳴き声でダメージを受けた人間も見る限り死んでいる者はいない。ホリエスに広範囲回復魔法を発動させれば、十分に元の状態に戻すことが出来る。
ガリウムは上空を見上げる。そこにいたエルフは、グラグラと揺れながら浮いている。
『ランフォリン』に受けたダメージはそのままだ。『ランフォリン』が回復すれば直ぐに倒せるだろう。
(巨大トカゲがさっきの鳴き声による攻撃をしたとしても、次は、ただの防御魔法で守ることが出来る)
作戦は続行可能だ。ガリウムはそう判断した。
「ホリエス、『ラージヒール』を……」
『緊急、緊急!』
ガリウムは広範囲回復魔法の発動をホリエスに指示しかけた時、突然ガリウムの頭の中に声が響いた。ライトテレパシーによる伝令だ。
『どうした?』
『そ、それが……』
ガリウムの頭の中に響く声は震えている。それだけで、何か大きな事故が起きたということが分かった。
『一体、どうしたんだ?』
『は、はい!実は……』
頭の中の声は、震えた声で叫ぶ。
『先程の巨大トカゲによる咆哮で、落とし穴の内部の魔法陣の一部が破損しました!』
その言葉を聞いたガリウムの頭は一瞬、真っ白になる。
魔法陣。特に転移魔法に使われる魔法陣は複雑な構造をしている。もし、魔法陣の一部でも破損してしまえば、転移魔法そのものが発動しなくなってしまう。
『わ、我々はど、どうすれば?』
頭の中に響いた声に、ガリウムは我に返る。
『直ちに、その場から避難し……』
ガリウムが落とし穴周辺の魔法使い達に避難指示を出しかける。だが、その指示は数秒遅かった。
落とし穴から、巨大な影が飛び出した。
巨大な影は天高く舞い上がると、そのまま下に落ちる。落下地点は落とし穴の手前、魔法使い達が密集している場所だ。魔法使い達が発動している防御魔法を突き破り、ドンという地響きと共に巨大な影は地面に着地した。数人の魔法使いを踏み潰して。
「グオオ」
ティラノサウルスは、短く鳴くと背伸びをするように体を伸ばした。そして、周りにいる人間達をジロリと見た。




