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6.告白のその先

「ご馳走さまでした」

 直人はご飯を食べ終え、手を合わし、そう(つぶや)くと、ゆっくり洗面台の方へと歩いて、何時ものように青い歯ブラシに少量の歯磨き粉をつけた。歯ブラシ立てには、まだ新品のままの包装がされてある、何故か小さな女の子用の赤い歯ブラシも一緒に立てかけられてある。幾度となく買い替えられたはずなのだが、あの日から家族間では、姉の年は止まったままの状態なのだ。そしてずっと無言のまま、その同じ場所で姉の帰りを待ち続けている。

「ねぇ、今日も遅くなるの?だったら外でご飯、済ましちゃってくれないかな?母さん、今日、残業頼まれちゃってるのよ、悪いけど、お願い。あ、お金持ってる?」

 母は、都内の大学病院で准看護師として働いていた。暫くは父の看病に現場を離れていたものの、2年前より復帰をしたのだ。父が生前、罪の意識に(さいなや)まされていた間も毅然と強くあろうとしていた。無理をしていたのは承知なのだが、そんな母を直人は誇らしく思っていた。

「いいよ、わかった、大丈夫だよ。バイト代も入ったばかりだし…あぁ」

 直人が奇声をあげた。

「どうしたの?」

「今日、何日?」

「23日だけど?」

 高校より一緒に大学へと進学した梨沙の誕生日である。それも、今日は直人にとっても特別な日だった。直人は慌てて、2階から、財布、携帯、鍵、そしてショルダーバックと引き出しにしまってあった2枚のチケットを持って家を急いで後にした。


 大学の広い講堂で心理学の講義を受けていると、遅刻して教室に入ってきた親友の真二が横にそっと腰かけてきた。

「おい今日、梨沙をデートに誘うんだろ?いつだ?」

 真二とは気の知れた幼馴染みで、高校は離れていたのだが、同じ大学に来ていることを知り、再度、交尾(つる)むようになっていた。

「一応、昼過ぎにコートの端のベンチで待ち合わせしてるよ」

「いいな〜、なあもし、お前がダメだったら、俺も梨沙にアタックしていいか?」

 真二が言うことはいつも、どこまでが本気なのか時々、わからなくなることがある。

「馬鹿か、お前だけは駄目だよ」

「な、つめてーな。俺だけってどういうことだよ。ま、冗談だけどな」


 少し早めに昼食を済ませた直人は先にベンチに腰掛けていて、梨沙を待っていた。その様子を真二は物陰から覗いていた。

「大丈夫かな?あいつ、ほんと奥手だからな。いざという時は、手助けに入ってやるかな。ん?その時の俺のセリフも決めておかないとな」

 真二は直人とは違って明るく社交的で、とにかく女の子たちへのアプローチは旨かった。その軽快な話術は相手に不快な思いをさせることもなく、デートへと持ち込めるのだ。小さい頃はどちらかと言えば、彼の方が内気であったろうと思われるのに、高校の時の友達というものは恐ろしいものだ。これだけ人を変えてしまうのだから。と直人はしみじみ感じていた。だが、彼の場合は良い方向に変わったのだから、申し分ない。直人が知る限りでも、そんな真二は数人の女性とのデートを重ねているのだが、直人が聞き正せば、いつも「ん?ただの友達だよ」との言葉が返ってくるのである。ある意味、羨ましい限りだ。

 直人はいつもの癖である、前屈みになり、眉間に人差し指と中指をあてて、考え込むような姿勢をとった。

「あの、バカ。こんな時にまで…」


「直人君?」

 直人が声のした方向に顔を上げると、そこにはサークルでテニスを楽しんでいる梨沙がラケットを持って立っていた。梨沙は中学の時からテニスをしてきたのだが、色黒だった女の子が、いつしか色白で透明な雰囲気のする女性へと変わっていく様子を直人はいつも隣で見続けてきたのだ。恋心を持たない方が不思議である。

「あ、ゴメン」

「どうしたの?急に呼び出して」

 梨沙は直人の左側にちょこんと腰かけた。

「あ、いや。今日、誕生日だよね?」

「え?あ、覚えててくれたの?嬉しい」

 直人は高校の頃からいつも、この心の底から無邪気に笑う彼女の横顔が大好きだった。

「あの〜良かったら、今日、テニスが終わった後、映画でもどうかな?って。チケット2枚あるんだけど」

 梨沙は少し困惑した顔で、

「ゴメン、今日もう先約があるんだ」

「あ、じゃあ、明日でもいいよ」

 梨沙は何かを察したのか、直人の顔を真っ直ぐに見ることが出来なかった。

「あのね、私、好きな人ができたの。同じサークルの先輩。だから、今までのようには、二人でって遊びに行けなくなったの」

「あ、そうなんだ。相手はもしかして谷口先輩?」

 梨沙は小さく頷いた。

 直人はその仕草に落胆するように再び、人差し指と中指を眉間に充てて前屈みになった…。


 5分前…


「直人君?」

 直人が声のした方向に顔を上げると、そこにはサークルでテニスを楽しんでいる梨沙がラケットを持って立っていた。

「あ、ゴメン」

 直人は我に返った。が、彼女のことを直視できなかった。

「どうしたの?急に呼び出して」

 梨沙は直人の左側にちょこんと腰かけた。

「あ、いや。今日、誕生日だよね?」

「え?あ、覚えててくれたの?嬉しい」

 直人は慌てて、ポケットから映画のチケットを2枚、取り出して、梨沙にそれを差し出した。

「だからほら、誕生日プレゼント。谷口先輩と行って来なよ。結構、面白いってこれ評判だからさ」

 梨沙は突然、直人から発せられたその名前にビックリした。

「え?なんで?どうして知ってるの?誰に聞いたの?まさか留美?」

「いや、今君から…」

 しまった…。直人はマシンガントークに圧倒され、ついそのように口走ってしまった。

「え?私?何を言ってるの?」

 直人は慌てて、訂正した。

「いや、そうじゃないかな?って。ほら、梨沙は態度や顔に出やすいから、すぐにそういうこともわかっちゃうんだよね」

 梨沙はその言葉を聞いて、顔を赤らめていった。

「もしかして、私のことを応援してくれてるの?」

「あ、当たり前じゃん、いつもそうだったろ?頑張れよ」

 直人は少し上ずりそうな声を必死で抑えようとしていた。梨沙は優しく微笑んで、立ち上がり、そのチケットに手を伸ばした。

「じゃあ、遠慮なく貰っておくね、ありがとう。直人くんって、ずっと優しい人なんだね」

 そう言って去っていく嬉しそうな後ろ姿を見て、直人は大きなため息をひとつついた。一部始終を物陰から見ていた真二が態勢を低くしながらも、なお隠れるように直人の右隣に腰を下ろしてきた。

「お前、やっぱバカだな。え?梨沙ちゃんに好きな人がいるって前から知ってたのか?」

 真二は呆れた様子で雲一つない澄み切った空を見上げた。

「いや、彼女に聞いた」

「はぁ?お前の口からしか聞こえてこなかったぞ」

「お前、まさか全部見てたのか?」

 そうだ、真ニにもこのことについては理解できるはずはない。例え親友である真二にも秘密にしておきたい事の一つや二つはあるものだ。ましてや、それが通常に考えると、理解しがたい事となると尚更だ。

「あ、だから、そうじゃないかなって」

 真二は大きく肩で息をしてみせた。

「お前な、優しすぎるんだよ、もう少し女の子には強引にいってもいいんじゃないか?そんな強引なお前になんなきゃな、いつまで経っても彼女なんて出来ずに、一人のままだぞ」

 直人は昔からずっとそうだった。好きな女の子が出来ても一度だって告白することが出来なかったのだ。それはその先をいつも知っているから…とも言えずにいた。


「わかった、わかった。仕方ない。失恋ついでに今日は午後からの授業をサボろうぜ。久しぶりに二人でカラオケでも行ってさ、パッと行くか?」

 なんのついでなのだか…。この真二の気持ちの切替には、見習いたいものがあった。

 少し下を向いて笑みをこぼした後、気持ちを吹っ切るように直人もその重い腰をあげた。

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