第4話 青衣の魔貴族 2
キディアスは、大きく頷いた。相変わらず刺すような目つきで七都を見つめながら。
「ちょっと待った。なんで愛人なの? 恋人も嫁もすっとばして、いきなり愛人?」
「ご不満ですか?」
キディアスが、冷ややかに訊ねる。
「ナイジェルは、恋人もお妃もいないって言ってたよ。当然、独身なんでしょ」
キディアスは、ふうっと溜め息をつく。
「ほほう。既にそういうお話もしておられるのですか。これはこれは」
「他の話のついでに聞いただけだ」
「では、側室がお望みですか? それとも寵姫? 正妃には、王族の姫君でないとなれませんよ。どれも当てはまらないとなると、『愛人』という曖昧かつ低俗な呼称でしか、あなたの地位を表現できませんからね」
一応わたし、王族の姫君みたいなんだけどな。だから、正妃になれる資格はあるのでは……。
七都は、思う。
水の魔王の王位継承権だって、持ってる。五十番目だか百番目だかになるかもしれないけど。
そういう情報は、この人、知らないんだ。ストーカーなのに。
避難所の中では、カーラジルトがたぶん外部から守ってくれていただろうし、立ち聞きなんて出来なかったのかもしれない。
ナイジェルも余り細かいことは、この人には話していないのかも。
わたしが彼の冠にさわれることとか、風の城のリュシフィンに会いに行かなきゃならないこととか。
知っていたらキディアスも、わたしのことを王族かもしれないって思うはずだもの。
だけど、そういうこと言ったら、この人の態度、変わるのかな。
こういう敵意むき出し状態じゃなくて、もっと穏やかで友好的になる?
だったら、言ったほうがいいのかな。
でも言ったとしても、素直に信じてくれるのだろうか?
そもそも、何でそういう愛人とかの話が出てきたんだろう?
「ねえ、キディアス。その前に。ナイジェルが、わたしを愛人にしたいって、あなたに言ったの?」
七都は、キディアスに訊ねる。
「いいえ」
キディアスは、首を振った。
「じゃあ、もちろん、わたしを水の都に連れて来いなんてことも、絶対に言ってないよね。彼は知ってるもの。わたしが風の都に行かなければならないことを。たぶん、あなたの勝手な判断だよね」
「そうですね」
キディアスは、認める。
「第一、ナイジェルは、わたしのこと好きだって、そう言った?」
「いいえ」
キディアスの答えを聞いて、七都は少し寂しくなる。
そうだよね。
きっとこの人が、自分の独断と偏見に基づいて、勝手に突っ走ってることなんだ。
ナイジェルが、そういうことをこの人に言ったわけじゃない。
「でも、おそばにいるとわかりますからね。あの方があなたを慕っておられるということは」
キディアスが冬の海色の目で、七都を射抜くように見つめる。
「え?」
「あなたのことを大層楽しそうにお話される。とてもやさしい眼差しとお声で、無邪気にどこか夢見るように。あの方のあんなご様子を拝見するのは初めてです」
胸の奥をぎゅっとつかまれたような感覚。
ナイジェル。わたしのこと、慕ってくれてるの? 本当に?
七都は、ナイジェルの笑顔と彼の透明な水色の瞳を思い描く。
キディアスは、七都の様子を氷のような冷たい視線で眺めた。
「あなたはシルヴェリスさまの弱みです」
キディアスが言った。
「弱み?」
「あなたが別の世界にいるのなら、あきらめもつく。だが、あなたにこの世界でうろうろされると、あなたの行動如何でシルヴェリスさまのお心は乱れてしまいます。たとえば、あなたはこれから地の都に入るおつもりのようだが、太陽が平気なあなたに興味を持たれて、エルフルドさまがもしあなたを拉致などなされたら。そして、シルヴェリスさまがあなたを助けようと出て行かれたりなどしたら……。もはやあなただけの問題ではなくなる。魔王さま同士の争いに発展してしまうのですよ」
「大げさな。それ、あなたの妄想でしょう」
「妄想ではない。そういうことは、過去に何度もあったようですからね。たった一人の女性をめぐって、魔王さま方が争うということは」
傾国の美女……か。
漢文か何かの時間に習ったな。
まさか自分がそうなるとは思えないけど……。
「エルフルドさまは、たぶん、あなたたちが思ってるほど、ひどい性格じゃないよ」
七都は、キディアスに言った。
「あなたが楽観的に考えておられるほど、よい性格をされているとも思えませんね」
と、キディアス。
「あなたね。今、エルフルドさまの悪口を言ったね。もしエルフルドさまに会ったら、言いつけてやるから」
七都が言うと、キディアスは顔をしかめる。
彼にとって七都のおちょくりは、ダメージよりも不快感のほうが大きかったようだ。
「エルフルドさまだけとは限りませんよ。あなたはとても危なっかしいのです。あなたの意思に関わらず、もしあなたが……」
キディアスは、口ごもった。
「もしわたしが発情なんかしたらって、そう言いたいわけね?」
「おわかりになっておられるなら、話は早い」
キディアスは口を歪める。たぶん、皮肉っぽく笑ったのだろう。
「ですから、あなたがそうなってしまう前に、シルヴェリスさまのもとへお連れしたいのですよ。シルヴェリスさまの弱みであるあなたは、あの方のおそばに置いておかねばならない。そうすれば、あなたが誰かに利用されて、シルヴェリスさまが危険な目に遭遇されることもない。あなたがおそばにいれば、あの方も魔の領域の外へは散歩には行かれないでしょう。そのためにも、あなたにはぜひ来ていただかねばなりません」
「悪いけどキディアス。わたしは水の都へは行かない」
七都は彼に言った。
「ナイジェルには、会いたいと思う。とてもね。いっぱい話がしたい。でも、彼に会うのは今じゃない。わたしが今行かなければならないのは、水の都ではなく風の都。まず風の都に行って、そのあとナイジェルに会う。居場所がわかってるんだから、いつでも会えるもの。わたしは、わたしがやらなきゃならないことを片付けてから、自分で彼に会いに行くよ。それにわたしは、愛人になんかならないから。愛人がどうとかいう以前に、ナイジェルとわたしは、お互いの気持ちもまだ確かめ合っていない。そういう段階じゃない」
「では、私と一緒には来てくださらないと?」
キディアスが、冬の海の藍色の目で、七都を見つめた。
「うん。ごめんね。せっかく来てくれたのにね」
ご苦労なことにストーカーまでやってくれたのにね、と七都は心の中で付け加えた。
「そうですか……。それは、残念ですね」
キディアスは、おもむろに腰の剣を抜いた。
銀色の鏡のような剣が七都の正面にかざされる。
それは明らかに、七都に照準を定めていた。
「キディアス。それ、何の真似かな?」
七都は、透明な赤紫の目でキディアスを見据えた。
「シルヴェリスさまのやっかいな弱みは、なくしてさしあげなければ。つまりそういうことです」
「なくすって……。わたしを殺してしまおうってこと?」
「野蛮な言い方では、そうなりますね」
キディアスは、剣を七都に向けて構えた。
「さっきわたしに、いきなり剣を突きつけて脅すのは失礼だって言ったじゃない。その失礼なことを自分から率先してするわけ?」
「脅しではない。本気です。本気で、あなたには消えていただきたいと考えてますよ」
キディアスは、ぞっとするようなことを落ち着き払って口にした。しかも獲物と定めた七都から、一瞬たりとも目をそらさない。
「なんでそう両極端なの? 愛人か、でなければ殺すかって。偏りすぎだよ」
「消えるのがおいやならば、私と一緒においでください」
「それは出来ないってば。わたしが行かなきゃならない場所は、水の都じゃない」
「では、やはり、消えていただくしかありませんね」
七都は、鞘の上から剣を握りしめる。
剣を抜く気にはなれなかった。
「あなたとは戦えない。あなたはナイジェルの大切な人なんでしょう。わたしたちが戦ったら、ナイジェルは悲しむと思う。やめようよ、キディアス」
七都は言ったが、キディアスは仮面のような顔で七都を眺めた。
「もしあの方がご存知になられればね。しかし、私たちが戦って私があなたを死なせたという事実は、あの方の耳には入りますまい。私が口を閉ざしてしまいますからね。我々魔神族は、死んでも人間のように遺体は残りません。あなたがここで亡くなってしまっても、誰にもわからない。死ぬ前に思いを飛ばすという方法もありますが、お若いあなたには、まだそういうことは出来ぬはずだ。出来たとしても、私が邪魔をさせていただく。シルヴェリスさまとあなたは、まだ淡い恋の、ごく最初の段階のようですからね。あなたがこの先姿を現さなくても、あの方は、あなたが生まれ育った元の世界を選んだのだと思われるでしょう。そして、あなたのことはすぐにお忘れになり、やがて、高貴で従順で決して外をうろつかれない姫君を伴侶にされるでしょう」
このストーカー、なんだかどこまでもいやなヤツだ。
七都は、キディアスを睨みつけた。
ナイジェルが心を許している優秀な側近なんだろうけど。かなり性格に問題あり、だ。
よくこういうひとりよがりで突っ走る側近を、ナイジェルは抱えているよね。
もっともそれは、ナイジェルだから出来ているのかもしれないけど。
だけど、どうしよう。
七都は、途方に暮れる。
剣を抜いてしまったら覚悟を決めて戦うしかなくなる。
だが、そうなったら、もちろん不利だ。
カーラジルトに剣を教えてもらったといったって、所詮は付け焼刃。
たぶん子供の頃から剣を習い、実戦の経験も豊富に積んでいるかもしれないキディアスに、かなうはずもない。
もう観念して彼に逆らわず、彼に従って、水の都へ行く――。
ちらりと七都の頭に、その考えが浮かんだ。
そうすると告げれば、彼はたちまち剣を収め、この場は切り抜けられるだろう。
けれども、それを選択すれば、彼の魔力によって、あっという間に水の都に連れて行かれてしまう。
ナイジェルに助けを求めようにも、彼は怪我人。おまけに彼もまた、キディアスに閉じ込められているのだ。当てには出来ない。
無事に何とか脱出できても、それから風の都に行って元の世界に戻ったら、たぶん夏休みは終わっているだろう。
夏休みどころか、冬休みに突入しているかもしれない。冗談じゃない。
二学期いっぱい休んで、その遅れを取り戻すなんてこと、出来るわけがない。
ここから風の都までは、とても近いのだ。地の都を突っ切れば、すぐそこにある。
ここまで来て、遠い水の都なんかに連れて行かれたくない。
逃げようか。瞬間移動を繰り返して。
夜が明ければ、キディアスはどこかに避難しなければならなくなる。
それまで時間をかせいで、逃げ切れれば……。
しかし、逃げるにしても、キディアスには全然隙がなかった。
彼と同じ目の色の冷たい冬の海にほうりこまれたように、七都の体は固まって、身動きは全く取れなかった。
「ね。キディアス。あなたはもしかして、わたしに嫉妬してるんじゃないの?」
七都は、キディアスに言ってみた。
ちょっと突っついてみれば、案外簡単に隙が出来るかもしれない。そう期待して。
「嫉妬? 私が? 馬鹿なことを」
キディアスが剣を構えたまま、けれども、うめくように言う。
「だって、ナイジェルの腕の恨みだけにしては、行動が極端すぎない? あまりにもしつこいし、おとなげがない。あなたはナイジェルに恋愛感情を持ってるの?」
「恋愛感情ですって? 私がシルヴェリスさまに?」
「うん。実は持ってるんでしょう? だから、彼が楽しそうにわたしのことを話したりするので、嫉妬したんだ。それでわたしを探し出してつきまとい、だんだん憎悪をつのらせて、最終的には殺してしまおうなんて思いつめてしまったんでしょ」
キディアスは、顔をゆがめて押し黙った。
あれ? ちょっとカマをかけるつもりだっただけなのに。
あっさりとひっかかった?
で、もしかして、図星?
「そういう感情を持つことは、許されぬ」
キディアスが呟いた。消え入りそうに。
「別に持っていてもいいと思うよ。心の中で誰をどれだけひそかに思おうと、それは自由だしね。他の人に迷惑をかけたり、相手に告白して無理やり迫ったりしなければ、問題ないよ」
「そういう感情は、持っていない!」
キディアスが叫んだ。
どこか、痛々しい様子だった。
「持っていないんだったら、もう少しわたしを丁重に扱ってくれてもいいんじゃない? 消してしまおうなんて、極端で物騒なこと考えないで。あなたの主君が好意を持っているかもしれない女性なんだからね。もしわたしが彼の愛人になったりしたら、毎日顔を突き合わさなきゃならなくなるんだし。いがみ合うのはやめようよ」
キディアスは眉を寄せて、七都を見つめる。
その時――。
細身のしなやかな影が、七都とキディアスがいる場所に、ふわりと現れた。




