第3話 化け猫カーラジルト 6
寒い……。
七都は、何度も寝返りを打った。
体が冷える。石の床から、冷たさがダイレクトに伝わってくる。
マントには、保温の力はあまりないようだった。
太陽を遮るためのものなのだ。そういう力は、期待出来ないのかもしれない。
七都は膝を抱き、体を丸める。
そうしても、冷えは皮膚を簡単に通り抜け、体の芯までじんわりと忍び寄ってくる。手も足も、指先は全部氷のようだった。
この世界に来て、この体に変化してから、ずっと冷たさは付きまとっている。
だからこそ、人間に触れれば、そのあたたかさが懐かしくなる。
だが今は、その冷たい体は、さらに冷たくなっている。石の床に同化している気分だ。
カーラジルトが言ったとおり、この避難所はとても冷える。
こんなに寒ければ、当然眠れない。疲れも取れそうにない。
もう起きていようか。座っていれば、まだましかもしれない。
けれども、体を横にしないと、つらいことも事実だ。
湿ったやわらかいものが、七都の額に触れた。
それから、くすぐったい何かが、頬を軽く刺激する。
七都は、目を開けた。
ビー玉のような光る二つの目が、七都を見下ろしていた。
七都は手を伸ばした。
ふさふさの毛の感触が、手のひらの下に広がる。
毛の中から、じんわりとあたたかさも伝わってきた。
「カーラジルト?」
グリアモスに変身したカーラジルトが、七都のそばにちょこんと座っていた。
湿ったものは彼の鼻。くすぐったかったのは、彼の髭だったらしい。
(猫ですけど……。お姫さま)
彼が、七都の頭の中で言った。
七都は、起き上がる。
ざらざらの舌が、七都の頬をぺろりと舐めた。
(こんなに冷たくなってしまって。怪我にもさわると思われますが?)
七都はカーラジルトの首に手を回した。
彼の体のほっとするようなあたたかさが、腕から全身に染み渡ってくる。
「あったかい……。グリアモスになると、体温が上がるんだね……」
(一緒に寝る?)
カーラジルトが訊ねる。
「うん……。ごめんなさい。そうさせて」
カーラジルトは、七都を包むように体を丸くする。
七都は、その毛の中に顔をうずめた。
「ああ。ふわふわだあ。あたたかくて、気持ちいい……」
(この態度の違いは、何なんだ……)
カーラジルトは、戸惑ったように呟いた。
「だって。猫だもん。今のあなたは」
(つまりきみは、今の私を『猫』としてしか見ていないわけだ)
「だって、グリアモスになったあなたは、どう見たって猫だもの。とってもとっても大きな猫。それにね、あなたを猫じゃなくて男の人だって思ってしまったら、一緒に寝られないよ」
七都はカーラジルトの頬を撫でた。それから両手を彼の口の中に突っ込んで、上唇の左右の端をめくってみる。
尖った歯がずらりと並んでいた。鋭い牙もある。
「口……。裂けてる……」
(……今はグリアモスだからね。当然、裂けてるさ)
カーラジルトが言った。溜め息まじりに。
(まあ、いいけど……。普通は、魔神族の女の子たちは、こっちの姿のほうを怖がるんだけどね。怖がらないのは、きみで二人目……いや、三人目か。きみの母上が二人目だったから)
「もしかして、一人目はあなたの婚約者?」
(そう……)
「カーラジルト。あなたの婚約者って……風の都にいるんでしょ?」
(そうだよ)
「なのに、めったに帰らないんだ?」
(彼女は、私が帰らなくても怒らないし、悲しまない)
「よく出来た人なんだね。じゃあ、わたし、風の都に行ったら、あなたの婚約者に会えるかな?」
(……そうだね。会ってみる?)
「うん、もちろん会いたい! 名前を教えて。どこにいるの?」
(名前はシイディア。オルテシス子爵の令嬢。一族と共にいる)
「シイディア。きっと会いに行くよ。彼女に伝えること、何かある?」
(……ないよ、何も)
カーラジルトが言った。
緑の炎を閉じ込めたような目は、何を思っているのか、七都には全くわからなかった。
「えー。それはちょっと冷たいのでは……」
(伝えたいことがあるなら、自分で会いに行く)
カーラジルトが、少し思いつめたように言った。
「うん。そうだよね。そのほうがいいよね」
七都は黙ってカーラジルトの背中に頭を乗せ、体をゆったりと伸ばす。
きっとカーラジルトと婚約者のシイディアには、他人にはわからないような独自の絆があるのだ。
関係のない者が横から口を出すことじゃない。
「じゃあ、おやすみ、カーラジルト。ありがとう。よく眠れそうだよ」
(それはよかった。おやすみ、姫君)
七都は、目を閉じる。
冷えた体をカーラジルトの体温が徐々にあたためていくのがわかる。
こんな大きな猫と一緒に寝られるって、夢みたいだ。
普通の猫って、小さいから、枕ぐらいにしか出来ないものね。
もちろんナチグロ=ロビンは、枕にされることを拒否するから、したことないんだけど……。
けれど『猫』なんて言ったら、ほんとカーラジルトに失礼だよね……。
七都の意識を眠気が穏やかに包んで行く。
カーラジルトは、ぼうっと光る緑の目を七都に注いだ。
そして、心の中で呟く。
(あなたが幽霊たちを開放するのですか、風の姫君? 今までリュシフィンさまたちが出来なかったことを、あなたが……)
カーラジルトは七都の体をくるむようにしっかりと抱きしめ、やわらかい毛で覆われた温かい喉を七都の肩の上に乗せた。




