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第3話 化け猫カーラジルト 5

 七都は、思わずカーラジルトから離れる。自分でもびっくりするような素早さだった。

 カーラジルトは、なぜ七都がそういう反応をするのか、まるでわからない、という表情をした。


「あ、あなたね、そういう涼しげな顔して、今、とんでもないことを言ったよ!!」


 七都は彼を指差した。指先がわなわなと震えている。


「何か気にさわるようなこと言ったっけな」


 彼は首をかしげる。

 すっとぼけているのではないようだった。


「なななななんでわたしが、あなたと抱き合って寝なきゃなんないわけっ?」

「だけど、ここは冷えるよ。魔神族の女性は、男の何倍も冷えを感じるらしいから。つらいんじゃないかな」


 カーラジルトは、至って真面目な顔をしてそう言った。


「け、結構です。我慢しますからっ!!」


 七都は叫んだ。


「我慢できるの?」と、カーラジルト。

「こ、こういう場合、それが魔神族の常識?」

「当然、普通のことだ。女性に対する当たり前の行為であり、常識としてのやさしさかな。きみが何を騒いでいるのか、よくわからん」

「じゃあ、女性のほうも、そういうのを受け入れるのが一般的? 普通のことなの?」

「むろん」

「でもっ。悪いけど、わたしにとっては普通じゃない。一般的じゃない。やさしさだって思えない」

「一緒に寝ないってことか?」

「ごめんなさいっ。わたしには無理っ!」

 七都は再び横になり、カーラジルトに背を向ける。

「ああ。そうか。何を心配しているのかと思ったら……」


 カーラジルトが呟いた。


「やっぱり人間との混血は、やっかいだ。まったく」

「グリアモスとの混血は、何を言っているのか、よくわからない」


 七都は背後の若者に、お返しの言葉を投げつける。


「魔神族は人間とは違う。何もしないよ。安心していい」

「人間と違う? 何がっ!」


 七都は横になったまま、カーラジルトを振り返った。


「魔神族の男性は、そういうことはしない。女性が発情しない限りはね」

「は、発情!?」


 七都は、がばと飛び起きる。


「あなた、今、またものすごいこと言った!!」

「別に言っていない。普通のことを普通に言ったまでだ」


 カーラジルトが、やはり真面目な顔をしたまま呟いた。


「……魔神族の女性って、発情するの?」


 七都は、おそるおそる彼に訊ねる。

 これはもしかして、知っておかなければいけないことなのかもしれない。


「きみぐらいの年齢はまだかな。もう少し成長するとそうなる。だから、きみぐらいの歳の女の子たちは、外には出ない。初めての発情期が終わるまではね。出歩いているのは、外見は少女でも、中身は外見以上の年齢の女性たちだ。きみぐらいの子がこういうところをひとりで旅しているというのは、本当はあり得ないことなんだよ」

「わわ、わたし、この先、いつか発情するの?」

「きみは、人間との混血だからね。もしかしたら、一生そういうものとは縁がないかもしれない。それは誰にもわからない」


 ショックだ……。発情なんて。

 そういうものが魔神族にあるなんて。


「きみは今、発情してないだろ。だから何もしないよ。発情していないときにそういうことをする例外はあるけど」


 カーラジルトが言う。


「例外!? 例外って、何っ?」

「女性に婚約者がいる場合、その婚約者は、相手の女性が発情する前に、印を刻んでおく」

「印を刻むって……それは……その、つまり、事前にそういうことをしておく……ってこと?」

「そう。そうすることによって、婚約者は、魔力で相手を守ることが出来る。でもきみは、私と婚約はしていない。だから、そういうことは必要ない」

「じゃあ、じゃあ、訊くけどね。もしわたしが、ここで今発情したら、そういうことをするの?」

「それが礼儀というか、義務かな」


 七都はその答えを聞いて、彼からさらに後ずさる。


「そ、その考え方、おかしいっ!」

「それは考え方じゃない。慣わしであり、本能だ」


 カーラジルトは、あくまでも冷静に言った。


「発情した女性に迫られたら、男は応じるしかなくなってしまう。誘惑に抗うのは難しい。ゆえに、きみに発情されたら、私も非常に困る。私には婚約者がいるからね。何かとややこしくなる」


 なんだ。婚約者がいるのか。

 七都は、安堵する。

 じゃあ、めったなことは出来ないよね。だけど……。

 カーラジルトは、続けた。


「もしきみが発情して、そういうことになってしまったら、私はきみと結婚しなければならなくなる」

「なんでよっ! なんで会ったばかりの人と結婚しなきゃならないのっ!?」

「子供には、父親が必要だからね」


 うう。

 やっぱりこの人、ものすごいことをクールに、さらっと言ってる……。相変わらず、真面目な顔をして……。


「そ、それが、魔神族の結婚の形態? 発情したときに、たまたま近くにいた人とそういうことになっちゃうの? 愛はないの? 恋とかは?」

「もちろんあるよ。愛も恋も。でも、そういう場合は、愛は、そうだね。結婚してから育てることになるね。お互いに努力して」

「それでうまくいくの? 本能だけで結ばれて?」

「いかないことも多いね。でも、魔神族は長く生きるから、結婚も一度や二度じゃない。もちろん、たった一人の人と添い遂げるという人も、いないわけじゃないよ」


 ショックを受けて呆然としている七都に同情したのか、カーラジルトは付け足した。


「ああ、でもね。不幸な結婚生活にしないために、きみぐらいの年齢の女の子たちは、婚約者を選んでおくんだ」

「婚約者……」

「発情が始まったら、その婚約者を家族が呼ぶ」

「それで……女の子たちには子供が出来て、相手と結婚することになるの?」

「まだ結婚したくなければ、発情期を耐えるしかない。薬で抑えるとか、あるいは……」


 カーラジルトは、七都の手を指差した。そこには、イデュアルにもらった竜の指輪がはめてある。


「その指輪ひとつでは足りないな。全部の指にはめたら、耐えられるとは思うが」

「この指輪は、やっぱりそういう力があるんだ」

「そう。自分を見失わないためのお守りだ」


 カーラジルトが言った。


「納得できた? じゃ、一緒に寝ようか」


 七都は、後ろに飛んだ。


「絶対に嫌だ! わたしの常識では、恋人としかそんなことは出来ない。恋人はいないから、そういうこともやったことないけど。お父さんとだって出来ないよ。確かに子供の頃は、よく布団に潜り込んで一緒に寝たけど、もう今は、そういうこと出来ない」

「それは少し、きみの父上がかわいそうなんじゃ……」

「かわいそうじゃないっ!!!」


 七都は叫んだ。


「わたしは、一緒に寝るっていったら、今のところ猫ぐらいなの!」


 まったくナチグロ=ロビンだって、わたしの枕元とか足元でしか寝ないんだから。

 布団の中にも入って来ないもんね。よっぽど寒い冬の日とかにしか。


「つまり全く信用してくれないってわけか。第一、もし私がきみの意思を無視して無理やりきみにそういうことをしたら、私はリュシフィンさまと、もうひとりの魔王さまに殺されると思うけどね」


 カーラジルトが、ちらっと七都の額を眺めて言った。


「あなたが親切で言ってくれてるっていうのは、よくわかる。でも、悪いけど、本当にあなたには悪いと思うけど、わたしのそばに来ないでほしい」


 七都は、メーベルルの剣をつかんだ。

 そして、その鞘の先で、石の床に線を引く。

 細くて白い真っ直ぐな線が、灰色の石の床の面積を二つに分けて行く。


「何をやってるんだ?」


 カーラジルトが、怪訝そうに眉を寄せた。

 線を引き終わった七都は、カーラジルトに向き直った。


「この線からこっちに入って来ないで」


 カーラジルトは、深い溜め息をついた。


「きみの言動のひとつひとつが、結構相手の心を傷つけるものだぞ。もっと若い魔神族の男だったら、相当悲しい思いをするんじゃないかな」

「でも、仕方がない。わたしの常識と魔神族の常識は違うの。それをわかってもらうしかない」

「きみの価値観は、別の世界での人間のもの。魔神族の価値観とは、かけ離れてるってことだね」

「もしかして、あなたも傷ついてる?」


 七都は罪悪感を覚え、翡翠色の目の魔貴族を見つめる。


「私はもう、たいていのことには傷つかない。こういう外見だけど、随分長い時間を生きてきたからね」


 カーラジルトが言った。幾分穏やかに。


「そう。じゃあ、ちょっと安心した。おやすみ、カーラジルト」

「おやすみ、姫君」


 七都は、マントを体に巻いて横になる。

 カーラジルトも、七都が引いた線のはるか向こう側の壁際に体を横たえた。


 本当に悪いことをしていると思う。

 魔の領域の外ではめったに会えないという同族に、やっと会えたというのに。

 やさしさで、そういうことを言ってくれているのに。

 でも、あなたの親切を受け入れるのは、今のわたしには無理だ。

 きっと、傷ついてるよね。

 どれだけ長い年月を生きてきたって、いっぱい歳を取ったからって、心が石に変化するわけじゃないんだもの。

 魔神族って、人間に負けず劣らず、ううん、それ以上に、感情が豊かみたいだし……。

 カーラジルトは、外からはクールに見えてしまうけれど。


「ごめんなさい……」


 七都はカーラジルトの後ろ姿に向かって小さく呟き、彼に背を向けた。

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