表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/42

第3話 化け猫カーラジルト 4

 七都は、壁にもたれた。

 疲れた……。

 いっぱい走ったし、エヴァンレットの剣も使った。

 グリアモスを二匹も消してしまった。

 ここにはカトゥースがたくさんあるから、あとであれを食べよう。お茶も確かあったし。

 今は、少し眠りたい。


「具合が悪そうだね」


 七都をじっと観察していたカーラジルトが、言った。


「さっき、血の匂いがするって言ったよね」


 カーラジルトは、頷いた。


「でも、血は出ていないのに。わかるの?」

「血が出ていないと思ってる? きみのその怪我を見てごらん」

「え……?」


 カーラジルトは、女性に対する礼儀として七都から少し離れ、さりげなく、くるりと後ろに向きを変えた。

 七都はマントを脱ぎ、胸当てをはずした。そして、チュニックの胸を開ける。

 胸に巻いていた布に、うっすらとピンク色の染みがあった。


「これは……」


 七都は布をつまんで、中を覗いてみる。

 暗黒の傷にそっと触れると、手のひらにねっとりとした赤い液体が付いた。


「血……? そんな……」


 魔神族は血が出ないはずなのに……。

 七都は、深紅に染まった手のひらを見つめる。


「確かに、魔神族は怪我をしても、その傷からは血は流れない。でもそれは、魔の領域の外でのこと。ここは魔の領域のごく近くだからね。血は流れ始めるんだ。まだ完全な液体にはならないが」


 カーラジルトが七都の背後から、反対側を向いたまま、言った。

 それであのグリアモスの涎は、固体にはならず、口から滴り落ちたのだ。どろりとした飴状になって。

 確かナイジェルも、そんなことを言っていた。


<ここではぼくたちは、怪我をしても血は流さないけど、魔の領域では血は流れる。きみの涙も石にはならずに、本来の液体になって流れるだろう――>


 そうか。すっかり忘れていた。

 血や涙は流れるんだ。魔の領域の中では。

 魔の領域に近づくにつれ、固体として形を保っていた体液は柔らかくなり、流動性のある液体になる……。

 ああ、でも。

 血は、赤いんだ。

 映画に出てくる宇宙人や怪物のように、緑とか青なんかじゃない。

 よかった……。

 何となく、嬉しい。


「魔神族の血って、人間と同じ色なんだね」


 七都は、呟く。


「あまり人間には知られていないけれどね。実は、そうなんだ」


 カーラジルトが言った。


 七都は、胸のボタンを留める。

 振り向くと、カーラジルトがすぐそばにいた。

 う。近いっ!

 七都は、突然アップになった彼を見上げた。

 この人、なぜこんなにわたしの近くにいる?

 カーラジルトは、黙って七都の肩に手を回した。そして顔を近づける。

 彼のアイスグリーンの瞳が、七都の目の焦点が合わないくらいに、もっと近くなる。


「ちょっと待って。ちょっと待って! 何、この体勢っ!?」

「何って……。食事にするでしょ? お姫さま」


 カーラジルトが言った。


「食事? えーと。それは、わたしにエディシルをくれるってこと?」

「そう。きみはその怪我を治さなければならない」

「あ……。でも……」


 七都は、彼から目をそらした。


「このままの状態で魔の領域に入ったら、どういうことになるかわかるかい?」


 彼が訊ねる。


「傷口から血が流れる。液体になって……」

「そうだ。血は流れ出して、止まらないだろう。きみの怪我は、相当なものと見る。きみは、たぶん死ぬよ」


 カーラジルトは、静かに言った。


「死ぬのは、いやだ……」

「では、その体をエディシルで満たせ。きみは、まともなエディシルを体に取り入れたことがないみたいだね。よくここまで来られたものだ」


 カーラジルトは、七都の顎の下に手を当てる。そして、もう片方の手で七都の頭を支えた。


「待って、待って。どうしても、エディシルをもらわないとだめ……?」

「死にたくないのなら、きちんと受け取れ」


 カーラジルトの顔が近づいてくる。

 彼の目の不透明な翡翠の色が、七都の視界いっぱいに広がった。

 この人は、グリアモスの血を濃く引いている。

 だったら、きっと、わたしの胸の傷をきれいに治せるだろう。

 それに、親切でエディシルをくれようとしているんだ。

 わたしの傷を治すために。わたしを助けるために。

 この人のエディシルも、うんと減ってしまうのに。

 だけど……。

 この人からエディシルをもらったら、わたしはたぶんもう、カトゥースや蝶のエディシルだけでは自分の体を保てなくなる。

 エディシルを得るためにアヌヴィムとキスしたり、他の魔神族とエディシルを食べ合うようになってしまう……。

 ごく自然に、普通に、何の抵抗もなく、そういうことが出来るように、きっとなっていってしまう……。

 本当に魔神族になっちゃうんだ……。


 カーラジルトは、自分の唇を七都の唇に合わせようとしたが、その間際に、ぴたりと止めた。

 そして、七都の顔を見つめる。


<ねえ、カーラジルト。もう人間を襲うのはやめて……>

<なぜ、突然そんなことを?>

<無茶なことをあなたに頼んでいるんだってことは、わかってる。でも、もう私には耐えられないの……>

<ミウゼリルさま。それは、あなたが人間を愛したからなのですか……?>


 それは、彼がある女性と最後に交わした会話。

 その時の彼女と同じ表情、同じ顔が、彼を見上げていた。


「そういう顔をされると、何だか、とても罪深く悪いことをしている気分になる」


 カーラジルトが呟いた。


「何なんだ、きみの尋常じゃないその緊張感は。おまけに、これは涙か?」


 彼は、七都の目の縁を指で触れる。

 あ。しまった。

 また涙が出てしまった。そんなつもりなかったのに……。

 彼の指先が青白い照明を受けて、きらっと光った。

 涙が固体になっていない。

 ガラス玉のように丸く固かった涙が、液体に変わろうとしている。


「きみは、本当は私を拒否したいのに、無理して我慢している。そういうことか」


 彼は、立ち上がった。


「これだから、人間との混血は、やっかいなんだ」

「あなただって、グリアモスとの混血でしょ」


 七都は、言い返す。


「そうだ。だから、ややこしい気持ちは、多少はわからないでもない」

 

 カーラジルトは棚の前に立ち、棚の全体をざっと一通り眺めた。それから箱を一つ引き抜く。

 彼は箱の中を引っ掻き回し、目的のものを探し当てると、七都に向かってそれを放り投げた。

 七都は、それを受け止める。

 小さなガラスの瓶だった。中には、薄紫の透明なビーズのようなものが入っていた。

 振ってみると、中で澄んだ心地よい音をたてる。


「さ、それを飲んで。一粒」


 カーラジルトが言った。


「これは、なに?」

「血止めだ。それを飲むと血が止まる。魔の領域に入っても、血は流れない」

「ありがとう。そういう薬があるんだね」


 七都は瓶の蓋を開け、手のひらに一粒出してみた。

 飲むにはもったいないくらいの、きれいな薬だった。七都は、それを口に入れる。

 途端にそれは、綿菓子のように溶けてしまった。どんな味なのか、確かめる暇もなかった。


「一日に一粒飲むこと。飲むのを忘れると、血はまた流れ出す」

「わかった。気をつける。ここから風の都まで何日ぐらいかかるの?」

「きみの今の体なら、そうだな。道草などしなければ、五日もあれば、十分着くだろう」

「五日……。この薬は十個以上残ってるから、余裕だね。よかった」


 カーラジルトは、箱を棚に戻した。

 どうやらそれは薬箱らしかった。他にもいろんな色や形の小瓶がたくさん入っているのが、ちらりと見えた。


「あとで、その血の付いた布も取り替えればいい。この箱に包帯も入っているから。そうすれば、もうグリアモスたちも寄ってはこないだろう」


 カーラジルトが言う。


「うん。そうする……」

「怪我は、風の城に着いたら、リュシフィンさまに治してもらえばいいよ。きっときみがいやでない方法で、治してくれるだろう」

「うん……」

「では、日が沈むまで、寝るとしようか。日が沈んだら、きみと会った場所まで送っていく」

「ありがとう、カーラジルト。助かります」


 よかった。

 カーラジルトは、セレウスやシャルディンのように、風の都までついて行く、なんて言わないんだ。

 七都は、ほっとしたが、同時にちょっと寂しさも感じた。


 七都は、額からアヌヴィムの銀の輪をはずした。そして、メーベルルの剣も腰からはずし、胸当てと一緒にひとかたまりにして、部屋の隅に置いた。

 それから体にマントを巻きつけて、横になる。石の床は硬く、冷たかった。


 ふと顔を上げると、カーラジルトが真上にいた。間近から七都を覗き込んでいる。

 また、近すぎるっ!

 七都は、飛び起きた。


「だから、これは何の体勢!?」


 七都は、くわっと口を開けて、至近距離にいるカーラジルトを睨んだ。


「何の体勢って? 一緒に抱き合って寝ようとしている、その体勢だが?」

「はあぁぁっ!!!???」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=735023674&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ