第2話 薔薇の城の少女 10
(ナナトさま……)
誰かが、話しかけた。
七都は、目を開ける。
視界に入るのは、山々と、頭上から降り注ぐ金色の太陽の光。誰もいない。
(目を閉じて、ナナトさま)
七都は、声に促されるまま、目を閉じる。
シャルディンが、そこにいた。
銀の髪と赤い目。彼は、どこか憮然とした表情をしている。
「ああ、シャルディン。なんか、とても久しぶりって感じ。相変わらず、きれいだね」
(何をおっしゃってるんですかっ)
彼は、さらに機嫌の悪そうな顔をする。
(ナナトさま。もしかして、危ない目に遭われたのでは?)
「うん。魔神族の女の子に、食べられそうになった。結構危なかったかもしれない……」
(なぜ私を呼んでくださらなかったのですか?)
シャルディンが、不満そうに言った。
「ごめんなさい。だって、あせって、あなたのことを思い出す暇もなかったから」
(そうなる前に、余裕を持って、呼んでくださいっ!!)
「怒らないでよ、シャルディン」
(あなたが呼んでくださらないと、私は行きませんからね)
「うん。わかったよ。これからは、早めに呼ぶようにするから。あ、でも、今もちょっとまずい状況かも……」
(は?)
「今ね、地の魔神族の処刑場にいるんだけど……。手枷をはめられてるの。この手枷、はずせない。これ、魔神族の死刑囚を縛る手枷なんだもの。ちょっとやそっとじゃはずれないと思う。魔力も、しっかり封じられてるみたいだし。困ったな……」
(では、今から行きますよ)
「でもね、いくらあなたが魔法使いでも、これは、はずせないんじゃない? だって、魔神族が作ったものなんだよ」
(何で出来ないと決めつけるんですか? やってみないとわからないでしょう。とにかく、今から行きますから)
「今からってあなたは言うけど。一瞬で来れるわけじゃないでしょ」
(そりゃまあ、一瞬で行くというのは、私の力では無理です。そこは、地の都の近くなんでしょう? 半日か、一日近くかかるかも……)
それじゃ、呼べなんて、えらそうに言わないでほしいよね……。
七都は、心の中で思う。
(……何か?)
シャルディンが、顔をしかめた。
「な、なんでもない。だけど、それまで、この状態か……。その間に、魔神狩人に見つかって、殺されたらどうしよう。あ。待って。誰か来た。じゃあ、またね、シャルディン」
(じゃあ? またね? ……ナナトさまっ!!)
七都が目を開けると、噛み付きそうなシャルディンの映像が、消え去った。
七都はフードの中で、石畳を踏みしめて近づいてくる、複数の足音を聞く。
足音の一つが、ランジェの遺体の前で立ち止まった。屈みこんだようだ。
やがて、むせび泣く声が聞こえてくる。
あれは、肉親を失って、嘆く声……。
今の七都の気持ちをさらに落ち込ませ、悲しくさせる、ルヴィエスの声だった。
ルヴィエスの嗚咽は、しばらく続いた。
七都は、ぞくりとする視線を感じる。いやな視線だ。
これは、もしかしてさっきの……魔神狩人たちの視線?
ルヴィエスと一緒の足音は、彼らのもの?
やがてルヴィエスの泣き声が止み、再び七都のほうに足音が近づく。
「だいじょうぶですか?」
足音の主が、七都に声をかけた。
七都は、顔を上げ、フードの隙間から覗いてみる。
まだ涙で濡れているとはいえ、やさしげな鳶色の目。ランジェとよく似た色の、ルヴィエスの目だった。
「だいじょうぶです」
七都は、答えた。
「あの魔神の少女は……?」
「太陽に溶けて、消えました。彼女の意志で」
「そうですか……。でも、あなたが無事でよかったです」
ルヴィエスは、手枷をはめられた七都の手首を見下ろした。
「なんとひどいことを……」
「お待ちを」
彼の背後から、声がした。
魔神狩人が二人、影のように、彼の後ろに立っていた。
七都はフードの中で眉を寄せ、唇を噛む。
まずい……。
本当に、魔神狩人に見つかってしまった……。
「ランジェさまは、魔神がもうひとり増えたとおっしゃったのですよ。もしかして、この娘……」
疑われている……。
もし、正体を知られてしまったら……。
手首にはめられた金属の枷が、ガチャリと音をたてる。
ここから、逃げられない。
枷が魔力を封じ込めているから、手を触れずに物を動かすのも、瞬間移動も、当然無理だ。
彼らの持つエヴァンレットの剣も、もちろん破壊出来ない。非常に悪い状況だ。
「この人が魔神だと? 馬鹿な。太陽の光の中にいる魔神族など、考えられぬ。ランジェは酔っていた。戯れ言だ」
ルヴィエスが言った。
「しかし、最近、太陽に平気な魔神族が存在するという話も聞きます」
魔神狩人たちが、エヴァンレットの剣を抜いた。
二人とも、剣をかざしたまま、七都に近づく。
魔神狩人の一人が、七都のフードをゆっくりとはずした。
七都の顔が、太陽の光に照らされる。
光が苦手なことを気取られないよう、七都は真っ直ぐ顔を上げたまま、二人の魔神狩人と、彼らが持つ二振りの剣を睨みつけた。
魔神狩人の一人は初老の男、もう一人は、若者だった。
若者のほうは、七都の透明な赤紫の目に睨まれて、少し及び腰になっている。極力、七都と目を合わせないようにしているのが感じられた。
初老の男は、経験豊富な魔神狩人のようだ。彼は、七都の視線に動じる様子もなかった。いや、そう振る舞っているだけなのかもしれない。
だが、二人とも、おそらくユードほど剣は使えない。七都は、彼らをじっと観察する。
エヴァンレットの剣は、氷のような透明な刃をきらめかせて、七都の周囲をゆっくりと廻った。
「光らぬ。金どころか、銀にも光らぬな」
初老の魔神狩人が呟いた。
「だって、わたしはアヌヴィムの魔法使いじゃないもの。その剣が青く光るわけない」
七都は、言う。
「では、なぜその輪をつけている?」
若い魔神狩人が訊ねた。
「アヌヴィムの魔女さんにもらったの。女の子の一人旅は何かと危ないから、護身用にってね」
うん。それは事実だものね。嘘じゃない。
七都は、心の中で呟く。
ルヴィエスは、ほっと安堵の溜め息を漏らした。
「では、あなたは、ごく普通の人間なのですね」
「しかし、人間にしては、この娘、妙に美しすぎます。人間が持つはずのない美しさです」
初老のほうの魔神狩人が言った。
「指の先を少し、切ってみましょう。もし血が出ず、傷口の中に闇しかなかったら……」
彼は、若いほうの魔神狩人に頷いてみせる。
「躊躇せず、その剣を胸に刺し込め」
「あ……」
七都は、石の椅子の上で、体をこわばらせる。
私に触れたら、許さない!! 無礼なことをしたら、絶対に許さないから!!
七都は、燃えるような目で魔神狩人たちを見据えた。
若い魔神狩人は、明らかに動揺している。
だが、初老の魔神狩人が、七都の枷をはめられていない手を素早くつかんだ。
「冷たい手だ。手袋をしているというのに、冷たさが伝わってくる。本当に人間の手なのか?」
そして、エヴァンレットの剣が、七都の指に近づけられる。
もう、だめだ。指を切られても、血は出ない。
彼らの言うとおり、期待するとおり、傷口の中は、暗黒の闇だ。間違いなく、正体がばれてしまう。
そして、彼らが自分の正体を確認した瞬間、この胸は、エヴァンレットの剣に刺し貫かれている……。
七都は、思わずうつむいて、目を閉じた。
シャルディン、ごめん。
もうあなたに会えないかもしれない。
ランジェにさらわれた時点で、あなたを呼んでおけばよかったのかな……。
イデュアル。わたし、未来に行けないかもしれない……。
魔神狩人の動きが、ぴたりと止まった。
七都は、顔を上げる。
ルヴィエスが、魔神狩人の脇腹に、抜き放った自分の剣をあてがっていた。
「それ以上、私の前でその人に無体なことをすると、この領地から、即刻出て行ってもらうぞ」
彼が言った。
「しかし、この娘は、魔神族である可能性が……」
「太陽の光にも、この人は平気だ。おまえたちのその剣も、全く反応せぬ。それで十分ではないか? この人は魔神族ではない」
魔神狩人は、ルヴィエスに促され、七都の手を離した。そして二人とも、エヴァンレットの剣をしぶしぶ鞘に仕舞う。
だが、彼らは、まだ納得しかねる様子で、七都を注意深く見つめていた。
ルヴィエスは、七都の手枷に両手を伸ばし、指を動かした。
たちまち、手枷がはじけたように口を開け、簡単にはずれる。鮮やかな手品のようだった。
手首は軽くなり、力も戻ってくる。
七都は、自由になった手を確かめるように、何度も握りしめた。
「あなたは、これ、はずせるんですね」
七都が言うと、ルヴィエスは、微笑んだ。
「私の一族は、昔からここを管理していますからね。当然、はずし方は、子供の頃から知っているのですよ。子供の頃、ランジェとよくここで遊びました。この石の椅子に座って、手枷をお互いにはめたりはずしたり……」
「怖いところで怖いことをして遊んだんですね」
「子供ですからね。全くもって、恐れを知らなかった。今から考えると、寒気を覚えますが」
ルヴィエスは、遠い、懐かしげな眼差しをして、石畳の処刑場を見渡した。
「子供の頃はよかった。何も考えずに、ランジェと一日遊んでいた。だが、大人になると、それは許されない。いろんなしがらみに捉われてしまう。身動きが出来ないほどに」
「ランジェの近くから、彼を支えてあげることは出来なかったんですか?」
七都は、ルヴィエスに訊ねた。
「私もそうしたかったが、そう出来る状況ではなかった……。今さら何を言っても遅いし、言い訳になってしまいますね。結局、私に力がなかったということ。しがらみを断つ勇気もなかった。確実なのは、私はこの先、私の命を終えるそのときまで、ランジェの死を背負って生きていかねばならぬということです。……どうぞ」
ルヴィエスは、石の椅子から立ち上がろうとしていた七都に、親切に手を差し出す。
七都は、ためらった。もう長い時間、蝶を食べていない。
イデュアルとさんざん踊ったし、追いかけられたし、泣いたりもしたので、エディシルはさらに減っているはずだ。
今ここで、人間に触れたら……。
魔神狩人たちの視線が突き刺さる。
彼らは、敏感だ。もし少しでも魔神族めいた行動を取ったりしたら、七都の正体を見抜いてしまうだろう。
ルヴィエスは、遠慮していると思ったのか、自分から七都の手を取った。
彼のあたたかすぎる手が、七都の手を包み込む。
けれども、不思議なことに、あの衝動は沸いてはこなかった。
体の奥底から突き上げてくるような、あの恐ろしい欲求―――。
ルヴィエスの手に触れても、ただ冷静に、彼の体温を感じるだけだ。
「だいじょうぶですか?」
ルヴィエスが、心配そうに微笑んだ。
なぜ平気なのだろう?
もしかして……。
ああ、そうだ。きっと、この指輪だ……。
七都は、イデュアルがくれた、竜の形の銀の指輪を眺める。
イデュアルは、これは自分には役に立たなかったけど、わたしには効くかもしれないと言った。
たぶんこの指輪は、魔神族の本能的な欲求を抑えるような働きを持っている。そういう力があるんだ。
七都は、少し安心して、ルヴィエスの手をぎゅっと握りしめてみる。
あたたかい。生きている。
彼の全身を廻る、熱い血の流れを感じる。
それは、確かに彼が、今、生きているという証拠。
そのあたたかさは、砕け散ったイデュアルの感触が、まだ生々しく刻み付けられた七都の手のひらには、とても心地よかった。
ルヴィエスは、少し戸惑ったように、七都をじっと見下ろした。
あ。何か、誤解させてしまったかな。
気があるとか、思われちゃったかも。
「あなたの体は、冷えきっています。どうか私の屋敷へ。あたたかい食事と熱い風呂を用意しましょう。あなたには休息が必要ですよ」
ルヴィエスが言った。
「ありがとうございます。でも、わたしは急ぎの旅なので、すぐに発たなければなりません。あなたの親切なお申し出は、とても嬉しいのですが」
ごめんなさい、ルヴィエス。
わたしはあなたを騙しています。
確かにわたしは、アヌヴィムの魔女ではありませんが、人間でもないんです。
あなたのお屋敷で、食事は出来ません。わたしは、人間の食事はしないんです。
今のわたしの体には、お風呂も無理です。わたしの傷を見られたら、それだけで、魔神族であることが露見してしまいます。
あなたのお屋敷には、行けません……。
七都は、そういう思いを詰め込んだ表情で、ルヴィエスを見上げる。
「そうですか。それは残念です」
ルヴィエスが言った。
「では、お元気で。どこまで行かれるのかは存じませんが、お気をつけて」
わたしの行き先は、魔の領域。
わたしは、魔王リュシフィンの身近な存在。
そんなことを知ったら、あなたは、そんなやさしい眼差しでわたしを見ないだろう。
「ありがとう、ルヴィエス。あなたもお元気で。どうか、いい領主さまになってください」
「そうですね。出来ればそうありたいです」
ルヴィエスは、ランジェの上に、自分のマントをかぶせた。
「ランジェ。後でそなたを迎えに来る。一緒に城に帰ろう」
それから彼は、魔神狩人たちのほうを向く。
「おまえたちの仕事も終わりだ。魔神を仕留められなかったわけだから、残りの報酬は払えぬぞ」
ルヴィエスは、石畳の処刑場から去って行った。
残された魔神狩人たちは、七都を疑り深い目つきで一瞥し、そして彼らもまた、七都の前から姿を消した。




