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第2話 薔薇の城の少女 11

 七都はマントのフードを被って、さらに高く上った太陽の光を顔から遮断する。

 一人になると、それまでの緊張が解けたのか、足元がふらついた。


 疲れた……。どこかで眠りたい。眠らなければ。

 空腹状態だけど、日が沈むまで蝶は食べられないから、それまで、どこか日陰で、せめて体は休めよう。

 石畳の間にぽっかりと開いた、黒い空間が視界に入る。

 魔神族の避難所――。

 そうだ。あの中で眠れば……。

 あの中は、太陽の光も届かない。静かだし、きっと快適に過ごせるに違いない。

 けれども、階段の近くまで歩いたところで、七都は立ち止まる。

 もしこの中に、ずっと自分につきまとってきている、あのストーカーがいたら……。

 やっぱりここは、やめておいたほうがいいかもしれない。

 だけど、これからどこか休む場所を探すのも面倒だ……。


 七都は、首にかけていた猫の目ナビをつかんで、目の前にかざした。

 今まで、何となく怖くて、ストーカー探知で使うのは避けていたが、こういう場合仕方がない。


「この中に、誰かいる?」


 金色の半球には、何も現れない。

 ナビの黒い針の瞳は、沈黙したまま、七都を見上げるだけだった。


(よかった。誰もいないんだ)


 七都は、安心して、階段を降りる。

 扉を開けると、薄青のやわらかい光が、七都を包み込んだ。


 部屋の中はきちんと片付けられ、テーブルの上には、カトゥースのお茶のポットが置かれていた。

 新しいカトゥースの花も、大きめの壷に、たくさんいけられている。

 そして、カトゥースには、透明な蝶が、ガラスのオブジェのようにびっしりとくっついていた。


「あ、よかった。蝶がいる」


 部屋を片付けて、カトゥースを用意したのは、もちろんルヴィエスだろう。

 蝶も彼が用意したのか、それとも勝手に飛んできたのかはわからなかった。

 だが、ここにあるものは、とにかく全部、今の七都にとって極めてありがたいもの。


「ルヴィエスに感謝だ」


 七都は、壷にいけられたカトゥースに、そっと手を伸ばす。

 それは、蝶の群れごと、一瞬で消え去った。

 蝶たちは銀の粉になって溶け、カトゥースは、床に散らばる黒い残骸となる。

 同時に七都は、エディシルが体にゆっくりと広がるのを感じた。

 七都は椅子に座り、カトゥースのお茶を飲む。

 これを飲むのも、久しぶりだ。

 七都は、お茶をゆっくりと味わった。

 コーヒーの香りが、疲れた体を癒していく。

 これで、あと少し眠れば、体力は回復する。

 胸の傷は、やはり治らないが、再び旅を続けられるくらいにはなるだろう。


「だけど、やっぱり、ここでは眠らないほうがいいよね」


 七都は、呟いた。


「寝過ごして、日が沈んでからもここにいたりなんかしたら、ストーカーさんが入ってこないとも限らないもの」


 あの町を出たあたりから、ずっとついて来ている、謎の人物。

 その人物が、七都が人間の城に連れて行かれたからといって、あきらめるとは思えなかった。

 シャルディンの一件のときも、そうだった。

 七都が旅を再開させると、それまでと同じように、またあとをつけ始めたのだ。

 七都が眠っていた三日の間、どこかに潜んでいて、七都が現れるのを待っていたのだろう。

 ならば、今回もまた、そうする可能性が高い。


「どこか探さなくちゃ。ゆっくり眠れるところ」


 七都は、猫の目ナビを手のひらに乗せる。


「そういえば、魔神狩人って、スキャン出来るの?」


 七都が呟いた途端、ナビの表面に、二つの赤い影が現れた。

 七都は、それを拡大してみる。

 赤い人影は、腰のあたりに、青白く光る細長いものを携えていた。

 それは、二人の歩調に合わせて、規則正しい一定のリズムで揺れている。


「エヴァンレットの剣……。そうだよね。これを探知できなくてどうするって感じか」


 七都は、立ち上がった。


「寝る場所を探す前に、わたしに無礼なことをしようとしたあの二人に、お返しをしなくちゃ。ちょっときつい感じで、おちょくってやろう」


 彼らが七都にしようとしたことは、魔神狩人の仕事の一部なのかもしれない。

 いつもああいうことを、魔神族かもしれないと疑った誰かに対して、何の罪悪感もなく、行っているのかも……。

 だが、七都にとっては、耐えられないくらいショックで、恐ろしいことだった。

 もちろんそれは、七都が人間ではなく、魔神族だからなのだが。

 七都は、かろうじて難を逃れた指先を握りしめる。


「ナチグロ=ロビンに、執念深いなんて言えないね。でも、あの二人は、このままにしてはおかない。風の魔神族として」


 七都は、ポットやコップをきちんと並べ、カトゥースの残骸を一箇所に集めた。そして、椅子をきちんと直す。


「ルヴィエスは、ここを利用した魔神族がわたしだなんて、きっと想像もしないだろうな」


 それから、七都は、地下の避難所を後にした。




 二人の魔神狩人は、並んで街道を歩いていた。

 朝の太陽が彼らを明るく照らし、彼らの輪郭をそのまま切り取って貼ったような、はっきりとした二つの影を地面に作っている。


「彼女は本当に魔神だったと、今でも思っているのですか? 指を切っても、血は出なかったと?」


 若い魔神狩人が、訊ねた。


「思っている。おそらく、血も出なかっただろう。傷口の中は、闇の空間だ。私の長年の勘は、そう告げていた」


 初老の魔神狩人が答える。


「でも、もし彼女が人間だったら……。私たちは彼女に、非常に怖い思いをさせたことになります。彼女の心に傷をつけてしまったかもしれない。彼女は、とても怯えていた。普通、ああいうことをされたら、若い娘だったら……」


 初老の男は、若者をじっと眺める。


「あの娘に魅了されたか? 魔神族が美しいのは、我々人間を油断させ、たばかるためだ。あの美しさをまともに感じてはならん」


「しかし、目の前で見てしまったら、そう感じずにはいられません。本当に魔神だったのでしょうか。太陽の光のもとでも、彼女は美しかった。エヴァンレットの剣も、光らなかった」


 その時、初老の魔神狩人が、歩くのを突然やめ、体を硬直させた。


「どうかしました?」

「剣が……!!」

「え?」


 彼の腰に携えたエヴァンレットの剣が、細かく震えていた。

 その震えは、次第に大きくなっていく。


「ひ、ひとりでに動いている……!」

「馬鹿な……!!」


 初老の男は、エヴァンレットの剣を両手でつかんだ。

 彼の手の中で、剣は暴れて、のたうち回る。


「これは……」


 鞘と柄の間を彼は凝視する。

 そこには、オレンジ色の光がこぼれていた。

 それは、魔神狩人にとっては、見慣れた光の色だった。


「近くに魔神族が!?」


 若者が叫んで、自分の剣を引き抜く。彼の剣もまた、オレンジ色に輝いていた。

 初老の男の剣は、動くのをやめ、静かに彼の手のひらに収まった。

 彼もまた、その剣を抜く。魔神族の存在を示す暖色の光は、刃全体を包んでいた。

 二人の魔神狩人は、背中合わせに立って剣を構え、注意深くあたりを見渡す。


「気をつけろ。とても近い。我々を見ている」


 その時、初老の魔神狩人の剣が、ピシッという音を立てた。

 数え切れぬほどの細かいひびが、剣に広がる。

 剣はひびに従い、砕け散る氷のように空中で分解した。


「そんな……」


 二人は、呆然として、足元に散らばる透明なかけらを見下ろす。

 若者の剣が、突然、彼の手からもぎ取られるように宙に高く上がった。

 その剣も、空の青を背景にして、粉々になる。

 二人の魔神狩人は、自分たちの周囲に凍った雨粒のように降り注ぐ剣の破片を、ただ大きく目を見開いて、眺めるだけだった。


「やはり、あの娘が……?」


 若い魔神狩人が、うめくように言った。


「あの娘かどうかはわからぬが……。エヴァンレットの剣を破壊する魔神族など、聞いたことがない。だが、エヴァンレットの剣は、破壊出来るということであり、そういう力を持つ者が存在するということだ。これは、我々にとっては、脅威になる。それは確かだな」


 初老の魔神狩人が呟く。

 二人は、柄だけになった剣を握りしめ、鋭い目つきであたりを警戒した。

 彼らは、しばらくそうやって立ち尽くしたが、剣を破壊した魔神は、現れることはなかった。




 七都は街道に立って、崖の上に建つ城を眺めた。

 殺風景な灰色の城が、寂しいくらいの存在感で、そのあたりの風景に暗く埋もれていた。

 イデュアルがその城を花で飾った理由が、何となくわかるような気がする。

 溢れるくらいに城を覆っていた薔薇の黄色は、もう、城壁のどこにも見当たらない。イデュアルの死と共に、薔薇は残らず消えてしまったのだろう。


 七都は、はるか先まで続く街道の果てに、視線をめぐらせる。

 魔神狩人たちは、行ってしまった。エヴァンレットの剣を失ったまま。

 彼らはおそらく、もうここへは戻っては来るまい。

 せっかく体力が回復したのに。また疲れることをやってしまった。

 七都は、ふっと溜め息をつく。

 エヴァンレットの剣は、自分には反応しない。でも、魔力を使うと、オレンジ色に光る。

 これから、そのことには気をつけなければならない。

 七都は、周囲に誰もいないことを確かめ、そこから姿を消した。


 何回か瞬間移動を繰り返して、七都は、山腹の、びっしりと生い茂った木々の間に降り立った。

 葉が幾重にも頭上を覆っているので、太陽の光は届かない。

 理想的に薄暗く、静かだった。ここなら、旅人に囲まれて覗かれることもないだろう。

 ただ、地面は斜めになっている。いったん転がり落ちたら、下まで、とどまることなく転がって行ってしまいそうだった。


「だいじょうぶ。わたしは、寝相はそんなに悪くないもの」


 七都は、寝るのにちょうどいい感じにのたくった木の根を見つけて、そこに体を横たえる。

 目を閉じると、待っていたように、シャルディンの姿が現れた。


(また、危ない目に遭われましたね?)


 シャルディンが、顔をしかめて言った。


「うん。本当に魔神狩人が来たの。エヴァンレットの剣で指を切られそうになった。もう少しで魔神族だってばれそうになったよ」

(ばれなかったんですね?)

「運のいいことにね」

(死刑囚の手枷は?)

「はずしてもらった」

(魔神族にですか? まさか、魔神狩人に?)

「ううん。フツーの人間に」


 シャルディンは、あんぐりと口を開けた。


「今回は、ちょっと疲れちゃった。人間にさらわれたし、魔神族の女の子にダンスの練習をさせられたし、その子に追いかけられて食べられそうになったし、その子は、わたしの腕の中で太陽に溶けてしまったし、魔神狩人に正体がばれそうになったし、エヴァンレットの剣を、結局三本も粉々にしちゃったし……。ん? シャルディン、なんか、頭抱えてる?」


 シャルディンの口から、吐息が漏れる。


(ナナトさま。やっぱり、一緒に旅をしてはいけませんか? 危なっかしくて、気が気ではありません。あなたのそばにいたいのですが)

「やだ」

(……なぜそうまでして、おひとりで行かなければならないのです?)

「飼い猫に言われたから。自分ひとりの力で、地道に、風の都の入り口まで来てごらんって」

(飼い猫って……)

「ただの飼い猫じゃないよ。魔神族が化けてるの。グリアモスの男の子」

(下級魔神族なら、立場も身分も、あなたよりはるかに下ですよ)

「でもね、彼は、わたしが生まれる前から、わたしのことを知っているの。元の世界のことも、この世界のことも、詳しく知ってる。たぶん彼は、試験をしたかったんじゃないかな。風の都まで来られないくらいなら、この世界で無事に生きていく資格なんてないって言ってたもの。風の都までひとりで行くことが、彼が用意した、わたしの試験なんだ、たぶん」

(試験ですか。過酷な試験ですね)

「そうだね。元の世界でも、試験だらけの生活してたけど、それは学校の試験で、命を脅かすような、そんな危険な試験じゃないものね。でも、もうすぐ、地の都に着く。風の都もすぐそばだよ。試験も終わりだ」

(地の都に入ったからといって、簡単に風の都まで行けるとは思えませんがね)

「わたしも、そう思うけどね」


 七都は、マントを体にきちんと巻きつけ、フードを深く下ろした。


「これから、しばらく眠るよ。夕方になったら起きて、また旅を続ける」

(そうですか。ではもう、邪魔はしません)

「ねえ、シャルディン。わたしに何かあったからあなたを呼びつける、とかじゃなくて、ちゃんと普通に会おうね。近いうちにね」

(そうですね。普通にお会いしたいですね)

「じゃあ、おやすみ、シャルディン」

(おやすみなさい、ナナトさま。よい夢を……)


 シャルディンが、やさしく微笑んだ。


 七都は、すぐに、深い眠りに落ちて行く。

 イデュアルにもらった竜の指輪を、胸に大切に抱きしめながら――。



  <第2話 薔薇の城の少女 完>

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