第2話 薔薇の城の少女 4
「ナナト。見知らぬ旅人たちの心配より、自分の心配をなさいな」
イデュアルが言った。
「明日になったら、あなたは跡形もなくなってる。ランジェは、死体を始末する必要がないから、楽かもしれないわね」
イデュアルは、ぞっとするようなことを真面目な顔をして言った。
「魔神族は、共食いをするの?」
「しないよ、普通は。挨拶とか食事とかで、エディシルの軽い食べ合いはするけどね。相手を死なすくらいまで取ったりなんかしない」
「人間だって、殺してしまうほどエディシルを取る必要はないんでしょ? わたしたちぐらいの年齢の魔神族は、一度にそんなに大量のエディシルは必要としないって聞いたよ」
「その通りよ。でも、私は自分を制御出来ないの。意識がなくなって、暴走してしまう。自分の意思じゃないのに、他の人たちを殺してしまう。これは、魔神族が昔から抱えてきた、めんどうな病。たまにそういう者が現れてしまうんだって」
自分を抑制できなくなって暴走するのは、魔神たち自身も恐れる、やっかいな特徴――。
ユードもそう言っていた。
七都もセージを襲ったとき、そうなってしまったのだ。七都の場合は、意識はかろうじてあったとはいえ。
「そういう魔神族が現れてしまったら、もう処刑されるしかないの?」
「罪を犯したらね。私は、自分を止められない。周りの人たちも止められない。私が生きていれば、犠牲者はどんどん増えるだけ。だったら、存在をやめさせるしかないよね」
イデュアルは、ふっと溜め息をついた。
「リュシフィンさまも、私と同じなんでしょう? 風の都を幽霊都市にしたのは、暴走したリュシフィンさまご自身だって話だわ。もっともそれは、公にはされていないけど。私の家は、代々魔王さまの側近を務めてきたから、そういう情報も入ってるわけだけどね」
「……だとしたら、風の都で聞くことが、また増えたわけだ」
七都は、呟く。
では、ジュネスが言っていた、風の都で起こった事故というのは、そのことなのだ。
事故ではなく、リュシフィンが風の都を壊滅状態にした――。
「でも、あなたは風の都には行けないよ。私が食べちゃうんだから」
イデュアルは、七都の額をじっと見つめた。
「たとえあなたが魔王さまの恋人だろうが、妹だろうが、そんなのここでは関係ないからね」
イデュアルは、七都の手首をつかんだ。人間よりも低い、魔神族の体温が伝わってくる。
「エディシルが弱いね。元気がない。もしかしてナナト、人間のエディシルを食べたことないの?」
「……ないよ。自分を抑えられなくなって、食べそうになったことはあるけど、魔神狩人に止められた。ここ最近は、蝶しか食べていない」
「あきれちゃうね」
イデュアルは、笑う。
「人間の世界で育ったのなら、仕方ないかもしれないけどね。別の世界では、ずっと人間の食べ物を食べていたんでしょうから。でも、ここでは、あなたは魔神族。生きていくためには、人間のエディシルがいるのよ」
イデュアルは、七都の肩を両手でつかんで引き寄せる。そして、七都の顎に手を添えて、上を向かせた。
「私のエディシルをあなたの中に入れてあげましょうか? そしたら、きっと元気になるよ」
「やめて……!」
七都は、イデュアルの手を払いのける。
「そうね。今、私の体の中にあるエディシルは、ランジェがさらってきた旅人たちのものだわ。私の家族のエディシルも、まだ残っているかも。どちらにしろ、彼らを殺して手に入れたエディシル。罪人のエディシルなんか入れたら、あなたの体が穢れちゃうかな」
イデュアルが、自虐的に言った。
「けれど、あなたがこの先、どういう魔神族からエディシルをもらうにしてもね。それは結局、元を正せば、人間のエディシルなのよ。いちばん最初は、誰かが人間を襲って手に入れたエディシルだわ。それがいろんな魔神族の体を廻って行くだけ。あなたは、いつかはそれを体内に取り込まなきゃならないのよ」
イデュアルは、金色の目で七都を見つめる。
「まあ、だけど、あなたにはこの先なんてないけどね。私があなたを食べてしまうんだから。あなたはエディシルが弱いから、あっという間でしょうね」
「いやだ。わたしはあなたに食べられない! ここから逃げる!!」
七都は、叫ぶ。
「無理よ。逃げようとしたって、私が全力でそれを阻止するわ。このまま私を無視して、何もしないでここから出るなんて許さない。この城は、私の魔力で覆っているの。この花は、その印」
イデュアルは、黄色い花をつまみあげて、香りを嗅いだ。
妖しい、だが、とてもかわいらしい仕草だった。
「あなたが逃げられる方法は、一つだけあるけどね」
イデュアルが言う。
「それは、何?」
「私を殺すことよ」
イデュアルは、ベッドから降りた。
そして、棚のいちばん下の隙間に押し込んでいた何かを取り出し、それを七都の前に投げる。
それは、大きな布に無造作に包まれていた。
「これは?」
「開けてみたら?」
七都は、巻かれていた布を取った。
その布は、誰かのマントのようだった。何度も雨に濡れ、風にさらされ、太陽に照らされた、旅人が身につけていたマント――。
中から、短剣が現れる。美しい彫刻が入った小さな短剣だった。
鞘を抜くと、オレンジ色の輝く光がこぼれ出た。
エヴァンレットの剣だ。七都は魅入られるように、光を放つ剣身を見つめる。
「今、抜くのはやめてよ。その光、苦手なんだから」
イデュアルが言った。
七都は、短剣を鞘に収める。光は、鞘の中に押し込められるように消えた。
「ナナト。あなたは、その剣も平気なの?」
「一応、持つことは出来るよ。それに、エヴァンレットの剣は、わたしには反応しない。光らないの。刃のところを素手で持つと、火傷みたいになるけど」
七都が言うと、イデュアルは、あきれたように大袈裟に肩をすくめて見せた。
「それはね、この部屋に連れてこられた男の子が持っていたものだわ。魔神狩人ではなかったけど、どこかでたまたま手に入れたのでしょうね。鞘から抜いて、私に突き立てればよかったのに、そんな勇気もなかったみたい」
「……その男の子も、やっぱり、あなたが?」
「そういうことになるわね。気が付いたとき、その剣しか残っていなかったもの。ナナト、私が正気を失ったら、その短剣を私に突き刺せばいい。心臓に一突きでね。そしたら、私は、太陽に当たったときみたいに、溶けてしまうわ。たぶん、正気に戻らないまま。そのあとは、あなたはこの城から出て、旅を続ければいい。何事もなかったようにね」
イデュアルは、マントでエヴァンレットの剣をくるんで持ち、それを七都のベルトに差した。それから、七都の額に、アヌヴィムの銀の輪をはめる。
「久しぶりにおしゃべりしたら、ちょっと疲れちゃった。少し眠るわ。闇が深くなったら、また目覚めて、あなたの相手をしてあげる。あなたも眠る?」
七都は、首を振る。
こんな状態で、しかもイデュアルの隣なんかで、眠れるわけがなかった。
「じゃあ、お休み。ナナト、私が眠っている間に、その剣を私の胸に突き立てても、別にいいよ。起きているときは、そんなことさせないけど。やっぱり、死ぬのはいやだもの。でも、眠っているときは構わない。防ぎようがないからね。エヴァンレットが自分に刺さっていることを自覚する前に、たぶん、私は消えてしまうでしょうから」
「そんなこと、出来ないよ。だって、あなたはまだ正気なんだもの」
「そう。あなたも勇気がないね。後悔しても知らないから」
イデュアルは、ベッドに横たわる。
「ナナト、この部屋から出て、城を散歩してきたら。私が寝てしまったら、暇でしょ。ただ、城の中は自由に歩いてもいいけど、城の外には出られないからね」
イデュアルは、目を閉じた。
すぐに彼女は、眠りに落ちる。
七都は、イデュアルを見下ろした。
あどけない少女の寝顔。多くの同族や人間のエディシルを奪って殺した魔物には、とても見えない。
七都は、イデュアルの横に黄色の花を置いてみた。
香りは薔薇に似ているが、花自体は薔薇というより、八重咲きのひなげしのようだった。
七都は、イデュアルの全身を花で飾った。さっき、彼女が七都にそうしたように。
確かに、あなたはこの花がよく似合う。花の精のようだ。こうしていると。
「でも、わたしは、ここであなたに殺されるわけにはいかない」
七都は、ベッドから離れ、扉の前に立った。
扉には、鍵がかかっていて、開かなかった。
鍵を開けるような魔力を使う? 鍵を探って、仕組みを調べて?
そんなの、気が遠くなる。自分を扉の向こうに移動させるほうが簡単だ。
テレポーテーション。瞬間移動。シャルディンがわたしの魔力を使って出来ていたのだもの。わたしに出来ないわけがない。
扉一枚分。たったそれだけの距離なのだ。
七都は、扉に両手を置いた。
扉を通り抜ける自分をイメージする。
簡単だ。きっと出来る。気負わず、ごく自然に。ほら。
目を開けて見ると、別の部屋がそこにあった。
イデュアルの部屋は、扉の向こうに閉ざされている。
(抜けた!)
七都は、同じようにして、鍵がかかった沢山の扉を通り抜けた。




