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家系ラーメンが好きすぎて、擬人化してしまった!?  作者: 源三郎


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[番外編] 進化するメンちゃん、広がる麺の世界

これは、俺とメンちゃんが「恋人のような、そうでもないような、でも確実にただの同居人ではない関係」になってから、少し後の話である。


メンちゃんはもう、家系ラーメンだけの化身ではない。焼きそば、うどん、そば、パスタ、つけ麺、油そば、冷やし中華――彼女の中には、いろんな麺の可能性が広がり始めていた。


とはいえ、根っこの部分はやっぱり家系ラーメンである。油断すると、パスタに鶏油チーユを入れ、うどんに海苔を三枚そえ、焼きそばにほうれん草を乗せる。何なら味噌汁にまで「固め、濃いめ、多め」の概念を持ち込もうとする。


そんなある日、俺たちは商店街で開かれる「ご当地麺フェス」に行くことになった。ラーメン、うどん、そば、パスタ、フォー、ビーフン、冷麺。世界中の麺料理が集まる、麺のお祭りだ。メンちゃんにとっては勉強の場、俺にとっては胃袋の限界に挑む理不尽な休日だった。


そしてこの日、メンちゃんは初めて知ることになる。麺の世界は広い。そして、家系ラーメンの愛は、思ったよりずっと嫉妬深いということを。

〜番外編:メンちゃん、麺フェスへ行く〜


日曜日の朝、俺はいつもより少しだけ早く目を覚ました。理由は簡単で、腹を空かせるためである。


今日は商店街のご当地麺フェスの日。ラーメン、うどん、そば、焼きそば、パスタ、アジア系の麺料理まで、いろんな屋台が並ぶらしい。本当なら休みの朝はゆっくり寝ていたいところだが、メンちゃんは昨日の夜から妙に張り切っていた。


いや、「張り切っていた」では足りない。昨夜、ワンルームの天井には湯気で「麺」の一文字が浮かび、枕元には業務用の寸胴が一つ置かれていた。うちではメンちゃんの感情が高ぶると、部屋のほうが先に家系になる。


「ご主人様! 明日は麺フェスだよ! 世界が麺で満ちる日だよ!」


「世界規模の話なのか?」


「うん! 麺は世界をつなぐんだよ!」


「話のスケールが急にでかいな」


「ご主人様、明日はちゃんと胃袋を空けておいてね」


「分かってる」


「朝ごはんは抜く?」


「そうだな。フェスで食べるなら朝は軽めでいい」


「じゃあ、朝ラーメン半玉にするね」


「抜くという選択肢を返せ」


結局、朝は本当に半玉の家系ラーメンが出てきた。メンちゃんいわく「胃袋のウォーミングアップ」らしい。ウォーミングアップで豚骨醤油を入れるな、と思いながらも、俺は食べた。うまかった。悔しい。


しかも食べ終えた瞬間、メンちゃんは真剣な顔で、俺に一枚の紙を差し出した。


「これは?」


「麺フェス家系法度かけいはっと


「また増やしたのか」


うちには、メンちゃんが勝手に作った謎ルール「家系法度」というものがある。気づけば条項が増え、気づけば飛び番になっている。紙にはこう書いてあった。


麺フェス家系法度・第一条。フェスでの一杯目は、家系から始めるべし。

第三条。よその麺を「うまい」と言うときは、家系を三秒思い出してから言うべし。

第七条。うどんに優しい顔をしすぎてはならぬ。


「第二条と、第四から第六条は?」


「まだ考えてない」


「飛ばすな」


「大事なのは番号じゃなくて心だよ、ご主人様」


「心で飛び番を正当化するな」


メンちゃんは得意げに胸を張った。理不尽が、服を着て歩いていた。


食後の水を飲みながら、俺はテーブルの向こうにいるメンちゃんを見た。今日のメンちゃんは、いつもと少し違う。白いブラウスに赤いリボン、うすいベージュのスカート。髪はいつものツインテールだが、リボンが少しだけ大きい。そして、なぜか小さなショルダーバッグを持っている。


「そのバッグ、何が入ってるんだ?」


「秘密道具」


「嫌な予感しかしない」


「海苔」


「やっぱりか」


「あと、携帯用の豆板醤トウバンジャン


「持ち歩くな」


「小分けニンニク」


「絶対に使うな」


「刻み生姜」


「そこだけ少しまともに聞こえるのが怖い」


「どんな麺料理にも、家系の可能性を足せるように準備したよ!」


「頼むから足さないでくれ」


「えー」


「ご当地麺フェスで、よその店の料理に勝手にニンニクを入れるな。戦争になる」


「麺の平和は難しいね」


「難しくしてるのはお前だ」


そんな会話をしながら、俺たちは部屋を出た。外はよく晴れていた。商店街に近づくにつれて、人の声と食べ物の匂いが混ざり合っていく。ソースの香ばしさ、出汁だしの香り、味噌、焼けた肉、唐辛子の刺激。そして、どこかからただよってくる豚骨の気配。メンちゃんの目が、きらきらと輝き始めた。


輝き始めた、と思ったら、周囲の湯気が急にメンちゃんへ吸い寄せられ、ちょっとした竜巻になった。


「メンちゃん、湯気が集まってきてるぞ」


「私、うれしいと湯気を呼んじゃうの」


「体質を家系にするな」


「ご主人様、ここ、天国?」


「商店街だ」


「麺の天国だよ!」


「まあ、否定はしない」


会場には、想像以上に多くの屋台が並んでいた。横浜家系ラーメン、札幌味噌ラーメン、博多豚骨ラーメン、喜多方ラーメン。讃岐うどんに信州そば、富士宮焼きそば、ナポリタン、台湾まぜそば、盛岡冷麺、ベトナムのフォー、タイのパッタイ。看板を見ているだけで腹が鳴る。いや、もう朝ラーメンを食べているのだが。


「ご主人様、まずはどれにする?」


メンちゃんが俺の袖をつまんだ。


「そうだな……最初は軽めに、フォーとか」


「フォー」


メンちゃんの表情が固まった。その瞬間、空気の温度が二度上がり、足元のアスファルトから、じわりと鶏油の匂いが立ちのぼった。理不尽である。


「どうした?」


「ご主人様、最初に家系じゃないの?」


「今日は麺フェスだぞ。いろいろ食べるんだろ」


「うん。それはそうなんだけど」


「何だよ」


「最初の一杯って、大事じゃない?」


「まあ、大事だな」


「最初に家系を選ばないんだ」


声が重い。かなり重い。俺は嫌な汗をかいた。同時に、近くの排水溝から白い湯気の柱がぼわっと立ちのぼる。メンちゃんの機嫌が下がると、地面まで家系になる。理不尽である。


「メンちゃん、もしかして、嫉妬してる?」


「してないよ?」


「本当に?」


「してないもん。ご主人様が最初に透明なスープの細い麺を選んでも、私は全然平気だよ?」


「言い方にとげがありすぎる」


「フォーさん、優しそうだもんね。朝にも合いそうだもんね。私みたいに重くないもんね」


「ラーメンで自己肯定感を下げるな」


「あと、麺フェス家系法度・第一条。一杯目は家系から始めるべし」


「自分で作って自分で盾にするな」


メンちゃんはぷいっと顔をそむけた。面倒くさい。だが、少し可愛い。いや、かなり面倒くさい。


「分かった。じゃあ最初は家系にする」


「ほんと?」


「ただし、今日は一杯を全部食べるんじゃなくて、ミニサイズだ。いろいろ回るからな」


「うん!」


メンちゃんが笑った瞬間、湯気の柱がしゅるっと引っ込み、地面の鶏油も消えた。切り替えが早いというか、現金というか、麺金というか。感情が景色を書き換えるのは、やめてほしい。


俺たちはまず、横浜家系ラーメンの屋台へ向かった。屋台とは思えないほど本格的なスープの香りがする。店員が元気よく声を張り上げていた。


「家系ミニラーメン、固さ選べます!」


俺は即答した。「固めで」


メンちゃんが隣で親指を立てた。「ご主人様、さすが」


「条件反射だ」


「味は?」


「フェスだから普通で」


「えっ」


「何だその顔」


「濃いめじゃないの?」


「今日は食べ歩きだ。最初から濃いめ多めで行ったら後半死ぬ」


「ご主人様、大人になったね」


「胃袋が大人になっただけだ」


出てきたミニ家系ラーメンは、小ぶりでも、しっかり家系だった。スープを一口。うまい。店で食べるものとは違うが、屋台らしい勢いがある。


「うまい」


俺が本心からそうつぶやいた、その時だった。丼のスープが、ぽこん、とはねて、鶏油の光の玉がふわりと浮き上がる。光の玉は、みるみる小さな女の子の形になった。湯気でできた、前掛けの子だ。


「……妖精か」


「わ、妖精さんだ!」


以前、家系の店をめぐる旅で知った。誰かが本心から「うまい」と思うと、その一杯の妖精が現れる。店を大事にする心が、形になったものだ。この屋台にも、ちゃんと妖精がいたらしい。


家系の妖精は、俺を見てぺこりと頭を下げ、それから隣のメンちゃんを見て、なぜか嬉しそうに寸胴のふたを打ち鳴らした。かん、かん、と小気味いい音がした。


「ご主人様が家系をうまいって言うと、妖精さんが出るんだね」


「らしいな」


「なら、私、今日いっぱい呼ぶ」


「呼ばなくていい」


メンちゃんが手を差し出すと、妖精はその手のひらにちょこんと乗った。


「メンちゃんは、妖精と仲がいいんだな」


「うん。だって、同じ家系だもん。私は、たくさんの家系が集まって生まれた子だから」


だから妖精は、彼女を身内みたいに扱う。


「フェスでもやるんだね」


俺は海苔をスープに軽くひたし、小さな白飯カップを海苔で巻いて食べた。


「家系を食うならやる」


「やっぱり、ご主人様は家系の人だね」


「何だその分類」


「私のご主人様ってこと」


「外でそういうことを言うな」


「照れてる?」


「麺が熱いだけだ」


「便利だね、麺」


メンちゃんはくすくす笑った。妖精も、真似して笑った。にぎやかだった。


家系で軽く胃袋を起こしたあと、俺たちは次に讃岐うどんの屋台へ向かった。白くて太い麺、透き通っただし、青ねぎ、天かす、そして温玉。メンちゃんが真剣な顔で丼を見つめる。


「これは……ラーメンとは違うな」


「うどんだからな」


「でも、麺が堂々としてる」


「コシがあるからな」


「家系の太麺とは違う強さ……」


メンちゃんは何やら分析を始めた。俺はうどんを一口食べる。だしが優しい。朝ラーメンとミニ家系のあとに、この優しさはしみる。


「うまい」


俺がそう言った瞬間、二つのことが同時に起きた。一つ、うどんの湯気の中から、白くてまんまるな、うどんの妖精が現れた。天かすを座布団みたいに敷いて、ぽけっと座っている。二つ、俺の肩の上で、メンちゃんがぴくりと反応した。


「ご主人様、今の『うまい』、ちょっと優しかった」


「食レポの判定が細かい」


「私の時と違う」


「違わない」


「家系の時は『うまい……!』って感じなのに、今は『うまい……』だった」


「点の数で嫉妬するな」


家系の妖精は、うどんの妖精に「うちのメンちゃんに近づくな」とばかりに寸胴のふたを鳴らす。うどんの妖精は、のんびり手を振っている。敵意ゼロだ。過保護な親戚みたいだった。


俺はメンちゃんの髪を見た。金色のツインテールに、赤いリボン。変わっていない。前に「直系巡礼」――家系の本家の味を受け継ぐ店をめぐる旅だ――で別の家系を食べた時、メンちゃんの髪と目の色が一瞬だけ変わったことがある。あの時の怖さは、まだ胸の底に残っている。でも、今日のメンちゃんは揺らいでいなかった。家系じゃないうどんを俺が「うまい」と言っても、こはく色の瞳は、ちゃんとメンちゃんのままだった。たぶん、俺たちはあの頃より少しだけ強くなっている。


メンちゃんは難しい顔をした。


「でも、分かる気がする。うどんは優しいんだね」


「ああ。胃に優しい」


「私も優しくなれるかな」


「なれるだろ。最近のメンちゃんの料理、前より優しいし」


メンちゃんの顔が少し赤くなり、足元だけ、ぽっと湯気が上がった。嬉しいと湯気が出る体質、本当にやめてほしい。


「そ、そう?」


「ああ。前は朝から全力で殴ってくる味だった」


「殴ってたの?」


「豚骨醤油で」


「ごめんね」


「今はちゃんと考えてくれてるだろ」


メンちゃんは照れくさそうに笑った。「ご主人様の身体、壊したくないもん」


その言葉に、少し胸が温かくなった。俺はなんとなく目をそらし、うどんをすすった。手のひらの上では、家系妖精とうどんの妖精が、いつのまにか一緒に天かすを分け合っていた。仲直りが早い。


次に食べたのは、信州そばだった。香りが強く、つゆはきりっとしていて、薬味のわさびがよく合う。メンちゃんは、そばをじっと見つめていた。


「細いのに、ちゃんと存在感がある」


「そばは香りが大事だからな」


「家系みたいに力で押してこないんだね」


「家系を力押しみたいに言うな」


「違うの?」


「否定しきれない」


俺はそばをすすった。うまい。静かなうまさだ。案の定、そばの湯気からも、手ぬぐいを首にかけた大人っぽい妖精が出た。そば通のおじさんみたいな貫禄がある。中身は湯気だが。家系、うどん、そば。三種類の妖精が湯気の中でにぎやかに音を鳴らしている。取り合いでも、けんかでもない。それぞれが、自分の店を好きでいるだけだ。


メンちゃんは、その様子を優しい目で見て、ぽつりと言った。


「ご主人様。私、今まで濃ければ愛だと思ってた」


「だいぶ危険な思想だな」


「でも、うどんとかそばって、薄いんじゃなくて、優しいんだね。味が強くなくても、ちゃんと残るんだ」


その言葉に、俺は少し驚いた。彼女は本当に学んでいる。作れる料理が増えているだけじゃない。味の考え方そのものが、広がっている。家系ラーメンみたいに、濃くて、重くて、分かりやすい愛だけじゃない。静かで、優しくて、毎日そばにいられるような愛もある。メンちゃんはそれを、舌で覚え始めていた。


「メンちゃん、今の、いい気づきだと思う」


「ほんと?」


「ああ」


メンちゃんは嬉しそうに笑った。そばの妖精が、その笑顔を見て腕組みをほどき、少しだけ表情をやわらげた。「見どころのある子だ」とでも言いたげだった。


「じゃあ今度、ご主人様が疲れてる日は、優しい麺にするね」


「頼む」


「家系出汁うどんとか」


「急に戻るな」


「海苔は乗せるね」


「海苔から離れられないのか」


昼が近づくにつれ、会場はさらに混み始めた。あちこちから「うまい!」の声が聞こえ、その声のたびに、屋台からぽこぽこ妖精が湧いていた。フォー、パスタ、焼きそば、冷麺。会場は、いつのまにか小さな妖精でいっぱいだった。


メンちゃんは目を輝かせながら会場を歩いていたが、途中で妙な屋台を見つけて立ち止まった。看板には「創作麺コンテスト参加者募集! 飛び入り歓迎!」。その下に、さらに恐ろしい文字で「優勝者には、商店街公認・麺姫の称号!」とある。俺は嫌な予感がした。同時に、メンちゃんの周りの湯気が、また渦を巻き始めた。彼女の「やる気」が物理になろうとしている。


「ご主人様」


「やめとけ」


「まだ何も言ってないよ?」


「顔に出てる。あと、足元から湯気が出てる」


「私、出たい」


「やっぱりな」


メンちゃんは真剣な顔で俺を見た。


「私、今日いろんな麺を食べて、分かったことがあるの」


「何だ?」


「麺の世界は広い」


「それはそうだな」


「でも、私はやっぱり家系から生まれたメンちゃんだから。家系の魂を持った、新しい麺を作りたい」


その言葉に、俺は少し黙った。ただの思いつきではないらしい。メンちゃんは今日、他の麺料理に嫉妬して、驚いて、学んで、認めた。その上で、自分らしい麺を作りたいと言っている。なら、止める理由はない。少なくとも、食べる側の胃袋以外には。


「分かった。出てみるか」


「ほんと!?」


「ああ。でも、変なものは作るなよ」


「大丈夫!」


「前に作った家系ラーメン風カルボナーラは?」


「あれは名作だよ」


「胃に重すぎた」


「じゃあ今日は軽めにする」


「本当だな?」


「うん。軽め濃厚で」


「もう矛盾してる」


メンちゃんは受付へ駆けていった。妖精たちも、なぜかメンちゃんの応援団みたいに、ぞろぞろその後を追う。俺はその行列を見ながら、小さく笑った。理不尽なのに、なんだか楽しい。それが、うちの日常だった。


コンテストは、商店街の小さなイベントスペースで行われた。参加者は十人ほど。地元の店主、料理好きの主婦、大学生グループ、謎の麺マニアらしき男性、そして家系ラーメンの化身。いや、最後だけ明らかにおかしいのだが、誰も気づいていない。周りに妖精が十体ほど浮いているのも、誰も気づいていない。フェスの魔法は、案外いい加減だった。


メンちゃんは調理台の前に立ち、真剣な顔で材料を並べた。太麺、鶏油、醤油ダレ、豆乳、鶏出汁、ほうれん草、刻み生姜、海苔、温玉。そして、なぜか粉チーズ。


「メンちゃん、何を作る気だ?」


「家系豆乳まぜうどん」


「ラーメンじゃないのか」


「今日はうどんとそばに学んだから、優しさを入れるの。でも、私は家系だから、鶏油と海苔とほうれん草は外せない」


「そこはぶれないんだな。粉チーズは?」


「パスタへの敬意」


「欲張りだな」


調理が始まると、妖精たちが手伝い始めた。うどんの妖精はゆで加減を見張り、そばの妖精は渋く見つめ、家系の妖精は「入れすぎ注意」の合図を送る。メンちゃんの高ぶりにつれ、調理台の周りの湯気が、やわらかく彼女を包むように立ちのぼった。今度は竜巻ではない。麺の神さまが見守っているみたいな、綺麗な湯気だった。


メンちゃんは太めのうどんをゆで、その間に豆乳と鶏出汁を合わせ、醤油ダレで味を整える。鶏油は少しだけ。入れすぎず、香りを立たせる程度だ。前のメンちゃんなら、迷わず鶏油を多めにしていただろう。でも、今はちゃんと引き算をしている。そばの妖精が、満足そうにうなずいた。


ゆで上がったうどんを冷水で軽く締めて器に盛り、豆乳ダレをからめ、ほうれん草を添える。温玉を真ん中へ。海苔を二枚。最後に刻み生姜を少し。粉チーズは、本当にひとつまみだけだった。


「できた」


メンちゃんは、小さく息をはいた。目の前にあるのは、家系ラーメンではない。うどんでも、パスタでもない。でも、確かにメンちゃんらしい麺だった。完成の瞬間、包んでいた湯気がふわっと晴れ、妖精たちが、いっせいに小さな手のひらでぱちぱち拍手した。


審査員たちが順番に試食する。俺も、特別に一口もらった。箸でうどんを持ち上げると、豆乳ダレが麺にからみ、鶏油の香りがふわりと立つ。口に入れると、最初は優しい。豆乳のまろやかさと、鶏出汁のうま味。そこに醤油ダレのキレが来る。ほうれん草が合う。海苔も合う。温玉をくずすと、さらに味が丸くなる。後半は刻み生姜が効いて、重さを流してくれる。うまい。ちゃんと、うまい。


「うまい」


俺が本心でそう言った瞬間、丼の湯気から、また新しい妖精が出た。今度の妖精は、少しだけメンちゃんに似ていた。ツインテールで、片手に海苔、片手に豆乳のカップ。家系でもあり、うどんでもあり、でも、どちらでもない。メンちゃんが作った、新しい麺の妖精だった。


「……メンちゃん、見ろ」


「え……わ、私の麺から、妖精さんが」


その妖精は、生まれたばかりの顔で、メンちゃんを見つけてにっこり笑った。「あなたが、お母さん?」とでも言うように。メンちゃんは、口を押さえた。目に、じわりと涙がたまっていく。


「私の味にも……妖精さんが、生まれたんだ」


ほかの妖精たちも、その子のまわりに集まってきた。取り合いではない。新しい家族を迎えるみたいに、みんなで囲んでいた。


「……メンちゃん」


「どう?」


「すごくうまい」


メンちゃんの顔がぱっと明るくなった。


「ほんと?」


「ああ。家系っぽいけど、ちゃんと優しい。前みたいに全部を濃くするんじゃなくて、残すところと引くところがある」


メンちゃんは、少し泣きそうな顔で笑った。


「私、進化できた?」


「ああ」


「家系じゃなくなってない?」


「なってない」


俺ははっきり言った。「ちゃんとメンちゃんの味だ」


その瞬間、メンちゃんは両手で顔を押さえた。足元から、ぶわっと嬉しい湯気が立ちのぼり、鶏油色の光がスポットライトみたいに彼女を照らす。これは照明ではない。喜びだった。


「ご主人様、それ、すごく嬉しい」


俺は少し照れくさくなって、目をそらした。


コンテストの結果、メンちゃんは優勝しなかった。優勝したのは、地元のおばあちゃんが作った「梅しそ冷やしそば」だった。審査員いわく「暑い日に毎日食べたい味」とのこと。メンちゃんは悔しそうだったが、すぐに納得した。悔しさの湯気が、しゅん、と一度だけ立って、すぐに消えた。


「毎日食べたい味……すごいね」


「ああ」


「私、まだ毎日食べたい味じゃない?」


「昔よりはかなり近づいた」


「昔は?」


「毎日食べたら病院に近づいた」


「ごめんね」


「今は笑えるからいい」


メンちゃんは、優勝したおばあちゃんの屋台へ行き、深々と頭を下げた。生まれたばかりのメンちゃん妖精も、真似して、ぺこりと頭を下げた。


「勉強させてください!」


おばあちゃんは笑って、梅しそ冷やしそばを一口くれた。メンちゃんは食べた瞬間、目を見開いた。


「……軽いのに、ちゃんと残る」


「濃い味だけが、ごちそうじゃないからねえ」


おばあちゃんはそう言って笑った。メンちゃんは真剣にうなずいた。俺はその横顔を見て、少し胸が温かくなった。メンちゃんは変わっていく。でも、それは遠くへ行くことじゃない。俺の隣で、新しい味を覚えていくことなのだと思った。


夕方、フェスの終わりが近づくころ、俺たちは商店街の端にあるベンチに座っていた。俺の胃袋は、かなり限界だった。ミニ家系、うどん、そば、フォー、焼きそば、メンちゃんの家系豆乳まぜうどん、梅しそ冷やしそば。完全に食べすぎである。


フェスの終わりとともに、妖精たちは湯気へ戻り、メンちゃん妖精も、すうっと彼女の中へ溶けていった。生まれた味は、作り手の中に帰る。そういうものらしかった。


「ご主人様、大丈夫?」


メンちゃんが心配そうにのぞき込む。


「大丈夫じゃない。胃袋が麺で会議してる」


「議題は?」


「これ以上入れるな」


「じゃあ夜ごはんは軽めにするね」


「頼む」


「冷やし家系茶漬けとか」


「軽いのか重いのか分からないものを出すな」


メンちゃんは楽しそうに笑った。夕日が商店街を赤く染めている。屋台からはまだ湯気が上がり、人の声がにぎやかに響いていた。メンちゃんは少し静かになった。


「ご主人様、今日、楽しかった」


「ああ」


「最初はね、ちょっと怖かった」


「怖かった?」


「うん。家系以外の麺を見たら、ご主人様がそっちを好きになっちゃうんじゃないかって」


「また重いことを」


「だって、うどんさん優しいし、そばさん大人っぽいし、フォーさん透明感あるし、パスタさんおしゃれだし」


「麺を恋のライバルみたいに言うな」


「でも、そう思っちゃったの」


メンちゃんは、自分の膝の上で指をもじもじさせた。


「でも今日、いろんな麺を食べて分かった。ご主人様が他の麺を美味しいって言っても、私が薄くなるわけじゃなかった。むしろ、ご主人様が本当に美味しそうに食べてると、私の中もじんわり温かくなった」


「そうか」


「妖精さんたちも、取り合いじゃなかったし」


「ああ。それぞれ、自分の店が好きなだけだったな」


「うん。私も、そうなりたい。他の麺をうらやむんじゃなくて、家系を好きでいたい。ちゃんと」


その言葉に、俺は少しだけ胸を突かれた。メンちゃんは、妖精たちの姿から、ちゃんと大事なことを受け取っていた。


「それって、私が家系だけじゃなくなったからかな」


「かもしれないな」


「でも、嫌じゃなかった」


メンちゃんは夕日を見ながら笑った。「ご主人様が美味しいって思う世界が広がると、私の世界も広がるんだね」


その言葉は、今日の答えのように聞こえた。俺はうなずいた。


「そうだな」


「でもね、一番は、家系でいてほしい。ご主人様の中の、一番」


俺は少しだけ黙った。メンちゃんは冗談っぽく笑っている。でも、その奥にある不安は本物だった。俺はどう答えるべきか考えて、なるべく自然に言った。


「家系は特別だよ」


メンちゃんの表情が少し明るくなる。


「本当?」


「ああ。うどんもうまい。そばもうまい。パスタも好きだ。フォーも今日かなり良かった。でも、俺が疲れた日に帰りたくなる味は、やっぱり家系だ」


メンちゃんは俺を見た。


「それに、今は、その家系の隣にメンちゃんがいる」


彼女の顔が、一気に赤くなった。ベンチの下から、ぷしゅう、と湯気が一筋のぼる。


「ご、ご主人様」


「何だ」


「今の、濃いめ」


「何が」


「愛情」


「自分で言って恥ずかしくなってきたからやめろ」


「やだ。今の保存する。心の海苔で巻いて保存する」


「意味が分からない」


「あと、麺フェス家系法度・第八条。今日の言葉は、一生忘れないべし」


「勝手に増やすな。しかも八条って、四から七はどうした」


「心の中で埋めた」


メンちゃんは笑った。それから、そっと俺の肩に頭を寄せた。


「ご主人様、今日、抱きついていい?」


「ここ外だぞ」


「じゃあ、半玉だけ」


「抱きつきに半玉の概念を持ち込むな」


そう言いながらも、俺は拒まなかった。メンちゃんは嬉しそうに、控えめに俺の腕に抱きついた。湯気みたいな温かさと、ソースとだしと醤油が少し混ざったような香り。今日一日で、彼女の中にいろんな麺の匂いが増えた気がした。それでも、根っこには確かに家系の香りがあった。


「あのさ、メンちゃん。今日のまぜうどん、また作ってくれ」


「ほんと?」


「ああ。今度は家で、ゆっくり食べたい」


「うん!」


メンちゃんは顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ、改良するね」


「ほどほどにな」


「海苔は三枚?」


「二枚でいい」


「鶏油は?」


「少なめ」


「ニンニクは?」


「なし」


メンちゃんは驚いた顔をした。


「なし!?」


「平日の夜ならなし」


「そんな……」


「代わりに生姜多め」


メンちゃんは真剣に考えたあと、うなずいた。


「分かった。ご主人様の身体に優しいメンちゃんになる」


「頼む」


「でも日曜は?」


「日曜は少し濃いめでもいい」


「やった♡」


本当に分かりやすい。俺は笑った。


帰り道、商店街の片隅で、メンちゃんは小さなノートを取り出した。


「何だそれ」


「麺ノート。今日からつけるの。食べた麺、覚えた味、ご主人様の反応、改善点」


「料理研究家みたいだな」


「うん。私、もっといろんな麺を知りたい。でも、ちゃんとご主人様の胃袋と相談する」


「そこが一番大事だ」


メンちゃんはノートに何かを書き込んだ。横からのぞくと、そこにはこう書かれていた。


第一回・麺フェス学び。

一、濃いだけが愛ではない。

二、優しい味も心に残る。

三、家系は特別。

四、ご主人様はうどんに優しい顔をする。要観察。

五、抱きつきは半玉から。

六、私の味にも、妖精さんが生まれた。うれしい。


「最後の二つはいらないだろ」


「大事だよ」


「五番は特にいらないだろ」


「一番大事だよ」


「六番はまあ……いい話だな」


「でしょ?」


メンちゃんは楽しそうに笑った。


部屋に帰ると、俺はソファに倒れ込んだ。本当に食べすぎた。身体は重いが、不思議と気分は悪くない。メンちゃんはキッチンに立ち、冷たいお茶を用意してくれた。ちなみに、朝あった寝室の寸胴は、いつのまにか消えていた。理不尽は、帰るのも自由らしい。


「今日は夜ごはん、なしでいいよ」


「珍しくまともなことを」


「その代わり、明日の朝は軽めにするね」


「何にする?」


「梅しそ冷やしそば」


「おお、いいじゃん」


「ちょっとだけ家系要素を」


「入れるな」


「海苔だけ」


「それならまあ」


「鶏油を一滴」


「一滴ならまあ」


「ニンニクを」


「だめ」


「ちぇ」


メンちゃんは唇をとがらせた。その顔を見て、俺は思わず笑った。


「メンちゃん、今日は楽しかったな」


彼女は一瞬きょとんとして、それから嬉しそうに笑った。


「うん!」


その笑顔を見て、俺は思った。こんな穏やかな一日も、俺たちには大事な日々の一部なのかもしれない。家系ラーメンから始まった関係が、麺の世界へ広がっていく。でも、どれだけ広がっても、俺の隣にはメンちゃんがいる。それなら、きっと大丈夫だ。


翌朝、食卓には約束どおり梅しそ冷やしそばが並んだ。見た目は涼しげで、朝にぴったりだ。ただし、端には小さく切った海苔がそえられ、器の横には、なぜか小さな小皿がある。


「これは?」


「鶏油。一滴だけ」


「本当に一滴だな」


「約束したから」


「えらい」


俺がそう言うと、メンちゃんは照れたように笑った。


「ご主人様に褒められると、ぽかぽかする」


「冷やしそばなのに?」


「心は温かいから」


「うまいこと言ったつもりか」


「うん」


俺は苦笑しながら、そばを食べた。梅の酸味、しその香り、冷たいつゆ。そして、ほんの少しだけ海苔の風味。うまい。本当にうまい。


「メンちゃん」


「どう?」


「うまい。かなり優しい」


彼女の顔がぱっと明るくなった。


「やった。昨日、勉強したから」


「ちゃんと活きてる」


「じゃあ、私、また進化できた?」


「ああ」俺はそばをもう一口食べた。「でも、ちゃんとメンちゃんの味だ」


その言葉に、メンちゃんは嬉しそうに目を細めた。


「じゃあ、今日も私はメンちゃんだね」


「ああ」


「家系ラーメンの化身で、麺料理修行中で、妖精さんのお母さんの、メンちゃん」


「肩書きがまた増えたな」


「ご主人様専属だよ」


「そこも入るのか」


「一番大事」


朝の光が、窓から差し込む。今日は冷たいそばだから、湯気はない。それでも、食卓には確かに温かいものがあった。


ラーメンの湯気から生まれた少女は、少しずつ新しい味を覚えていく。濃い味も、優しい味も、熱い麺も、冷たい麺も。そして俺は、その隣で、毎回少しだけ振り回されながら食べていくのだろう。無茶ぶりだらけで、面倒で、胃袋に厳しくて、部屋が勝手に厨房になって、妖精がぽこぽこ湧いて、それでも妙に楽しい日々だ。


メンちゃんはノートを開き、今日の欄に書き込んだ。


梅しそ冷やしそば。

ご主人様評価:うまい。

改善点:ニンニクは入れない。

備考:褒められた。ぽかぽか。


俺はその文字を見て、笑った。


「なあ、メンちゃん。次は何を食べに行く?」


メンちゃんは満面の笑みで答えた。


「世界の麺料理!」


「いきなり広いな」


「まずは近所の中華料理屋の担々麺から!」


「急に現実的」


「その次は、駅前の生パスタ!」


「いいな」


「その次は、商店街の冷麺!」


「胃袋と相談しながらな」


「うん!」


「あと、どこ行っても、勝手に妖精を増やすなよ」


「それは無理。ご主人様がうまいって言うたびに出ちゃうもん」


メンちゃんは俺の隣に座り、少しだけ肩を寄せた。


「ご主人様、麺の世界って、広いね」


「ああ」


「でも、一緒なら迷わない気がする」


その言葉に、俺は少しだけ照れて、そばをすすってごまかした。


「……そうだな」


こうして、メンちゃんの麺修行は始まった。家系ラーメンから生まれた彼女は、これからもいろんな麺と出会っていくのだろう。うどんに優しさを、そばに静けさを、パスタに自由さを、焼きそばに香ばしさを、フォーに透明感を学び、そして家系ラーメンに帰ってくる。広がっても、戻る場所がある。それは、少しだけ人生に似ていた。


俺は最後の一口を食べ、箸を置いた。


「ごちそうさま」


メンちゃんが笑う。


「お粗末さまでした」


そして、少し間を置いてから、彼女はいつものように付け足した。


「明日は、家系ラーメンにする?」


俺は苦笑した。


「明後日にしよう」


「えー」


「明日は胃袋の休日」


「じゃあ、明日は胃袋に優しい家系風にゅうめん」


「休ませる気があるのか?」


「優しくする気はあるよ」


「なら許す」


「やった♡」


その「やった♡」の勢いで、テーブルの冷たいお茶が、ぽこりと湯気を立てた。まったく。メンちゃんの世界は、今日も麺でできている。そして俺の世界も、いつの間にか、彼女の笑顔と麺の香りと、勝手に立つ湯気でできていた。最高の一杯から始まった恋は、今日も少しずつ、広がっている。



──番外編・完──

これは、赤い食券をめぐる物語を越えた後日談である。本編で、主人公はメンちゃんを「家系ラーメンそのもの」ではなく「メンちゃん自身」として受け止めた。ここで描いたのは、その先にあるメンちゃんの成長――好きなものが広がっても、原点は消えないということ。本編のような重い消滅の危機は入れず、メンちゃんの嫉妬や学び、主人公との距離感を中心に、明るい後日談としてまとめた。妖精たちが取り合いをせず、それぞれ自分の味を好きでいる姿から、メンちゃんは「うらやむより、好きでいる」ことを学ぶ。それが、この番外編のいちばん伝えたかったことだ。


メンちゃんの麺修行は、まだまだ続く。

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