148話 幸せの味
【フランクフルト・べリアス視点】
※ロイヤルホテル・フランクフルト(スタンダードダブルルーム)
暗転し気がつくと、私はルーシーが泊まっている部屋の窓辺に一人立っていた。
「ルーシー……」
ドクンドクンドクン……
いまだ治まらぬ不安で、胸は激しく脈打っていた。
窓の外は既に日が落ち、眼下には信じられぬほどの眩い街の光が広がっている(※20階です)。このように素晴らしく発展した世界から転生したルーシーは、きっと我がアレキサンドライト王国は、矮小で陳腐な国に見えているのかもしれぬ……。その国の”王”だと、偉そうにふんぞり返っていた自分が恥ずかしい。
整えられた部屋の隅に、ルーシーの水色のスーツケースが置かれていた。上部の持ち手にネームタグが付いていたので何の気なしにクルリとひっくり返しその名前を指でなぞった。
「前世の名か? AKIHO TOMOE……どっちが名前だ?」
ガチャ……
「あ、べリアス! ここにいたの!? バスにいなかったから心配した」
何事も無かったかのような明るい笑顔で部屋に戻ってきたルーシーは、ベッドにリュックサックと白い袋を置き、コートを脱ぎハンガーにかけた。
今日は、黒いパンツに丈がやや長めのざっくりとした水色のニットを着ている。ふくらみを帯びた袖のデザインが、私が着ているブラウスと似ていた。
安全確認のため部屋のドアを開け、廊下を覗いた。左右に長く続く青い絨毯が敷き詰められた廊下には誰の姿も無く、もちろんアスモデウスや他の悪魔の気配も感じられなかった。
「どこへ行っていた?」
「いまリューデスハイムから帰ってきたところ、夕ご飯は自由だから今日は日本から持ってきた”カップラーメン”を食べようと思って」
「日本!? カップラーメン?」
「うん。あと帰りに休憩で寄ったお店で買ったハムとチーズとお菓子!」
私を椅子に座らせると。ベッドの上の袋から荷物を取り出しテーブルの上に並べ、飲み口の広いグラス二つに、ワインオープナーそして、昼間、陽気な小道で買ったという”ワイン”の瓶を置いた。白ワインだ。
昨夜、アップルワインで酔いつぶれてしまった失態をふまえ、今夜は飲み過ぎないようしっかりとセーブするつもりだ!
「カップラーメン……っと」
ルーシーはスーツケースからほぼ円柱型のブロックのようなものを二つ取り出し「へへっ」と子どものように笑った。
「これにお湯を注ぐとラーメンになるの。今からお湯を沸かすから待ってて。あ、べリアス、ワイン開けて先に飲んでてもいいよ」
話しかける間もなくルーシーはポットを持って水を汲みにパタパタと洗面所の方へ行ってしまった。
「……」
ワインを開けグラスに注いだ。
コク……
軽やかでフルーティーな甘みと酸味が絶妙に絡み合い口に広がった。
「ほう……美味いな」
ルーシーが買ってきたハムをつまみ、ワインをもうひと口。
たが、ルーシーがなかなか戻ってこない。
どうしたものかと、洗面所に行くと黒髪のルーシーは座り込み、さめざめと泣いていた。
「どうした!? 何があった!?」
抱き上げようとした私の前に、ルーシーはサッと手のひらを向け拒絶を示した。
「違うの、これは……ヒック……どうにもならなくて。ズッ……前世の私が……ずっと、泣いてたから。大丈夫、もう少しで落ち着くから」
「前世とはいえ、ルーシーを泣かせるなんて、けしからん!」
「大丈夫。べリアス……ごめんね。あと、5分ぐらい」
「毎回、こうなのか?」
「うん、うわぁあああ……」
約10分後。
「じゃ、いっただきまーす!」
さっきの涙は嘘のようにすっかり消え失せ、黒髪のルーシーは”カップラーメン”なるモノを”わりばし”という二本の棒で器用に掬いあげズズズと音をたてて食べ始めた。
「ルーシー。お前と私の仲だが、いくらなんでもお行儀悪すぎないか?」
「言うと思った! でもね、これはこうやって食べるの。ズズズッズズ。あ~~~美味しっ! 食べたかった。べリアスのおかげだよ、ありがとう!」
あまりにも美味そうに食べるので、私もフォークで持ち上げ口に入れた。
「熱っ!」
「べリアス、フーフーしてから!」
フーっと息を吹きかけられ、その黒髪のルーシーの表情のキュートさに顔がニヤけ、慌てて表情を引き締めた。昼間、興奮してルーシーを怖がらせ泣かせてしまった失敗を反省し、この旅の間は極力暴走する感情を抑えるよう努力するつもりだ。
「ズ、、、ゴフッツ」
うまく食べられない私にルーシーは、
「こうやって、フォークにクルクル巻くといいかも」
フォークに麺をクルクル巻きつけてくれた。
それをひと口で頬張ると、なんともいえない風味の麺が口の中で解けていった。
「美味いな……なんの味だ?」
「しょうゆ味。前世の私が生まれた国の調味料なんだよ……あー懐っかしい! 夜のカップ麺最高! これぞ、幸せの味。ズズズ……」
「お前の生まれた国? ここじゃないのか?」
エビや肉のような小さな塊も美味で、フルーティーな白ワインによく合った。
「うん、ここには旅行で来てるって言ってたでしょ。私が生まれたのは、ここからずっと東にある”日本”っていう国」
「二ホン? 聞いたことないぞ。それに、ルーシー、お前の前世での名は何というのだ?」
「名前? あ、言ってなかった!? 秋穂 巴」
「あきほ ともえ? 名はどっちだ?」
「巴。なんか地味でしょ」
ルーシーは恥ずかしそうに笑って、麺をまたズズズズっと口に運んだ。
「ともえ? どういう意味の名だ? パクッ!」
フォークに麵を巻きつけ、大きな玉のようになった麺を頬張った。
「わ! べリアス、意外と口大きいんだね!」
「………もっちゃ……くちゃ(咀嚼音)……で? ほういうひみだ(どういう意味だ)?」
「あ、名前の意味ね。うーん……日本の古いお話”平家物語”に登場する”巴御前”という女性の武将が由来らしいよ。ちなみに妹は“源氏物語”から”葵”。ああ、よくよく考えたら私が勇者になったのは、この名前のせいなのかも……って、」
ルーシーはコロコロと表情を変えながら楽しそうに話した。
「ともえ? あおい?」
「前世の父が古文の教授でなんか凝っちゃったみたい。私的には、今の”ルーシー”の方が好き。特に妹は嫌がってたよ”源氏物語”なんて最悪って」
「ゲンジ物語とは?」
「あ、ああ。うーん。『源氏の君』っていうイケメン王子様のドロドロの恋愛劇」
「ドロドロの恋愛劇?」
「恋愛……なんだけど、その王子、一度気に入ったら容赦なく若いのからかなり年上まで食らいつくすストライクゾーンの広いクズ男で、私的には引きに引いた物語だった」(※あくまで個人の見解です)
古代の神々の逸話にもそのようなもの(ハーレム作る話とか)が多いが、前世のルーシーの国でもそのような物語は一部の者には人気があったのだな。
「ふ、ふーん……で、”ヘーケ物語”はどのような話だ?」
「平家という一族の興亡を描いた”軍記”もの」
「フッ、ルーシーらしいな」
騎士見習の隊服姿で、真面目な顔で私に敬礼する赤い髪のルーシーの姿が頭に浮かんだ。
「べリアスまでそんな風に言うの!? 父は”生まれたての私を見て直感で付けた”って言ってたし……」
「ハハハ、そうかもな」
黒髪のルーシーは前世の姿とはいえ凛として美しく、意志の強そうな黒い瞳は神秘的な輝きを放っていた。あの、アスモデウスが一瞬で魅了されたとしてもおかしくはない。
ルーシーと会話を楽しみながらカップラーメンの麺を食べつくし、スープを飲み干した。
「それにしても美味いな。もう無いのか?」
「うん。さっきので最後。でも明日はね、”パリ”へ行くの」
「パリ?」
「うん、パリのスーパーで同じようなカップラーメンが売ってるから、買ってきてまた一緒に食べようね」
「本当か!……それで、パリとはどんな町だ?」
「華の都!」
「はなのみやこ!?」
ルーシーは”パリ”と大きな文字で書かれた色鮮やかな書物を私の前に広げた。
「これは?」
「パリのガイドブック。べリアス、明日あさっての二日間で”華の都パリ”を満喫するから、覚悟してね!」
「パリを満喫!?」
ルーシーがグラスに入ったワインをグッと飲み干し、満面の笑みを浮かべた。
***** *****
【アンフェール城医療棟ルーシーの病室・バルベリス視点】
※べリアスがモルぺウスの化身の力で、ルーシーの心の中に入ってから約3時間経過。
夢にうなされ目覚めない王国の勇者ルーシーの心の中を探るため、ルーシーと指輪の契約を交わしているべリアスを、モルモル(モルぺウスの化身の愛称)の能力を使い彼女の夢に送り込んだ。
二人の身体をガッチリと固めるように纏わりついたモルモルの背には巨大な眼球が飛び出し、その虹彩に映る異質な夢の世界を、僕は興奮を押し殺しながら見守っていた(覗いていた)。
そこは、天使も悪魔も妖精もいない。
人間だけの世界だった。
あの世界は、恐らく数千年以上前。
悪魔や天使が人間たちとは異なる次元に存在していた頃の時代だろう。
高度に発展した世界だったが、際限のない欲望に蝕まれ人間同士で不毛な破壊と戦争を繰り返した末、世界の均衡が崩れ、天界は地に落ち冥府が地を裂く大災害、いわゆる”アポカリプス”によって滅亡したと伝え聞いている。
モルぺウスの化身の虹彩に映るその世界は、驚くほどに豊かで、とても美しかった。
***
ルーシーの姿を探しながら夢の中を覗いていると、乗り合いの馬車のような乗り物の中で一人の黒髪の女がべリアスに声をかけ、それから楽しそうに会話をはじめた。笑顔や仕草がどことなくルーシーに似ている。そのまま観察していると、二人で小さな部屋に入っていった。べリアス……あいつまさかルーシーの夢の中で!? と、思った矢先、襲いかかるべリアスからその女は颯爽と身をかわし、風の如く”パチン!”と頬を引っ叩いた。
僕はその時、この黒髪の女は前世のルーシーだと直感した。
そして、その前世のルーシーとのんびり旅を楽しむべリアスにイラついた。
「べリアス、さっさとルーシーに話をして戻ってこないと、イフリートが起きちゃうよ」
時折、べリアスが前世のルーシーに向ける卑猥な視線や目にあまる行動にハラハラし、夢の世界に介入できないもどかしさから何度もべリアスを殴りつけ、その頬を抓った。
アスモデウスの出現には驚かされたが、あいつは古代から存在する上位の悪魔。あの時代にいたとしても、決して不思議なことではない。そして、アスモデウスがそこにいるってことは、もしかしたら例の奴も……。
それにしても、アスモデウスに怯えたべリアスの行動には笑えた。
悪魔が教会に逃げ込むなんて。バカなの!?
笑っていたら……え!? ちょっと!?
「あいつ……なにやってんだ! 離れろ! ルーシーに触れるな!」
教会で抱き合う二人の姿を目の当たりにし、爪をたて”ギリッ”とべリアスの頬を血が滲むほど抓っていると、
「zz……グハッ! べリアス! 貴様、ルーシーを」
昼寝から目覚めたイフリートが、モルモルで固められたルーシーとべリアスを見つけ、ふたりを引き離そうと炎の拳を振り上げた。
「ルーシーも死ぬぞ!」
魔力でガードすると、イフリートは怒りで声を震わせ僕の胸ぐらを掴んだ。
「お前の仕業か?」
「そうだよ。ずっとうなされてるルーシーを助けるためだ」
「助けるだと!?」
「いまべリアスがルーシーの夢の中に入って、みんなの無事を伝え連れ戻しに行ってもらってる」
「なぜ、こいつなんだ!」
「”指輪の契約”で繋がっているべリアスが適任だった。僕だって入りたかったよ。けど、入ったところでルーシーからは僕の姿を認識できないし、僕からも干渉できない。これ見てよ」
「……」
イフリートに、モルぺウスの化身の虹彩を覗かせた。
そこに映る二人は小さな部屋で食事をし、今度はカラフルな書物を読みながら楽しそうにあれこれ話をしている。
ああっ、なんだろうあの本。僕も一緒に読んでみたい!
「バルベリス。黒い短い髪でべリアスと一緒にいる”女”が、ルーシーなのか!?」
「ああ、うん。たぶん”前世のルーシー”」
「前世!? だと……」
イフリートは言葉を失ったまま虹彩を食い入るように見つめ、ベッドで眠る赤い髪のルーシーと交互に見やった。
「あと、ノエル。アスモデウスを連れてきてほしいと、スチュワートに伝えてくれ」
「畏まりました」
ノエルは一礼し、すぐに病室から出て行った。
「アスモデウス……やはり、そうなのか」
何か心当たりがあるようなイフリートの言い方に、僕は目をぱちくりさせた。
「な、なんで!?」
「大昔、あいつが”妻”と紹介してくれた女が、こんな感じの風貌だった」
「えーーーーっ! じゃあ、もしかして!」
「………」
あまりのことに絶句した僕とイフリートは、ルーシーとべリアスを映しだすモルぺウスの虹彩を食い入るように見つめた。
黒髪のルーシーがアスモデウスと会い前世で何らかの契約を交わしていたのなら、彼女がこの世界に転生してきた理由は契約の履行。それ以外考えられない。
アスモデウス……
あいつはルーシーが勇者になった際、いち早く城に駆け付けた。
あいつは薄々勘づいていて、だから悪魔の天敵であるはずの”勇者”のルーシーをあんなに可愛がっていたのか!?
ルーシーが”妻”の生まれ変わりだと知ったら、あいつはきっとルーシーを手に入れようとべリアスや妖精王、いいや全てを敵に回しても構わんと宣うだろう。
うわー、しまったーっ!? アスモデウスをここへ呼びつけたのは時期尚早だったかも。
「ルーシーが、その妻の生まれ変わりだと知ったら、あいつはきっと喜ぶだろうな」
低く太い声で感慨深げに発したイフリートの言葉に、僕は耳を疑った。
「はぁ!?」
「聞け、バルベリス……しばらくしてその妻は、奴の子を身籠ったまま災害に巻き込まれ亡くなったと聞いた。その後も長きにわたり、その女の魂を捜し歩いていたらしいが見つからなかったらしい。色白で黒髪の孤児のホムラ嬢を、その生まれ変わりかもしれぬと大切に育て、自分の娘としたのはその名残だろう」
「……じゃあアスモデウスが”ルーシーをくれ”と言ったらイフリートはOKするの?」
「は!? 何を言っておる。アスモデウスは優しい男だ。ルーシーを簡単に”くれ”とか物のように扱うまい。ホムラ嬢の幸せを望んだように、きっとルーシーの幸せを第一に考えるであろう」
「……ルーシーの幸せ?」
モルぺウスの化身の虹彩を覗くと、どこかの街の景色に驚き乗り物の窓にへばりつくべリアスを、満面の笑みで見つめる前世のルーシーの姿が映っていた。
この二人……なんだか幸せそうだ。
幸せ……か。
幸せ。
幸せなら全ていいのか?
幸せならなんでも許されるのか?
僕はこんなに、むしゃくしゃしてるのに……。
「じゃあもし、ルーシーがべリアスを好きだと言ったら? ”べリアスと結婚するのが幸せ”と言ったら、イフリートは了承するの?」
「は!? そ、そんなことはさせん。するわけがない!」
「ルーシーの幸せのためでも?」
「バルベリス、急にどうした!?」
「だって、こんなの見せつけられたら僕、べリアスを殺したくなるよ」
「クッハハハハハ! 大いに同感だ!」
イフリートは豪快に笑い、一回ずつべリアスの頬をギリッと抓った。
「ルーシー早く目覚めてくれ」
ルーシーの頭を優しく撫でたイフリートは、ベッドを挟んで僕の向かい側に腰を下ろし虹彩を覗き込んだ。
僕もムカムカする感情を押し殺し、虹彩の中の夢のようなめくるめく世界で幸せそうに旅をする二人をじっと睨みつけた。




