147話 その悪魔の武器は、天然の優しさだ!
【ドイツ・リューデスハイム・べリアス視点】
※旅行4日目。リューデスハイムフリータイム。
どうしてアスモデウスが、ルーシーの夢の中に!?
ここはいったい、どこの世界のいつの時代なんだ!?
アスモデウスは、色欲の悪魔。
女と賑やかな酒場がある場所を好む。
主にあいつのタイプは、色っぽい娼婦や同業の魔女たちだ。黒髪ルーシーとは、真逆のはず!
しかも、いま王国にいるアスモデウスとは全く別物のドロドロギラギラした禍々しい魔力を放っていた。それを隠すことなく、堂々とルーシーの前に現れるとは……
”勇者の剣”を使えない今のルーシーが、対抗できるわけがない!
そういえば……この夢の中のルーシーは、あいつの娘”ホムラ嬢”に雰囲気が似ている。
もしかしたら、アスモデウスの”本当の好みのタイプ”ということもありうる!?
この旅の最終日にルーシーは、事故で死ぬと聞いていたが……まさか、奴がルーシーを!
横丁の小道を逸れ、小さな路地に身を隠した。
「ルーシー、この町の教会はどこだ?」
「どうしたのべリアス? 顔色悪いよ……それに教会なんて嫌いじゃなかったの?」
ルーシーは、私を不安気に見上げた。
「それどころじゃない! 教会はどこだ!」
「うん、ちょっと待ってて」
ルーシーは、リュックサックから地図を取り出した。
「ここがつぐみ横丁で……あ、こっちに大きな教会がある! この通りを北に向って、突き当りを右……。”聖ヤコブス教会”かあ、楽しみっ♪ べリアス、雨が降りそうだから急ごう」
「ああ」
路地から顔を出し奴がいないことを確認し、小道を北へ走った。
「ウフフッ! べリアスが教会だなんて、お祈りでもしたくなったの?」
私の心配をよそに、ルーシーは嬉しそうにしている。
教会に入ったところで、奴から逃げきれるとは限らない。だが、今ここでルーシーが悪魔に憑かれるところを黙って見過ごすわけにもいかぬ。
「べリアス、そこの道を右………はぁ…はぁ。……あ、あれじゃない?」
真っ黒な雨雲を背景に、文字盤の金文字がキラキラ輝く変わった形の時計塔が遠くに見えた。
「ルーシー、大丈夫か?……はぁ……はぁ」
「うん、……はぁ……はぁ……平気。……べリアスは?」
「これぐらい、はぁ……はぁ、問題ない、ぜぇぜぇ……はぁ」
「少し、歩いても……はぁ……はぁ、いいんだよ。あ……」
ぽつ、ぽつ、と冷たい雫が石畳に黒い水玉模様を描きはじめた。
「降って来たな、急ぐぞ!」
「うん!」
暗色に変わる石畳の広場を駆け抜け、ブドウの絵が描かれた鉄の扉の前に辿りついた。
ギィィ………
***** *****
【リューデスハイムつぐみ横丁・(ルーシーの夢の中)アスモデウス視点】
この日、俺たちは同胞たちの救助に向かっていた。
ここより西の地域で、天使が集結し同胞たちを攻撃しているらしい。
その途中、眼下に広がる冬のブドウ畑と、賑やかな音楽と酒の薫りに誘われ、この横丁に降り立った。なぜか、胸がぞわぞわと騒いだ。いま思えばそれは、”運命の出会い”の前触れだったのかもしれない。
その女と会ったのは、俺が一人で横丁のワインやビールを手あたりしだい試飲していた時だった。
この土地名産のワインが自慢の店のカウンターの奥で、女は一人グレープジュースを飲んだ後、涙を零した。
短い黒髪に白い肌、艶のある長いまつ毛から覗く漆黒の瞳は涙で濡れていた。
吐息を震わせながら頬を伝う雫は、ぽとり、ぽとりと首に巻いた赤いマフラーの毛糸の上で粒となり宝石のように光っていた。
カウンターはL字型になっていて、俺は女の斜め向かい側に座り、その一挙一動を食い入るように見つめていた。
どのくらいの時間そうしていたのか、少しして女は「はぁーーーっ」と、ため息をつき見上げたその瞳と視線が重なった。
涙……じゃない。
その黒い瞳の奥に渦巻く魂の不思議な輝きに、俺の心は囚われた。
その得も言われぬ感覚に、一瞬周りの音が消え思考が止まった。
女は、小さく微笑みコクリと頭を下げた。
え!? あれっ!?
もしかして、俺のことが見えているのか!?
醜い悪魔の姿を見られたことに焦っていると、女は憂いを帯びた表情のままそそくさと店から出て行った。
***
ザーーーーーーー
雨に追われ、待ち合わせ場所へ戻ってきた俺は小さく呟いた。
「あの女、どこ行きやがった?」
冷たい雨に煙る川面を、古城めぐりの白い遊覧船が行き交っている。
一緒に来た北の魔女ヴィティは、横丁を出た川沿いにある屋根の付いたワイン屋のテラス席で白ワインを楽しんでいた。くるぶしまで隠れる白いローブに、白銀に輝く長髪に純白の肌、紫ががった赤い瞳で、雨に濡れた俺を見てため息をついた。
「どうした?」
「さっき飲んでたら、目が合ったんだよ。その女と」
「へぇー。この町にも居たんだ、見える子」
「髪が黒くて、こう短くて、くりくりっとした不思議な黒い瞳で……」
「……で?」
「……泣いていた」
「お前の顔が怖かったんじゃないのか?」
「そんな感じじゃなかった……絶望したように。……もしかして」
ザーーーーーーー
その女の姿を思い返した途端、胸の奥がかき回され、どうにもいてもたってもいられなくなった。
あの女、死ぬつもりじゃ……!
「おい、どこへ行く!」
「もっかい、探してくる」
「はぁ?」
ヴィティが呆れた顔で首を傾げた。
「どうにも気になって仕方ねぇんだ。今夜は戻らねぇかもしれねぇから、お前は先に、あっちに向かってろ」
ザーーーーーーー
「ふーん。じゃあ、こうしてあげる」
ヴィティがウィンクすると、上空から冷気が一気に押し寄せ、雨音が止まった。
雨は真っ白な雪に変わり、暗く淀んでいた町全体を仄かに輝く幻想的な粉雪で包み込んだ。
「こりゃいいな!」
「ご武運を」
ヴィティはグラスを掲げ口角を上げた。
「おう!」
黒い翼を広げ、雪が舞う町の上空へ一気に羽ばたいた。
「待ってろ! いま俺様が迎えに行ってやる!」
***** *****
【リューデスハイム聖ヤコブス教会・ルーシー視点】
ザーーーーーーー
「あのー。誰かいますか?」
屋根に落ちるくぐもった雨音が響く薄暗い教会の中は、厳かな空気に包まれていた。
夢旅行ループn回目にしてはじめて訪れた聖ヤコブス教会は、格子型の高い梁天井に白い壁。濃い茶色の横長のテーブルとベンチが整然と並び。半円アーチの壁の奥にある祭壇は、ステンドグラスから射しこむ外光で淡く輝いていた。
カツ、カツ、カツ……
「誰もいないのも、不気味だな」
「うん……もしかして誰もいないのは、私の記憶にはない場所だからかもしれない」
カツ、カツ……と、靴音を鳴らし祭壇へ歩くべリアスの背中を追った。
祭壇(後陣)中央には、痛々しい磔刑のイエス・キリスト像と、その背面を飾る6面の鮮やかなステンドクラスが、残酷で美しいキリスト教の壮大な歴史の物語をひとつの空間に凝縮し、見事なまでに厳然と具現化していた。
淡く輝く祭壇と、優雅に歩を進めるべリアスの後ろ姿はまるで映画の一場面のようで、光と影が織りなす絶妙なコントラストの美しさに、私は目を奪われた。
スマホがあれば”動画”も撮ったのに……。
昨夜リュックの中で見つけたスマホは、残念ながらどこかに消えてしまっていた。
「べリアス。そういえば、どうして急に”教会に行こう”なんて言ったの?」
「……アスモデウスを見た」
祭壇の前で立ち止まったべリアスは、私に背を向けたまま低い声で答えた。
「え!? 殿下が!? どこで!? もしかして殿下も、ここに来てるの!?」
アスモデウス殿下がこの夢の中にいることを知った私は、嬉しくなりべリアスに駆け寄った。
「ルーシー……」
べリアスの声が震えている。
どうしたんだろう……やっぱり、悪魔にとって”教会”はマズかったのかな。
「べリアス?」
「ルーシー、この旅行中、ずっとここにいろ!」
んん!?
振り返り私の肩を掴んで叫んだその表情は、予想外に険しく悲痛に歪んでいた。
「え、なんで?……べリアス、ど、どうしたの? 殿下と何かあったの?」
「っ……ルーシー。違うんだ。確かにあいつだが、お前が知っているアスモデウスとは、まるで違う」
「ん? 違うって?」
「禍々しい感じがした」
「う、うん。でも、殿下の魔力ってそういう感じじゃなかった?」
「いいや、違う。あれは全然違う。ルーシー、お前を狙っていた」
べリアスは呼吸を荒げ、私の肩を掴む手を強めた。
「え?……だから教会に?」
「ああ、そうだ! もしかしてルーシー、お前は前世で奴に殺されたのか? それとも奴と契約を交わして、あんなことや、そんなことに……うわあぁっ」
わっと声をあげ、べリアスが美しい顔を歪め泣き出してしまった。
泣くほど!?
いったい何をそんなに……。
「待って待って! べリアスは、どこでアスモデウス殿下に会ったの?」
「(涙声)さっきの、あの陽気な小道で……石畳からズズズッって出てきた」
「つぐみ横丁? 全然、気付かなかった。悪魔のべリアスには見えるんだ」
「(涙声)ゔん」
「あっ! でもほら、殿下ってお酒が好きだから、たまたま偶然、通りかかっただけかもよ」
「(涙声)いや、ぞんなごどばない(そんなことはない)」
「だって、前世での私は酷い二日酔いで、あの横丁で軽くフルーツジュースを飲んで、わびしくなって泣いて、すぐにバスに戻って寝てたから」
「ズルッ(鼻をすする音)バスで……寝てた? じゃあもう少ししたら暗転するのか?」
「あ、……でも添乗員の山内さんと少し話をしてたから、もうちょっとかかるかも」
「(涙声)じゃあここでジッとしてれば、そのうち暗転するんだな!」
「たぶん」
私は、この世界のこの時代に”アスモデウス殿下”が存在していたということに、正直驚いた。
べリアスは、殿下は私を狙っていたと言うけど、前世の私は霊感も魔力もない。人魚でも勇者でもない、ただの22歳の地味な女である。
あのアスモデウス殿下が、わざわざ関わってくる理由なんて絶対ない!
きっとこれは全くの偶然。
ここはワインが美味しい有名な観光地なんだから、王国にいた悪魔の一人や二人、お忍びで観光してたっておかしくない。と、私は思った。
「……べリアス、そんなに心配しないで。前世で私は最終日までアスモデウス殿下を見かけることもなかったし、悪魔に憑りつかれることも、ましてや契約なんてした記憶もないから、だから大丈夫」
「(涙声)全然、大丈夫じゃない。奴は幻術だって使う。人間の男に化けてお前に近づくなんて簡単だ」
「殿下は、人間の姿になれるの?」
「(涙声)ルーシー。旅の間に、男に言い寄られたりしなかったか?」
無い……かな?
同じツアーの人たちからは、むしろ避けられていたと思う。
当時の私にしたら、傷をえぐるような質問に嫌な思い出が蘇る。
「大丈夫、全く無かったよ。ずっと泣いてたし、暗い顔してたから。パリで子どもたちの集団に財布すられそうになったり、変な勧誘から逃げて転んでレギンスに穴が開いて浮浪者に不憫がられたりしたけど」
「(涙声)本当か?」
「うん」
「(涙声)……誰とも、関わっておらんのだな」
「うん、だから安心して」
眉間に皺を寄せていたべリアスは少し安心したのか、フッと口元を緩めた。
私もつられて微笑むと、肩を掴んでいた手がするりと落ち、そのままそっと私を抱きしめ「はぁーっ」と深く息を吐いた。あまりにも自然で流れるような抱擁に、はじめは何が起こったのかよくわからなかった。
ドクンドクンドクン……
頬をつけた薄い肌触りのいい白いブラウスから、べリアスの心臓の音が聞こえた。
「ズズッ(鼻をすする音)ルーシー、お前のことが心配で……心配で、だから……私から離れるな……」
胸から伝わるべリアスの必死な声に、喉の奥がきゅっと苦しくなった。
こんな風にされたら、誰だって……。
そのままべリアスの背に腕を回しそうになった両手をギリッと握りしめた。
抱きついてしまったら、今まで耐えてきた気持ちが一気に溢れ出しそうで怖くなった。
耐えろ、私!
「うん……分かった。べリアス、もう泣かないで」
「(涙声)ゔん、ズッ(鼻をすする音)ルーシー……お前が心配なんだ」
「分かってる。だから、泣かないで」
「(涙声)ズッ(鼻をすする音)ルーシー……」
そして、全然いやらしくない。本気で私を心配し嗚咽するべリアスに、一抹の不安が過った。
この旅行の最終日に私が事故で亡くなる瞬間、べリアスは黙ってそれを見ていることができるのだろうか?
私を助けようと、今よりももっと酷い顔で泣き叫ぶべリアスの姿が目に浮かんだ。
まるで私がサミュエル副隊長を助けてと、泣き叫んだ時のように。
「ズッ(鼻をすする音)、ルーシー……うぅっ……」
動けなかった。
引っ叩いて、腕を振りほどいて、睨みつけてやりたいのに。私を優しく抱きしめすすり泣くべリアスを突き放すことなんて出来なかった。
べリアスの腕の中から、しだいに濃い闇に包まれる教会の祭壇の磔刑のキリスト像が目に入った。
神聖な祭壇前で抱擁する”悪魔と勇者”を嫌悪するかのように歪められたキリストの顔が、暗転する闇に溶けるように消えていった。




