146話 悪魔いた!
【ライン川クルーズ・べリアス視点】
プオーーーーン!
間の抜けたような汽笛の音で目覚めた。
「あれ? ここは?」
確かさっきまで、レストランでルーシーとアップルワインを飲んでディナーを楽しんでいたはず……。
気がつけば周囲は明るく、左右ガラス張りの広い部屋にいた。長方形の白いテーブルと赤い背もたれの椅子4脚がセットになり、ずらりと奥まで並べられている。
ルーシーの姿は、どこにも見当たらない。
そしてこの場所、やたらと天井が低い。
突如、ぐらりと床全体が揺れるような感覚にふと窓の外を見ると、水面が見えた。
「は!? ここ船!? ルーシーは!?」
慌ててルーシーを探しに階段を上がり、船の甲板へ出ると……
「べリアス!」
船のデッキの奥のテーブル席で、黒いコートに赤いマフラーを巻いた黒髪のルーシーが私に手を振っていた。
「ルーシー!」
すかさず駆け寄り、スウェードの黒い手袋を外しキスをすると、ルーシーは白い息を吐き、はにかみながら私に言った。
「良かった。朝起きたらベッドからいなくなっていたから、もう帰っちゃったのかと思って」
「べ……ベッド!? まさか、昨晩、私は、お前を……」
「無い! 酔いつぶれたから運んで、隣のベッドに寝かせただけだよ。すっごく大変だったんだから。そんな時に限って都合よく暗転しないし……」
怪訝そうな顔で私を睨みつけるルーシーの、向かい側の席に腰を下ろした。寒さで少し赤くなった頬に、エキゾチックな黒い瞳。私を睨む表情も、ゾクゾクするほど魅力的だ。
「それで、ここはどこなんだ?」
「ライン川沿いのお城を巡るクルーズ船。ほら、あそこに見えてきたでしょ」
ルーシーが指さした先には、どんよりとした曇り空の下、切り立った岩山に建てられた美しい外観の古城が目に飛び込んだ。
「素晴らしい城だ。だが、えらい場所に建っているな」
「あのお城は、ラインシュタイン城。1000年ぐらい前は税関所として使われていたみたいだけど、その後は廃墟になったり、王子の別荘として改築されたり、今はホテルやレストラン、古城博物館、結婚式も挙げられるらしいよ」
「結婚式!? それにホテルやレストラン? 城の中で?」
理解できず、首をひねった。
「ステキな古城で結婚式だなんて憧れる……」
「挙式を挙げるのは、王族関係者とかか?」
ルーシーは首を横に振った。
「普通の一般人よ」
「は?」
船の進行方向左に、今度は先ほどの城とは比べ物にならぬ大きさの古城が姿を現した。赤黒い壁は古色蒼然としていて、黒く堅牢な外壁が特徴の王国北西にあるバンディ城に似ている。
「あれがライヒェンシュタイン城。昔、盗賊のアジトだったりしたこともあったんだけど、今はラインシュタイン城と同じく、ホテルや博物館になってるんだって」
「この城も?」
「うん」
それが当然のことのように話をするルーシーに疑問をぶつけた。
「もしかして、希望すれば身分など関係なく誰でも宿泊できるのか?」
「うん。古城ホテル……一度泊ってみたかったなー。博物館も気になるし、このツアーで行けないのが残念」
「……なぜだ? この国の王は”、城”に住まぬのか?」
「あ、そうか……べリアスは知らないんだっけ。現在いるこの国は”ドイツ連邦共和国”という国で、議院内閣制の代表民主制。つまり国民から選ばれた人が国の代表になるの。その代表は”王”ではなく”首相”と呼ばれているの」
「首相? じゃあ、王は?」
「今はいない…かな」
「”処刑”されたのか?」
「違う違う、王族の末裔の方たちは今もちゃんと生きてるよ……」
「だったら、なぜその王族が城に住んでおらぬ?」
「お城って修繕とか維持費が莫大にかかるみたいだから手放す人が多いみたい」
「ふーん。それで、城がホテルになったりするわけか」
確かに、城の維持費というものは馬鹿にならない。
我が王国内の各城の維持修繕費は、基本各城主の負担としているが、毎年予算が足りぬとバルベリスとアスモデウスはスチュワートに泣きついてくる。
ルーシーのために王都近郊を流れる風光明媚なシール川の河岸に、このような美しい城をいくつも建ててみたいと一瞬考えたが、”大変なことになりますよ!”と、激怒するスチュワートの顔が浮かんだ。
それから、次々と河畔に現れる素晴らしい城と町の景色を楽しんだ。
ルーシーは淡々と城の説明をするので、感心していると、
「もう何回も来てるから……。べリアスが喜んでくれて嬉しい」
少し悲し気な表情をした後、小さく笑った。
「あ、あれはプファルツ城。べリアスと初めて会ったあの川の”中州”ぐらいの場所に建てられたお城なんだよ。あの時、あの中州にこんな感じのお城が建てられるなーって考えてたら、青い顔したべリアスを見つけて驚いちゃった」
プファルツ城は、船の形をしたなんとも可愛らしい外観の城だった。
「そうか、ここでこの風景をルーシーが見ていなければ、私はお前に出会うことも叶わなかったのだな。そうか、これが”運命”というものだな」
「べリアス、運命とか大袈裟。川の側を歩いてたのは、水や魚とか食料調達場所も含めてだから、本当に偶然だよ」
「ルーシー。お前は偶然会った男と即”指輪の契約”するのが普通なのか?」
「そっ、それは前にも言ったじゃん。雇用主になってくれそうだったからって」
ルーシーは、口を尖らせた。
「なに、その素っ気ない言い方」
カップに添えられたルーシーの手を両手で包み、その大人びた黒い瞳を見つめた。
「ルーシー。私は、今も、ここにこうしていることも全て”運命”だと思っている」
「べリアス……もう……」
ルーシーの真っ黒だった瞳の奥が、幽かに揺らぎ小さく煌めいたように見えた。その途端、ルーシーは慌てたように視線を川に向けた。
これは、もしや照れているのか!?
もう一押しかもしれぬ!
「ルーシー……お「♪~~~
すると音楽が流れはじめ……突如、響きわたる心洗われるような清廉なソプラノに、私の意識は持って行かれた。
「ルーシー、この歌はなんだ?」
「”ローレライ”。あそこに見える大きな岩山の伝説を歌った歌」
船の進行方向右側に見えてきた大きな岩山を見つめた。
「い、岩? 岩山の歌? なんで?」
この雰囲気で”岩山の歌”とは!? ロマンチック・ゼロじゃん。
呆気にとられる私を見てルーシーは微笑み、こう説明した。
「フフフッ、ここは川幅が狭くて流れも急で、昔から船の遭難が多い場所だったの。それが岩山の上に佇む美しい乙女が船頭を魅惑し船を転覆させてしまうという伝承に転じ、ローレライ伝説が生まれたの」
切り立った岩山を見上げた。
ちょっと遠くない?
(※岩山の高さは約130mあります)
「……頂上までかなり距離があるように見えるが、この場所からその乙女が”美しい”と認識できるものなのか?」
「そう! 私もはじめそう思った! どうやら”歌声”で美しいと判断したらしいの」
「歌声か! それでこの歌………ゲッ! 」
低いテノールが合唱に加わった。男の歌声!?
「乙女の声だけでいいのに!」
流れる景色を見ながらルーシーは、嬉しそうに一緒に歌をハミングをはじめた。
「♪~~当時の船乗りさんたちがみんなで歌を歌いながら、この難所を乗り切ったのかなーって考えると楽しいかも!」
ルーシーは、屈託なく微笑んだ。
「ルーシー、お前と一緒ならどんな難所でも乗り越えてみせるぞ」
「ありがとうべリアス。打倒”氷の魔女”! 頑張ろうね!」
王国の勇者ルーシーを彷彿とさせるキリリとした表情で、私に拳を突きだした。
「あ、……ああ、任せろ」
グータッチすると、黒髪のルーシーは眩しく微笑んだ。
***
私は、何をしているのだろうか?
ロマンチックには、ほど遠い会話に行動……。
だが、諦めぬ。
落とすのが困難な女ほど、手に入れた時の喜びは絶大だろう。
この旅行中に、必ず大人ルーシーを私の虜にしてやる!
船を降りバスに乗り込むと、なんとルーシーはすぐに私の肩にもたれかかり眠ってしまった。
「zzz……」
「ええっ」
これって……チャーーーンス♪
いまは昼間だが、今にも雨が降り出しそうな曇り空のせいかバスの中は薄暗い。
その暗がりのなか、そっと片腕を背中に回しルーシーの肩を抱いた。
ドキドキしながら、もう片方の腕で抱きしめ顔を近づけた。
いい匂いだ。
「zzz……」
よし!
叩かれない。
そして、起きない。
ルーシーは、ちゃーんと眠っている。
徐々に、暗くなっていくバスの中。
「この前のキスは最悪だった……。だが今度は私が奪う!」
ガタン!
バスが大きく揺れたと同時に、暗転した。
「は!? はあぁぁぁ!!!」
***
次の瞬間、気がつけば人で賑わう宿場町のような場所に立っていた。
石畳の道幅は狭く、ローテンブルクでも見かけた木枠の壁が特徴の店が道の両側に立ち並び、顔に霞がかかった人々が行き交っていた。どこからか陽気なヴァイオリンの演奏も聞こえてくる。
辺りを見渡すとワイン屋の看板が見え、その店から買い物袋を手に出てきたルーシーと目が合った。
「あ、べリアス! どこ行ってたの?」
駆け寄ってきたルーシーを両手を広げ抱きしめようとすると、サッと後退しかわされた。
心が痛い。
「どこにも行ってない。気づいたらここにいた。ここはどこだ?」
「リューデスハイムの”つぐみ横丁”。”世界で一番陽気な小路”って呼ばれているところ」
「世界で一番陽気な……そんなことより、バスで急に寝たかと思ったら暗転して……ルーシーの姿も見えぬし不安であった」
「あっ! ごめんなさい。たぶんそれは、私でも変えられない、どうにもならない行動のひとつなのかもしれない」
ルーシーは、申し訳なさそうに私を見つめた。
「もしや、ルーシーが寝ている間は暗転する仕組みか?」
「そうかもしれない。私の記憶の中だから、”前世の私の意識”がなくなれば暗転するのかも」
スッと距離を詰めルーシーの顔を覗き込んだ。少し頬が赤らんで、なにやら甘い香りがした。
これは……。
「ルーシー酒臭いぞ」
「あ、さっきワインの試飲を」
「ワイン! 私も「ダメ! べリアスは、お酒があまり強くないんだから飲んじゃダメ!」
ルーシーは店に入ろうとした私の腕を掴み引っ張った。
「なんで!?」
「昨日の夜、大変だったって言ったでしょ。酔った勢いで変なことしてきそうだし」
「ええっ! でも1杯ぐらい」
ルーシーは持っていたワインの絵が描かれた袋を見せ、
「ちゃんと、別にワイン買ってきたからホテルに戻ったら二人で飲もうね。ここで酔いつぶれたら大変でしょ?」
ふふふ、二人でホテルの部屋で!!!
ルーシーが私を誘ってくれたーーーっ!!!
歓喜で黒い魔力が全身から噴き出した。
「ルーシーーっ!」
嬉し過ぎて思わず抱きつこうとした瞬間、ルーシーはバックステップでかわし身構え、私を睨みつけた。
速っ!
さすが中身は王国の勇者。
「……やっぱやめとく。いま、変な事考えたでしょ。シャルル! あ、そっか、今夢の中だった」
あの忌々しい”勇者の剣”は召喚できないらしく、ルーシーは頬を赤く染め焦った表情を見せた。それがたまらなく可愛らしく、どうにも口元が緩む。そうか、そうだったのか……。
”勇者の剣”さえ無ければこっちのものだ!
「ハァ……ハァ……変なことなど考えてはおらぬ!」
「考えてた!」
「ハァハァ……何もしない……だから……ハァハァ」
「嘘! 顔がすごくニヤけてるもん! 黒い魔力出して、目つきもおかしいし、ハァハァ言ってるし……怖い!」
”怖い”と言われハッとした。
よく見ると、ルーシーの瞳に涙が滲み、肩も小さく震えている。
もしかして、私はルーシーを怖がらせてしまったのか!?
「わ、悪かった! お前に嬉しい事を言われ、魔力を放出したのは一種の生理現象のようなもので……ルーシー、お前のことを愛してる。だから……、私を怖がらないでくれ。泣かないでくれ。この通りだ……もうこのような真似はしないと約束する。許してくれ」
跪き胸に手を当て謝罪する私を、ルーシーは涙を湛えた不安げな瞳で見下ろした。
「本当に、もうしない?」
「約束する」
「対価は?」
「は?」
対価と聞かれ唖然とする私に、ルーシーが静かに続けた。
「嘘、対価なんていらないよ。べリアス立って」
私は、なんてことをしてしまったのだろうか。
立ち上がった私を見上げたルーシーの頬に、大粒の涙が光っていた。
この夢の中のルーシーは王国の騎士でも勇者でもない、己の身を守る術を持たぬ普通のか弱き人間の女性。感情が高ぶり、悪魔の姿で迫ってしまった私が悪い。
そもそも、”変なことはせぬ”と、ルーシーとこの旅のはじめに約束していたことを私はすっかり忘れてしまっていた。悪いのは私だ……。
「ルーシー……許してくれ」
♪~カランコロンカラ~ンーーコロ~~~ン~~~
どこからか時を知らせる陽気なカリヨンが鳴り響いた。
こんなにも楽しい旅の最中にルーシーを泣かせてしまうなんて、私はなんてことをしてしまったのだろうか。
(※カリヨンとは、様々な音域の鐘を組み合わせた打楽器。鐘楼などに吊るし、打って演奏する)
「ルーシー、悪かった」
「べリアス、もう泣かないで。あっち見に行こう!」
ルーシーが眩しく微笑み、私に手を差し伸べた。
「ルーシー!」
カリヨンの陽気な旋律の中、ルーシーの手を取ろうとした時だった。
私とルーシーの間の石畳の隙間から、真っ黒な影のようなものが沸きだした。
ルーシーはその影が見えないのか影をすり抜け、驚き身構え固まる私に駆け寄った。
「べリアス!? どうしたの?」
ルーシーの背後で影は徐々に大きく立ち上がり、黒い翼と角のシルエットが形作られていく。
こいつは、”悪魔”だ!
それもかなり上位の悪魔で、もしかしたら……恐怖を覚えた。
「ルーシー、走れ! ここから離れるんだ!」
「えっ!? どうしたの?」
陽気なカリヨンが響く小道を、ルーシーの手を握り走り出した。
……~~カラ~ンコロンカンコローン~~♪
見覚えのある”悪魔”だった。
アスモデウス!?
なぜルーシーの夢の中にいる!?




