136話 底なしのダークネス
【アクアラグーン樹海の泉・イム視点】
ルーシーを抱えたサミュエルさんが、夜空に姿を消した。
「そんな……サミュエルさん」(レグルス)
兄貴が悲痛な面持ちで、サミュエルさんとルーシーが飛び去った空を見上げ叫んだ。
俺はさっきから動揺を隠せなかった。
なぜ、サミュエルさんの名前を兄貴は知っているんだ!?
まさかサミュエルさんは兄貴と密かに内通して……でも、何のために?
「あいつ、裏切りやがったのか!?」
俺と同じように考えたハントが、宙づりのまま悔し気に声を荒げた。
「違う! 彼を侮辱するな! サミュエルさんは君たちを裏切ってなどいない。彼はボクの友人だ」
「友人!? ハッ…お前の言うことなんて信用できるか!?」
サミュエルさんは、たぶん裏切ってはいない。
根拠はないがあの人は、そんなに器用じゃない。それに……友人というのも、世話好きで優しいサミュエルさんのことだから、ともすれば偶然アクアラグーンで兄貴と会い、知り合いになっていたとしても不思議じゃない。
「よくもルーシーを傷つけたな! ハント! ボクはお前を許さない!」
兄貴は憎悪を滲ませハントを睨みつけ、鞭のようにしならせた荊棘の蔓を放った。即座にハントは、足に絡みついた荊棘の蔓を切り落とし地面に着地。蔓の攻撃を全て躱し、サミュエルさんが飛び去って行った空を睨みつけた。
それにしても、なぜ兄貴はルーシーをそんなに大切に想っているんだ?
彼女が傷つけられたことに、あんなにも怒りを露わにするなんて。
兄貴は俺の知らない間に、女の子の姿でルーシーに近づき、友人になり、話をしたり一緒に町へ出掛けたりしていたのかもしれない。
きっとそうに違いない。
だからルーシーは兄貴のことを友人と言った。
そして、きっと兄貴もルーシーのことを……だから……
ハントが命令に背いたルーシーを”突き飛ばし、転ばせ、幻術をかけた”と聞いたとき。はじめ俺は正直何とも思わなかった。ただ”仕方ない”とだけ思った。上官の命令に背いたんだ、仕方ない。と……でも、サミュエルさんは違った。ハントの行為にサミュエルさんは本気で怒っていた……普段、ハントには怒らないサミュエルさんが……俺は……俺はその時どう思った? そのあと……フォリーで眠るルーシーの頬に涙の跡を見つけて……それを目にしたとき、俺は……俺は……
俺は、徐々に自分の間違いに気づきはじめていた。
「ボサッとすんな! イム、サミュエル副隊長を追うぞ!」
血まみれのハントが、荊棘の蔓が蠢く森へ駆け出した。
ハントの声に我に返るも、身体が動かなかった。
「行かせるか! ルーシーを傷つけた奴は樹海に永遠に閉じ込めてやる!!!」(レグルス)
真っ先に俺が、ハントを怒るべきだった。
そして、兄貴に、”彼女を傷つけたこと” をひたすら謝り、赦しを請うべきだったのに。
本来なら俺がやるべきことだったのに……。
兄貴を、本気で怒らせてしまった。
俺たちは忘れていた。
こうなってしまった兄貴を、誰にも止められないことを……
兄貴は10歳の時、親父と女王様の夫婦喧嘩を止めようとして暴走。サンマリの町半分を、荊棘で壊滅させた。その時は、親父と女王様が二人掛りで止めた。
15年前もそうだった。
兄貴は攻めてきた”氷の魔女”の軍にひとりで立ち向かい、俺たちを守った。
あいつは氷に閉じ込められた女王や仲間たち、そして、非力な俺たちをたった一人で守り、気絶するまで戦っていたのに……バカだった俺たちはそれを責めた。俺たちも一緒に戦っていればなんとかなっていたかもしれないと、ずっと兄貴を責め続けた。氷の魔女の軍に母親を殺されたハントは、行き場のない悲しみを兄貴にぶつけ、俺も兄に対する劣等感で満たされたことがない気持ちを、ここぞとばかりに言葉で嬲りつけた。
兄貴は、優しいから何を言われても涙を流し「ごめん」と謝るだけだった。
俺たちの言葉を黙って全部受け止め、樹海に一人残った。
兄貴が樹海に籠るようになったのは俺たちのせいだ!
迷い込んだ騎士見習を、昔みんなで遊んだみたいに連れ回してたのも、寂しかったからに違いない。それなのに、俺はずっと……気狂い王子と言いふらし嫌悪し続けた。俺は最低な弟だ。
兄貴はその強大過ぎる力で誰も傷つけないようにしていただけなのに、ただの臆病者の根性無しだとずっと……いや認めたくないだけだった。
兄貴は、魔力も容姿も心の強さも、俺がどう足掻いても敵わないほど優れた”兄”だということを。
今夜のことだってきっと、大切にしていたルーシーが目の前で傷つけられたのを見て我慢ならなかったに違いない!
本来ならば俺がルーシーを守らなければならないのに。ハントがした行為を真っ先に咎めなければいけなかったのに。あのとき俺が兄貴の味方にならなければならなかったのに………俺は馬鹿みたいにイキがって兄貴に対して酷いことを……。
「イム!? 動けぇーー!!!」
ハントが俺の腕を引っ掴み、襲いかかる荊棘蔓から引き離した。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
激高した兄貴から吹き出す膨大な黒い魔力が辺り一面を覆い尽くし、地中から這い出す蠢く荊棘の蔓が容赦なく俺たちを飲み込んだ。
「うわぁぁぁあああああああ」(イム)
「ぎゃぁぁああああああああ」(ハント)
「ハント、お前のことは絶対に許さない!」(レグルス)
絡みつく鋭い荊棘の蔓の一本一本から、兄貴の怒り狂う声がこだまする。
俺たちは叫び声を上げながら、絶えず襲いかかる荊棘の蔓を闇雲に切り続けることしか出来なかった。俺たちの力では、もうどうすることもできない。
ルーシーとサミュエルさんは、無事だろうか……
ルーシー……
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【アクアラグーン樹海・サミュエル視点】
俺はぐったりとしたルーシーを抱きかかえ、必死に夜の闇を飛んでいた。
……ゴゴゴゴオオォォォ…ゴゴゴオオォォォゴゴゴオオォォォ…バキッ……
バキバキバキ……ゴゴゴオオォォォゴゴゴオオォォォ……パシッ!……
時折、轟音とともに突き出た荊棘の蔓が、俺たちに襲いかかる。
月の光を遮るほどに空へと伸びた荊棘の障壁。
俺は、泣きたくなった。
どこに逃げれはいいんだ。
ズザッ……バシュ!…
荊棘の蔓が、真正面に振り下ろされた。その隙間から僅かに月の光が見えた。
南はそっちか。よし、とにかく樹海の東の出口へ向かって飛ぼう!
左の方向へ視線を向けたその時だった。
ビシッィ!!!
「ぉわっ!」
死角から鞭のように振り下ろされた蔓が背中を直撃し、俺はバランスを崩し樹海へ真っ逆さまに落ちていった。
バキバキバキバキバキバキバキ! ドサッ……
「うっ…ゔぅ…痛っ……」
落下しながらもどうにか体勢を整え、背中で着地した。葉をつけた樹々の枝や荊棘の蔓、そして自分の翼がクッションになったおかげで、直に地面に叩きつけられずに済んで良かったとホッとした。
「ルーシー、ルーシー」
腕の中のルーシーは、頭を撫で声を掛けるも、まだ目を覚まさない。
呼吸は安定している。たぶん大丈夫だ。
「痛ーーっ!!!」
クソっ。起き上がると、背中に激痛が走る。
この翼じゃ……もう飛ぶことはできないだろう。
武器もない、サンダルも飛んでいるうちにどこかへ落としてしまった。
なんで俺はこんな時に、こんな格好で来ちまったんだ。最悪だ。
見上げた空は、黒に近い紫色をしていて、黒く鬱蒼とした樹海の木々の影の中に、荊棘の蔓が蠢いているのが見えた。
誰でもいいから教えてほしい。どうすれば、この樹海からルーシーを連れて脱出することができるのか。
ゴゴゴゴオオォォォ…ゴゴゴオオォォォゴゴゴオオォォ……バキ……ゴゴゴオオォォォォォォ
バキバキバキ……ズルズズズ……パキ、ズズズ………バキバキ……ゴゴゴ……
暗闇から不気味な音を轟かせる何かが、俺たちの周りを取り囲む気配に身震いが止まらない。とにかくどこかへ逃げなければ、と立ち上がろうとしたその時だった。
グラッ……地面がグニャりと凹んだ!
「え!? まさか!?」
ガラッ!!!
……ガラガラガラガラガラガラガラガラ!!!!!
絶望的なタイミングで、足元の地盤が崩れはじめた。
ガラガラガラガラガラガラガラ!!!!!
「ーーーーーーーーっ!!!」
ふわりと夜の宙から、もっと深い闇へと堕ちる絶望の中。
ルーシーだけは守らないと。
もう、それだけしか考えられなかった。
途中で放さないように、ルーシーを抱く腕に力を籠めた。
ルーシーだけは……
俺たちは終わりの見えない夜の樹海の、さらに深い奈落の闇へ飲み込まれていった。
+++++
続く闇。




