第11話 きみに嫌われる覚悟
『どうしてレイルは、旅人になったの?』
はて。最後にそれを聞かれたのは、何年ぶりだったか。
旅人に憧れていた。世界を自分自身の眼で見て回りたかった、――なんて感じで、それとなく適当な嘘をついておけばいい。そうやって、今まで波風立てずに生きてきた。
しかし、きっとこの少女はそれが嘘だとすぐに気づく。気づいた上で、多分それ以上追求してこない。
『あのさ』
『ん?』
『んーん、なんでもない』
何度このやり取りをしたことだろう。記憶を探れば、少なくとも3回以上はしている。
シェイラはずっとこの質問を俺にしようとしていて、寸でのところで押し留めてきた。
――なぜか。
それはとても簡単なことだ。
この年で旅人なんてしているのには必ず、理由があるとしっているからだ。
それでなくともこんなご時世、俺くらいの年齢なら人殺しや指名手配で旅人になった奴なんてザラにいるし、そうでなくとも何かしら理由を抱えているものである。
故に、旅人の過去に触れるのはご法度だと言われて子どもは育つ。
多くは前者が理由で、危険なこと極まりないからだ。何を考えているのかわかったもんじゃない。『触らぬ神に祟り無し』とはよく言ったもんだ。
だからきっと、俺の過去に何があったのか、聞きたくとも聞けなかったのだと思う。
それは俺が何者か知ることを畏れたのかもしれないし、俺に嘘をつかれることを恐れたのかもしれない。でも多分一番は、俺の心の傷に触れることを、怖れたのだと思う。
なにせこの子は、そういう子だから。心の優しい女の子だから。
『どうしてレイルは、旅人になったの?』
自分自身に、問いかけてみる。
もしこの町にマルクスがいなかったら、と。
もしパン屋の店主に声をかけられなかったら、と。
はたして俺は、この少女を助けただろうか。
答えは簡単だ。
俺はこの少女を――。
この少女のことを――。
…………。
……あれ。おかしいな。
……わからない。
あのときは……少なくとも地下牢に初めてシェイラが遊びに来た日までは、確信はないが自信があった。
それなのに……。
今は、わからない。
この少女じゃなけりゃ……シェイラじゃなけりゃ見捨てる自信がある。
確信があり確証がある。
でも、今は……。
俺はメリットとデメリットを天秤にかけられる人間、のはずだ。
でもわからない。
断言できない。
どうしてだ?
わからない。
俺は、この子を見捨てることができたのだろうか――?
手入れの行き届いた細かく透き通るような、きめ細かな白金色の髪。
海を宝石に閉じ込めたかの如く美しい藍緑色の瞳。
どこまでも白く、汚れを知らない純白の肌。
その白く柔らかそうな肌に、触れてみたいと想ってしまった。
その細く華奢な体躯を、抱きしめてみたいと想ってしまった。
そしてその桃色の唇を――、
そこまで考え、俺は絶望した。失望した。
まぢか。
いつの間にか鼓動が大きく早く、身体がほてっていることに気づく。
まぢか。
俺に限ってそれは、絶対にありえないと思っていた。
まぢなのか。
俺はこの子と接しすぎたのかもしれない。思い返せば、女の子とこんなに言葉を交すのは初めてだったかもしれない。
体重を後ろについた両の手で支え、狭く暗く低い天井を見上げた。
地下牢初日、俺は事実を墓まで持っていくと自身に誓った。
それはシェイラが知らくてもいいことだから。逆に知らない方がシェイラのためになると思ったからだ。
でも、俺は何もわかっていなかった。
白く純粋な少女と言の葉を交わすうち、太陽のような笑顔に照らされるたび、大海のごとく美しい瞳に見つめられるごとに。
嘘をつくことが、こんなにも辛いものだということを知った。
心が痛いんだ。胸が苦しくて、ときたま泣きたくなる。
今までずっとずっとずっとずっと人を騙し続けてきたのに……そうか、これがいわゆる良心というやつなのか。とっくの昔に失くしたと……捨てたと思っていたが。
それかもしくは、これが人を――になるということなのか。
――いや、待て。早まるな。落ち着けレイル。
人は死に直面したとき、もしくは疲れているとき、性的なことばかり考えてしまうのだという。普段より異性を意識してしまうのだという。生物的本能が、子孫を残そうとするのだという。
だから、この気持ちは――――。
そのとき。突然俺の頭の中に、言の葉が蘇った。
『選択を迫られたとき、まずメリットとデメリットを考えなさい』
これは、母さんの言葉だ。忘れるはずがない。
『それを考えた上で、あなたのやりたいようになさい』
幼い俺には意味がわからなかった。メリットとデメリットを考え、メリットの方を優先する。それが当たり前なのに、どうして。
『あなたのやりたいようにしている。その時点でもう、それはあなたのメリットの1つなのだから』
母さんの言葉の意味が、重みが、ありがたみが、今になってよくわかる。
メリットと、デメリットを考える。
シェイラに真実を告げるメリットはなにか。デメリットはなにか。
大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。
そのときにはもう、俺の心は決まっていた。
流石は俺の母さんだ。自慢の母さんだ。いつになっても、母さんには勝てそうにない。
第一あの父さんが惚れた女に、俺が勝てるわけがないのである。
俺はこの子に、シェイラに嘘をつきたくない――。
「目的があったんだ」
シェイラに笑いかけた。
「目的?」
もしかしたら、自身に笑いかけたのかもしれない。
「おん。目的」
だってそうだろう?
「聞いても、いい?」
覚悟がいるから。
「これを聞いたら、多分きみは俺のことを嫌いになると思う。それでも、聞く?」
「うん」
きみに嫌われる、覚悟が――。
実はこれ『異端審問』って単語カッチョよくね?って思って無性に描き始めたやつだからさ、題名かなり適当なんだよね。
え、大体想像ついてたって?