5話 丸目楽歩の1日
丸目楽歩の1日は、家族の怒声か泣き声から始まる。
「「「びえええーん!!」」」
「みかーん!!」
「パンーー!!」
「ばななぁー!!」
2歳の三つ子の大合唱に、他の家族も起き出した。
「おはようみんな。朝ごはんは準備中だから、もうちょっと待っててね」
「「「パパ、いやああああ!!!」」」
(イヤイヤ期の容赦ない全否定……。心地良い!!)
楽歩は朝からエプロン姿で恍惚としていた。妻は出張で明後日までいない。
「おはようパパ、お手伝いするね?」
「オレもお皿運ぶー」
「ありがとう、2人ともー!!」
高1の長女と小6の長男の声に、楽歩は癒された。
朝食の卵焼きと豆腐とわかめの味噌汁、納豆ごはんを完食後に、何故かパパだけを嫌がる三つ子のお着替えをさせてチャイルドシートに乗せ、車で保育園へ連れて行った。
そして、出社。
新人の頃からずっと彼はCS部で勤めている。
「うぅ……。誠に、申し訳、ございませんっ。…ぐすっ」
「大丈夫かい?小森くん。電話受けてから20分経ってるけど。変わるよ?」
「丸目主任〜!?」
昨日からバイトに入ってきた子の電話を代わると、楽歩の目は完全にキマっていた。
「お電話代わりました。……はいっ、はい。誠に申し訳ございません!!」
楽歩は自分の噂話にも全く興味は持たない。
「ねえ、今日もキマってるわよね?まる主任」
「ほんとだ。困った時にはありがたいけど、関係ない時に見るとちょっと怖くてキモイのよねえ……」
彼は受話器の向こうからの怒声で完全に昇天していた。
(ああっ……!腹の底から響くような、低音の怒声が気持ち良い!!)
――昼休み。
楽歩は社食を食べながら、妻との馴れ初めに1人でトリップしていた。
「香取菜摘さんっ!貴女といっしょの部署で働けるなんて光栄ですっ、この気持ちをお酒に込めてーー」
その時楽歩は両手でビールグラスを持ち、隣の席の菜摘にしっぽを振り回す犬のような笑みを浮かべて話しかけた。
「ちょっと丸目くん、お酒ダメって言ってなかった?」
ごくんっ、バターン!!
「何やってんのよ馬鹿あああぁー!?死ぬんじゃないわよおおお!!」
「誰か救急車呼べ!」
「はい!」
「…マジかよ一口で?」
(このビリビリとした高音。やっぱり、香取さんは女神……)
ピーポーピーポー
この時、丸目楽歩の何かの扉が全開になった。
それからの部署の飲み会では、最初に注文するものは全員烏龍茶という暗黙の決まりが出来た。
(あの時の菜摘ちゃん、気が動転してストレッチャーに乗せられるまで手を握ってくれてたらしいし…やっぱり妻は最高だ!)
彼は食べ終わると待ち受けにしている家族写真をニヤニヤしながら見た後、午後の業務に励んだ。
定時ダッシュで保育園のお迎えに行き、帰宅すると長男が出迎えてくれた。長女はパン屋のバイトが20時まで入っている。
「おかえり、父さん。風呂沸いてるよー」
「ありがとうー!!」
(僕の息子は天使の生まれ変わりなのか?)
「にいに、すち」
「にいにー」
「にいに、だっこおぉ」
三つ子の靴を脱がせると、3人は兄に向かってよちよち歩き出した。
「保育園頑張って偉いなあ。抱っこは順番だぞー」
「よし、みんなでお風呂に入ろうか!」
「「「いやーー!?!?」」」
(やっぱり僕はいやかあ。そんなところも可愛いなあ)
「父さん、大丈夫?なんでデレデレしてるの…」
長男のちょっと引いたような目線に楽歩はときめいていた。
(この冷めたような目線…、菜摘さんにそっくりだっ!)
嫌がる3人を長男と協力して風呂に入れ、着替えさせていたところに長女が帰ってきた。
「ねえねー!」
「ねぇね、しゅち!」
「すちー!」
「ただいま!売れ残りのパン、半額に値引きしてもらったから買ってきたよ」
長女に三つ子が群がっているのを見て、いいなあと長男の顔に書いてあるのを見た楽歩は癒されていた。
「ありがとう!作り置きのハンバーグと一緒に食べようか。今温めるね。ねえねは手を洗うから、3人はチンしてる間にパパとにいにと待っててね」
「「「いやあああー!!!」」」
(三つ子は声も綺麗だなあ、菜摘さんに似て良かった良かった)
(今朝はやばい夢見て怖かったから、癒されるわー)
夢の中で、楽歩は仕事をバックレ酒に溺れて家族を極貧に突き落とし、家族の生活費のために身を落とした娘から酒代をせびり、病気の妻からDVを受けることで罪悪感を霞ませていたのだ。
それがマルメラードフとしての前世だったことは、彼はまだ知らない。




